第七章19 大蛇と金色の狂者Ⅴ
「射抜け、闇の流星を前に逃げることは出来ない――終闇射手ッ!」
マルーダで繰り広げられるのは帝国ガリアが持つ最高戦力である騎士との激闘であった。異界から魔獣を召喚することが可能な『怠惰のグリモワール』を所有するアワリティア・ネッツ。乱雑に伸ばした金髪に紅蓮の瞳が特徴的な帝国の騎士は、地獄の悪魔『サタン』を召喚し、それを自らの身体に取り込むことで絶大なる力を手に入れた。
天使として生を受けながら神へ反逆し、その果てに悪魔へと堕天を余儀なくされた悪魔の中でも象徴たる神話上の存在を、ネッツはグリモワールの権能によって召喚することに成功した。
悪魔を取り込んだ結果、ネッツの身体は人間のものとも、悪魔のものとも言えない歪なものへと変化を遂げた。四肢を持ち二本足で立つ。人間としての最低限な体躯は維持しているものの、その大部分を『悪魔』の状態へと変化させている。
背中に生えるは全身を容易に包み込むことが出来る大きさを誇る二対の黒翼。
悪魔とのシンクロを果たす際に飛び散った衣服から除く肌は紫に変色している。
そして何よりも目を引くのは、漆黒に染まったネッツの両腕にあった。肩から先の肌は黒く変色し、肘から先は完全に人間のものから乖離している。皮膚が変色している以外にも、手の平は完全に悪魔のものである。鋭利な爪はもちろん、骨が浮き出た手の平はそこだけが肥大化している。
「おらおらぁ、ぼけーっとしてるぞ死んじまうぞ?」
「カガリッ、フルパワーでいくぞッ!」
『長時間の使用は危険だよ。分かってるね?』
「あぁ……でも、使わなければ死ぬだけだ……ッ!」
雨のように降り注ぐ攻撃を前にして、航大は受け身を取ることすら許されなかった。悪神・サタンとシンクロを果たしたネッツによって、地面へ激しく衝突し、続けざまに視界を埋め尽くすのは数多の攻撃であった。
守護魔法を展開している余裕は既にない。
あらゆる可能性を瞬時に考慮し、そして導き出された答えは、自分が纏っている女神の力を瞬間的に最大出力し、暴風の力を持ってして窮地を脱しようというのだ。
「風を切れ、突風を巻き起こせ、風邪を貫き突き進む――瞬獄装衣ッ!」
全身に力を漲らせ、両足で強く地面を踏みしめる。
瞬間、航大を中心に噴煙が巻き起こり、身体が凄まじい速度で直進を始める。あまりの速さにその身体を目で捉えることは難しく、航大は雨のように降る攻撃をギリギリのところで回避していく。
「…………」
その様子を見つめるネッツは、静かに唇を歪ませる。自らが放った攻撃が一切の意味をなしていない現実を前にしても、彼は悔しがる様子を見せることすらない。
「……来いよッ」
「剛打連撃ッ、全部吹き飛ばせッ――風牙剛拳ッ!」
ネッツが放つ攻撃の雨をくぐり抜け、そのまま止まることなく航大は直進を続け、向かう先は黒翼を羽ばたかせるネッツである。右腕に巨大な暴風を纏い、航大は勢いそのままに攻撃を仕掛ける。
「――――ッ!」
立ちはだかるネッツも心底楽しげな様子を見せると、右腕を差し出し航大の攻撃を受け止める。
「こんのッ!」
「…………」
航大たちを中心に衝撃が周囲に広がっていく。
瓦礫を吹き飛ばし、地面を抉るほどの衝撃の中、ネッツの身体は微動だにしない。
「まだまだぁッ!」
『航大くんッ、これ以上は……ッ!』
「もうちょっとだけッ!」
武装魔法を維持し、更に風牙剛拳の出力を高める。
秒間で凄まじい魔力を消費していくのを感じながらも、航大はこの好機を逃すまいと力を込める。
「……ちッ」
暴風が勢いを増し、ネッツの表情が変化する。
片腕で航大の攻撃を受け止めている状況に変わりはないが、それもこのままでは危ないのだと察することが出来る。つまり、このまま押し通せばネッツへダメージを与えることが可能であるとのことで、航大はより強く拳を突き出していく。
「このまま……ッ!」
「あまり舐めんじゃねぇぞ。万物不可侵の防壁よ、顕現せよ――不可侵闇壁」
「ぐぅッ!?」
グリモワールが眩い輝きを放ち、ネッツと航大の間に闇の防壁が姿を現す。
直後、航大の身体は前方から襲う衝撃によって遥か後方へと吹き飛ばされ、周囲に散乱していた瓦礫に幾度となく衝突を繰り返していく。
「ぐッ、がッ……」
防壁によって全ての攻撃を防がれ、更に与えた衝撃がそのまま返ってきたことで、航大は自らの攻撃によって甚大なダメージを負うこととなってしまった。悪神・サタンが持つ最強で最高の守護魔法。その猛威を前に航大は為す術がなかった。
「少し上手くいったからって調子に乗るなよ? その程度の攻撃じゃ、俺の牙城を崩すことは出来ねぇぜ」
噴煙を巻き上げながら沈黙する航大に、ネッツは舌打ちと共に己の力を誇示する。
「くっそ……聞いてねぇぞ……そんなの……」
『航大くん、一回落ち着こう。今ので結構な魔力を消費しちゃったし、身体への負担も大きいはずだよ』
「んなこと言ったって……あれくらいの力がないと、アイツには勝てない……」
『…………』
口の中に溜まる鮮血を吐き出し、航大は力強く地面を踏みしめて立ち上がる。
身体の節々に痛みを感じるが、それでもまだ継戦は可能である。
『その様子だと、あと一回……無理してあと二回くらいかな。さっきみたいな無茶な戦い方が出来るのは』
「それだけなのか……ッ!?」
『この後の戦いも考えなよ。帝国騎士はアイツだけじゃない』
「…………」
脳裏に響くカガリの言葉は何も間違ってはいない。
この戦いで終わりではないのだ。
マルーダにはもう一人の帝国騎士が存在している。しかもその人物は、氷都市・ミノルアで邂逅を果たした人物である可能性が非常に高い。ルイラ大陸に上陸した際、消えぬ業炎を見た。それだけで航大は確信を持ったのだ。
「でも、どうすれば……リエルだって居ないし……」
『だから考えるんだよ。幸い、スピードならアイツにも負けてないどころか、唯一勝ってる部分かもしれないよ』
「スピード……」
『まぁ、暴風の女神って名乗ってるくらいだからね。そこで負ける訳にはいかないんだけど。とにかく、僕たちはその武器を生かして戦うしかない』
「アイツから隙を見つけるってことか……」
『幸い、航大くんの成長もあって、無理をしなければまだ全然戦える。アイツが神だとか悪魔だとかは知らないけど、必ず隙は出来る』
「……そうだな」
「作戦会議は終わったか? それじゃ、今度はこっちから行くぜ」
航大とカガリが会話をしていることを察し、それを待っていたネッツは再び笑みを浮かべると両腕を大きく広げる。直後、地面が激しく揺れ動き、魔力がネッツへと集中していくのを感じる。
「飲み込め、潰えろ、万物は闇に飲まれる――深淵世界ッ!」
膨大な魔力が集中し、それが弾けた瞬間、航大の視界から一切の『光』が喪失する。
全身に力を込め、あらゆる状況にも対応できるように準備していた航大でさえ、全く反応することが出来なかった。反応どころか、自分の身に起きた事象を理解することが出来ない。
「なんだ……コレ……」
瞬きをしたら世界が闇に包まれた。
何も存在しない無の世界がただただ広がっているばかり。
上も下も分からない。
そんな絶対の闇が支配する世界で、航大は戦うことを余儀なくされるのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




