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第七章25 大蛇と金色の狂者Ⅺ

 要塞国家・マルーダは異様な光景に包まれていた。


 かつて世界を混沌へと誘おうとした魔竜たちの復活を目論む帝国・ガリア。世界の転覆を狙う帝国ガリアが活発に行動を開始した結果、要塞国家・マルーダは壊滅的な被害を受けていた。


 異界の魔獣を召喚し、それを使役する権能を持つ『怠惰のグリモワール』。それを所有するのは帝国ガリアの騎士であるアワリティア・ネッツであり、グリモワールの力を用いることでで、ネッツは着実に、そして確実に航大たち一行を絶望へと突き落とす。


 マルーダの城下町で繰り広げられる帝国騎士との戦いは分断されている。


 暴風の女神・カガリと航大は帝国騎士・ネッツと、氷獄の女神・シュナとリエルの二人はネッツが召喚した異界の魔獣・アペプとそれぞれ死闘を繰り広げている。


「天地よ凍てつけ、業氷の前に立つ魔はなし――偉大なる破魔の氷槍ッ!」


 城下町に響くのは激闘に終止符を打つ詠唱。


 氷獄の女神・シュナと一体化を果たした賢者・リエルは、その身に甚大なダメージを負いながらも攻撃を繰り出す。瑠璃色の髪を揺らす少女・リエル。そんな少女の身体は鮮血で濡れていた。


 異界から召喚されし魔獣・アペプ。


 見上げるほどの巨体を誇る大蛇は、遥か昔に太陽神として信仰を集めた時もあった。しかし、真なる太陽神・ラーの登場によりアペプは神としての地位も信仰も奪われることとなった。その結果、大蛇・アペプは憎しみを募らせ、闇と混沌を象徴する存在へと変化を遂げた。


 大蛇・アペプと死闘を演じるリエルは、一瞬の隙を突かれることで全身に重傷を負ってしまった。リエルの小柄な身体を貫くはアペプが召喚した無数の蛇たち。炎を纏う蛇たちはリエルの身体を内外から焼き尽くし、勝負を決定づけたかのように思えた。


 しかし、瑠璃色の髪を揺らす少女は戦いを諦めてはいなかった。


 女神をその身に宿すことでありったけの魔力を手にし、リエルは満身創痍な状態でありつつも強大な一撃を見舞う。


「コレガ、貴様タチ人間のチカラナノカ……」


 大蛇・アペプの頭上には無数の氷槍が浮遊している。一つ一つが超巨大な氷槍が空を支配し、その切っ先を大蛇へと向けている。明らかに危険であることに間違いはなく、アペプも自分を狙う氷槍の存在を把握はしている。だが、彼もまた激闘の果てに大きなダメージを負っており、切っ先を向ける氷槍から逃れる術はない。


「一つ、言い忘れていたことがあっての」


 アペプの動きが封じられているのは、その胴体に受けた致命的な一撃だけが理由ではない。城下町を覆う氷の結界、その内部でのみ存在を許された氷の悪魔がアペプの身体を氷剣で地面に縫い付けているためでもある。


 空を覆い尽くす無数の氷槍。

 大蛇と同じ背丈を誇る氷の悪魔。


 賢者・リエルが持ち得る最強で最高の手段を用いて、今、この激闘に終止符が打たれようとしているのだ。


「儂は蛇というのが何よりも嫌いなんじゃ――」


 僅かに笑みを浮かべ、リエルは最後の言葉を投げかける。虚空へ差し出す右腕を振り下ろすと、その動きに連動して空を覆い尽くす氷槍たちが一斉に落下を始める。


「――――」


 刹那の静寂が支配するマルーダの城下町を切り裂くのは、異界の魔獣が上げる咆哮であった。力なき咆哮は氷槍による破壊の音に掻き消され、絶命の旋律を奏でていく。


「ふぅ……これで終わり、かの……」


『綺麗な氷山じゃない。ミノルアを思い出すね』


 旋律が終わると、マルーダの城下町には見上げるほどの氷山が姿を現す。


 氷槍が胴体に突き刺さり、大蛇の身体を中心として剣山を形成することで遠目から見れば一つの氷山が突如として姿を現した格好となる。冷気を放ち、汚れのない薄青の氷が見せる氷山は見る者の目を奪うほどに美しい。


『消えていく……』


「あやつも分からぬままに召喚されただけの存在。役目を終えて元いた場所へ戻るといったところか」


『……アスカに任せてきた炎の魔獣も、この蛇も、ずっと永い時を生きているのに見たこともない魔獣たちだった。それを召喚して、自由に操るなんて帝国騎士っていうのは、一体どれほどの力を持っているの』


