第二章28 憂鬱の帝国騎士
絶望はまだ終わってなどいなかった。
帝国ガリアの騎士・アワリティア・ネッツが召喚した魔獣・ヒュドラの毒を治癒するため、航大はアルジェンテ氷山の賢者を捜索した。氷山での死闘をくぐり抜け、賢者と契約を果たした航大は、水色の髪をした老人口調を使いこなす少女と共に氷都市・ミノルアへと舞い戻った。
――これで全てが終わる。
毒に侵された街の人々を救い、それで失意に沈む航大の心は少しでも晴れる……そんな淡い想いを抱いていたのは事実だった。
――しかし、そんな少年の眼前に広がるのは、新たなる地獄と絶望だった。
「行先に宛はあるのか……ッ?」
「あぁ。ユイが寝ている場所なら、ちゃんと覚えてるッ……」
皮膚を青白く変色させ、目を異常に充血させた市民たちがそこら辺を歩き回る中、航大たちは異様に静かな街を疾走する。
「――ヒャノアッ!」
前方の道を塞ぐようにして、アンデッドと化した市民が現れる。
航大は走る速度を落とすことなく突進を試み、それと同時に背後から小さな影が飛び出してくる。それは肩まで伸びた水色の髪を風に靡かせ、瞬時に氷魔法の詠唱を済ませていく。
「――ッ!」
虚空に生成された両剣水晶が市民たちに飛翔する。
鈍足な動きを余儀なくされている市民たちは、そんな両剣水晶の攻撃を躱すことなど出来るはずもなく、衝撃に四肢を吹き飛ばしながら地面に倒れ伏していく。
「はぁっ、はあぁっ……」
「主よッ、バテるのが早いぞッ?」
「そんなことッ……言われてッ……もぉッ……こっちはまだ……本調子じゃないんだぞッ……」
女神の力を行使した影響がまだ残る航大は、鉛のように重くなっている両足に喝を入れ、歯を食いしばって全力疾走を続ける。
リエルの魔法が市民を蹴散らすのだが、また少し進めば道を塞ぐ新たなアンデッドが姿を現してくる。
「ちッ……数が多いのぉ――ヒャノア・レイッ!」
倒しても倒しても出てくるアンデッドたちに舌打ちを漏らし、リエルは表情を顰めたまま再び魔法を詠唱していく。
今度は先ほどのヒャノアとは違う魔法だった。ヒャノア・レイは、先ほどのヒャノアとは違い、生成される氷の結晶が多くなり、範囲攻撃に長けている魔法の一つだった。
「アアアァァッッ!」
瞬く間の内に眼前へ接近を果たす氷魔法によって、無残な姿に変化してしまった人々は雄叫びを上げて夜の街を吹き飛んでいく。
航大が走り、リエルがそれに追随して魔法を使うことで道を切り開いていく。
今は少しでも早く到達しなければならない場所がある。
長い距離を走ったことで心臓が悲鳴を上げるが、それでも航大は止まることはなかった。
目的地はもうすぐそこにまで迫っていた。
◆◆◆◆◆
「はぁ、っ、はあぁっ、はあぁっ……見えてきたッ……」
街の中を走り出してどれくらいの時間が経過しただろうか。
時間感覚すらも朧気になる中で、航大はユイが寝ているはずの小屋へとたどり着いた……はずだった。
「なんだよこれ……めちゃくちゃだ……」
「ここに……主が探す人がおるのか……?」
魔獣との戦いで傷ついた人々が収容されており、野戦病院と化していたはずの木の小屋は、今では見るも無残な有様となっていた。
生きている者の気配が一切存在せず、何か大きな力によって押し潰された木の小屋は、その原型を保つことすらなく崩壊していた。
「そんな、どうして……ここにはグレオ隊長だって居たはずなのに……なんで誰もいないんだよッ……」
「ふむ……ここは特に血の匂いが濃い……そこら辺に溜まってる血も、新しいものじゃ……」
小屋を形成していたはずの木の板が周囲に散乱しており、よく目を凝らせばそこかしこに鮮血が水溜りを作っているのを確認することが出来た。さらに人間の身体と思われる四肢の一部や、肉片までもが飛び散っており、明らかに他の場所とは違う凄惨な光景を前にして、航大はこの場所で激しい戦闘があったことを理解した。
ミノルアに住まう人々をこんな姿にした張本人が攻めてきたのだろうか、それにしても過去の大戦争で英雄と呼ばれていたグレオがそう簡単にやられるとも思えない。
