第二章34 業炎と共に沈む
「――全てを灰燼と化せ、神剣ボルガッ!」
その声が静かに教会へと響いた瞬間だった。
全身を鮮血で濡らすグレオの足元から、音もなく燃え盛る業炎が生まれる。
北方の地を流れる魔力がグレオの身体を中心に集められ、それらが炎の形を取ることで具現化していく。
瞬く間に肥大化していく炎の渦に、航大、ライガ、リエル、そして世界は違えど同じ英雄として名を馳せたナイチンゲールですらも、目を見開いて呆然とその様子を見守ることしか出来ない。
「…………ッ!」
飛翔を繰り返すグレオの身体を模して作られたアンデッドも、最大限の危機を察して動きを止める。
教会のステンドグラスを通して差し込んでくる月明かりにも負けない美しさを持つその業炎は、この場に存在する全員の視線を奪いながら炎柱を形成していく。
「なによ、あれ……」
呆然とした様子で声を漏らすのは、帝国ガリアの騎士服に身を包んだ少女だった。
急速に拡大していく炎の渦と肌に突き刺さる膨大な魔力に、帝国騎士である彼女もまた慄いていた。それは生物的な本能であり、帝国騎士・ルイラだけではなく、航大たちもまた強大な力を前に身動きが取れず、天を目指して伸びる炎柱に視線を外すことができないのである。
「す、すげぇ……」
炎柱を見上げるような形でライガが感嘆の声を漏らす。
その声は教会に存在する全員の鼓膜を確かに震わせたのだが、誰もが目を奪われる中で言葉を返す者はいなかった。
圧倒的な炎はその勢いを増していき、やがて『竜』の形を形成し、眼前に立ち尽くす『敵』を睨みつける。
「そんなの聞いてないんだけど……本当に憂鬱……」
忌々しげに声を漏らす少女はその本が放つ輝きを強くすると、周囲と同じように直立しているアンデッドへと新たな命令を投げていく。
「なんでもいいから、早く倒しちゃってよッ!」
「…………ッ!」
命令としてはあまりにも雑な少女の言葉が響き、アンデッドの男は止めていた足を再び律動させていく。まだ炎は形成途中にあり、それが完成するよりもはやくアンデッドは己の命を持ってしてグレオの攻撃を防ごうと試みる。
肌を焦がす魔力を伴った暴風が吹き荒れ、誰もが身動きを取れないでいる中であっても、英雄を模して作られたアンデッドは臆することなく跳躍を続ける。
その手に持った鈍色に輝く大剣で、炎の中に身を隠すグレオを突き刺そうとする。紛い物の英雄が跳躍を繰り返す中、もう一つ動く影があった。
「全員ッ、儂の後ろに隠れるんじゃッ!」
「リ、リエルッ!?」
鋭く響く声音を上げたのは、水色の髪を靡かせる永久凍土の賢者・リエルだった。彼女は表情を険しいものに変えると、立ち尽くすだけの航大たちに迅速な行動をするように呼びかけてくる。
その声に航大、ライガ、ナイチンゲールの三人は我に返ると、リエルが展開する防御魔法を目掛けて走り出す。
「デカイのが来るぞッ……絶対に儂の魔法から外に出るでないぞッ!」
「てか、防げるのかよアレッ!」
「あれほど大きな魔力の塊を見たことはない……どうなるか分からんが、しっかりと捕まっておるんじゃぞッ!」
己の内に眠る魔力を呼び出し、リエルは使うことのできる全ての魔力を防御魔法へと注ぎ込んでいく。そうこうしている間にも、アンデッドの男は炎の竜を形成するグレオの元へと到達しようとしていた。
「…………ッ!」
「……喰らうがいい」
生み出された業炎を両手に持つ大剣に集中させることで、グレオが持つ神剣ボルカは炎に包まれる刀身を教会の天井に届こうかというくらいにまで成長させていた。
そして恐れを知らずに突き進んでくるアンデッドを前にして、小さく言葉を漏らすし、その神剣を振り下ろしていく。
「――業炎次元剣ッ」
炎を纏い、天を見上げるほどに成長した炎剣が振り下ろされる。
圧倒的な熱量と質量を持ったグレオの攻撃に対して、アンデッドは逃げることなく真正面からぶつかってくる。視界を覆い尽くす炎の剣に対して、アンデッドは神剣ボルカを模した大剣を持ってして立ち向かう。
「…………ッ!」
剣と剣が触れ合った瞬間、グレオとアンデッドの身体を中心に業炎を纏った暴風が吹き荒れ教会全体を包み込んでいく。
古い木造の教会はその姿を保つことが出来ず、至る所から崩壊の音を響かせながら崩れていく。
