第七章37 冷酷の騎士
「ルクスリア・ランズ、ただいま帰還しました」
帝国ガリア。謁見の間に姿を見せるのは薄紫の髪を揺らす『憤怒のグリモワール』を所有する騎士・ランズだった。不満げな表情を浮かべ、ゆっくりとした動きで歩を進める。
謁見の間に存在するのはランズだけではない。他にも複数人の姿が存在している。
「おやおや、随分と遅かったじゃないか……ランズ?」
「てか、なんで一人なの? ネッツはどうしたのよ」
帰還したランズを見るなり、謁見の間に居た二人の帝国騎士が声をかけてきた。
一人は小学生と見間違えるほど小柄な体躯をしており、栗色の髪を肩上まで伸ばした姿が印象的な『色欲のグリモワール』を所有する騎士、アレグリア・ハイネ。
一人は薄青の髪をツインテールにし、病的なまでに白い肌を覆っているのは、白と黒を基調にしたフリル満載のゴスロリ服である。『憂鬱のグリモワール』を所有する騎士、シャスナ・ルイラである。
「…………」
戻ってくるなり同じ帝国騎士の仲間に声をかけられると、ランズの表情が露骨に歪む。それぞれが仕事を成し遂げるために帝国を飛び出し、そして先に帰還しているということは、仕事の完遂に掛かった時間がそれだけ違うということだ。
「うるさいな、話しかけないでもらえる?」
「そういう訳にもいかないだろう? ちゃんと説明をしなよ。どうして一人で帰還したんだい?」
「…………」
ランズは同じ帝国騎士である『怠惰のグリモワール』を所有するネッツと共にルーラ大陸へと向かったはずである。それが何故、ランズ一人の帰還となったのか。
その答えをハイネとルイラが分からないはずはない。
しかし、彼らはあえてランズに真実を語らせようというのだ。
帝国ガリアの騎士に敗北は許されない。
ましてや自らの失敗や失態を隠そうとするなど言語道断であるのだ。帝国の騎士として、ハイネとルイラはルーラ大陸へと赴いたランズの責任を追求しているのだ。
「まーさーかー、帝国の騎士であろうとも者が、どこの馬の骨か分からない奴に遅れを取った……とかないよね?」
「僕は遅れなんか取ってない」
「帝国騎士の中で、アンタの階級は?」
「…………」
「はぁ……だんまりを決め込んでじゃないわよ。アンタの階級、第六位でしょ?」
ランズを追求する言葉の語気を強めるのはルイラである。
ツインテールを揺らしながら、彼女はここぞとばかりにランズを責め立てる。
「そしてアンタと一緒に出ていった雑魚、アイツの階級は?」
「……第七位だ」
「だーよーねー? 第六位様であるランズ、アンタは下の階級にある雑魚の行動にも責任を持つべきなのよ。作戦の責任者はアンタにあるんだから。ねぇ、そう思わない、ハイネ?」
「はぁ……僕は君の行動に対して責任なんて取りたくないけどね」
「あぁ? ちょっとそれ、この私がヘマかますって言いたい訳?」
「そう言ってるんだよ、そんなことすら説明しないと分からないのかい?」
「……私、昔からアンタのこと嫌いだったのよね」
「奇遇だね。僕も全く同じことを思っていたよ」
ランズを追求することを忘れ、売り言葉に買い言葉といった様子でいがみ合うハイネとルイラ。この二人は帝国騎士の中でも随一といって良い犬猿の仲であった。
「あらそう。私たち気が合いそうね?」
「最悪な気分だ」
「今すぐ、この場で、アンタを殺してあげてもいいんだけど?」
「驚きだな。君にそんな力があるとは思えないんだけど? 君の階級はどれくらいだい?」
「…………」
「そこにいる出来損ないの帝国騎士よりは上なんだろうけど、僕との差すらも覚えてない、分からないなんて言わないよね?」
「上等よ。今から私と勝負して、負けたら帝国騎士をやめなさい」
「本気でやる気かい? 無様に死ぬことになると思うけど」
言葉でのやり取りが激化すれば、その果てにあるのは武力行動による強制的な身分の決定である。
同じ空間に存在する他者が思わず息を呑む明確かつ、圧倒的な殺気をハイネとルイラの両者が隠すことなく放出している。ピリピリと肌が粟立つ感覚、息が詰まる殺気が充満する空間で帝国騎士の衝突が始まろうとしていた。
「――――」
「――――」
どちらかが次に言葉を発すれば、それが開戦の合図になることは間違いない。
流血必至の戦いが始まろうとした瞬間だった。
「いい加減にしなさい」
小さく、しかし凛と通った少女の声音が謁見の間に響き渡った。
ハイネとルイラは眉を僅かに反応させると、その場でピタッと静止する。自分たちが発するよりも遥かに強い殺気と威圧。それが全身に襲いかかっているために、ハイネとルイラは身動きを取ることができないのだ。
今、一歩でも身動きを取れば、謁見の間に響いた第三者によって殺される。戦いの手練である二人の騎士の動きすらも止める、それほどまでの力を持った存在が同じ空間で静かに存在していた。
「ネッツは死んだ。そうなんでしょう?」
「……そうだ」
「誰にやられたの?」
「…………」
謁見の間は常に薄暗い。
新たに言葉を発する少女は謁見の間でも隅で佇んでいたため、よく目を凝らさなければ姿を視認することはできない。
「……暴食のグリモワール。ナタリ、か」
「……答えなさい。私の問に応える義務が、貴方にはあるの」
暴食のグリモワール。
帝国ガリアが誇る騎士の中でも頂点に君臨する少女。
艶やかに光る漆黒の髪。少女の肌は褐色に焼けていて、それが純白の軍服とのミスマッチ感を演出している。
「……ネッツはやられた。僕が魔竜を回収している間にね」
「相手は?」
「ハイラント王国の奴らだ。僕たち以外に存在した、グリモワールを持っていた奴だ」
「…………」
「ネッツがアイツらと戦っているのは知ってた。だけど、僕は魔竜の回収を優先した。その結果、ネッツはやられてしまった。ただ、それだけだ」
「……そう。魔竜とグリモワールは?」
「ちゃんと回収してきたんでしょうね?」
「そこはもちろん」
「そう。それならいい」
ランズの報告を聞き、その上でナタリはそれ以上の追求をやめた。
「ちょっと、ナタリッ! アンタ、ランズを許そうって訳じゃないわよねッ!?」
「…………」
「帝国騎士に失敗と敗北は許されない。確かに任務は成功してるかもしれないけど、ランズは私たちの仲間を見殺しにしたんだよッ!」
「…………」
踵を返し、再び謁見の間の隅へと移動しようとするナタリの背中へ、ルイラは納得いってないといった様子で怒号を浴びせる。彼女はランズに罰を与えるべきだと主張しているのだ。
「ルイラ、私たちはぬるい仲間ごっこをしている訳じゃないの」
「んなッ……」
「私たちが相手にしているのはこの世界の全て。帝国以外の人間は全員が敵。足手まといは切り捨てる。そんなことは当然」
「…………」
「ネッツが死んだのなら、その程度の力しかなかったってこと。それ以上でもそれ以下でもないの」
抑揚のない声音。
一切の感情が表れない表情。
冷徹なまでの言葉にルイラだけではなく、ハイネもランズも同様に言葉を失ってしまう。
「魔竜を回収し、グリモワールも持ち帰って来たのならこれ以上、ランズを責める理由はない。私たちが科せられた使命、それを果たしたのだから」
それだけを言い放つとナタリは口を閉ざし、再び謁見の間の闇へと姿を消す。
「…………」
以降、誰も言葉を発することはなかった。
憤怒のグリモワールを所有する騎士はただ無表情に――
色欲のグリモワールを所有する騎士はただつまらなさそうに――
憂鬱のグリモワールを所有する騎士はただ悔しげに――
それぞれがそれぞれの表情を浮かべ、帝国ガリアの時は静かに進む。
残されし騎士たちが生還する時を、ただ待ち続けるのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