「くそッ……何が何だか分かんねぇ……ユイは……無事なのかッ……」
「落ち着くんじゃ、主。まだ何も決まった訳ではないじゃろう。本当にこの場所に探し人がおったのだとしても、姿が見えない。それならば、どこかに避難している可能性だって捨てきれんじゃろう」
凄惨な現場を前にしても、永久凍土の賢者であるリエルはどこまでも冷静だった。
その表情を険しいものに変えつつも、瞳を左右に忙しなく動かすことで、何か証拠を見つけようと務める。小屋が存在していた場所は異様な臭いに包まれており、人間の物と思われる肉片があちこちに散らばっている様子に、航大は激しい吐き気に苛まれる。
「――誰かおるぞッ」
「……えっ?」
「何かがこちらに向かってくる……」
リエルの言葉に航大の身体が強張る。
また彼らの前に新たな敵が現れるとでも言うのだろうか。
異様な静寂に周囲が包まれていくのを肌で感じ、航大は静かに生唾を飲む。
「ぐッ……あッ……はあぁ……誰か、居るのか……?」
崩壊する小屋の中から這い出てきたのは、ハイラント王国の騎士服に身を包んだ青年だった。その青年は全身の至る所に重傷を負っており、白を貴重とした騎士服も、今では夥しい量の血液で真紅に染まっていた。
「だ、大丈夫かッ……!?」
「航大ッ、動くんじゃないッ!」
まだ生きている人間がいる。
しかも、自我を失い同じ人間を襲うアンデッド化もしていない。今すぐ治療すれば間に合うかもしれない……そんな想いから航大は足を踏み出す。
――その瞬間、リエルの厳しい声音が響き渡り、航大の身体がその場で制止する。
「つい先程のことを忘れたのか? こやつもまた、さっきの少女のように豹変するやもしれん」
「で、でもッ……」
「この場で人間に会っても、そやつが怪我をしていたら全てを疑うんじゃ。このアンデッド現象は感染する。それは主が一番目の前で見たはずじゃ」
ミノルアへ帰還した際のことが脳裏に蘇る。
それはあまりにも生々しく脳裏で再生され、眼前で身体がアンデッドに変化し、リエルの魔法によって命を落とした少女の顔が蘇って消えない。
「はぁ、はあぁ、はぁ……そこのお嬢さんが言うことは正しい……うぐッ……はぁッ……君は、王女の近衛騎士になった……少年だね……?」
王国騎士の衣服に身を包んだ青年は、自分の命が長くないことを理解していた。
濁り虚ろになった瞳が航大の方を見る。青年は自分の死期を悟っていながらも、その表情に弱々しい笑みを浮かべていた。
「……僕はもう長くない。街の人間のように我を失い、君を襲ってしまうだろう」
「…………」
「僕が僕で無くなる前に……ここであったことを話そう……」
身体をふらつかせながらも、青年は航大が留守にしていた間のことを簡潔に話し始めた。
「まず、この小屋で眠っている人間たちが突然、無差別に周囲の人間を襲いだした。そして、君もここに来るまでに見ただろう? 襲われた人間も苦しみだし、次の瞬間には襲われた人間もまた暴れ出したんだ……」
「どうしてそんなことに……?」
「それは分からない。ただ、それは何の前触れもなく突然に起こったんだ。そこら辺を歩く人間だった物は、動くものに反応する。そして、自分の仲間を増やすかのように襲い続けるんだ……」
それはおおよそ、航大とリエルが想像していた事態と相違はなかった。
人間が人間を襲い、アンデッド化現象が感染していく。
そうしてこの街は瞬く間の内に、崩壊した。
「でも、グレオ隊長が居たはずだろ? あの人なら、感染が広まる前に何とかすることができたんじゃ……」
「グレオ隊長は、街の中心部にある教会へ向かった。ここが混乱を極める中、より多くの人々が避難している教会でも同様の事件が起こっていたんだ」
「そんな場所でも……?」
「教会の方が人が多い。状況を冷静に分析し、隊長はそちらへ向かったんだ。君と一緒に居た少女もまた、そちらへ向かったはずだ」
「ユイも……?」
その言葉に、航大は救われたような感覚を覚えた。
ユイはグレオと共にいる。まだ生きている可能性はある。
「僕が話せるのはこれくらいだ……少しでも、君にとって有意義な時間であればと思うよ……」
「……本当に助かりました」
「……なぁ、最後に一つだけお願いをしてもいいかい?」
これで話は終わりだと言わんばかりに、青年は状況説明を切り上げるとそんな言葉を漏らした。
「お願い?」
「僕が、僕である内に……殺してくれないか?」
「――ッ!?」
それは青年の最後の願いだった。
自我を失い、生きる屍となる前に自らその命を断とうと言うのだ。
青年の言葉に航大は絶句する。全身から汗が噴き出し、身体が小刻みに震えだす。まだ生きている人間から殺してくれとお願いされる。それは航大が暮らしていた世界では考えられないことであり、人を殺した経験などない航大には、あまりにも荷が重すぎる願いだった。
「……主よ、後ろを向いておれ」
「リエル……お前、まさか……?」
「こやつの願い、儂は聞き入れたいと思う」
「でもッ……まだ生きていられる可能性だって――」
「そんなものはないッ! それは儂らではなく、こやつが一番理解している。だからこそ、人間である内に死にたいと願ったのだろうッ」
リエルの表情は苦痛に歪んでいた。
「主よ、儂たちはここで時間を浪費している暇ない。一秒でも早く向かわなければならぬ場所があるはずじゃ」
「…………」
「どうか、安寧の元で眠りにつけ――」
青年の言葉と、リエルの言葉が鼓膜を震わせ、航大はその目を閉じる。
それを肯定と受け取ったリエルは、静かに魔法の詠唱を始めるのであった。
◆◆◆◆◆
再び街の中を疾走する航大とリエルの表情は苦痛に歪んでいた。
リエルの魔法が青年の身体を押し潰した際の音が、今でも航大の鼓膜から消えないでいた。ハイラント王国の騎士として生きてきた青年は、苦しげな声を漏らすことなく、一瞬の内に絶命した。
目を閉じる航大の腕を、リエルの小さな指が引っ張ったことで、少年は全てが片付いたことを理解した。リエルに引かれるがまま、あの場所から離脱し、今こうして再び街の中を疾走しているのだった。
「……許せねぇ」
「そうじゃな。さすがにここまでのことをされて、儂も怒るなというのが無理な話じゃ」
「――ッ!」
やり場のない怒りを何とか心内に押し留め、航大は前方に見えてきた教会を目指して足を動かす。あの場所に何かしらの答えがある。航大が一番会いたいと願う少女の姿がある。それだけを心の頼りにして、少年は真っ直ぐ前だけを見つめて走り続けるのであった。
◆◆◆◆◆
「はぁ……まだ生き残りが居たんだぁ……仕事が増えるなぁ……憂鬱……」
教会の扉を開け放ち、航大とリエルが姿を現した。
教会の中も異様な静寂に包まれており、しかしそれも一瞬で、気怠げな少女の声音が静寂を切り裂いた。
「……グレオ、隊長?」
ミノルアの街に存在する教会は簡素な作りをしていた。長椅子が並び、その奥には祭壇が設置されている。その祭壇の近くに三つの人影が存在していることに航大はすぐに気付き、そして驚きに目を見開いた。
まず、祭壇に一番近い場所、航大から一番遠く離れている場所に白を基調として、金の装飾が散りばめられた軍服……帝国ガリアの騎士服に身を包んだ少女が存在していた。
その少女と対峙するようにして、巨体と大剣を握るグレオが航大たちに背中を見せて立っている。
しかし、航大が驚く理由はもう一つの人影にあった。
それは青白い肌をしていて、目を異様に充血させていた。ここまでならば、この街を走っている間に見慣れた人間の姿であった。
航大が驚く理由、それは――その人影がハイラント王国の英雄であるグレオ・ガーランドと瓜二つだったからである。
「嘘、だろ……?」
そこで初めて、航大はグレオの姿をしっかりとその目で確認することが出来た。
グレオの身体には夥しい量の切り傷が存在しており、その身体はまるで、血の雨にでも降られた後のように真っ赤に染まっていたのであった。
「アハハハハハッ! ねぇねぇ、不死身になった自分と戦うってどーんな気持ちぃ?」
静寂を切り裂くようにして、少女の甲高い笑い声が教会に響き渡る。
その言葉に答える者は、この場には居ないのであった。
桜葉です。
再び航大の前に帝国騎士が姿を現しました。
次回もよろしくお願いします。




