第七章45 悲劇の舞台
空気を切る音がする。
直後、地面に何かが激しく衝突する轟音が響く。
「厄介すぎるぜ……」
「動きが読めない……ッ!」
アステナ王国の王城前。
あちこちで轟音と悲鳴が木霊する地獄絵図のような空間で、ライガとシルヴィアの二人は望まぬ戦いに身を投じていた。
「エレス……マジでどうしちまったんだ……」
「そんなの分からないわよッ、でも……あれが本心だなんて死んでも思いたくない」
ライガとシルヴィア。
二人が今、アステナで対峙しているのは、大自然を支配するアステナ王国にて、最も近い位置で王女を守護する近衛騎士の地位を与えられた騎士、エレス・ラーツィットである。短い期間だったとはいえ、航大たちと共に旅をした戦友とも呼べる存在であり、帝国の手からアステナを守るため、ライガたちが力を借りたいと思っていた第一人者である。
敵対することになるなど、微塵も考えていなかったライガとシルヴィアの二人は、自らの命を刈り取ろうと跳躍する刃を目の当たりにして動揺を隠すことができなかった。
「どうやら、まだ本気じゃないみたいですね?」
「ふっざけんな……これでもこっちは本気だ……ッ!」
「敵にするとすっごい厄介ね、これ……」
エレスが振るうは水の刃を携えた細身の剣である。
実際の刃が存在する刀身は通常サイズなのだが、エレスが操る水の魔法によって彼が持つ剣の刀身に水が纏わりつき、それは触れる物を両断する刃と化している。
まるで鞭のように撓る刃は、幾度の戦場を駆け抜けてきたライガたちにとっても対応に苦難するものであった。水剣は地面を抉りながらライガたちに一息すら入れさせないと連撃を見舞い続ける。
「このままじゃ埒が明かねぇ……力技でいくぞッ!」
「ちょっと、ライガッ……無闇に突っ込んだら――ッ!」
回避し続けてばかりの防戦一方。それを打開するためにライガが一歩を踏み出していく。
「神速、暴風、風を纏いし、戦う――風装神鬼ッ!」
全身に暴風を纏い、自らの身体能力を飛躍的に向上させる武装魔法。
一瞬にして速度を増すライガは、迫り来るエレスの斬撃を掻い潜り突き進んでいく。
「この中に突っ込んでくるとは、愚かですね。こちらがその動きを読んでいないとでも?」
「ぐッ!?」
右に左とエレスが振るう鞭剣は螺旋を巻きながらライガを切り刻もうと速度を上げる。一瞬でも油断すれば迫る刀身がライガの身体を瞬く間に切り刻むだろう。
「うらああああぁぁぁーーーーッ!」
雄叫びを上げる。
恐怖で竦みそうになる身体に鞭を打つ。
「――ッ!?」
水の刃を纏う鞭剣はライガの予測外の動きを見せる。
僅かに頬へ触れた刃によって裂傷が走る。ピリッと痛みが身体を走り抜け、表情を顰めるライガだが突進する速度を落としはしない。武装魔法によって瞬間的に莫大な速度を手に入れ、両手に持つ大剣・ボルカニカでダメージを与えるまでは止まることは許されない。
「喰らええええぇぇッ!」
「よくここまで……しかし、貴方の攻撃は届きませんよ。結晶防壁ッ!」
「んなッ!?」
もう少しでライガの刃が届く。そう思った瞬間だった。
突如としてエレスとライガの間に七色に光る宝石が姿を表す、宙を舞う宝石たちは主であるエレスを守ろうとライガが振るう剣の前に立ち塞がった。
「止まってる暇はないのでは?」
「くっそッ!」
「ライガッ!」
宝石によって斬撃を防がれ、ライガは迫る鞭剣に対して背中を無防備に曝け出してしまっていた。互いに命を賭けた一戦において、たとえそれが一緒であったとしても無防備な状態を見逃す騎士ではない。
風を切って直進するエレスの刃は躊躇うことなくライガの背中を狙う。
しかし刃の軌道上に割って入る存在があった。
それは両手に緋剣と蒼剣を握ったハイラント王国の騎士であるシルヴィアだった。
ライガの言葉によって戦いの決意を固めたシルヴィアは、瞳に強い決意の灯火を携えてライガの窮地を救う。
「ったく、アンタねぇ……少しは考えて飛び込みなさいよ」
「ぐぬぬ……」
「私なら少しはエレスの戦い方を知ってる。ライガは援護して」
「おいおい、大丈夫なのかよ」
「やるしかないでしょ。私たちだってここで倒れる訳にはいかない」
「まぁ、確かにな……」
迫る鞭剣を弾き飛ばし、ライガの腕を掴んで一旦の後退を見せるハイラント騎士一行。二人は乱れる息を整えながら、次なる一手を模索する。
「ふむ、今の攻撃を完全にやり過ごすとは……少々、甘く見ていたかもしれませんね」
「甘く見てたツケは大きいわよ」
ライガを確実に仕留めたと慢心していたエレスは、自分の知覚外から姿を表し、鞭剣の一撃を完全に防いでみせたシルヴィアに驚きの表情を浮かべる。しかし、それでも表情全体から余裕といった素振りが消えることなく、これからの戦いが更に楽しくなりそうだと笑みを浮かべる。
「次はどうするんだ?」
「…………」
「おい、シルヴィア?」
「まず、アンタが突っ込む。そして、その後を私が突っ込む。以上ッ!」
「はぁッ!?」
「なによ、文句ある?」
「お前、さっき戦い方を知ってるって言ってたよな?」
「言ったわね」
「何か策があるんじゃないかって普通考えない?」
「確かにエレスが使う技とかは何回か見てるけど、有効打があるなんて言ってないじゃない」
「…………」
「さぁ、無駄口を叩いてる暇はないみたいよ?」
シルヴィアが視線を向ける先、そこでは嗜虐的な笑みを浮かべたエレスが右手を天へと突き上げていた。緩慢な動きに見えるが、高々と突き上げられた腕の動きと連動して水を纏う鞭剣の刀身もまた空中へと伸びていく。
「なんか、さっきよりも大きくないか?」
「大きいだけじゃなくて長さも増してるわね」
「…………」
「…………」
眼前に広がる絶望的な状況を前に、ライガとシルヴィアの二人もまた言葉を失う。肌を突き刺す濃厚な魔力が周囲を漂い始め、二人の脳内では様々な警鐘が鳴らされている。
「さぁ、今度はそう簡単に突破することはできませんよ?」
「だってさ」
「ふん、それならこっちはアレ以上に強力な一撃を見舞えばいいんでしょ? 簡単じゃない」
「……時々、お前がすごく頼りに見えることがあるよ」
「覚えておきなさい。私は剣姫。剣に愛されし者なのよ……ッ!」
シルヴィアが漏らすその言葉を合図に二人は同時に駆け出す。
エレスによる攻撃が繰り出されるよりも先に、先制攻撃を繰り出していく。
「神剣・ボルカニカ、お前が持つ力を解き放てッ――烈風風牙ッ!」
「光の一閃、全てのアクを葬り去れ――聖なる剣輝ッ!」
これまでも数多の戦いを駆け抜けてきた両者が持つ強大な一撃。
ライガが放つは背丈ほどある大剣から放たれる暴風の一撃。
シルヴィアが放つは剣姫のみが所有を許される緋剣と蒼剣を融合させて誕生する聖剣・ハールヴァイトから繰り出される聖なる一撃。
「――――」
ライガたちの攻撃を待ち受けていたエレスは、迫る斬撃を前にしても表情を変えることはなく、しっかりと地面に足をつけて前方を見据える。
「風の精霊よ、私に力を――風精の加護」
「な、なんだって……ッ!?」
エレスが目を向けるはライガが放つ暴風の一撃だった。
ボルカニカから放たれた一撃は地面を大きく抉りながらエレスへと迫っていた。しかし、エレスは表情一つ変えることなく小さな詠唱を始めると、次の瞬間、エレスの細身の身体がふわりと風に包まれたかと思えば、ライガが放つ風の一撃が一瞬にして霧散する。
「んだよ、それッ!」
「風の精霊が持つ力を駆使すれば、その程度の攻撃ならば無効化するのに手間取りませんよ」
「それならこっちはどうッ!?」
エレスの意識がライガへと移っている間も、剣姫・シルヴィアが放つ聖なる一撃は凄まじい速度で直進を続けていた。数瞬後には直撃するといった状況であっても尚、エレスはその顔に浮かべる笑みを崩すことはない。
「容易いことです。宝剣よ、さらなる力を我が手に――千破宝剣ッ!」
再び呟かれた詠唱の後、エレスが持つ宝剣が眩い輝きを放ち始める。
次の瞬間、エレスを中心とした空間に無数の宝剣が姿を現す。
「おい、シルヴィア……あれは……?」
「まぁ、どう見てもやばそうね……」
「私を守り、敵を殲滅せよ」
虚空から姿を見せる宝剣たちは、その切っ先を聖なる一撃へと向けると、その全てが一目散に飛翔を開始する。
「くッ、そんなもので……ッ!」
瞬間、凄まじい轟音が周囲に響くとシルヴィアが放つ一閃が動きを止める。
無数の宝剣たちが束となって斬撃の前進を阻止し、その力を無へと帰そうとする。
「そんな……」
「……私は怒りを感じます」
迷いは捨てたはずである。
かつての戦友であったとしても、一切の手加減をすることなく殲滅する。それが世界を守るために必要であるのならば、ライガたちは騎士としてではなく、友人としての感情すらも捨てることになったとしても、目の前に立ち塞がる騎士を倒そうと全力を出していたつもりである。
しかしそれは、自分たちへの言い訳にしかなっておらず、使命を果たそうとする言葉とは裏腹にまだエレスへの想いを断ち切ることができていなかったのが真実である。
「私と貴方たちにどんな関係があったのかは知りませんが、最期まで貴方たちは全力を出すことはなかったですね。一人の騎士として、私はそれだけが悲しい」
「「――――ッ!?」」
シルヴィアが放つ一撃は宝剣たちによって完全に防がれた。
一瞬でも呆然としている時間はない。
一目散に次なる行動に移ろうとするライガとシルヴィアだったが、何故かその身体は地面に縫い付けられたかのように一切の動きを許してはくれない。
地面を割いて飛びだす水刃が二人の身体を貫き、地面へと縛り付ける。
宝剣によって二人の攻撃を防ぎつつ、エレスは抜け目なく次なる行動を開始していたのだ。
ライガとシルヴィア。
二人が未だ心のどこかに僅かな躊躇いを持っていると確信しての一撃。
じわりと鮮血が溢れ出す感覚を覚えながら、ライガとシルヴィアの瞳はこれ以上なく見開かれる。
かつての戦友との戦い。
特別な存在と対峙する経験がもう少しライガたちに存在していたのなら、結果はもう少し変わっていたかもしれない。
「……残念です」
その言葉を最後にエレスは踵を返すとアステナの王城へと歩き出す。
その背中をライガとシルヴィアの二人は地面に倒れ伏した状態で見守るのであった。
桜葉です。
次回もよろしくおねがいします




