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第二章21 脳裏に響く声、深層に眠る『――』

第二章21 脳裏に響く声、深層に眠る『――』


「さぁ、もっともっと俺を楽しませてくれよぉッ! 俺を倒すんだろ? 俺が憎いんだろぉッ!?」


 ネッツの喜色に染まった声が大聖堂に響き渡る。

 航大たちはそれに怒ることも出来ず、ただ呆然と眼前に広がる悪夢に表情を顰める。彼らとネッツの間には、巨体を誇り、屈強で強靭な肉体を惜しげもなく見せつけてくる魔獣・ケルベロスが三匹待ち構えている。


「これが怠惰のグリモワールの力って訳よぉッ! そうそう、その顔が見たかったんだよ、俺はぁッ、絶望に染まる、その顔がよッ!」


「…………」


「ククク……この状況に言葉も出ないってか? つまんねぇから、簡単にはやられてくれるなよ?」


 眼前に立つケルベロスを、航大たちは死に物狂いで倒した。それもたった一匹相手に。

 それが瞬く間に三匹に増えて、眼前で立ち尽くす。この光景は航大たちにとって絶望以外の何物でもなく、この状況を前にしてはさすがに言葉が出ない。


「どうするよ、コレ……」


「どうするって言われてもなぁ……さすがに、これを同時に相手するのは……」


「弱音を吐いていてもしょうがないじゃろ。何とかしなければ、儂たちは死ぬだけじゃぞ」


 一瞬も気を抜くことはなく、リエルはこの状況をどのようにして突破するかを模索する。

 あらゆる手段が脳裏を過るが、それら全てを駆使してもこの状況を何とかするには心もとない。

 

 リエルがアルジェンテ氷山の守護者として生を受け、気が遠くなるような永い時間が経過した。今までの間にも多少の侵入者は居たが、ここまでの状況に陥るのは初めてだった。


 彼女は守護者としての責務をしっかりと全うしていた。しかし、突然やってきた絶体絶命のピンチに、彼女は守護者として主を守ることが出来ないかもしれない……そんな可能性に唇を強く噛みしめる。


「リエル、もう一度あの魔法を使うことは?」


「出来なくはないが……それにはさっきの倍以上の時間が必要になるじゃろうな」


「倍ってマジかよ……」


 かなりの時間を稼いで、その身をボロボロにしたライガは、リエルのそんな言葉に苦笑いを浮かべるだけ。一匹を相手にあれだけの時間を稼ぐのが精一杯だった。今度はそれが三匹に増えた現実を前に、倍以上の時間を稼ぐなんてことは、到底できることではない。


「さっきの魔法も使えない、俺たちの攻撃は効かない……八方塞がりって奴か……」


 状況を冷静に分析すればするほど、絶望が広がっていく。


「――ッ!」


 しかし、時間の猶予は残されていない。

 眼前に立つケルベロスは咆哮を上げて、航大たちを威嚇してくる。ガリアの騎士ネッツの言葉があれば、瞬時に飛び掛かっていけるように準備万端といった様子だ。


「はぁ……この状況を前にして、なんもできねぇのかよ。その程度で帝国ガリアに歯向かおうなんざ、百万年はえぇんだよ」


 その言葉を合図に、三匹のケルベロスが同時に動き出す。


「やるっきゃねぇなッ!」


「小僧ッ、ここからが本当の戦いじゃぞッ!」


 ケルベロスが動き出すのと、ライガたちが地を蹴るのはほぼ同時だった、

 真正面からぶつかろうとするケルベロスを相手に、ライガとリエルは左右同時に駆け出す。


「――ヒャノアッ!」


「うらあああああああああああぁぁぁぁッ!」


 左右に分散したライガとリエルは、それぞれの攻撃を繰り出していく。


「――ッ!」「――ッ!」


 両サイドに配置していたケルベロス二匹にライガたちの攻撃がヒットする。

 それと同時に、ケルベロスたちの口から咆哮が漏れる。

 しかし、中央に位置していたもう一匹のケルベロスは、攻撃による足止めを喰らうことなく、真っ直ぐに航大を目指して突進してくる。


「って、マジかよッ!?」


「そりゃ、そうなるわなッ!」


「逃げろ、小僧ッ! 儂が守護魔法を掛けるッ……!」


「逃げろってッ、どうやってええええぇッ!?」


 大きく口を開き、航大を噛み殺そうとするケルベロス。

 航大は慌てて逃げようとするも、人間の足ではケルベロスの足には勝つことなどできない。あっという間に、すぐ後ろまでケルベロスは接近を果たすと、航大の小さな身体に爪を突き立てようとする。

