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第二章39 失意の戦士たち

「親父ッ!」

「グレオ隊長ッ!」


 様々な死闘を経た氷都市・ミノルア。いつしか夜空には分厚い雲が漂い、死が蔓延する街に粉雪を降らせる。空から舞う雪は地面に薄っすらと積もるようになり、しばらくすれば雪が街全体を覆うようになるだろう。


 そんな街の中で、ハイラント王国の英雄グレオ・ガーランドはゆっくりと瞼を開く。


 倦怠感が全身を包み込む中、意識を覚醒させたグレオには痛みを感じることがなかった。それは、異世界に召喚された英霊フローレンス・ナイチンゲールの権能によるところが多く、彼女がこの世界に存在していたからこそ、グレオは一命を取り留めることが出来たのであった。


「……そうか。俺は生きているんだな」


 その言葉には様々な想いが込められていた。


 ――自分が無事であることの安堵。

 ――戦いに敗れた屈辱。

 ――人々を守れなかった失望。


 どこか暗いグレオの言葉に、傍にいる航大もライガも沈痛な表情を浮かべることしか出来ない。英雄が感じる失意を、航大とライガもまた同じく抱いていたからだ。


 特に航大はこの戦いにおいて、客観的に見て功績を残した訳ではなかった。


 厳密に言えば、英霊ナイチンゲールを召喚したことで戦いの役に立つことはできたかもしれない。しかし肝心の航大自身は戦うことが出来ず、ただ呆然と絶望が蔓延する街を見ていることしか出来なかった。

 誰にも見られないよう、航大は唇を強く噛みしめると拳を強く握りしめる。


「……街は?」


「嬢ちゃんたち二人と、街の外に避難してた騎士たちで生き残りがいるか捜索してる……結果は絶望的だけどな……」


「……そうか。街の外に避難していた市民は無事だったか」


 航大たちが教会へ辿り着いた時、そこには避難している市民たちの姿が無かった。全員がアンデッド化現象にやられてしまったのか……と、航大は絶望していたのだが、実際にはグレオが素早い判断によって、市民を街の外へと避難させていたのだ。


