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第七章29 大蛇と金色の狂者XⅤ

 要塞国家・マルーダ。


 古から難攻不落と呼ばれた国家は今、世界を混沌へと突き落とそうとする帝国ガリアの襲撃を受けていた。マルーダは戦争を想定した準備をしっかりと施しており、並大抵の攻撃であるならば全てを無力化することは造作もない。


 要塞国家であり、難攻不落とも呼ばれた国家は、帝国ガリアが投入する最高戦力の前にあっさりとその盾を瓦解させてしまったのだ。


 帝国ガリアの騎士。


 異界から魔獣を召喚し、それを自在に使役する『怠惰のグリモワール』を所有する、アワリティア・ネッツ。乱雑に伸ばした金髪と、その奥で輝く紅蓮の瞳が印象的な青年は、己が持つ力をいかんなく発揮することによって、要塞国家・マルーダを、そして航大たちをどん底へと突き落とそうとする。


「終わったと思ったか?」


 ネッツとの戦いは苛烈を極めた。


 異界の大悪魔・サタンと召喚し、それを自らの身に纏うことでネッツは強大な力を手にした。身体を悪魔に変化させ、ネッツが放つ力を前に航大は苦戦を強いられることになる。


 防戦一方に見えた戦いだったが、炎獣・イフリートとの戦いを終えて合流した炎獄の女神・アスカの力を借りることで戦況を一変させることに成功した。


 炎神。


 氷神、風神に次ぐ新たなる女神との融合。

 猛る業炎を身に纏い、圧倒的な攻撃力を持ってネッツを追い詰める航大。


 要塞国家・マルーダを舞台にした戦いは確かに、そして確実に終焉へと突き進もうとしていた。


『主よ、ここまでは上出来だ。我々の力を持ってすれば、如何なる悪をも打ち砕くことができるだろうッ!』


「あぁ、この力なら勝てる。もっと力を貸してくれ、アスカッ!」


『あくまで貪欲に力を求めるか、主よ。自らの目的を果たすため、貪欲に力を求める様……我は嫌いではないぞ』


「そうかよ。俺たちはこんな所で止まる訳にはいかないんだ」


 航大の脳内で響く声音。

 炎獄の女神・アスカが発する言葉は、航大の心を際限なく昂ぶらせていく。

 拳を握り、全身へ力を滾らせればそれに呼応して業炎が姿を現す。


「どうしてお前たちは諦めない?」


 航大とアスカが見る先、そこには悪魔の身体を持った帝国騎士・ネッツの姿がある。炎神による攻撃によって明確なダメージを受けていることは間違いなく、しかしそれでもネッツはまださらなる進化を見せようとしていた。


「抗っても無駄だ。世界は俺たちの手によって崩壊する。そして新たな世界が生まれるんだよ」


 俯き、小さな声音で呟く言葉は呪詛のようなものであり、その身に纏う闇の魔力は刻一刻と濃度を増していく。


『むっ……あの者の魔力が急速に強まっている……』


「おいおい、マジかよ……まだ強くなるのか……?」


『状況を考えればそうだろうな。帝国ガリアの騎士、これほどまでに危険な存在であるとは……』


「こっちも黙って見てるだけじゃねぇ。いくぞ、アスカッ!」


『……もちろんだッ!』


 ネッツは未だ動きを見せない。

 先手必勝とばかりに航大たちは地面を蹴る。


「業火よ猛れ、業炎よ我を包め、手にするは破壊の炎神――武・業火炎舞ッ!」


 航大が身に纏うは炎の武装魔法。

 全身に業炎を纏い、背中には輝く炎の翼が生える。


『己の力を信じろッ! 我々の力は必ずや悪を討ち滅ぼせるだろうッ!』


 業炎を纏いし青年は飛ぶ。愚直なまでに一直線、炎の軌跡を残しながら航大とアスカは沈黙するネッツへと武を振るう。


「……時間がねぇ。すぐにでも終わらせる」


 航大が振るう炎拳がネッツの身体を貫こうとした瞬間、鼓膜を震わせたのは呪詛にも似た怨嗟の言葉であった。



「退くぞッ!」『緊急回避ッ!』



 次の瞬間、航大とアスカの声音がシンクロする。


 帝国騎士・ネッツを中心として今までに感じたことのない魔力の放出を察知した。それは魔力を持たない航大でも一瞬にして『危険』であると判断できるものであり、気付けば身体が勝手に直進することをやめていた。


