第二章38 英雄の記憶
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それは過去の記憶。
話はハイラント王国と帝国ガリアを中心に全世界を巻き込んだ『大陸間戦争』が終結してから、しばらくの時間が経過した頃まで遡る。
大陸間戦争において獅子奮迅の活躍を見せ、ハイラント王国を救ったとされる英雄グレオ・ガーランドとその息子であるライガ・ガーランドの小さな物語である。
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「……お帰りなさい」
明け方。
グレオは派遣された戦場での戦いを終え、空が明るくなろうかという時間になって、ようやくハイラント王国へと帰還することができた。国王への報告を済ませると時刻は明け方となっており、やっとの思いで帰宅することができたのであった。
戦争は終結した。しかし、各地で発生する帝国ガリアとの小競り合いは続いており、その度に英雄と称されるグレオは戦場へと駆り出されていくのであった。
「あぁ、ただいま」
「今日は帰りが遅かったのね?」
「ふむ、少々遠出をしたからな。敵もそれなりの数が居て、殲滅するのに時間が掛かってしまった」
「……とにかく、無事でよかった」
グレオが身につけていた荷物を預かると、ハイラント王国が世界に誇る英雄の妻であるウレナ・ガーランドは安堵の笑みを浮かべる。
彼女もかつてハイラント王国の騎士として戦火に身を投じていたことがある。騎士の一族に生まれ、その才能を買われてハイラント王国の騎士隊へと入隊を果たした過去を持つ。グレオとは幼い頃からの馴染みであり、二人がこうして結婚するまでには様々な物語が存在していた。
「ライガはどうしている? まだ寝ているか?」
「あの子なら、さっき外に飛び出していったわよ」
「……こんな時間にか?」
「最近、毎朝のように早起きしては外に行ってるみたい。何をしてるかしらね」
ウレナは眉をひそめると、窓の向こうに広がる藍色の空に小さくため息を漏らす。
ライガもそこそこ大きくなってきた。やんちゃ坊主であり、悪戯が好きな子供ではあるが、彼も彼なりに考えがあっての行動なのだろうと、グレオは姿を見せない息子に一抹の寂しさを感じながらも、それ以上の詮索はしない。
「ご飯にしますか? それともお風呂にしますか?」
ニコニコと笑みを浮かべ、そう問いかけてくるウレナに対して、ライガは次に自分が取るべき行動に思考を巡らせる。戦いの連続で身体には疲労が溜まっている。外気に晒される肌には乾いた泥が付着しており、すぐに風呂へ入りたい気持ちに駆られる。
しかし、それと同等のレベルで腹が空いているのも事実。
「…………」
「ふふ、ご飯もお風呂も逃げないんだから、そんなに悩まなくてもいいのに」
「ふむ……そうなのだがな……」
真面目に悩むグレオを見て、ウレナはくすくすと楽しげに笑う。
グレオは昔から何か選択肢を与えると、とことん考える癖があった。それが例え、どんなに簡単な二択だったとしても、彼はどの選択をするのが最善であるのかを熟考するのだ。
ウレナはグレオが悩む姿がたまらなく好きだった。
時折こうしてグレオが悩むことを知りながら、悪戯に問いかけを投げるのであった。
「よし、決めた。それじゃ――」
「おおおおおぉぉーーーいッ!」
悩み悩んだ結果、グレオは自分が次に取るべき行動を決定する。
それを愛する妻に伝えようとした矢先のことだった。
明け方の静かな空気を切り裂く叫び声が木霊してくる。
「この声は……」
「あらあら、私たちの可愛い息子が帰ってきたみたいね」
静かな朝に響き渡った声をグレオとウレナが聞き間違えるはずがなかった。それはグレオたちの息子であるライガの物で間違いなく、どこからか響いた声音と共に慌ただしい足音が近づいてくるのがわかった。
「こんなとこにいた、父ちゃんッ!」
「ライガか。こんな朝早く何してるんだ?」
「ちょっと、走り込みをしてたんだ! 偉いだろッ!」
久しぶりに見た父の顔が嬉しかったのか、ライガは両手を腰に当てて胸を張ると、その幼い顔に満面の笑みを浮かべる。
「渡したメニュー、ちゃんとやってるんだな」
「もちろんッ! 俺もいつか、父ちゃんみたいな強い騎士になるんだッ!」
そう宣言するライガの右手には、小さな一枚の紙が握られていた。そこにはグレオが考えたトレーニングメニューが記載されており、強くなりたいと貪欲に願うライガは、偉大なる父が考えた鍛錬を毎日しっかりとこなしていた。
