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第二章19 怠惰のグリモワール

第二章19 怠惰のグリモワール


「――ッ!」


 帝国ガリアの騎士服に身を纏うのは、乱雑に伸びた金髪と、その奥に燃える紅蓮の瞳が印象的な青年だった。


 青年は卑しく唇を歪ませると、その手に持ったグリモワールの白紙のページに文字を刻み、それは航大が異世界に英霊を召喚する時と同じように、元世界の魔獣をこの異世界に召喚してみせた。


 自分と同じ力を持つ存在というのにも驚くのだが、航大にとってより衝撃的だったのは、その本から召喚された魔獣たちだった。


「――ッ!」


 その魔獣は、航大の記憶や知識が間違っていないのなら『ケルベロス』と呼ばれる、三つ首の魔獣だった。冥王ハーデスの忠実なる下僕であり、冥界を守護する番犬として有名である。三つ首はそれぞれが獰猛な犬の形をしており、その口からは鋭く伸びた牙が垣間見えている。


「……まさか、お前が街を?」


「んん? 誰だお前?」


「答えろッ! ミノルアに魔獣を放ち、ヒュドラを召喚したのは……お前なのかッ!」


「…………」


 青年はグリモワールから魔獣を召喚した。

 異世界へとやってきた魔獣は、航大が住まう世界において神話に登場する有名な魔獣だ。


 元世界から魔獣を異世界に召喚する……もし彼がそんな力を持っていると言うのなら、それはミノルアでの防衛戦において猛威を奮ったヒュドラも彼が関係しているのではないか?


「あー、ヒュドラってのが俺には分かんねぇんだけど、あの蛇みたいな奴のことか?」


「やっぱり、そうなのか……」


「そうかそうか。アイツを倒したのって、もしかしてお前? いや、そんな訳ないか。どう見ても弱そうだしな……お前じゃないなら、あそこで寝てるアホ?」


 キョロキョロと視線を彷徨わせ、青年は自らが召喚した魔獣を倒した人物を探そうとする。しかし、その人物がここに居ないことを航大は知っている。ライガも厳密に言えばヒュドラとの戦いに居合わせたが、その功績はあの戦いにおいて、他の二人に比べれば小さなものだ。


「まぁ、どうでもいいか。あの蛇、結構強いと思ったんだけどな、人間に負けるようじゃ、まだまだ弱かった……って、ことだ」


「……その魔獣が、どれだけの人を苦しめているのか、分かってるのかッ!」


「……はぁ?」


「アイツ自信も苦しんでた。それ以上に、たくさんの人があの魔獣によって命を落とし、今も苦しんでるんだぞッ!」


 それは航大の魂からの咆哮だった。

 あの壮絶な戦いを間近で経験したからこそ、眼前で飄々としている青年を許すことができなかった。ヨムドン村を焼き払ったガリア騎士の顔が脳裏を過る。


 消えぬ炎を操ったガリア騎士も、眼前で気怠げな様子を見せる金髪の青年と同じように自分たちが手にかけた『命』に対して、何ら感情を持っていなかった。


 どうしてそんなことができるのか。

 人の命を何だと思っているのか。


 航大には、ここまで出会った二人の帝国騎士たちが持つ思考というものを、一切理解することができないでいた。

 理解に苦しむ行動は航大の怒りに火をつけ、溢れ出る感情に声を荒げる。


「俺が召喚した魔獣によって、誰が死のうがどーでもいいんだよなぁ。俺はただ、自分に与えられた使命を果たすためだけに行動してるだけ。それを邪魔するなら消えてもらう。ただそれだけじゃねーか」


「なんだよ、それッ……」


「とりあえずさ、引っ込んでてくれない? 戦う力もないお前なんかに用はないんだよ。今はそこの賢者さんに用があるんだからさ」


 航大と話すことを時間の無駄と判断した青年は、それっきり航大から視線を外すと再び楽しげな表情を浮かべて、賢者・リエルを見据える。


「変な邪魔が入っちまったけど、そろそろ始めようぜ?」


「ふん、こちらはいつでも準備はできておる」


 青年の言葉に、賢者・リエルは腕を組み直立不動の体勢で答える。

 その瞳は険しく、表情からも一切の笑みが消えている。

 彼女の支配を纏う冷気が濃度を高め、近くに立っている航大は肌を突き刺すような冷気を誰よりも近くで感じる。


「さぁ行けッ……魔獣よぉッ!」


「――ッ!」


 その言葉を合図に、魔獣・ケルベロスが結晶で出来た床を蹴り飛翔する。巨大な身体とは思えない俊敏な動きを見せるケルベロス。その獰猛な瞳を爛々と輝かせる三つ首は、小さな身体をしているリエルだけを見つめていて、その口から生える牙を持ってして、命を刈り取ろうとする。