 あと一歩で爪が背中に届く……その瞬間、リエルの魔法が中央に鎮座していたケルベロスにヒットする。


「――ッ!」


「今のうちじゃッ――大いなるマナよッ、この者をあらゆる災難から救い給えッ!」


 瞬時に詠唱を唱えると、リエルは航大に全身を包み込む守護魔法を授ける。


「そっちには……これじゃッ!」


 そして瞬時に体勢を整えると、再び魔法の詠唱を始めて二匹のケルベロスを相手に立ち向かっていく。しかし、一人で二匹の魔獣を相手にするのはあまりにも酷だった。


「くあぁッ……!」


「ちびっ子ッ……くそッ!」


 二匹のケルベロスのターゲットがリエルに集中し、絶え間なく迫ってくる攻撃の連続に、リエルは苦戦を強いられる。その様子を見て、舌打ちを漏らしたライガは、地面を蹴って援護に回ろうとする。


「――風牙ッ!」


 大剣に真空の風を纏い、かまいたちを発生させるライガの必殺技。

 それは先のミノルア防衛戦でも大きな功績を残した技であり、剣の先から放たれる無数の刃がケルベロスの身体を切り裂いていく。


「助かったぞッ!」

「くそッ、俺の風牙も効いてねぇのかよ――ッ!?」


 大剣から放たれ風の刃は、ケルベロスの身体に切り傷を生んでいく。しかし、それも致命傷とはならない。


「ぐあああぁぁぁッ!?」


 自分の必殺技が効いてないことに驚くライガのすぐ目の前を、ケルベロスの後ろ足が炸裂する。咄嗟のことに防ぎれず、ライガは上半身にケルベロスの攻撃を受け、大聖堂の隅まで吹き飛ばされてしまう。


「ライガッ!」


「小僧――ふあぁッ!?」


「リエルッ!?」


 ライガが吹き飛ばされた直後、ケルベロスの火球がリエルの小さな身体に直撃する。

 より過酷になった状況の中、戦い続けるライガとリエルの動きが鈍くなっていく。どうしても隠しきれない隙が点在する中、魔獣・ケルベロスたちは咆哮を上げて、晒される隙を的確に突いていく。


「マジでこのままじゃ……」


 唯一、守護魔法によってケルベロスの攻撃から身を守られている航大は、凄惨で絶望的な状況を前にして、言葉を震わせる。


「クククククッ……お前たちの抵抗はここまでなのかッ?」


「くッ……」


 魔獣たちの後ろで、ネッツが楽しげに笑みを浮かべている。

 その様子は完全に勝利を確信しており、嗜虐的に歪む唇から漏れる声に、航大は拳を握りしめることしかできない。


「ふざけんなよッ……俺はまだッ……やられてねぇぞッ……」


「当たり前じゃな……儂はこの場を守護せねばならぬ……こんな所でやられる訳にはいかぬのじゃ……」


 それぞれ粉塵の中から声が聞こえてくる。

 肩を大きく上下させ、見るからに限界の様子を見せるライガとリエル。その姿は満身創痍そのものであり、これ以上の戦闘を行うことなど、あまりにも厳しい現実であると言わざるを得なかった。


 ライガとリエルがやられる……それは、同時に航大たちの敗北を意味することになる。


 先のミノルアでの防衛戦。そこでは、英霊をその身に宿したユイ……ナイチンゲールと、大陸戦争の英雄・グレオの二大巨頭による、異次元の力を持ってして勝利した。


 しかし、今度のこの戦いにおいては、そんなチートクラス級の人間が存在しない。

 永久凍土の賢者であるリエルも、その無尽蔵の魔力を持ってして健闘しているが、元々こういった状況を想定していなかったのか、大型の魔法を使うには時間が足りず、単独で挑むには火力不足が否めなかった。


「二人共ッ……もう無理だッ……!」


 ライガとリエルの様子を見て、これ以上戦うことは無謀だと言わざるを得なかった。


「無理でもッ、帝国の人間を前にして逃げる訳にはいかねぇ……」


「同意じゃな。どちらにしろ、儂はここから出ることは出来ぬ。それならば、最後まで戦い敵を殲滅する。そうするしか無いんじゃ……」


 立っていることすらやっとな状況であっても、二人は退くことをしない。その背中からはヒュドラとの戦いで見せた、ナイチンゲールとグレオの姿が重なって見える。


 どんな状況であっても諦めない。

 それが航大に持ち得ていない心であり、力であった。


「でもッ……どう考えても……」


 ライガとリエルは何を言っても大丈夫だと言う。

 しかし、それが強がりであることは航大にだって分かっている。このままでは、どうやっても勝つことは出来ないのだ。万が一にでも、魔獣・ケルベロスを倒したとしても、その後には帝国ガリアの騎士・アワリティア・ネッツが待ち構えている。


 また魔獣を召喚してくるかもしれない。


 そうしたらどうする?


 異世界に来て、航大は絶望することに慣れていた。慣れていると、思うくらいにはここまでの日々で色々とありすぎた。


 今でも目を閉じれば異世界にやってきてからの日々を思い出すことができる。


 元世界では縁の無かった戦いの日々において、航大は幾度となく死線を目の当たりにし、そしてそれらを乗り越えてきた。絶望を繰り返す中で、航大に一縷の望みを繋いでくれたのが、ユイだった。


 彼女はどんな状況にあっても航大に背中を見せ、大丈夫だと言ってくれる。


 その言葉は戦う力を持たない航大に希望という力をくれる。彼女が言うなら、それは間違いないのだと信頼を置くことができる。それだけのことを、航大が大切に想う彼女は見せてくれた。


「…………」


 しかし、この場に彼女は居ない。

 航大が戦う力を持たないが故に、自分の身体を犠牲にし、限界を越えて戦い、その代償としてヒュドラの毒にやられ、今も生死を彷徨うこととなっている。


「はあああぁッ!」

「――ヒュノアッ!」


 眼前では、再び戦火に身を投じるライガとリエルの姿。


「あはははッ! 踊れッ! 踊れええぇッ! そして足掻けッ! 絶望の中で、踊り狂えぇッ!」

 絶望という闇の中で光を求めて彷徨う二人を見て、帝国騎士の服に身を纏った青年・ネッツが笑う。その笑い声は航大の鼓膜を震わせて、どこまでも不愉快な気持ちにさせてくる。


「何か……何かないのか……」


 無意識の内に言葉が漏れる。

 それは力を欲する切望の声。


 無力な少年はただ貪欲に、目の前で戦う戦士たちと肩を並べたいと願う。

 少年はここでやられる訳にはいかなかった。必ず生きて彼女の元へ戻り、そして今度は自分が彼女を救う。


 そんな強い想いを抱きながら少年は唇を閉じて、静かに目を瞑る。

 暗闇に閉ざされる視界。ここまでの状況を冷静に分析し、何か突破口は無いかを模索する。

 

 あらゆる可能性が浮かんでは消えていく。

 

 気付けば、航大の周囲から音が消えていた。それは彼の意思が己の奥深い底まで到達していたことを意味しており、航大は今までにない集中力の中、思考の海にその身体を沈めていく。


『――力が欲しいですか?』


 その声は、この瞬間を待ち望んでいたかのように、航大の思考の海に波紋を作る。波紋はどこまでも広がって、そして消えていく。消えてまた新しく波紋が生まれ、そして同じように消えていく。