「避難していた市民は全員無事だぜ。嬢ちゃんたちの捜索が終われば、後は俺たちだけだ」


「……わかった。航大くんたちは先に街の外へ向かってくれ。私はもう少しこうしているよ」


 グレオは身体を起こすことなく、じっと眼前に広がる闇夜を見つめる。


 英雄となって初めて、グレオは任務において人間相手に敗北を喫した。彼もまた強大な力を持ちながら、眼前で失った物が多く強い失望の念に駆られていた。


 その事実を知っているからこそ、航大とライガは英雄の言葉に頷く。


「それじゃ、航大は嬢ちゃんたちと合流してくれ。俺は先に戻ってるぜ」


「……分かった。身体は大丈夫か?」


「あぁ。嬢ちゃんのおかげで歩くくらいなら問題ないぜ」


 あまり多くは語らず、ライガは痛む身体を我慢しながら立ち上がる。

 粉雪が舞う中でライガは上半身を外気に晒していた。その脇腹部分には包帯が巻かれており、彼が受けた傷の大きさを物語る。


「じゃあ、また後でな」


 ライガがゆっくりと、そしてしっかりとした足取りで街の中を歩いて行く。

 その姿を見送った後、航大もナイチンゲールとリエルを探すために歩き出そうとする。


「……航大くん」


「……え?」


「今回の戦いにおいて、君と少女の力は絶大だった。こんな姿で申し訳ないが、お礼を言わせてくれ」


「いや、ユイはともかく……俺は何も……」


「あの少女の力……それは、君の力でもあるのだろう?」


「それは……」


 英雄として名を馳せるグレオからの言葉に、航大は自信を持って返すことができない。


 現実世界と異世界を繋ぐ異形の力。グレオが言う通り、確かに航大は漆黒のグリモワールを使い英霊を召喚することで、少女に戦う力を与えてきた。


 それは事実であったとしても、結局のところ航大自身が戦った訳ではない。

 得るものよりも、失ったものの方が遥かに多いのだ。


「こんな姿で申し訳ない。王国へ戻ったら、また改めてお礼をさせてくれ」


「……お礼は、ユイに言ってやってください」


 最後まで航大は自分の功績を認めようとはしなかった。

 倒れ伏したままのグレオに軽く一礼をすると、航大は後ろを振り返らずに歩き出す。


 そんな少年の背中を見て、グレオも視線を夜空へと向けて小さく溜息を漏らす。


 最初は粉雪だった降雪も、次第にその勢いを増していく。

 英雄が心内で滾らせる感情とは違い、街はとても静かである。

 頬に触れる雪の冷たさを感じながら、グレオはしばしの間を一人で過ごすのであった。


◆◆◆◆◆


「はぁ……寒い……」


 ライガとグレオと別れ、航大は一人で氷都市・ミノルアを歩いていた。

 街は異様な静けさに包まれており、つい先日まで人が生活をしていたとはとても思えない様子を見せていた。


 帝国騎士・ルイラが姿を消してから、街の中を徘徊していたアンデッドたちの動きが止まった。彼女が持つ権能が及ばなくなると、アンデッドたちはその姿を屍に変えていった。


「…………」


 街を歩けば、そこかしこに倒れ伏す人間の姿を見ることができる。

 その全てが少し前まで何の変哲もない生活を送っていた市民である。


 ――彼らに非はない。


 だからこそ、航大は冷酷な帝国騎士に対して憎しみを覚えずにはいられなかった。

 彼らは罪もない数多の命を葬った。

 それは何があっても許されることではない。


「……絶対に許さない」


 航大は死が支配する街が見せる光景を目に焼き付けながら、帝国ガリアへの復讐心を滾らせていく。航大が強い負の感情を持てば、深層に眠る『何か』が歓喜の声を上げる。

 自分の中に存在する確かな存在を感じながらも、航大は強く唇を噛み締めずにはいられなかった。


「マスターか?」


「その声……ナイチンゲール?」


 静かな街を歩く航大を呼ぶ声があった。

 その声に振り返れば、そこには闇夜の中で目立つ白髪を持った少女が立っていた。


 ――この異世界にやってきて、航大が初めて出会った少女。


 召喚された英霊をその身に宿し、戦う力を持たない航大の代わりに戦ってくれる存在であった。


「身体は大丈夫か?」


「あぁ、俺は何とか……ナイチンゲールは?」


「私はこの治癒剣がある限り、どうとでもなる」


「そりゃ心強いな」


 こうして英霊と憑依したユイと話すのは久しぶりだった。

 しばしの沈黙が場を包み、それを破ったのは英霊ナイチンゲールだった。


「すまなかった、マスター」


「……なんで謝るんだよ?」


「私にもう少し力があれば……この街の人を救うことも出来たはずだ……」


「グレオ隊長の力を持ってしてもコレだ……ナイチンゲールだけのせいじゃない」


「……それでも、英雄としては責任も感じるものだ」


 街の中に生存者が居るかもしれないと捜索に出ていたナイチンゲールたちだったが、一人で立っているところを見るに成果は無かったと判断できる。


「……私はもう帰らなければならない」


「…………」


「また私の力が必要になれば、いつでもマスターの呼びかけに応じよう」


「……分かった。その時は頼む、ナイチンゲール」


 航大が懐に持つグリモワールから光が失われていく。

 それは英霊を異世界に召喚する権能にリミットが来たことを指していた。


「それでは、また会う時まで……」


「ありがとな、ナイチンゲール……」


 その言葉に小さく笑みを浮かべるナイチンゲールは、その身体に淡い光を纏いながらゆっくりと存在を消失させていく。


 ユイの身体から湧き出る小さな光の粒は、宙を舞う粉雪に溶けて消えていく。

 光の粒が消えるのと同時に、航大の身体を激しい倦怠感が襲ってくる。


「くッ……これがあるの、忘れてた……」


 それは異形の力を行使した代償。

 英霊の消失と共に、航大の身体から力という力が喪失する。


「……航大、大丈夫?」


「え、あっ……ユイ、か……」


「……うん」


 立っていることすら難しい状況の中、航大の背中を撫でてくれる存在があった。

 それは白髪を揺らす少女の姿であり、つい先ほどまで英霊をその身に宿していた少女である。

 彼女は苦しむ航大を見て表情を悲しげに歪ませると、温かい手で何度も背中をさすってくれる。


「はぁ、くッ……この感じ……慣れないなぁ……」


「……寝ても大丈夫。私がちゃんとみんなの所に連れていくから」


「すまない。頼、む……」


 シャーロック・ホームズを召喚した時に比べても、今回の倦怠感は圧倒的に強かった。それは召喚していた時間に比例するものなのか、鉛のように重くなる全身の感覚に、航大は意識を保っているのがやっとな状況へと陥ってしまう。


「……おやすみ、航大」


 その言葉に航大の張り詰めていた緊張の糸が途切れる。

 耳元で囁かれた声音が心地よく、この瞬間に来てようやく自分が命を賭けて守った少女が傍にいる安堵感を覚えることができた。


 傷つき、疲れきった航大の身体を優しく抱きとめる存在がある。


 ただそれだけのことが、今の航大にとって何よりも代えがたい幸福感を与えてくれる。


 強烈な倦怠感の中、航大の意識は深い闇の中へと落ちていくのであった。



桜葉です。

あといくつかのエピソードを経て、第二章が完結します。

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