圧倒的な暴風が吹き荒れる中、防御魔法に身を守られている航大たちも激しい風と炎の連続に目を開けていることすら出来ない。
「大丈夫なのか、リエルッ!?」
「くぅッ……!」
リエルは絶え間なく襲い掛かってくる暴風から全員の身を守ることに手一杯な様子を見せ、唇を噛み締めて何とか踏ん張る。
しかし、航大たちを守る氷で形成された防御魔法の一部にヒビが入ると、そこから一気に崩壊が始まっていく。
「ダ、ダメじゃッ……さすがにここまでの魔力はッ……」
「リエルッ!?」
「全員、何かに捕まって――ひゃああああぁぁぁッ!?」
「うおぉッ!?」
「マスターッ!?」
航大たちを守っていた防御魔法が完全に崩壊すると、激しい暴風の中に生身を晒すこととなる。身体が持ち上げられ、航大の身体はあっという間に崩壊を始める教会へと投げされていく。
「うわあああぁぁッ!?」
「マスターッ、捕まるんだッ……!」
「ナ、ナイチンゲールッ……!?」
上も下も分からず方向感覚が狂う中、響いてきた声の方向へと手を伸ばしていく。
虚空に伸ばした手が何かを掴み、強い力でそちらに引っ張られていく感覚を覚えながら、航大たちは崩壊する教会と共に全身をもみくちゃにされるのであった。
◆◆◆◆◆
「くッ……はぁッ……」
「大丈夫か、マスター?」
「痛ててッ……ここは……?」
目を覚ました航大は、視界に飛び込んでくる夜空を見て自分が外に居ることを理解する。あれだけの暴風の中、教会は建物としての形を保つことができず、跡形もなく崩壊していた。
「マジかよ、教会が消し飛んでる……」
「これがグレオ殿の力なのか……」
粉々に砕け散っている木の破片が積み上がった上に座り込んでいる航大たちは、眼前に広がる破壊の痕に言葉を詰まらせる。
グレオが炎剣を放った先、そこには何も残らないどころか巨大な地割れがどこまでも続いていたのだ。教会を破壊するだけでは飽き足らず、英雄が放った必殺の一撃は大陸にまでその傷を残していた。
「ぷはぁッ!」
「ライガッ!」
呆然と立ち尽くす航大たちの傍で物音がしたかと思えば、そこから飛び出してきたのはライガとリエルだった。
「いやぁ……死ぬかと思ったぜ……」
「あれだけの破壊力を持っているとは……さすがに予想外じゃったの……」
全身を埃で汚しながら姿を表したリエルとライガは、周囲を包み込む破壊の痕に苦笑いを浮かべながら航大たちの元へとやってくる。
「そっちも何とか無事だったようじゃな」
「貴方の魔法が守ってくれていたおかげで、何とか無事だったようだ」
航大を守ったナイチンゲールも身体を埃まみれにしながら、終幕を迎えたであろう戦いにほっと胸を撫で下ろす。英雄が放った炎剣の威力を目の当たりにしているからこそ、航大たちは安堵していた。グレオの攻撃は間違いなくアンデッドを捉えていたし、大陸に傷を残すほどの攻撃を前にして生き残ることは難しいと考えるのが普通だ。
「親父は……どこにいるんだ……?」
周囲の人間が生きていることを確認したライガは、首を左右に振ることで父親であり英雄であるグレオの姿を探す。
その声に呼応するように、航大たちも戦いに終止符を打った英雄の姿を探す。
「居たッ、あそこだ……ッ!」
瓦礫の中心。
そこに立ち尽くす一人の男を発見した。
「…………」
グレオは右手に大剣を持ち、直立不動の体勢で一直線に前方を見据えていた。
その声に喜色を孕んだ航大たちの呼びかけに応えることなく、グレオは表情を険しく歪ませたまま。その姿に違和感を覚えたナイチンゲールは、表情を驚きに変えると共に周囲へ視線を巡らせる。
「どうしたんだよ、ナイチンゲール?」
「……まさか、まだ終わってないと言うのか?」
「……はっ?」
ナイチンゲールの言葉に全員が表情を驚きに変える。
「――来るぞ」
静かに響くナイチンゲールの声と共に静寂に包まれていたミノルアに、響く音が一つ。
それはグレオが見据える先、そこから響いてきていた。
「ふぅ……ちょっと、お洋服が汚れちゃったんだけど……すっごく憂鬱……」
「……嘘だろ?」
忌々しい声が響き、炎が作った黒煙の中から姿を現したのは帝国騎士の少女・ルイラだった。彼女は白を基調とした騎士服を黒く汚しながら、しっかりと両足を地面につけていた。
そんな彼女の隣に立つのはアンデッドの男。右肩から先を喪失した状態の男は、夥しい量の鮮血を垂れ流しながらも、しっかりとそこに存在していた。
