第七章31 大蛇と金色の狂者XⅦ
「終わらせてやる。お前たちの野望も、存在も……この俺が……終わらせるッ!」
人間が普遍的にもつ負の感情。
怒り。
悲しみ。
憎しみ。
誰しもが持つ感情を航大は武器へと変える。
異能のグリモワールを所有したことにより具現化した自らの闇を取り込むことで、航大はさらなる力を得ようとしているのだ。世界を救うため、負の感情を力に変える。一見、矛盾する事象であるが航大は自ら茨の道を選択することで、貪欲なまでに望む未来を手に入れようとしていた。
「まさかここまで楽しい戦いになるとはな……あの時、お前に初めて会ったときには想像もできなかったぜ」
黒炎を纏い顕現した航大を前にして帝国騎士・ネッツもまた心底楽しそうに笑みを浮かべている。
異界の魔獣を召喚し、それを自在に使役する能力を有する『怠惰のグリモワール』。異能の力を持ったグリモワールは難攻不落と呼ばれた国家を容易く崩壊させた。帝国ガリアが持つ最高戦力の圧倒的なまでの力を誇示した瞬間でもあり、巨悪は国家を潰し、その果てにある世界厄災のときを目指して活動を激化させている。
地獄の堕天使・サタン。
かつて創造神たる神に反逆し、その果てに堕天使した悪魔を召喚、その力を自らの身体に憑依させることで、ネッツは人ならざる力を手にした。全身を大きく変化させ、容姿すらも悪魔へと変えてネッツは航大に絶望を与えようとする。
「もう俺は絶望しない。そんなもん全部吹き飛ばして、俺は望む未来を手に入れるッ!」
「どこまでも貪欲で、どこまでも利己的な考えじゃねぇか。お前が持つその考えは俺たちと何が違う?」
「お前らと一緒にするんじゃねぇ」
「一緒なんだよ。現世界の崩壊を望んでいるのが俺たちだけだと思うか?」
「…………」
にらみ合う時間が続く中、ネッツはその顔に笑みを浮かべたまま饒舌に語りだす。
「この世界に存在する全ての存在が世界の平和を願っている。本当にそう言い切れるのか?」
「…………」
「この世界は誰にも平等か? 貧困に苦しみ、世界の在り方に疑問を持つ人間が一人もいない、そう言い切れるのか?」
ネッツが吐き出す言葉には様々な感情が見え隠れしていた。
まるで自分のことを語るように、ネッツは感情を剥き出しにする。
「お前にとって世界を救うことが正義だって言うのなら、俺たちはこの世界を壊すことこそが正義なんだよ」
「相容れないって訳だな」
「そういうことだ。この戦いは互いの正義をぶつけているだけに過ぎないんだよ」
生きてきた環境。
生まれ持った考えの違い。
決定的なまでの相違が帝国ガリアの世界へ反逆する引き金を引いたのだ。
「どっちも譲れないのなら、後は分かるよな?」
「…………」
「こんなこと俺たちが生まれた世界なら日常のように繰り返されてきたことじゃねぇか。今さら何も驚くことはねぇよ」
「お前……それって……」
「世界が変わろうとも結局、人間って奴はどこかで戦いを求めるのさ。互いの正義を貫き通すために――なッ!」
「――――ッ!?」
ネッツが先手を打つ。
大きく変化させた右腕を振るい、航大との距離をあっという間に詰めてその命を刈り取ろうとする。
「…………」
衝撃が駆け抜け、二つの人影が重なり合う。
「ぐッ……」
「お前たちにもお前たちなりの正義があることは分かった。でも、それでも……俺は帝国ガリアを、アワリティア・ネッツ……お前たちを認める訳にはいかないッ!」
ネッツが振るう拳。
それに対して航大は黒炎を纏った拳で応える。
互いの拳がぶつかり、互いの想いがぶつかる。
両者一歩も引かない展開となり、絶対に負けたくないという気持ちが表面化する。
「認めない。お前たちもいつもそうだッ、どうして弱者に目を向けねぇッ!」
「目を逸らしてる訳じゃないッ、世界を救って、必ずお前たちも助けるッ!」
「そんな言葉は偽善だッ! 現に世界は何も変わっちゃいねぇんだッ!」
「世界を変えようとしている人を俺は知っているッ! 自分の国を変え、そして世界までも変えようとしてる人間をッ!」
「もう遅いんだよッ、全てが……俺たちはいつになるかも分からねぇ日を待ってはいられない。帝国総統が目指す理想の世界……それを実現するためなら、どんな手段だって取ってやるッ!」
幾度となく拳と拳が衝突を繰り返す。
一切の油断も慢心もない全身全霊の一撃。
互いに譲れないものがあるからこそ、互いに負けられない理由があるからこそ、強い信念が宿った攻撃は直撃すれば戦いの結果に直結するようなものばかりである。
「くそッ、どうしてお前は……どうして、そこまで強くなるッ!?」
傍から見れば戦いは全くの五分である。優勢も劣勢もない一進一退の攻防。
しかし、明確に焦りを見せているのは帝国騎士・ネッツであった。
「あの時、あの場所で戦った時、お前は全然弱かった。それがどうしてここまで成長できるッ!?」
「ミノルア。あの戦いで俺はなにも成すことができなかった。何も守ることができなかった……その後だって、何度も戦いの場はあって、その度に自分の無力さを呪ったさ。だけど、諦める訳にはいかなかったんだ」
「――――ッ!?」
膠着状態の戦いに変化が現れる。
ネッツの意表をつく形で航大の回し蹴りが炸裂する。
迫るネッツの拳を自らの拳でうまく反らし、がら空きとなった脇腹へ航大は黒炎を纏った蹴りを見舞う。常人では目で追うことすら困難な連撃の中、ネッツは感情が高ぶった一瞬を突かれて地面を転げ回る。
「色んな人に助けられた。大切な人を守ることができなかった。今だって、女神の力がなければ俺はただの一般人だよ……だから俺は、新しい力を手に入れたんだ」
「ぐッ……」
「この力は俺の我儘が具現化したものだ。どんな手段を使っても、どんなに自分を犠牲にしても、最後に世界の平和を手に入れることができるのなら、俺は聖人になんてならなくてもいい」
「言ってることと、やろうとしてることが矛盾だらけじゃねぇか。世界を救うのは聖人だろ?」
苦悶の表情を浮かべながらもネッツは立ち上がる。
倒れる訳にはいかないから、身体が悲鳴をあげようともグリモワールの力を極限にまで引き出すことでさらなる力を得ようとする。
その果てに待つのが『破滅』だとしても――。
「聖人でなくても救うことはできる。何を思われてもいい、俺は俺が成すべきことを成すだけだ――ッ!」
航大の身体を包む黒炎の勢いがより強いものへと変わる。
身体から放出される魔力は際限なく高まり続け、女神と闇の魔力が持つ力が融合を続けていく。
「結局、やることは一緒ってことだ。お前は腹を括ったんだな、この腐りきった世界を救うためならば、多少の犠牲が出てもしょうがないと……以前のお前ならば、全てを守ろうとしてただろうがよ」
「そうだ。俺はお前たちも救おうと、どんなに凄惨なことをしたとしても、どこかで救おうとしていた。だけど、それは無理なんだよ……お前たちの野望を阻止するためには……」
「……救えねぇな。結局のところ、世界にとって邪魔ならばそれを排除する。やっぱり、お前がやってることは矛盾してるよ」
「言っただろ? 俺は聖人にならなくてもいい。英雄にもなれなくていい。お前たちの憎しみを受けるのは、俺だけで十分だ」
「…………」
「…………」
言葉を交わす。
しかしそれは決定的過ぎる決別を生むだけだった。
全てを救いたいと願った青年は、理想と現実の狭間で揺れ動き続けた。藻掻き苦しみ、抗い続けた青年はなんとか平和を勝ち取ろうとした。世界を混沌に陥れようと動く帝国へ足を踏み入れたときに、航大は苦しみながらも平和を願う人々を見てきた。
助けたい。
救ってあげたい。
だけど現実はどこまでも非情で、神谷航大という青年はあまりにも無力だった。
全てを救うなんてことは到底不可能だったのだ。困難な理想にぶつかり、航大は悩んだ。大切な人も失い、自らが成そうとしていることすら見失いかけた。数多の戦いを経て青年は成長し、内なる負の感情すらも受け入れた。
「風を切れ、突風を巻き起こせ、風を貫き突き進む――瞬獄装衣ッ!」
ゆっくりと一歩を踏み出し、航大は風の武装魔法を身に纏う。
炎獄と風神。
二人の女神が持つ力を同時に使役する。
更にそこへ加わるのは航大自身が持つ闇の魔力だ。
「――――」
身体への負担は想像以上。
同時に三つの力を運用することなど、普通の人間には不可能。相当な実力を持った騎士や魔法使いでも瞬時に己の魔力を使い果たし長時間の運用などはできないだろう。
「決めようぜ、ネッツ……お前と俺の戦いを終わらせるために」
「上等だ。俺は負けねぇ、絶対に……何があっても――ッ!」
次々に新たな力を見せつける航大に対して、ネッツもまたグリモワールからさらなる力を引き出す。自分とサタンの融合を極限にまで高め、地獄の堕天使が持つ力を己の手中に収めようとする。
「来い、魔剣ッ!」
全身から魔力を放出させながらネッツは両手に大剣を握りしめる。さっきまで一本だった剣が二本へ増え、対峙する航大の肌が粟立つほどの魔力が迸る。
「黒き炎よ、我に破滅不動の力を授けよ――黒炎終極ッ!」
航大が静かに紡いだ詠唱の後、彼の身体を包む黒炎の勢いが一気に増す。静かでいて、しかし炎はこれまでにない勢いで苛烈さを極めていく。黒き炎が航大の右腕に集中し、具現化した果てに武装を完了する。
「――――ッ!」
航大とネッツが飛び出したのは全く同じタイミングであった。
地面を蹴り、互いが持てる全力を出した一撃。
「おらおらぁぁーーーーッ!」
怒号が響き、ネッツは力任せでありながらも確実に航大の急所を狙って大剣を振るっていく。自らの体躯以上はある剣ですらも、今のネッツならば棒きれのように軽々しく扱うことができる。
「今なら見える……まだまだぁッ!」
対する航大もまた影の王と女神の力を融合させたことにより、飛躍的に戦闘力を向上させることに成功していた。自らの思うがままに身体が動き、極限にまで高められた視力はネッツが振るう大剣の軌道をしっかりと捉えている。
黒炎を纏う右腕は大剣の刀身に触れても切れることはない。
帝国騎士が放つ凶刃に対応し、航大は一瞬の隙を見つけては反撃へと転じる。
「右腕一本でどうにかなると思ってんのかッ!?」
「どうにかするんだよ……ッ!」
「――――ッ!?」
完全に武装しているのは右腕だが、『武・業火炎舞』によって航大の全身は炎に包まれている。更に動体視力は高められておりネッツが放つ凶刃は見ている。がら空きとなったっ左腕に見えるが、航大はその視力を生かしてネッツが振るう大剣を拳で弾き飛ばす。
「ちッ!」
「そこだッ!」
思い切り大剣を弾き飛ばし、その瞬間にネッツの体勢が明らかにブレる。それは常人ならば決して気付くことのない一瞬の隙。しかし、今の航大ならばその隙すらも見逃すことはない。
「――――ッ!?」
ネッツが反応できない超速で航大は右腕を振りぬく。
ほんの僅かに反応が遅れたネッツは咄嗟にそれを大剣で防ごうとするが、その行動はこの状況において悪手であると言わざるを得ない。
「これで一本ッ!」
「てめぇ、俺が剣でガードすることまで推測してたってのか……ッ!」
航大が振るった拳はネッツの身体を狙ったものではなかった。咄嗟の事態に対して、ネッツは両手に持つ大剣で身を守ろうとするだろうという予測の元、相手から武器を奪うための攻撃であった。
事実、航大が推測した通りにネッツは剣で身体を守ろうとし、その結果に航大が振るった拳によって大剣はネッツの手元から弾かれるようにして虚空を舞うこととなった。
「消し飛べぇッ!」
相手が体勢を立て直す前に航大は追撃を仕掛ける。
「縫い付け止まれ、貫くはその身ではなく影――影縫闇槍ッ!」
航大が攻勢に出ようとした瞬間だった。
グリモワールを一際強く輝かせるネッツが詠唱する。
「――――ッ!?」
何かを仕掛けてくる。
そう警戒する航大は即座に後退し、ネッツから距離を取る。
「少しでも希望があると思ったか? この勝負に勝ったとでも思ったか?」
帝国ガリアの騎士、ネッツの顔が歪む。
「この痺れる戦いをもっと楽しもうぜ?」
その声音と共に航大の背後で地面に突き刺さっていた大剣が突如として甲高い音と共に弾け、粉々になった剣の破片全てが漆黒の槍となって航大を襲う。
「――――」
眼前に立つネッツが何かをしてくるとばかり思っていた航大は、背後で起こった異変に対処することができない。迫る漆黒の槍。それが航大を貫こうとするのであった。
要塞国家・マルーダを舞台にした戦いは激化の一途を辿りながら終焉へと突き進む。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします




