第七章21 大蛇と金色の狂者Ⅶ
ルイラ大陸。
防壁によって守られし要塞国家・マルーダ。
この世界で最も攻め落とすことが難しいとされる国家が今、前例のない危機に陥っていた。マルーダの地に封印されし魔竜を求め、帝国ガリアは己が持つ最高戦力である騎士を投入してきたのだった。
そこで出会ったのはかつて氷都市・ミノルアを襲った帝国騎士であるアワリティア・ネッツだった。乱雑に伸ばした金髪とその奥で光る紅蓮の瞳が印象的な青年であるネッツは、異界から魔獣を召喚し、それを使役する『怠惰のグリモワール』を所有している。
「お前だけは絶対に許さねぇ。ユイをこんなくだらないことに使いやがって、覚悟は出来てるんだろうな?」
「覚悟? 誰にもの聞いてんだてめぇ。その程度の覚悟すら持てない奴が何かを賭けて戦おうなんざ、百年はえぇんだよ」
今、航大の目の前に立つ青年はおよそ人間とはかけ離れた姿をしていた。
人間という生物が持つ最低限の要素は確認することができる。二本の足で立ち、二本の腕を持っている。細身である胴体の上には頭部が存在している。乱雑に伸ばした金髪とその奥で光る紅蓮の瞳。
異形の存在でありながらも帝国ガリアの騎士、アワリティア・ネッツであることは間違いない。しかし、彼の背中には巨大な黒翼が覗いている。更に両腕は漆黒に染まり、手先から伸びる爪は異様に長い。
悪神・サタン。
航大が生まれ育った世界ではあまりにも有名な悪魔の名称である。
神に仕える身でありながら、サタンは神へ反逆を企てたのだ。
天界を揺るがしかねない大事件を起こし、その果てに敗北を喫したサタンは天使としての地位を剥奪され天界から追放された。堕天という形で魔界へと堕ちたサタンは『悪神』として生きていくことを余儀なくされたのだった。
誰もが知る大悪魔・サタン。異界の魔獣を召喚する力を持つ怠惰のグリモワール。
帝国騎士・ネッツはグリモワールの権能を最大限に利用することで、サタンをその身に取り込んだのだ。これまでに対峙したことのない圧倒的な力を擁するネッツを相手に、航大は暴風の女神・カガリの力を借りて立ち向かわなくてはならないのだった。
『気をつけて、航大くん……この場所は僕たちにとって不利だよ……』
「……魔力の件か」
『うん。やっぱりこの場所だと僕たちが供給する魔力を上手く吸収することができないみたい』
「……厄介だけど、それでも戦わなくちゃな」
航大たちは今、サタンと一体化したネッツが展開する常闇の空間に存在している。一切の光も差さない空間であり、しかもこの空間では女神が全世界に供給する魔力が希薄であった。
どんなに不利な状況であっても、航大は逃げる訳にはいかなかった。眼前で立ちふさがる帝国の騎士を倒さなければ、剣と魔法が支配するこの世界の破滅を回避することはできないのだから。
「いくぜ、クソガキ。一瞬で死ぬなよ?」
「上等だ。掛かってこいッ!」
刹那の静寂が広がった後、二つの影が一斉に動き出す。止まっていた時計が再び時を刻むように、睨み合っていた時間が嘘のように航大とネッツは互いの拳を思い切り突き出していく。
「「――――ッ!」」
世界を救おうとする者。
世界を壊そうとする者。
女神と悪魔の衝突はこれから始まる永き戦いの開幕を告げるようでもあった。
「おらぁぁぁーーーーーッ!」
「ぐッ、負けるかよッ!」
男同士の引けぬ戦いと言わんばかりに拳を重ね合わせる航大とネッツ。
しかし優勢であるのはネッツであった。
「吹っ飛べッ!」
「ぐうぅッ!」
真っ向からの衝突。
その勝敗は帝国騎士・ネッツに軍配が上がる。常闇の空間で後退を余儀なくされる航大は、受け身を取ることすらままならず吹き飛ばされていく。
「いってぇ……馬鹿力かよ、アイツ……」
『大丈夫かい、航大くん?』
「あぁ、問題ない……次だ、カガリ……」
『もうここまで来たら引き返せないからね。とことん付き合うよ、航大くんッ!』
「構えるは真空の剣、切り裂くは巨悪、双対の風剣よ我に力を――風剣双牙ッ!」
唱えるは暴風によって生成されし風の両刃剣。西洋の世界でよく見られる細身の剣は、極限まで重量を削ぎ落とした構造をしており、しかし切れ味は抜群である。航大の両手に握られし風剣は立ちふさがる巨悪を切り裂くために顕現する。
「次は剣か。それならこっちも相応のモノを用意しねぇとな」
航大が生み出した風剣に笑みを浮かべると、ネッツもまた右手を大きく広げて魔力を集中させていく。
「来いよ魔剣、全てを切り伏せろ――魔竜業剣ッ!」
ネッツが広げる右手を中心に膨大な魔力が渦を巻く。
闇の魔力が形成するのは、ネッツの背丈ほどある巨大な大剣だった。竜の模様が刻まれし闇の剣はその刀身にどす黒い炎を纏う。
「第二ラウンドの開始だッ!」
悪魔の手でしっかりと剣を握り、ネッツは背中に生えた黒翼を羽ばたかせることで空を滑空する。一直線に航大へと突っ込むネッツは、自分の背丈ほどある剣を軽々しく片手に握ると、それを思い切り振り下ろしていく。
『真正面からぶつかっちゃダメだよッ!』
「分かってるってッ!」
双対の風剣を持つ航大に警告を投げかけるカガリ。
両者が持つ武器にはそれぞれの特徴があり、航大が持つ双対の風剣は機動力を重視した細身の剣であるため、ネッツが持つ大剣を相手に真正面からぶつかる訳にはいかない。しかし、だからといって不利な状況にあるとは言えず、航大は暴風の女神・カガリが持つ圧倒的なまでの機動力を活かすことで戦況を打破していこうと考える。
「お前に付いてくることができるか?」
「――――ッ!?」
地面を蹴り、ネッツの進行方向からの離脱を図る航大。
右に飛び、着地と同時に前進する。その先にネッツの姿はないものの、凄まじい速度で移動をしながらも航大の視線はしっかりと帝国の騎士を捉えている。
突如として姿を消した航大の動きに驚きながらも、ネッツだって簡単に逃走を許すはずがない。その動きを読んでいたのか、それとも騎士が持ち得る天性の勘なのか、その視界に航大の姿はないとしても、彼は半ば反射的に大剣を横へ薙ぎ払っていく。
「んなッ!?」
その場で一回転するネッツの刃が航大に届くことはない。
しかし、魔剣の刀身に纏われし闇の炎が周囲一帯に広がっていく。
「刃だけが武器じゃねぇ。甘く見てると火傷するぜ?」
「化物かよ……」
ネッツが見せる炎舞。航大に直撃することはなかったものの、彼が仕掛けようとする動きを牽制するには十分過ぎる成果を発揮する。刀身だけではなく、そこから伸びる炎があるのならば、航大もまた迂闊に飛び込むことは難しい。
『どうする、航大くん?』
「ここで逃げたらアイツに勝つことなんてできない。俺に考えがある」
『それなら航大くんの考えに乗ろうじゃない』
ネッツが振るう業炎から逃げるのではなく、立ち向かっていく判断を下す航大。
再び両足に力を込め、両手に持った風剣を構えて突進する。
「今度は真正面からか? おもしれぇじゃねぇかッ!」
突っ込んでくる航大に対して笑みを浮かべるネッツ。その手に持った魔剣を包む闇の業炎が勢いを増すと、それを思い切り突き出すことで、渦を巻く炎を航大へと射出していく。
「今だッ! 世界を包む風よ、我は全てを拒絶する――風絶連花ッ!」
帝国の騎士が見せる最大の隙。それは身の丈ほどある大剣を思い切り薙いだその瞬間である。ネッツが見せる刹那の隙を見逃すことなく、航大は希薄な魔力を全力で集中させると、自分の身体を中心とした暴風を発生させる。
風絶連花。
それは暴風を纏うことであらゆる攻撃を拒絶する防御魔法。
魔力の消費量は絶大であるが、この場合であるならばその一瞬が最大の好機を生む。
「おらああぁぁーーーーーーーッ!」
暴風によって迫る業炎を掻い潜る航大。
炎にも負けじと突進を続ける航大は怒号と共にその手に持った風剣を振り払う。
「――――ッ!」
風のように疾走する航大は両手に持った風剣でネッツの右腕から右肩に渡って裂傷を刻み込む。この日、初めて帝国騎士に対して一撃を入れた瞬間であり、ネッツもまた目を見開いて驚きを隠せない。
「てめぇ……」
「ふん、ようやくこれで一矢を報いたぜ」
鮮血を振り払い、笑みを浮かべてネッツを振り返る航大。
その顔には確かな手応えがあり、右腕から大量の血を零すネッツの苛立ちを高めていく。
「ミノルアでは全く相手にならなかったのは事実だ。だけどな、今の俺はあの時の俺じゃない」
「…………」
「こっちには時間もないからな。このままお前を倒して先に進む」
「――あまり調子に乗るんじゃねぇぞ?」
その瞬間、常闇の空間に異常なまでの緊張感が駆け抜けていく。
これまでに見たことのない怒りを滲ませるネッツの声音は、それを聞いた者たちに等しく畏怖の念を抱かせた。
思わず身体が震えてしまいそうな冷たく、凍える声音を漏らすネッツはその身に漆黒の魔力を纏う。これまでの戦いは全く本気ではなかった。真なる戦いは今、この瞬間から始まるのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