「さすがにちょっと焦ったけど、さっすが私のお人形さん。主を守るために頑張ってくれて偉い偉いッ」
「…………」
ルイラの言葉にアンデッドの男は答えない。全身を焦がし右腕を失っても尚、その瞳には闘志が漲っていた。
それは紛れもない過去に名を馳せた英雄の姿だった。どれだけ紛い物であったとしても、英雄が英雄たる所以をその身体を持ってして体現していた。
「……すまない」
その声は本物の英雄である、グレオ・ガーランドから紡がれた。
強大な力を行使した影響もあり、全身から溢れ出る鮮血の量は増し、誰がどう見てもグレオは満身創痍だった。いつ、その命が潰えてもおかしくない状況の中、グレオはまず謝罪の言葉を口にした。それは敵を打ち倒せなかった事実に対する謝罪であり、自分がこれ以上戦えないことを理解しての言葉でもあった。
「グレオ隊長ッ!」
英雄の身体が揺らぎ瓦礫の中に倒れる。
それを見て、航大たちは走ってグレオの元へと走る。
「アハハハハハハハッ! あんたが戦ってるのは昔の自分なんだよ? それだったら、自分が持ってる必殺のことくらい知ってて当たり前だよね? 知ってたら、対策だっていくらでも取れるもんねー?」
倒れ伏すグレオを見て、ルイラは卑しく笑みを浮かべて勝利を確信する言葉を漏らす。
「――それじゃ、いい加減に帰りたいから……さっさと終わらせよっか?」
ルイラは笑みを浮かべていた顔から感情を消すと、凍える声で戦いに終止符を打とうとする。その言葉に呼応して動くのは、グレオの姿をしたアンデッドであり、右腕を喪失してはいるが、大剣を左手にしっかりと握ると航大たちがいる場所へ向けて足を踏み出していく。
現英雄の必殺技を持ってしても打ち倒せなかった紛い物の英雄を前に、航大たちは確実に追い詰められていく。
「……嬢ちゃん、親父を治療してやってくれ」
「おい、ライガ……?」
一歩、また一歩と近づいてくるアンデッドを前に立ち塞がるのは、英雄の息子であるライガだった。
右手に錆び付いた剣を持ち、左手にはグレオが愛用していた神剣ボルカを握っていた。
彼は二本の剣を使うことで、自分の父親に立ち向かおうとしていた。
「何を考えている、ライガッ!」
「お主であやつに勝つのは不可能じゃッ!」
一人で戦おうとするライガを見て、ナイチンゲールとリエルが厳しい声を投げかける。
「……急がないと、親父が死んじまう。それを助けて欲しいんだ。あいつは俺が倒す」
その表情には強い決意が滲んでいた。
有無を言わせないライガの様子に、航大たちは生唾を飲む。
「……大丈夫なのか、ライガ?」
「あぁ。俺を信じろ」
航大の問いかけに対し、ライガは一つ頷くことで応える。
「本当に一人で戦うのか?」
「お前たちは親父の治療に専念しててくれ。後は俺がやる」
「……分かった。それならば、簡単ではあるがその傷を治療しよう」
ライガが強い意志を持っており、それが折れることが無い事実を確認したナイチンゲールは一人で戦おうとする男をサポートしようと思考を切り替える。
ナイチンゲールの剣がライガの身体を撫でる。すると、両腕と両足に刻まれていた無数の傷が音もなく消えていく。
「ありがとよ。これで俺はもっと戦うことができる」
周囲に停滞していた風がライガを中心に集まっていく。
静かに集まっていく風は彼が右手に握っていた大剣に纏わりつくと、その刀身を覆っていた錆を剥がしていく。
「……神剣ボルカニカ。これがコイツの名前だ」
錆が剥げ、月明かりを受けて鈍色に輝く大剣は、グレオが握っていた神剣ボルカと造形が酷似していた。
「金髪のお兄さん一人で戦う気なの?」
「……俺一人で十分だ」
「ふーん、ルイラちゃんのお人形さんに勝てる気でいるんだ……なんか、すっごい憂鬱なんだけど……」
両手に大剣を握って仁王立ちするライガを見て、ルイラの表情が不機嫌に歪んでいく。
「――あまり、帝国騎士を舐めないでね?」
ルイラの声が響き、それと同時にアンデッドの男が跳躍する。
それに真っ向からぶつかるようにして、ライガの身体も飛翔する。
それは父と子の最初で最後の真剣勝負。
ミノルアを舞台にした死闘は速度を上げて終局へと突き進んでいく。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




