第七章23 大蛇と金色の狂者Ⅸ
要塞国家・マルーダ。
国家の周辺に広がる城下町。そこに激震が走る。
帝国騎士の襲撃によって瓦礫が散乱する城下町に、突如として轟音と共に巨大な穴が出現する。大地が崩壊していく音に混じって木霊するのは、空気を振動させる魔獣の咆哮である。
「ふぅ、なんとか外に出れたな」
『まぁ、魔獣も一緒にだけどね』
大穴から飛び出してくる小さな人影があった。瑠璃色の髪を揺らす少女・リエルは、その身に氷獄の女神・シュナの力を宿し、未だ穴の中に身を隠す魔獣との激闘に身を投じていた。
「――――ッ!」
リエルから遅れること僅か、穴から飛び出してくるのは巨大な体躯を誇る大蛇だった。
帝国騎士・ネッツが所有する『怠惰のグリモワール』によって召喚された大蛇・アペプ。
闇と混沌の象徴たるアペプはその目に明確な怒りと殺意を携え、先に飛び出して行ったリエルを視界に捉える。大蛇を形成する全身に業炎を纏い、太陽神としての側面を持つ魔獣たる所以を存分に発揮している。
アペプが放つ威圧感は周囲へと多大なる影響を与えており、城下町に放たれた小型の魔獣たちは恐怖のあまり次々に姿を消していく。
これまでの戦いは序章だと言わんばかりに禍々しき魔力を放出するアペプは、再びの咆哮を上げると口を大きく開く。
『すごいの来るよ、リエルッ!』
「分かっておるッ!」
「――――ッ!」
開かれた口の奥、そこから膨大な魔力の反応が発生する。
次の瞬間、咆哮と共に炎の一閃が放たれる。
「女神の加護を受けし氷壁よ、今ここにあらゆる攻撃を防ぐ盾となれ――絶対氷鏡ッ!」
瞬きの瞬間に接近する一閃に対して、リエルが選択したのは守護魔法を展開することだった。自らの前方にいくつもの氷壁を召喚することで、アペプの攻撃を防ごうという考えだ。
「ぐううぅッ!?」
『なにこの力……ッ!?』
無数に立ち並ぶ氷壁と炎の一閃が衝突する。
衝撃波が広がり、あっけなく一枚目の氷壁が崩壊する。
「これほどの一撃とは……」
業炎を纏う一閃が一歩、また一歩とリエルへと接近を果たそうとしている。
甲高い音が響き、その度に氷壁が崩壊していく。太陽の光を浴びて輝く氷片が周辺へと散らばっていく。魔力を注ぎ氷壁の強度をあげようとも、細く、膨大な魔力を内包するアペプの一閃を完全に防ぐまでには至らない。
時間の経過と共に劣勢にならざるを得ない状況に、リエルとシュナが浮かべる表情にも不穏な色が見え隠れするようになる。額には汗が浮かび、溢れるように消費していく魔力に焦りが表面化する。
『状況を見誤らないで……ッ!』
「それも承知しているが……ッ!」
幾度となく氷壁が瓦解する音が響く。
気付けば無数に存在していた氷壁も僅か数枚というところまで減少しており、このままではもう間もなく炎の一閃がリエルの身体を直撃する。
「固く、凍てつく、氷の拳、破壊の一撃を見せよッ――氷拳剛打ッ!」
氷壁を展開したまま、リエルは次なる行動へと移っていく。
唱えるは両腕に分厚い氷を纏う武装魔法。
リエルは瞬時の判断で氷を武装すると、砕かれる氷壁の奥から飛び込んでくる炎に対して拳を思い切り叩きつける。
「ぐぅッ、負けぬッ!」
繰り出す右拳に炎の一閃が衝突し、その衝撃で一閃はその先端を四方八方へと分散させる。
『危ないッ、はやく離脱をッ!』
「うああぁーーーーッ!」
リエルの悲鳴が木霊し、小さな彼女の身体が衝撃によって吹き飛ばされていく。
噴煙を上げて地面へと衝突するリエルと、そんな彼女の背後に広がるマルーダの城下町が分散した炎の一閃によって壊滅的な被害を受けている。到る所で炎柱が上がり、静寂に包まれた街が瞬時に灰燼へと化している。
「はぁ、はあぁ……くッ……さすがに無傷、という訳にはいかないか……」
『ちょっとリエルッ、大丈夫ッ!?』
「……大丈夫というには無理があるが、まだ戦える」
『さすがにちょっと厳しいね……そう簡単には勝たせてくれない』
