第七章13 炎獣・イフリートとの戦いⅣ
「幾度となく死線を潜り抜け、自らの命の炎が潰えそうになる時……我の命は至上の輝きを手にする。勝負はこれより、最終決戦を迎える――ッ!」
要塞国家・マルーダで繰り広げられた『炎獄の女神・アスカ』と『炎の魔獣・イフリート』の戦いは壮絶なる展開を見せながら終局へと誘われていく。
互いに炎を得意とし、一進一退の攻防が展開していたのだが、次第に戦いは魔獣・イフリートが攻勢を強めていくようになった。アスカが放つ炎の攻撃を全て吸収し、それを力に変えるイフリートを前に、炎獄の女神・アスカが魔獣に勝利するビジョンは断たれたかのように思えた。
イフリートが持つ爪がアスカの身体を貫く。戦いの決着を急いだ魔獣による攻撃は、一見して決定的なダメージをアスカに与えることとなった。皮膚を裂き、内蔵を突き刺し、背中へと飛び出す爪が夥しい量の鮮血で濡れていた。
これで勝負は決した。
魔獣でなくとも、誰もが察する終結の瞬間だったのだが、ただ一人、アスカだけが変わらず笑みを浮かべたまま爛々と輝く瞳でイフリートを見据えていた。
「どうした? 我々の戦いはまだ終わらぬぞ?」
「…………」
「さぁ、もっと輝こうではないか。我の炎は潰えてはいないぞ?」
「――――ッ!」
アスカの声音にイフリートは咆哮を持って返す。
力任せに腕を引き抜くとイフリートはアスカの身体を吹き飛ばす。
このまま接近していれば危険という本能的な恐怖からの行動である。炎を纏いし魔獣は自らの行動に少なからず驚きを感じていた。これまで永い時を生きてきた魔獣だが、恐怖を感じるようなことはなかった。
常に自分が圧倒的に有利な状況を生み続けていたからこそ、炎の魔獣・イフリートは今の状況に困惑を隠せないのだ。自分と対峙してここまで食い下がった人間は存在しなかった。
「あぁ……血が止まらぬ……自分の血など、久しぶりに見た気がする……」
イフリートによって吹き飛ばされ、腹部に刻みつけられた傷口が広がる中において、アスカはこれ以上ない笑みを浮かべている。腹部に手を当て、手の平に感じるドロッとした感覚。
生きた人間である証の鮮血がアスカの気持ちを高揚させていく。
「命を燃やせ、悪を焦がせ、破壊の炎神は終幕を迎える――終・業火炎舞」
それは炎の武装魔法の究極系。
全身を焦がす炎の勢いが一段と強くなり、背中に生える翼は合計で四本に増えている。
小柄な身体を包む炎は鎧のようでもあり、その姿は天使か悪魔か、人間としての原型を留めない究極の武装魔法は強大な力を与えてくれる。
「最終決戦を始めよう――ッ!」
「――――ッ!」
全身から炎を迸らせたアスカが跳躍する。
凄まじい速度でイフリートへと接近したアスカは、挨拶代わりに右の拳を巨体へと叩き込む。
「――――ッ!」
普通なら反応も難しいような一撃だったが、イフリートの目はアスカの動きをしっかりと捉えていた。右腕を盾にしてダメージを最小限に留めようとするのだが、アスカが放つ一撃はこれまでとは一線を画していた。
イフリートの巨体はいとも容易く吹き飛ばされていく。空高く打ち上げられた巨体は苦しげな声を漏らしながらも反撃へと転じようとする。しかし、炎神として真の姿を持ったアスカはそれすらも許してはくれない。
「どうした、動きが鈍いぞ?」
上空へ打ち上げられたイフリートが体勢を整えるよりも早く、アスカは炎の翼を羽ばたかせて零距離まで接近すると、笑みを強くしてふわりと宙を舞うようにして回し蹴りを放つ。
「――――ッ!」
打ち上げられたかと思えば、次の瞬間には地面へと落下を始める。
骨が折れる鈍い音が響き、イフリートの苦悶に満ちた声音が漏れる。武装魔法によってより強化されたアスカの攻撃はイフリートを相手にしても効果的であった。与えられし衝撃と重力に従って力なく落下する魔獣の姿を見送って、アスカは右手を天高く突き上げる。
「貴様は炎を吸収するんだったな? それならば、これも吸収できるか?」
「…………」
落下していくイフリートは虚空に出現した巨大な炎球を視界に捉える。
それはアスカが魔力を集中させて生んだものであり、濃厚な魔力がイフリートの肌をジリジリと焦がしている。
周囲を見ればかつて家屋を形成していたであろう木材が次々に燃えている。
強すぎる魔力は無人と化したマルーダの城下町を業炎に包んでいく。
「悪を焼き尽くせ、世界を灰燼と化せ、放つは灼熱の炎獄――終業炎弾」
炎獄の女神・アスカが突き上げる右手の上には肥大化を続ける炎球が存在していた。アスカ自身から溢れ出す魔力が炎球へと姿を変え、時間の経過と共に炎は勢いを増すばかりである。
「さぁ、喰らってみろッ!」
上半身を大きく反らし、思い切り右腕を振り下ろす。
その動きに呼応する形で炎球がイフリートを目掛けて落下を始める。
「――――ッ!」
炎球は巨大であり落下速度も早い。
今から中途半端に回避行動を取ると被害が拡大する恐れからか、イフリートは大きな咆哮と共に宙へと飛ぶ。全身に力を漲らせ右手に業炎を纏わせると、イフリートは真正面から炎球に対して攻撃を仕掛けていく。
「ほうッ、逃げずに立ち向かうかッ!」
一見、無謀にも見える魔獣の行動ではあるが、イフリートはアスカが放つ炎を吸収し、より自身を強化した実績がある。今回もアスカが放つ炎を吸収しようとしているのは間違いない。
「――――ッ!」