 命の危機がすぐそこにまで迫っている。

 このまま突き進めば、終わりのない闇へと飲み込まれていたに違いない。


「なりふり構ってはいらねぇんだ。終わらせるぞ……サタンッ、てめぇの力……全て俺に渡せッ」


 全身から禍々しき闇の魔力を放出し、ネッツは自らが召喚した大悪魔・サタンの力を極限にまで引き出そうとしている。その行いが最終的にどんな結末をもたらすのか、それを知っていながらもネッツは今、目の前にある戦いに勝利することだけを渇望している。


「サタン、てめぇの力はこんなもんじゃねぇだろ? この戦いが終わったら、俺の身体なんてくれてやる。だから今、この瞬間だけ力を……貸せッ!」


 虚空に浮かぶ『怠惰のグリモワール』が眩い輝きを放ち、放出された光がネッツの身体を包み込む。


「ぐううぅッ!?」


 その直後、ネッツが苦しみだす。


 グリモワールから溢れ出す魔力すらも吸収して、帝国騎士・ネッツは完全なる異形の存在へと変化する。


「なんだよ、あれ……」


『自ら悪魔に成り下がるというのか……』


 姿を変えるネッツを目の当たりにして、航大とアスカもただ呆然と立ち尽くすのみ。ビリビリと肌を突き刺す濃厚な魔力は、航大たちにこれ以上ない危険を知らせるものである。


 明らかに今までのネッツとは違う。


 それは体内から溢れる魔力だけではない、かろうじて人間としての姿を保っていた容姿すらも大きく変わっていた。


 両手、両足の先端を黒く筋肉が隆起したものへと変え、背中に生える黒翼は更に巨大化している。そして、露出された肌は青白く変色し、ネッツの頭部には悪魔の角がこれでもかと存在を主張している。


「……あれに対抗できる力はあるか?」


『ないこともない。しかし、あれほどの力を持った者と対峙するのは、魔竜と戦ったとき以来であることは間違いないな』


「それって世界をうんぬんってときの奴じゃないかよ……」


『今、あの者が持つ力……それは全盛期の魔竜に匹敵する。そういうことだな』


「倒せるのかよ、それ……」


『倒せるのか、それは問題ではない。我々は倒さなくてはならない。それだけは絶対に揺るがない真実である』


「でも、アスカ……さっきのアレは……気のせいじゃないよな?」


『……全身に感じた恐怖心。まさか、我があの者に恐怖を感じているとでもいうのか?』


「…………」


 武装魔法を纏い、一撃粉砕の覚悟で突進した際に航大とアスカは確かに感じていた。真なる悪魔へと姿を変えたネッツが放つ殺気を前にして、全身が粟立ち咄嗟に身体が後退していたのだ。


「どうした、逃げるのか?」


 静かでいて確かな殺気を纏った言葉。ネッツはただ棒立ちを繰り返しているばかりで、今にも飛びかかってくるような様子は見せない。それであるのに、どうしても一歩を踏み出すことができないのだ。


