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第七章17 大蛇と金色の狂者Ⅲ

「この俺様を相手に力を使わないだと? 舐めてるのか、てめぇ?」


「力を使わないなんて言ってないけどな。シュナの力は必要ない、ってだけだ」


「まだ力を隠し持ってるって訳か、随分と舐めた態度を取ってくれるじゃねぇかよ」


「それはこっちの台詞だぜ。お前ら帝国騎士こそ、まだまだ手の内を隠してやがるだろ」


「……おもしれぇ。それじゃ、始めようぜ……俺とてめぇの命を賭けた戦いだ」


 マルーダの城下町。

 そこで繰り広げられる戦いは新たなるステージへと移行する。


 怠惰のグリモワール。異界の魔獣を召喚し、それを自在に使役する権能を持つ魔導書。


 その所有者は帝国ガリアの騎士であるアワリティア・ネッツという名の青年である。彼はマルーダ共和国に封印されし魔竜をその手に収めるため、突如として襲来し、何ら罪もない城下町を魔獣たちの手によって壊滅させた。


「……カガリ、いけるな?」


『もっちろんだよ。僕はいつでも準備万端だよ』


「いくぜ、カガリッ――英霊憑依・風神ッ!」


 それは航大の中に息づくもうひとりの女神が持つ力。

 髪を鮮緑へと変化させ、纏うローブも美しい深緑である。


 氷獄の女神・シュナとの憑依が『魔道士』の装いだとするならば、暴風の女神・カガリとの憑依は『暗殺者(アサシン)』といったイメージが強い。ローブは身軽く機動性を重視したデザインであり、その手に持つ武器は深緑の宝石が装着された短剣である。


「んだよ、そんなの見たことねぇぞ……」


「お前には見せるのが初めてだからな。退屈はさせねぇぜ」


「そうみたいだな。今から楽しみだよ――」


 女神と憑依した航大を目の当たりにして、ネッツは楽しげに唇を歪ませるとその手に持ったグリモワールに眩い輝きを灯す。それは力を行使しようとする合図であり、ネッツを中心として凄まじい魔力が集中していく。


「遊び足りねぇんだよ。俺を、この俺を……もっと楽しませてくれ、お前にならそれが出来るだろ?」


「…………」


「頼むからすぐに死ぬなんてことは勘弁な。血湧き肉躍る、そんな熱い戦いを楽しもうぜッ! 来い、サタン」


 グリモワールを天高く突き上げその名を呼ぶ。

 悪神・サタン。


 この存在もまた航大が生まれ育った世界では神話上に登場する『神の敵対者』である。かつては神に仕える天使であった存在は、ある時を堺に『神への反逆』を企てた。その結果、悪魔へと堕天を果たした存在であり、全悪魔の頂点に君臨する者である。


「ぐッ、がぁッ、はぁッ……はぁッ……ぐうあああぁぁぁーーーーーッ!」


 グリモワールの輝きが強くなる。

 眩い輝きは周囲に広がり、そして一点へと収束していく。


「…………」


 収束した光は静かに、ゆっくりと、音もなく霧散していく。


 そこに立つは悪神と融合を果たした帝国騎士であり、その姿はおよそ人間としての原型を留めない『異形』のものへと変化していた。


 背中から生えるは身体を容易に包めるほどの黒翼。

 人間としての形を維持する体躯は全身が紫に変色している。


 両腕は特に変化が激しく、肩から先は『紫』ではなく『黒』へと変色しており、人外な形へと変貌を遂げている。まさに悪魔の腕といっても過言ではなく、角ばった皮膚に手の平には巨大な爪が輝いている。


『なに、アレ……人間、なの?』


「サタン。もし、神話そのままの力なんだとしたら……イフリートやアペプなんて比じゃないぞ」


『うっそぉ……それって相当ヤバイんじゃ?』


「……相当で済んだらいいけどな」


 怠惰のグリモワール。


 それが持つ権能は異界から魔獣を召喚するだけではなかった。航大が持っていたグリモワールと似たような力を、ネッツもまた所有していたということになる。自らの身体を人外のものへと変化させ、ネッツはその身に地獄の悪魔を身に纏う。