イフリートの身体が炎球へと触れる。
その瞬間、マルーダの城下町に衝撃が駆け抜けていく。
「これほどの炎までも、その身に取り込もうと言うのかッ!」
「――――ッ!」
落下を続けていた炎球の動きが鈍くなる。それはイフリートは両手でしっかりと炎球を抑え込むと、落下する力を軽減させていく。しかし、動きを完全に止めるまでには至らず、じりじりとした動きで炎球は落下を続けている。
このまま押し切れるか、そんな期待が否応にも膨らもうとした時だった、視界を埋め尽くす炎球に変化が現れる。綺麗な円を描いていた炎球から一筋の炎が伸びると、それがイフリートへと吸い込まれていく。
炎の魔獣・イフリートが持つ権能である。
あらゆる炎を取り込み、それを自らの力へと変えていく。
自らの命を削り、そして解き放ったアスカの一撃でさえも全て取り込もうとしているのだ。
「どうだ、我の炎は美味いか? しかし、そう何度も炎を食わせはしないぞ?」
炎球の動きが止まったのを確認し、アスカはそれでも笑みを浮かべると再び右手を天高く突き上げる。
「この魔法には仕上げがある。それがコイツだ」
アスカが伸ばす手の先、そこに現れたのは燃え盛る炎で形成された一本の槍だった。
「消し飛ぶがいい、醜い魔獣め……ッ!」
イフリートが受け止める炎球。そこへアスカは炎の槍を投擲する。
膨大な魔力を内包した炎球へと槍が着弾し、それがきっかけとなり溜め込まれた炎が一気に破裂する。
「――――」
ルーラの大陸を揺らし、マルーダの国家もまた激しい揺れと閃光に包まれる。
破壊の音が連鎖し、アスカの眼下一面に広がる光景が業炎に飲み込まれていく。
強すぎる炎は柱となって天へと伸び、その中心には炎の魔獣・イフリートが存在しているはずである。しかし、これほどまでの炎を受けて、魔獣がその姿を保っていることが出来るのか、その結果は立ち込める噴煙と業炎の中にある。
「はぁ、はあぁ……くッ……さすがに、力を……使いすぎたか……」
戦いの行く末を見守ろうとするアスカだったが、その身体が突如として『く』の字に曲がる。イフリートとの戦いは彼女にとって文字通りの死闘となった。使った力も、受けたダメージも到底無視できるものではない。
普通の人間ならば継戦することすら困難な状況であると言わざるをえない状況においても、炎獄の女神としての名を持つ彼女は自らの限界を突破してでも戦い続けた。
「……ふっ、どうやら我も他人のことは言えないな」
勝利の代償はあまりにも大きい。
それを誰よりも理解しているのがアスカ自身である。彼女の背中に生える炎の翼は勢いを失い、今では片翼を維持するのが精一杯である。もうじき、空に滞在していることすら難しくなってしまうだろう。
自分の意志とは関係なく炎が消える。
その現象が伝える真実はあまりにも酷い。
「…………そうか、我の全力を持ってしても、貴様を討つことは叶わないということか?」
「…………」
眼下の噴煙が炎と共に消失する。
炎球が破裂した中心点には巨大なクレーターが出現しており、その中心に存在するのは炎の魔獣・イフリートである。彼もまた全身を覆っていた炎が姿を消し、分厚い筋肉によって覆われた四肢からは夥しい量の鮮血が溢れ出している。
アスカの一撃を受け、さすがのイフリートも無傷という結果を生むことは出来なかった。むしろ、アスカと同じように瀕死な状態ではあるものの、彼もまた最後の気力を用いて立ち尽くしているのだ。
「……次こそが真の決着」
「…………」
「こんなにも楽しい戦いは久方ぶりだった。どちらが見届けるか、至高の結末を――ッ!」
その言葉と共にアスカが飛ぶ。
イフリートもまた瞳に輝きを灯して飛ぶ。
一進一退。
満身創痍。
二つの影が交差し、激しい戦いの決着は驚くほど静かに姿を現した。
「――――」
しばしの静寂が場を支配した後、炎の魔獣・イフリートの巨体が大きく揺らぐ。
鋭利な爪と、隆起する筋肉が特徴的な右腕が完全に消失していた。アスカとの交錯によって右腕を吹き飛ばされ、断面から溢れる鮮血の量は致命的なものであった。
回復するための炎も尽きた。
剣と魔法が支配する異世界の舞台にて、炎の魔獣は世界を守護する女神の元に敗北を喫することとなった。
「……女神は決して屈しない」
倒れゆく魔獣に背中を向ける形で立ち尽くす炎の女神。
土埃で化粧した赤髪を風に靡かせる少女は、静かに目を閉じて言葉を紡ぐ。
彼女の腹部に刻まれた傷口は限界にまで広がったままであり、その部分から溢れる鮮血もまた致命的。既に立っていることすらやっとであり、彼女もまたこの戦いで自らの命が尽きかけていることを察する。
世界の均衡を保つ女神たる彼女に明確な『死』という概念は存在しない。
肉体を失っても尚、炎獄の女神としての魂は残り続け、いずれくる戦いに力を化すこととなるだろう。
「我は満足である。少年少女よ、この先の戦いは任せたぞ」
アスカが視線を向ける先、そこにはマルーダの王城が存在しており、今まさにそこでもう一つの戦いが繰り広げられている最中であろう。
炎獄の女神。
彼女が最後に残した言葉は誰の鼓膜を震わせることなく風と共に流れては消えていく。
炎と炎の戦い。
それは誰に見届けられることもなく終結を迎えるのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