正直、グレオはすぐに諦めるだろうと予測していた。それほどにまでトレーニングのメニューは厳しい物ばかりが並んでいて、並大抵の覚悟ではその負荷に耐えることが出来ないように設計されていた。
しかし、英雄の息子であるライガは、身体のあちこちに擦り傷を刻みながらも、しっかりとグレオが考察した鍛錬を継続していたのである。
「父ちゃんッ、まだ時間があるんだろ? 俺と勝負してくれよ!」
「……勝負?」
「木刀で先に降参したら負けッ、真剣勝負だッ!」
この瞬間までに積んできた鍛錬の成果を見たいのか、ライガは爛々と瞳を輝かせると、傍においてあった木刀を握りしめる。
「あらあら、ご飯とお風呂の前にやることが出来ちゃったみたいね?」
「はぁ……どっちも準備だけはしておいてくれると助かる」
「はいはい。あまり本気になっちゃダメだからね?」
「子供……それも息子相手に本気になる父親など、どこにも居ないよ」
優しげで慈愛に満ちた笑みを浮かべ、背中を押してくるウレナの言葉もあっては無視することなどグレオに出来るはずがなかった。
真剣な表情で木刀を持つ息子を相手に、ハイラント王国の現英雄であるグレオ・ガーランドは逃げることなく立ち上がる。圧倒的な大きさを持つ父の背中を見て、ライガの瞳には強い闘志が宿るのであった。
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「手加減はなしだぜ、父ちゃんッ」
「……中々難しい注文だが、男と男の戦いだこちらも手を抜くつもりはない」
木刀を持って構えるライガは不敵な笑みを浮かべてグレオを睨みつける。
息子が自分の背中を追っていることはウレナから聞いていた。正直、グレオはそんな息子の姿を快く思ってはいなかった。
自分と同じ道を歩むということは、戦いの道に身を置くこととなる。父親らしいことは何一つしてやれていないが、グレオも人の親である。子供には平和に生きて欲しいと願うのは当然であった。
だからこそ、ライガには騎士の道を歩むのではなく、もっと自由に広い世界を見渡して欲しかったのである。
「いくぜぇッ!」
そんな父の想いも知らずにライガは両手に持った木刀を振り上げると、地面を駆けてグレオに飛びかかっていく。
「ふんッ!」
「うおぉッ!?」
自宅の庭に木刀がぶつかり合う乾いた音が響く。
馬鹿正直に一直線の軌道で突っ込んでくる息子に対して、グレオは一歩も退くことなく真正面から受け止めていく。
「くっそぉッ……重いッ……」
「どうした? これくらいで力負けしてるようじゃ、まだまだ勝てないぞ?」
「わかってらぁッ!」
このまま剣を重ね合わせても無駄だと察したライガは悔しげに唇を噛みながらも、一旦後退する。そして再び地面を蹴ると今度はグレオの側面に飛び込むと、木刀を横一閃に薙ぎ払ってくる。
「踏み込みが甘いッ!」
「ぐおぉッ!?」
小さな身体を活かした素早い身のこなしには一定の評価を与えつつも、剣を振るうという事に関してはライガの動きはあまりにもお粗末だった。
ライガが放つ斬撃をいとも簡単に受け止めると、グレオは左腕一本で小さな身体を吹き飛ばしていく。
「もっと腋を締めるんだ、そのままでは剣に振り回されているようにしか見えないぞ?」
「くっそッ!」
何度も地面を転げながらもライガは立ち上がると、口の中に入った泥を吐き出して苦々しい表情を浮かべる。
「まだまだぁッ!」
「……動きの速度は悪くない。しかし、直線的すぎる。それでは、次にどこへ向かおうとしているのかが一発でバレてしまうぞ?」
「ぐああぁッ!」
「慌ててジグザグに動こうとすると、身体の動きが著しく悪くなる。まだまだ下半身の鍛え方が足りていないな」
「……いってぇ」
自慢の脚力から繰り出される疾走も、グレオには止まって見えていた。
息子が持つ弱点を一瞬で見抜くと、手加減なくその小さな身体を宙に吹き飛ばしながらアドバイスを送る。
もう少し優しく教えてやることもできたかもしれない。
しかしグレオはどこまでも不器用だった。
普段の生活よりも戦場で過ごした日々の方が長く、家族の愛情もまともに受けた覚えがない。だからこそ、グレオには家族に対してどのように接したらいいのかが分からなかった。
何度も地面を転げる息子を見て、グレオは表情を歪ませる。
相手はまだ子供である。グレオが考える戦い方を習得することなど出来るはずがないのだ。それならば、子供のレベルに合った教育という物もあるのだろうが、不器用なグレオには立ち向かってくる息子に対して、全身全霊を持って答えてやることしか出来ないのであった。