「力が溢れてきやがる……今なら誰にも負ける気はしないぜ……」


 変化した自分の身体を見て、ネッツはこれ以上ない笑みを浮かべる。


 ネッツは笑みを浮かべたまま、手の平に小さな光球を生成する。その球は夜空のような禍々しき光を放っており、気を抜けば心を奪われてしまいそうな美しさを放っている。


「…………」


 静寂が場を支配し、光球を携えた悪魔の腕が振り払われる。


 キャッチボールをしているような、道端に落ちている小石を投げるような、どこまでも自然的な行動の果てに生み出された光球はマルーダの城下町へと放たれる。


 一瞬の静寂。

 それを打ち破ったのは大地を揺るがすほどの轟音だった。


「こんなもんか……まぁ、悪くねぇ……」


 爆ぜる光球は凄まじい光と轟音を伴って半円状に広がり、そこにあるもの全てを飲み込み破壊していく。手の平サイズの光球一つが見せる破壊力に航大とカガリも言葉が出ない。


『……航大くん』


「…………」


『これは本当に本気でやらないとヤバイかもね』


 脳裏に響くカガリの声音。その声はこれまでに聞いたことがないほどに緊張感が伝わってくるものであり、女神が感じる緊張は航大にも伝播していく。


「それでも負ける訳にはいかない。そうだろ?」


『まぁね』


 互いに言葉数は多くない。

 それほどまでにネッツが見せる力は驚異的であった。


「ビビるにはまだ早いぜ? 戦いは始まってすらねぇんだからな」


 黒翼を大きく広げ、帝国ガリアの騎士は圧倒的なる力を持ってして、航大の前に立ち塞がるのであった。


◆◆◆◆


「さて、どうしたものか……」


 場所は変わり、マルーダの地中深く。


 そこでは神話の魔獣・アペプによって地中へと引きずり込まれたリエルが立っていた。頭上を見れば自分が落ちてきた穴が続いており、更に遥か先には僅かに太陽の光が差し込んでいた。


「脱出できないことはないが……場を考えればここは一対一で戦う方がいいじゃろうな」


 僅かな光だけが差し込む地中の大空洞。


 これを作ったのは異界から召喚された魔獣であり、異様な静寂が支配するこの場にはリエルだけではなく、見上げるほどの体躯を誇る大蛇が近くに潜んでいる。あれだけの巨体を持っていながらもその姿は一切見えない。気配すらも感じることは出来ない。


 自分が落下するシーンがなければ、こんな場所に大蛇が潜んでいるなんてことは想像も出来ないだろう。恐怖すら覚えそうになる静寂と暗闇の中で、リエルは少しの違和感にも対応できるように気を張り詰める。


「――――」


「そこかッ!」


 後方で何かが動いた。

 突如として姿を現した気配へ俊敏な反応を見せるも、リエルが見る先には闇が広がっているばかり。感じた気配も瞬時に霧散し、再び静寂が訪れる。


「…………ッ!」


 次は右方向から。

 素早く何かが動く気配は感じる。しかし、肝心の姿は見えない。

 焦らすような展開の連続にリエルの精神は確実にすり減らされている。


「隠れてばかりでは話にならんぞ……」


 闇が広がる虚空へと声を投げかけるも、もちろん反応はない。


「出たり消えたり……一体、どういう――」


 煮え切らない展開にリエルが舌打ちを漏らした瞬間だった。

 突如としてリエルの背中に強烈な衝撃が走る。小さな身体が吹き飛ばされ、硬い地面を滑る。


「ぐッ……このッ……」


 振り返るもやはりそこには何の存在もない。一瞬にして存在が消える。


 このままではなぶり殺されるのは間違いないが、姿も気配も察知することが出来ない相手を前にリエルは唇を噛みしめる。


『リエル』


「ッ!? この声、姉様……ッ!?」


『手助けにきちゃった』


「きちゃったって……主様はどうなってるんじゃッ!?」


『航大さんなら大丈夫。カガリが居るから』


「はぁ……状況は変わってしまったの。姉様、こうなったらすぐに魔獣を倒して主様と合流しよう」


『うん、そうだね。リエル、お姉ちゃんの力……貸してあげる』


 ふわりとリエルの身体が軽くなる。それと共に体内へ流れ込んでくるのを感じ、リエルは言葉とは裏腹に気持ちが昂ぶっていくのを感じた。いつも背中を見て、追い続けてきた存在が今、自分の中にある。


 姉は女神であり、実体としてはそこに存在はしない。


 それでも姉と共に戦うことが出来る。それはリエルにとって何よりも代え難い喜びであり、自信でもあった。


『あれ、敵は?』


「そこら辺に隠れてるみたいじゃ」


『ふーん、それならここら一帯に攻撃しちゃう? そうすれば出てくるでしょ』


「……姉様、そんな強引な人でしたっけ?」


『女神も長いことやってるの、性格も変わるものだよ』


「そんなものかのぉ……」


 姉の意外な一面を目の辺りにして、リエルはやれやれといった様子でため息を漏らす。しかし、その顔には笑みが浮かんでいて、これから始まる戦いに心を踊らせているようでもあった。


 マルーダで繰り広げられる二つの戦い。

 それは新たなる局面を迎えようとしていたのであった。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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