「それでも勝たなければならん……必ずな……」
むくりと身体を起こし、消えつつある噴煙の先に存在する大蛇を視界で捉える。
土埃で化粧はしているものの、大きな外傷は見えないリエルだが、そんな彼女の右手からはぽたぽたと鮮血が零れている。氷の武装魔法で炎の一閃を防いだ代償であり、リエルが纏った武装もアペプの一撃によって瞬時に瓦解している。
「我ノ一撃ヲ防イダカ」
「…………」
『あの魔獣、喋れるんだ……』
自らが放った一撃を受けても尚、立ち上がるリエルを見てアペプが称賛の言葉を投げかける。片言な言葉ではあるが、その意味はしっかりと伝わっている。
「ソノチカラ、称賛に値スル。シカシ、我ヲ倒ニハ至ラナイ」
「それはどうかの。こちらには女神の力がある。貴様如き魔獣に負ける気はせん」
「ソレナラバ見セテミロ。貴様ラ人間ガ持ツチカラヲ――ッ!」
アペプが咆哮を上げる。
再び大蛇を中心に膨大な魔力が集中するのを感じ、リエルも身構える。
「そう何度も自由にやらせると思うなッ!」
集まる魔力を感じながらも、リエルだってその場で待ち続けている訳ではない。
「天地よ凍てつけ、業氷の前に立つ魔はなし――偉大なる破魔の氷槍ッ!」
女神をその身に宿している利点を活かし、大蛇よりも早く魔力の充填を終えたリエルは必殺の一撃を見舞う。明確なダメージを追わせ、更に距離が開いていることから大蛇が油断していると判断したリエルは、自らがいち早く攻撃を仕掛けることで大蛇の隙を的確に狙う。
アペプの頭上に超巨大な氷槍が無数に出現する。
リエルが放つは氷魔法でも最上級の破壊力を持つ必殺の一撃である。
『すごいリエルッ、こんな魔法まで使えるようになってるなんてッ!』
自らと一体化している女神・シュナもまた妹の成長に驚きと喜びを同時に感じており、妹がより強い一撃を放てるように魔力の供給を助ける。
「……堕ちろ、破魔の槍ッ!」
大蛇・アペプが行動するよりも早く、リエルが一撃を見舞おうとする。
『リエルッ、後ろッ――』
「んなッ!?」
異変に気付いた氷獄の女神・シュナの声音が響く。それにリエルが反応を見せるも、しかし状況は好転する訳ではなく、むしろ最悪の一途を辿ろうとしていた。
「油断シタノハドチラカ、ソレガ分カッタハズダ」
「ごふッ……かはッ……」
破魔の槍へ指示を出そうとした姿勢のまま、リエルの身体が硬直している。そして口からは鮮血が零れている。
「ソノ攻撃ハ読ンデイナカッタカ?」
「…………」
「コノ戦イニ絶対ノ安息ハナイ。ソレヲ忘レタノナラバ、待ッテイルノハ敗北ダ」
「…………」
大蛇・アペプの声音が響く。
それは一瞬でも気を抜いたリエルへの忠告である。異界から召喚された魔獣が持つ力を、リエルは少なからず見くびっていたのだ。相手が攻撃を準備している様子をチャンスと捉え、自分も強大な攻撃を準備する。双方に隙が生まれているのは間違いなく、アペプはリエルが隙を見せるのは待っていたのだ。
リエルが一撃を叩き込もうとした瞬間、突如として地面から無数の蛇が姿を現した。地面を突き破らんばかりの勢いで飛び出した無数の蛇たちは、棒立ちとなり無防備な状態を晒しているリエルへと背後から襲いかかった。
「なるほど……まさか、こんな手を持っていたとは……」
無数の蛇はそれぞれが身体を鋭利に尖らせてリエルの身体を貫いた。
「油断。ソレガコノ戦イニ終末ヲモタラシタ。サァ、地獄ノ業火ニ焼カレルトイイ」
「ぐあああぁぁーーーーーーーーーーーッ!」
リエルの身体を貫いた蛇たちが次々に燃え盛る。小さな身体を外から内から焼き尽くそうとするアペプの無慈悲なる攻撃を受け、リエルはその目を大きく見開いて絶叫する。
静寂が支配するマルーダの城下町。
異界の魔獣との戦いは少女を絶望へと突き落とすのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします




