第七章41 再びの前進
「はい、そこまでーーッ!」
コハナ大陸。
アステナ王国へと続く森林の中で、ライガとシルヴィアの一行はメイド服に身を包んだ少女との戦いを強いられていた。少女はアステナへ移動することを許しておらず、しかしライガたちはアステナへと向かっている両者の衝突は時間の経過と共に苛烈さを増していた。
このままではどちらかが倒れるまで戦いは続くと思われた中、全身にローブマントを羽織った女性が姿を現し、シルヴィアとメイド服の少女・セレナの戦いを一瞬で中断させた。
本来ならば戦いの中に飛び込んでいくなど無謀とも言える行動であるのだが、ローブマントを羽織った女性はにっこりと笑みを浮かべると両手を突き出し、そしてこの場に存在する全ての魔力を無力化した。
「なに、これッ!?」
「…………」
姿を現し、一瞬にして戦いを沈静化させた女性の登場にシルヴィアも驚きを隠しきれない。しかし、少し離れたところで立ち尽くすメイド服の少女・セレナは変わらずの無表情を浮かべたまま沈黙を保っている。
「全く、帰りが遅いと思ったら何してるの、セレナ?」
「申し訳ありません。不審者を発見したもので、その掃除を……」
「不審者って……この人たちのこと?」
「……はい」
「はぁ……セレナって本当に人を覚えることが出来ないのね」
「と、いいますと?」
「私たちは以前、この人たちと会ってます。というか、この人たちは私たちアステナ王国を救ってくれた人でもあるんですよ?」
「…………」
ローブマントを被った女性はおっとりとした柔らかな声音でセレナと会話を続ける。そして、投げかけられた言葉に無表情だったセレナの顔に僅かな変化が現れる。その小さな瞳がシルヴィアを捉え、そしてなにかを思い出そうとしているかのように静寂が姿を現す。
「あれ、もしかして……」
「お久しぶりですね。あの時はお世話になりました」
「ネポル、さん……ッ!?」
おだやかな声音が印象的な女性はシルヴィアの方を向くと、顔部分を覆っていたローブを外す。すると、姿を現したのは日差しを浴びて鮮やかに輝く漆黒の髪と、病的なまでに白い肌で構成される端正な顔立ちをした顔を持った女性だった。
プリシラ・ネポル。
アステナ王国の筆頭治癒術士である彼女は王国に常駐してはおらず、コハナ大陸を支配する森林の外れに自分の屋敷を持っていて、普段はそこで生活をしている。
「……よく見れば、確かに以前どこかで見たことがある顔ですね」
「どこ見てんのよ、そっちに私は居ないんだけど?」
「……あぁ、すみません。こちらにいらしたんですね。存在感がなくて気付かなかったです」
「上等じゃない。私、アンタのことが嫌い」
「奇遇ですね。私も嫌いです」
「覚悟は出来てるんでしょうね?」
「貴方こそ、覚悟が出来ていると?」
「あわあわ……ど、どうしてそんなに仲が悪いのぉ……」
バチバチと視線だけで火花を散らすシルヴィアとセレナ。
この場にプリシラが存在していなかったら、間違いなく血で血を洗う死闘が繰り広げられていたことは間違いなく、しかし猛犬たる二人の動きを封殺できるプリシラがいる限り大きな揉め事にはならないだろう。
「い、いてて……ちくしょ、なんだってんだよ……」
「あ、ライガじゃない。生きてたんだ?」
「生きてたんだ? じゃねぇよ……めちゃくちゃ遠くまで吹き飛ばされたんだぞ……」
「鍛え方が足りないんじゃないの?」
「……油断していたことは認める」
「はぁ……とりあえず、アンタも挨拶しておきなさいよ」
「挨拶?」
「そう。前に私たちがコハナに来たときにもお世話になったプリシラさんが……」
「……どこにいるんだ?」
「……あれ?」
プリシラ、シルヴィア、セレナ。
三人だけで会話が繰り広げられている中、森林の奥から姿を現したのは全身を土埃で汚したライガだった。彼はセレナとの戦いで森林の遥か彼方へと吹き飛ばされた後に、こうして戻ってきたのだ。
「プリシラって……アステナ王国の……」
「うん。それで間違ってはないんだけど……さっきまでそこに……」
「……主様ならあそこに」
「いつの間にあんな遠くに……」
「す、すみません……男の人は大の苦手で……」
セレナが指差す先。そこはシルヴィアたちから離れたところに存在するひときわ大きな大樹。それに隠れる形で頭だけ出しているのがプリシラだった。
彼女は男が苦手であり、過去に航大がこの大地を訪れた際にも似たような状況が発生していた。とにかく男を見ると反射的に逃げてしまう癖があり、彼女が本気で逃げた際には使用人であるセレナですら見つけることは困難である。
「とりあえず、俺は居ない方がいいのか……?」
「あ、あの……これくらいの距離でいいなら……お話くらいなら……」
「あぁそうかよ……シルヴィア、後は任せたぞ」
「全く……しょうがないわね……」
ライガが居たのでは話が進まないと判断し、シルヴィアがため息混じりにプリシラへと近づいていく。
「そのお話、この私も同行させてもらいます」
「はいはい、それがアンタの仕事だもんね」
シルヴィアの少し後ろを歩くのはメイド服に身を包んだセレナである。
彼女の右手には短刀が握られており、その瞳から発せられる眼光は鋭く、シルヴィアが少しでも怪しい動きを見せればすぐにでも攻撃を開始することが出来る状況が整えられている。
セレナ・トミニナ。
彼女はアステナ王国の筆頭治癒術士であるプリシラの従者であり、彼女を守ることこそがセレナの存在意味なのである。
「えっと、プリシラさん。私たちはアステナ王国へと向かってるの」
「……貴方たちがやってくる。その理由は王国だってのは理解できます」
「まぁ、その途中でお宅のメイドさんに邪魔されたんだけど」
「申し訳ありません。しかし、アステナ王国が今、厳重警戒にあるのは事実なのです。何故、厳重な警戒をしているのか……それは貴方たちが一番よく知っているはずです」
「…………」
「森林を進む見慣れない人物が居た場合、それを撃退するように。それがアステナ王国からの指令です」
「なによそれ、やけに物騒な話じゃない」
「最大限の警戒があってこそでしょう。それにしても、無差別に攻撃をするようにといった命令を……あの人がするとは思えないですけど……」
「…………」
森林でセレナがシルヴィアたちを襲った理由。
それはアステナ王国からの命令によるものだった。コハナ大陸を統治するアステナ王国はハイラント王国と共に非好戦的な国家だったはず。
いくら帝国ガリアの動きが活発になったとはいえ、ここまでの強硬策を取るのだろうか。
無言を貫くシルヴィアの脳内には様々な考えが浮かんでは消えてを繰り返していた。
「とにかく、私たちはアステナへと向かいたいの」
「……はい」
「通してくれる?」
「分かりました。貴方たちはかつてアステナを救ってくれた恩人です。その人たちを足止めにするなんて、危機を救ってくれた恩人に対する行動だとは思えません」
「…………」
「正直、私もアステナが心配ではあります」
「心配?」
「ここ最近、アステナからの定時連絡が途絶えたままです。なので、王国が今どうなっているのか……私にはそれが分からないのです」
「……なんだかきな臭い話になってきたわね」
「どうかお願いです。アステナへと向かい、王国の無事を確かめてはくれないでしょうか?」
プリシラの瞳は真剣そのものである。
そんな瞳を前にして無碍にすることなど出来るはずがない。
「分かった。私とライガはアステナへ向かう。元々、そういう任務だったしね」
「ありがとうございます。私たちはこの森林から離れることができません。王国をお任せしてもよろしいでしょうか?」
「それは問題ないんだけど、どうしてこの森から離れることができないの?」
プリシラはアステナ王国の筆頭治癒術士である。
王国が危うい状況であるならば、彼女もまたアステナへと向かうべきなのではないか。そんな当然ともいえる疑問を前にして、プリシラの表情があからさまに歪む。
「元々、私はアステナ王国に常駐している存在ではありません。いえ、正しくは王国より隔離されることを命令されています」
「え、なにそれ……隔離命令って……」
「私は王国の命令にただ従うのみ……今回もまた、アステナからは帰還命令が出ていないだけなのです」
「うーん……貴方がそれでいいなら……」
「はい。私はこの森林を守りし者。シルヴィアさん、アステナ王国をお願いします。なにか、嫌な予感がしますので……」
「そうね……分かったッ! 私たちは先に行く!」
森林に残ると宣言するプリシラの表情は苦々しいまま変化がない。明らかに何かを隠している様子の彼女を目の当たりにして、しかしシルヴィアはそれ以上の追求をすることはなかった。
シルヴィアとライガにとって今、最も優先するべきはアステナ王国の安全を確認し、そして守ることにある。必ずしもプリシラが共に居る必要はない。
「ライガッ、プリシラさんたちのお許しが出たわよ」
「おぉー、そうか。それなら俺たちは先を急ごう」
「それじゃ、プリシラさん……私たちは行きますね」
「……はい。貴方たちの旅路に幸運がありますように」
シルヴィアの言葉に頷くプリシラ。
彼女の瞳には未だ不安の色が見え隠れしているが、そんな彼女にそれ以上の言葉を投げかけることなくシルヴィアはくるりと反転して歩き出す。少し離れていた場所でこちらの様子を伺っていた地竜に再び跨ると、シルヴィアとライガの二人は森林の中を疾走する。
ハイラント王国の使徒たちが向かうは大自然の中に存在する国家・アステナ。
その行く末に何が待ち受けているのか、今はまだそれを知る者はいない。
桜葉です。
次回もよろしくおねがいします