「――――」


 脳裏に直接語りかけてくる声に、航大は何も答えない。

 沈黙を肯定として航大はより深く、どこまでも深く自分の思考を沈めていく。そうすれば、この声の主に会える。そんな気がしたからである。


『――この力は、いつか貴方を滅ぼす。必ず破滅させることでしょう』


「――――」


『――それでも、貴方が望むのであれば、私は私の力を貴方に授けましょう』


 思考の海はどこまでも青く透き通っていた。

 潜れば潜るほど、その海からは光が失われて、その先には光すら通さない漆黒の世界が待っている。自分の身体にここまで黒く染まった世界があることを、航大は知らなかった。


 それは力。

 それは闇。

 それは破滅。


 今の航大には、自分の内で密かに息を潜める『闇』についてあまりにも無知であった


 闇は少しずつ大きくなる。


 闇は少しずつ航大の深層を侵食していく。


 闇は航大を飲み込もうと、世界を飲み込もうと、少しずつ、少しずつ、浮上していく。


『――力を欲するならば、唱えなさい』


「――――」


『――さすれば、一時的にでも私の力を貴方に与えましょう。さぁ、選ぶのは貴方自身です』


 自分の内に眠る、正体不明の闇を垣間見た航大は、そんなどこか大人びた少女の声に導かれるように思考の海から浮上していく。

 愛おしそうに手を伸ばしてくる『闇』に別れを告げ、航大は覚醒していく。


「…………」


 目を開く。

 眩い光が視界一杯に広がって、あまりの眩しさに航大の表情は一瞬歪む。

 しかし、そんなことに驚いている暇はない。


 自分の身体に『何か』大きな力の本流が流れてくる感覚に支配される。


 それは少し油断すれば航大の身体を飲み込み、破滅させる力。

 何かが致命的に変わろうとしている。それは希望か絶望か――。


 この状況を変える力が欲しい。それは、航大が自分自身で望んだ変化であり、今、目の前にそのチャンスが手を差し伸べて待っている。自分の腕を取り、破滅へと突き進むことを――。


「――英霊憑依」


 その言葉がトリガーだった。

 小さく航大の口から漏れ出る声を、待っていたと言わんばかりに懐へしまっていたグリモワールが輝きを放つことで呼応する。


「――なッ!?」


 その変化にいち早く気付いたのは帝国ガリアの騎士服に身を纏うアワリティア・ネッツだった。


「おい、おいッ……嘘だろ? マジだったのかよ、あの話はよぉッ!」


 彼は航大に現れた変化に歓喜する。その目は爛々と輝き、この瞬間を待ち侘びていたかのようにこれ以上ない笑みを顔に浮かべる。


「――ッ!」


 航大を中心に膨大な量のマナが集まってくる。

 それは先ほどリエルが行使した魔力とは比にならない、あまりにも膨大な魔力だった。


 危機を察したケルベロスが素早く動く。地面が抉れるくらいに後ろ足に力を込めて、銃口から放たれる弾丸のようにして航大へ飛びかかる。


 しかし、その牙が、その爪が航大に届くことはない。


 あれほどまでに強力で強靭で、巨大だったケルベロスの身体は一瞬にして凍結し、崩壊する。

 膨大すぎる力は、この場に存在するあらゆる生物を恐怖させた。

 それは本能的な恐怖。この者には勝つことが出来ないという動物的で原始的な本能。

 凍えるような瞳を持つ少年は、その身に余りある力を宿し異世界へ降臨する。


 全てを守る。

 全てを救う。


 少年は決意する。しかし、その決意は世界の破滅を加速させる。

 その事実を少年はまだ知らない。知るのはまだまだ先の話。

 グリモワールから放たれる眩い光は、ゆっくりと航大を侵食するように全身を包み込んでいく。そして、与えられし異形の力が具現化し、航大の外見を大きく変えていく。


 大聖堂の決戦。

 絶望の戦いはその速度を加速させて終焉へと突き進んでいく。


桜葉です。

その身に余る強大な力が持つ先には何が待っているのか。


次回もよろしくお願いします。

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