「帝国騎士が持つ力は絶大じゃ。だからこそ、早く主様を助けにいかなくては……」


『リエルッ!?』


 完全に活動を停止した大蛇・アペプを見届け、航大の元へ駆けつけようとするリエルだったが、その身体が突如として力なく倒れ伏してしまう。


「はぁ、はぁ……くッ……身体が……」


『さっきの戦いであんな無茶をして、すぐに次へ行こうなんて無理に決まってるでしょッ!』


 リエルの脳内で女神・シュナが珍しく感情を露わにする。


 氷魔法でも最上級の魔法を連発し、更にアペプとの戦いで全身に重傷を負ったリエルの身体はとうに限界を迎えているのだ。女神・シュナとシンクロを果たしているからこそ、魔力が枯渇する心配はないが、それでも普通の人間ならば命を落としても仕方がない状況であることは間違いない。


 そんな状態で次の戦いに赴こうなど、無謀もいいところである。


「儂が行かなければ……主様を見捨てる訳にはいかぬ……」


『それでも――ッ!?』


「この感じは……ッ!?」


 リエルとシュナが押し問答をしている中、二人がほぼ同時に目を見開いて動きを止める。要塞国家・マルーダを漂っていた大きな魔力の反応が消失したことが原因であり、それは時を同じくして一つの戦いが終焉を迎えたことを意味しているからだ。


『リエル、この感じ……どっちか分かる……?』


「なんとか魔力を察知しようとしているが……まだ分からぬ……」


 今、マルーダの地には様々な魔力が滞留している。それは激しい戦いが幾つも繰り広げられた証であり、だからこそリエルたちも誰の魔力が消失したのかを完全に判断することができない。


 この地で戦っているのは、航大と帝国騎士・ネッツの二人と、炎獄の女神・アスカと炎獣・イフリートの二組である。どちらの戦いが終焉を迎えたのか、その答えが出ようとしている。


「これは……」


『アスカの反応が消えた……?』


 しばしの時間が経過し、リエルとシュナの二人が同時に消失した魔力の所有者を特定する。結果、マルーダの地から消えた魔力反応は炎獄の女神・アスカのものであることが確定した。


 世界の均衡を保つ女神の反応が消えた。

 それは少なくない衝撃をリエルとシュナの二人に与えた。


『そんな……あのアスカが……まさか負けるなんて……』


「敵の反応も消えておる……一方的に負けただけではないようじゃ……」


『…………』


 同じ女神であるからこそ、同士討ちであったとしてもシュナはアスカが倒れるなんてことは想像もしていなかった。女神はその肉体を失ったとしても完全に死することはない。精神体となりシュナやカガリと同じ存在へと変化する。


「姉様、大丈夫か?」


『……うん。大丈夫だよ。どんな事態になっても、私たちが果たすべき目的は変わらないから』


「……そうじゃな」


 航大が倒れるという最悪の事態は回避され、リエルは僅かに安堵する。そしていよいよ身体に限界が来たのか、ガクッと片膝をついてその場に蹲ってしまう。


『リエルッ!? やっぱりもう限界が……』


「姉様……」


『なに、どうしたの?』


「さっきお願いしたこと、覚えておるかの?」


『お願い……』


「儂がもしダメなら、姉様に主様を任せたいと」


『それって……』


「情けないが、もう意識を保っていることすら難しい……姉様、頼む……主様を助けてやって欲しい」


『助けるって……私だって身体はないんだよ?』


「ボロボロだが儂の身体を使ってくれればいい」


『でも、それは……』


「儂はどうなってもいい。とにかく、主様を救って欲しい……」


『…………』


「頼む。姉様……」


『はぁ……案外、強情なところは姉妹で似ちゃったね。分かったよ、リエル。後のことは私に任せて』


「ありがとう、姉様……」


『御礼なんていいから。次、リエルが目を覚ましたら死んじゃってるかもしれないよ?』


「ふっ、それでも目的が果たせたなら良しとする」


『分かったよ。それじゃ、おやすみ……リエル……』


「……うむ」


 その言葉を最後にリエルの瞼がゆっくりと閉じられていく。

 そしてしばしの静寂が流れた後、規則正しい寝息が聞こえ始めてくる。


「…………んっ」


 寝息が聞こえたのも僅か、すぐにリエルの目が開かれると、むくりと上半身を起こす。そしてキョロキョロと挙動不審な様子で自らの身体をチェックすると、リエルはゆっくりとした動きで立ち上がる。


「イタタ……リエルってば、全然無理してるじゃない……身体中が痛すぎて涙目になりそう……」


 先程までのリエルとは打って変わり、表情をコロコロと変えて状況の把握に努めているのは氷獄の女神・シュナである。身体はリエルであるが、今、小柄な身体を支配しているのは女神である。


「さて、ちょっとだけ身体を治癒したら行きますか……」


 久しぶりに身体というものを手にしたシュナはそんな言葉と共に治癒魔法の準備をする。その瞳を向ける先、そこには瓦礫が散乱したマルーダの城下町が広がっている。


「航大さん、あとちょっとだけ待っていてください……」


 呟かれた言葉は誰の鼓膜も震わせることなく、静寂を取り戻した街へと消えていく。

 要塞国家・マルーダを舞台にした戦いは再び場面を変えて時を刻もうとしているのであった。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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