「考えなしに突進しても、儂は倒せんぞ――ヒャノアッ!」


 瞬く間に接近してくるケルベロスを相手に、リエルは一歩も引くことなく鋭く声を上げる。右手を突き出し、言葉を発することで、眼前に巨大な両剣水晶を生成していく。自分の背丈くらいの結晶を生み出したリエルは、それを音もなく射出していく。


「――ッ!?」


 ケルベロスが飛翔するよりも早く、両剣水晶は巨大魔獣の身体に向かって一直線に飛翔していく。先端が鋭利に尖った結晶を見て、ケルベロスは一瞬、怯んだような様子を見せるも、それが自分の身体に到達するよりも早く、中央の首が結晶をその牙で噛み砕いていた。


「――ッ!」


 粉々に砕け散った水晶を吐き捨てるようにして、ケルベロスは踏み出した足を止めることなく、リエルが立つ場所へと到達しようとする。


「ふむ、さすがにアレくらいでは死なんか。おぬし、危ないから少し離れておれ」


「だ、大丈夫なのか……?」


「儂を誰だと思っておる。数百年の間、この氷山を守護する賢者ぞ?」


 チラッと航大の顔を見て、リエルは戦線を離脱するように勧めてくる。

 それはあまりにも的確な判断であり、自分が戦力として見られていないことを意味していた。

 異世界に転移して、しばらくの時間が経った航大にとっては、この光景は見慣れたものであった。しかし、やはり女の子に守って貰わなければならない事実は、航大の心に暗い影を落とす。


「――ッ!」


 ケルベロスの咆哮がすぐ近くで轟き、次の瞬間にはリエルが立っていた場所に鋭利な爪が突き立てられる。しかし、その場所にリエルの姿はなく、ケルベロスの左右に生えている首が素早く周囲を見渡し始める。


「ほれ、グダグダしておったから、あやつらが来てしまったではないか」


「おおッ、空を飛んでるッ……!?」


「いいから、ここでジッとしておれ。すぐに決着はつく」


 魔獣の攻撃が到達する瞬間、リエルはその小さな身体で航大の服を掴むと、軽やかに跳躍していた。リエルと航大の身体がふわりと宙に浮いて、どこまでも飛んでいきそうだと錯覚する中、二人はケルベロスの身体を飛び越して大聖堂の隅にまで到達していた。

 そこで航大の身体を解放すると、リエルは再び跳躍してケルベロスとの戦いに戻っていく。


「ヒャノアッ!」


 空中を浮遊するリエルは、その場で再び詠唱を開始する。

 すると、今度は二本の両剣水晶が生成された。それらは両剣水晶として完全な姿を形勢するや否や、今度は頭上からケルベロスの脳天目掛けて飛翔していく。


「――ッ!」


「……むッ!?」


 ケルベロスはいち早くリエルの存在に感づくと、素早く首を頭上へ向ける。そして、再び自分の身体を目掛けて射出される両剣水晶の姿を確認するなり、大きく口を開けて咆哮を上げながらその口から火炎を吐き出す。


 渦を巻いて吐き出される炎に、ここまで平静を保っていたリエルの表情に変化が生まれる。魔獣が炎を吐くとは想像もしていなかったのか、リエルは空中で体勢を変えることも出来ずに、迫る炎に飲み込まれようとしていた。


「厄介なッ……アニラッ!」


 小さな舌打ちを漏らし、リエルは両手を前に突き出して詠唱する。

 今度は両剣水晶を生み出す魔法とは違い、その魔法は自分の前方に氷で出来た壁を生み出すというものだった。状況から把握するに、それは防御に特化した魔法であることは理解できる。

 リエルは表情を険しいものに変えて、氷の壁と共に炎の中へ姿を消していく。


「リ、リエルッ!?」


「――これくらい、どうということはないッ!」


 リエルの身体が炎に包まれ、航大の声が大聖堂に響き渡る。

 しかし、直後にはその声に呼応するようにして、炎の中から小さな人影が飛び出してくる。


「――ヒャノア・レイッ!」


「――ッ!?」


 炎からの脱出に成功したリエルは、すぐに攻勢に出ると、また新たな魔法の詠唱を行っていく。それは、先ほどの詠唱と似ているところがあったが、その攻撃方法は全く別のものだった。