「気圧されているってか……?」


『主よ、決して気持ちで負けてはならない。今も身体が思うように動かないのは、あの者に対して恐怖を感じているからに過ぎない』


「俺が恐怖を感じてるって言うのか……?」


『その通りだ。飛び込めば殺られる。そんな考えが脳裏から消えない限り、決して戦うことなどはできない』


「…………」


 咄嗟に返答が浮かんでこない。

 自分がネッツに対して恐怖を感じていたのは事実であるから。


「ふぅ……そうだな。恐怖心なんてもの、この先の戦いでは邪魔になるだけだ。俺は一人じゃない、みんなの力を、みんなの分まで背負ってるんだ」


 迷いを消す。

 討つべき敵は目の前にいる。


「よし……アスカ、もう大丈夫だ」


『迷いは消えたか?』


「今はやるべきことだけを考える。いくぞ、アスカッ!」


『御衣ッ!』


 再び気合を入れ直し、航大は炎の翼を羽ばたかせて帝国騎士を目指して飛翔する。


「空気を焦がし、大地を燃やし、立ち塞がる全てを灰燼と化せ――絶・炎獄拳ッ!」


 紅蓮の炎を拳に纏い、大悪魔へと武を振るう。


「今までと同じ形でやられると思ったか?」


「――――ッ!」


『主、気を乱すなッ!』


 ネッツの視線が航大を突き刺す。


 その瞬間、航大の全身を禍々しき魔力が取り囲み、無意識のうちに身体が震えるが、それでも突き進む動きを止めはしない。アスカが持つ力を最大限に引き出し、航大は強大な一撃を邪悪なる帝国騎士へと叩き込む。


「――――ッ!」


「ぬるいな」


 刹那の静寂が支配した後、マルーダの城下町にこの日一番の衝撃が駆け巡っていく。形ある全てのものを吹き飛ばし、航大とネッツを中心に巨大なクレーターを形成することで、炎拳が持つ力の大きさを周囲に知らしめる。


「んなッ!?」


「この程度で今の俺を倒せるとでも思ったか?」


『主ッ、一撃離脱ッ! すぐに離れろ――』


「――――」


 そこからの光景は酷くスローモーションに見えた。


 航大が振るう炎の拳は右手を突き出すネッツに容易く受け止められてしまった。そこから力を振り絞ったところで、一ミリたりとも前へ進むことができない。アスカの声音が脳内に響き、航大自身も脳が危険信号を発して離脱を図ろうとするのだが、そんなことを帝国騎士・ネッツが許すはずもなかった。



「闇に飲まれ苦しみ、足掻け」



 耳元でネッツの声音が鼓膜を震わせる。

 その直後、突き出していた航大の右手がネッツの悪魔の腕によって握りつぶされた。


「――――ッ!?」


 まるで豆腐を握り潰すかのような、紅く熟したトマトを潰したときのような、業炎を纏った航大の右手はいとも容易く悪魔によって破壊させられる。


 炎に混じって鮮血の飛沫が視界に飛び込んでくる。


 現実を把握することすらできず、航大は右腕を駆け巡る痛みによって強制的に現実を認識させられることとなる。


 眼の前の光景を信じることができず、航大は声にならない咆哮を上げていた。


『主ッ、冷静になれッ!』


「くそがああああぁぁぁーーーーーッ!」


 右手を潰された。

 しかしまだ、航大には左手が残されている。


 零距離まで接近している今ならば、航大はまだ追撃を行うことができる。衝撃的な光景と想像を絶する痛みに気を失いそうになりながらも、航大は最後まで抗うことをやめない。


「力の差を認めることができず、最後まで無様に抗うってか……」


 突きつけられた力量差を痛感しながらも抗う航大を見て、ネッツは努めて冷静に言葉を放ち、そして迫る拳を回避する素振りすらみせずに、眼前で抗う青年に致命的な一撃を見舞うのであった。


「――――」


 航大の拳はネッツに届くことすらなかった。


 それよりも早く、それよりも先に航大の身体を闇の光が貫いていた。ネッツの足元から突如として姿を見せた無数の光は航大の身体を余す所なく貫いていく。決定的なまでに致命的な一撃。航大の口からは逆流した鮮血が溢れ出す。


「これで終わりか?」


 呆れるような、どこかさみしげでもあるネッツの声音。

 圧倒する負の力を前にして、異界からやってきた青年は力なく頭を垂れる。


 抗おうにも力が出ない。自らの身体に突き刺さる闇が魔力を吸い、そのまま命すらも食い散らかそうとしているのだ。


『――――』


 脳内で誰かの声がする。


 どこか聞き慣れた声であり、しかしそれに呼応する力すら今の航大には残されてはいない。視界が闇に染まり、自分の身体が闇に侵食されていくのを感じる。


 最早、抗う術はないのだ。

 世界を守るため、世界を混沌へ陥れようとする帝国ガリアの最高戦力。

 その騎士との戦いは悲しいまでに残酷に、逃れようのない現実を航大に突きつけるのであった。

桜葉です。

次回もよろしくお願いいたします

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