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「これくらいにしておくか?」
「はぁ、はあぁ……」
ライガとの手合わせが始まってからしばらくの時間が経過すると、グレオは傷だらけになる息子を見てそんな言葉を漏らす。
あれからもライガは何度もグレオに挑んでいた。その度に身体が宙を舞い、幾度となく地面に倒れ伏すこととなる。しかし、それでもライガは諦めることなく、父であり英雄でもある騎士・グレオに一太刀入れようと立ち上がる。
倒れる度にライガの瞳に燃える闘志は強くなっていくばかりであり、一刻も早くこの戦いを終わらせたいグレオの意思と反して戦いは激しさを増していく。
「これなら、どうだぁッ!」
「足元に注意しすぎだ。相手も武器を持っていることを忘れるな」
「うぎぃッ!?」
ライガの身体はボロボロだった。
全身の至る所から出血し、足元すらおぼつかない様子となっても尚、立ち上がり続けていた。
「まだまだあああああああぁぁぁぁッ!」
「……やれやれ」
どれだけ弾き返したとしても立ち向かってくるライガの様子に、グレオは幼き頃の自分の影が重なって見えていた。
その事実に複雑な感情を抱きながらも、グレオは飛びかかってくる息子に対して、木刀を振り上げていく。
「――ふんッ!」
「うああああぁぁぁッ!?」
グレオが振るう木刀は手を叩き、鋭く駆け巡っていく痛みにライガは苦しげな声と共に木刀を手放してしまう。宙を舞う木刀が少し離れた地面に突き刺さり、父と子の戦いは非情な現実を突きつけて終焉を迎える。
「くっそおおおおおぉぉッ! 負けたぁッ!」
自分にはもう戦う力はない。
その事実に打ちひしがれながら、ライガは吠える。
あまりにも大きな悔しさに瞳を潤ませ、少年は全身を包み込む敗北の感情に両腕を握りしめる。
「…………」
悔しさに咆哮を上げる息子を前にして、グレオは紡ぐべき言葉を見つけられずにいた。
こんな時、父親としてどんな言葉をかけてやればいいのか。それすらも、今のグレオには分からないのである。
「……グレオ殿、国王がお呼びでございます」
「……またか」
倒れ伏す息子を前に呆然と立ち尽くすグレオの背後に忍び寄る影があった。それはハイラント王国の騎士服に身を包んでおり、このタイミングで現れるということはグレオに戦場への出動命令が出たことを示唆していた。
「……また行くの?」
「……ウレナ」
騎士と言葉を交わしていると、近づいてくる人影がもう一つ。
それは英雄グレオが世界でただ一人愛した人間。再び戦火に身を投じようとするグレオの気配を察して、家の中から姿を現していた。
「すまない。行ってくる」
「……あまり無理はしないで」
寂しげな表情を浮かべ、それでも両手にはグレオが持つ装備品が握られていた。
彼女は英雄として戦うグレオの立場を理解している。だからこそ、あまり多くは語らない。
「すぐに戻る」
「……待ってるわね」
歩き出すグレオの後ろ姿を見て、ウレナはその表情に微笑を浮かべていた。
戦場に向かうことに抵抗はない。しかし、今のグレオには息子の精神状態だけが心配であった。
あれだけボコボコに叩きのめしておいて、何も言わずに去ることが心残りである。
「次こそ勝つからな、親父ッ!」
「――ッ!」
「だからッ……早く帰ってこいよなッ!」
背後から掛けられる不器用な激励の言葉。
その言葉は地面を踏みしめて歩くグレオに絶大な力を与えてくれる。
いつか、その言葉が現実になるその日を夢見て、ハイラント王国の英雄グレオ・ガーランドは戦場へと赴くのであった。
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「……んッ」
長い夢を見ていたような気がする。北方の大地に存在する氷都市・ミノルアでの死闘を経て意識を失っていたグレオは、懐かしき日々の夢から意識を覚醒させていく。
「親父ッ!」
「グレオ隊長ッ!」
まず最初に視界に飛び込んできたのは灰色の雲が流れる夜空だった。
そしてグレオが意識を取り戻したことにいち早く反応を見せたライガと航大が、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……そうか、俺は生きているんだな」
頬に落ちては消えていく粉雪の感触を感じながら、グレオはそんな言葉を漏らすのであった。
桜葉です。
グレオとライガの過去回想でした。