 虚空に幾つもの小さな両剣水晶が生成され、それらがリエルの言葉に反応して同時に射出されていく。最初の魔法よりも、生成される氷の大きさは小さいが、その分同時に攻撃できる数が違う。パッと見ただけでも、数十の両剣水晶が虚空に浮遊しており、それらが一斉にケルベロスの身体へと降り注いでいく。


「おぉー、氷系上級魔法か。まぁ、それくらいはやってもらわないとだよなー」


「――ッ!」


 瞬速の速さで降り注ぐ両剣水晶は、ケルベロスの巨体に命中していく。

 鈍い音を立てて、無数の水晶がケルベロスの身体に突き刺さっていく。


「す、すげぇ……これが魔法での戦い……」


 眼前で繰り広げられる光景に感嘆の溜息を漏らす航大。

 リエルは賢者と呼ばれるのにふさわしい戦いぶりを見せていた。冥界の魔獣・ケルベロスは苦痛に染まった咆哮を上げて、リエルの魔法による攻撃をその身に受けていく。


「――まさか、これくらいで終わるなんて思ってないよな?」


「なッ!?」


 そんな青年の声が大聖堂に響き渡り、それと同時に青年が持つグリモワールが再び淡い輝きを帯び始める。


「まさか、まだ何かをッ……?」


「怠惰のグリモワールよ……召喚されし魔獣へさらなる力をッ――覚醒せよッ!」


 その言葉をトリガーに、怠惰のグリモワールと呼称された漆黒の装丁をした本が輝き出す。輝きは瞬く間にその力を増していき、本から飛び出した光が魔獣・ケルベロスの巨体を包み込んでいく。


「――ッ!」


 眩い光に包まれるケルベロスは、大きな咆哮を上げてその身体を変化させていく。

 その巨体を一回り大きくし、全身を隆起させる筋肉はより大きく、そして強靭なものへと変わっていく。口から飛び出る牙すらも巨大化し、その見た目は先ほどよりも確実に危険性を高めていく。


「……とことん、奇妙な魔法じゃ。魔獣を召喚し、強化することも出来るとはな」


「――ッ!」


「むッ!?」


 覚醒したケルベロスは、咆哮を上げるなり、リエルの小さな身体へと跳躍する。

 弾丸のように飛びかかるケルベロスの動きは、明らかに覚醒する前の状態よりも進化していた。足元の結晶が無残にも砕け散り、次の瞬間にはその巨大な腕がリエルの小さな身体をしっかりと捉え、大聖堂の奥へと吹き飛ばしていく。

 小さな小石のように吹き飛んでいくリエルは、大聖堂の壁に衝突することでようやく制止する。


「リエルッ!」


「くっ……はぁッ……ふぅ、これは中々ッ……」


 粉塵を巻き上げる中から、飛び出してくるリエルだったが、その表情には今までのような余裕は無かった。


「まだまだ、戦いはこれからだぜ?」


「ちッ……」


 青年の言葉に呼応するように、ケルベロスは再び咆哮を上げてリエルへ攻撃を仕掛けようとしてくる。

 大聖堂の端まで吹き飛んだ彼女の元まで、ケルベロスはあっという間に到達すると、再びその巨大な腕を振るっていく。


 先ほどのダメージが抜けきっていない様子のリエルは、身体をふらつかせながらも、真っ直ぐに正面を見つめている。しかし、その顔は僅かに笑みを作っているようにも見えるが、航大は思わずその名を叫んでしまう。


「リエルッ!」


「ふん、案ずるでない。さっきは少々油断しただけじゃ」


 ケルベロスが間近まで接近していても尚、リエルは笑みを崩さない。

 遠目で見ているだけの航大には、どうしてリエルが笑みを浮かべているのが分からなかった。

 魔獣の爪がリエルの身体を貫こうとした、その瞬間だった。


「うらあああああああああぁぁぁッ!」


 ケルベロスの咆哮すらも掻き消すような怒号が、粉塵の中から木霊する。

 それは航大にとって、とても聞き慣れた声であって、懐かしいその声が鼓膜を震わせたことに航大は喜びを感じていた。


「やっと起きたか、ライガッ!」


「あんだけうるさくされてたら、誰でも起きるわッ!」


 リエルの身体を切り裂こうとしたケルベロスの爪を、粉塵から飛び出してきたライガは、その手に持つ大剣で受け止めていた。


 この場において、戦う力を持ちえし人間がようやく揃った。

 氷山の決戦はここから色を濃くし、その激しさを増していく。

桜葉です。

バトルは苛烈を極めてまいりました。


次回もよろしくお願いします。

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