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第七章36 憤怒の回想

「はぁ、全く……めんどくさい任務だったよ」


 マガン大陸。

 荒廃した大地が広がる大陸であり、世界に災厄をばらまく帝国ガリアが統治している。


 業炎を司る『憤怒のグリモワール』を所有する帝国騎士・ランズは、マルーダ大陸での任務を終えて帝国へと帰還を果たそうとしていた。ネッツが召喚し、そのままの状態で放置されていた空飛ぶ魔獣を手懐け、その背中に乗ることで海を超えた。


 曇天が覆う帝国の風景は見慣れたものである。


 この世の負が全て一点に集中しているんじゃないか、そう考えるほどにマガン大陸と呼ばれる場所には幸運が極端に少なかった。片手で数えられるくらいにしか街などは存在しないし、数少ない街に住まう人々の中で今、幸福を感じているのはほんの一握りだけだろう。


「…………」


 一人になると嫌でも過去を思い出す。

 その時は決まって背中の古傷が痛みだす。


「こんな世界は一度、滅んでしまえばいい。そして僕がこの世界を作り変える」


 目を閉じればろくでもない世界の記憶が蘇る。

 あの世界はランズにとって地獄と呼ぶにふさわしい場所であった。


 誰よりも普遍的な幸福を求めた少年だったが、しかし現実というのは少年に対してどこまでも冷たかった。何度、天に向かって祈りを捧げただろうか。


 少年は神という存在を信じなかった。

 神は少年を救ってはくれなかったからだ。


 静寂は脳裏に様々な考えや感情が浮かび上がってくる。その中には消し去りたい忌々しい記憶も混ざっている――。


◆◆◆◆◆


「おい、お前」


「…………」


 いつか実際にあった過去の記憶。


 異世界へと身を移す前の少年は物静かだった。親は転勤族で、世界的に見れば小さな島国のあちこちを転々とする生活を強いられていた。そのため学校へ入学したところで友人を作ることもできず、少年はいつも孤独であった。


 何度目の転校だろうか、数えることすら億劫になったある日、少年は学校からの帰り道に当時、不良だった同級生に目をつけられた。


 元々、都会の出身である少年は田舎では目立つ存在であり、親が金を持っていたこともプラスして目をつけられやすい存在であったといえる。


「お前の家、金持ちなんだろ?」


「貧乏な俺たちを助けてくれないかなー?」


 気弱で物静か、いつもその手には本を持っていてそれを読み耽るのが唯一の楽しみ。本の内容は剣と魔法が支配するファンタジーな世界が舞台のものばかりだ。今、自分がいる世界とは別の世界。そこでなら自分の想像を遥かに超える出来事が山のように起こっている。


「…………」


 少年はただ無力だった。

 強大な力を前に為す術もない。


 いつしか抗うことをやめて、傀儡のように言いなりになる。

 そうすることで少年は自らの心を守ることができた。

 狂人になることはなかった――。


「…………」


 少年が青年になり、進級しても青年の環境は変わらなかった。

 いや、正確には更に激化することとなった。


 成長し、青年になるのはいじめっ子たちも同じだ。タチが悪いのは自分よりも遥かに力を付けていることにある。青年になったとしても抗うことは許されず、求められる行為は過激化していく。


 それに呼応できなければ痛めつけられる。


「お前は俺たちの奴隷だ。その証を刻み込んでやるよ」


「――――」


 ライターで背中に刻まれたのは屈辱の証。

 抗えず、目の前の現実を受け入れた敗者の証だ。


 言いつけを遂行することができなければ、背中に刻まれる証が増えた。そして気づけば青年の背中には凄惨な証が無数に刻まれていた。いつからだろうか、青年は火を嫌うようになった。

炙られ、皮膚が爛れる。


 一生、消えることのない証を毎日のように刻みつけられればそれも仕方がない。


「…………」


 自らの命を断とうと何度考えただろうか。

 一度や二度じゃない。毎日のように青年は自らの死について考えるようになっていた。


「…………」


 神はいない。

 何度もこの現状を変えて欲しいと願った。

 しかし、神はその願いに応えてはくれない。


「…………」


 そんなある日、青年はある一冊の本と出会う。表表紙にも裏表紙にも題名が記されていない分厚い本。所々が薄汚れた本は青年の人生を大きく変えてくれたのだ。


『火は嫌いか?』


「……嫌いだ」


『どうしてだ?』


「……熱いし、俺の身体を傷つけるから」


『それならば、今度はお前が傷つければいい』


「……どうやって」


『私にはその力がある。世界を恨み、世界を憎むのならば、新たなる世界でその力を存分に使えばいい』


「…………」


『信じられないか? それならば、まずは手始めに君が最も憎む存在を燃やし尽くそう』


 ある日、こんなテレビニュースが全国を賑わせた。


 都心から少し外れた郊外のなんでもない公園。街の不良が溜まり場にしているというその場所が突如として全焼した。


 滑り台も、鉄棒も、砂場も、そこに存在する全てが灰燼と化したのだ。


 燃え盛る炎は三日三晩消えることはなく、しかし周囲へ延焼することなく炎は猛り続けた。燃やし尽くしたことを確認したかのように、炎は急速に勢いを弱めて鎮火した。緑が溢れる公園は凄惨たる有様であり、その中に複数人の人骨が確認されたのだ。


「…………」


 あの日、この世界からいくつかの存在が消えた。


 一つは青年を虐めていた不良グループの大半。

 一つは虐められていた青年そのもの。


 怒りと憎しみを糧に青年は異世界で新たなる世界を創造しようとしている。


 神はいない。

 それならば自分が神になればいい。


 溢れんばかりの怒りを炎に変えて、青年は新たなる世界で新たなる名のもとに日々を過ごすこととなったのであった。


「ふぅ……一人になると、どうしても嫌なことを思い出す。こんな時、ネッツが居てくれればなぁ……」


 現実へと回帰した帝国騎士は、そんな言葉を漏らして周囲を確認する。

 しかし、そこには誰の姿もなく騎士は孤独な帰還の最中であることを知る。


「あぁ、そうか……アイツはもう死んだんだっけ」


 最早、顔も思い出すことが出来ない同僚にため息を漏らす。


 青年にとって敗れ去った者に一切の興味はない。興味のないモノは記憶に残さない。それが青年の流儀でもあったのだ。


「どうやって報告したものか。まぁ、グリモワールは無事だった訳だし、任務はしっかりと果たした訳だし、怒られることはないよね」


 憤怒のグリモワール。

 あらゆる炎を自在に操る異能の魔導書。


 誰よりも残虐的で、誰よりも世界の再変を望む帝国ガリアの騎士は、最後に大きなため息をついて遠くに見えてきた帝国の王城を見据えるのであった。

桜葉です。

次回もよろしくおねがいします。

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