第七章12 炎獣・イフリートとの戦いⅢ
マルーダ共和国は今、世界を集中に収めんとする帝国ガリアの襲撃を受けていた。
帝国の狙いはマルーダに封印されし魔竜である。魔竜が帝国の手に渡れば、世界が終末へと限りなく近づくのは間違いなく、航大、リエル、炎獄の女神・アスカの三人はそれを阻止するためにマルーダの地へと降り立っていた。
魔法による影響を無力化する防壁によって守られたマルーダの城下町を進む航大たちだったが、一行の前に姿を現したのは、全身を炎と筋肉でコーティングした魔獣・イフリートだった。
「炎を取り込み、傷を癒やすか……化物め……」
マルーダ共和国の城下町、第一区画と第二区画を結ぶ城門に立ち塞がるイフリートと対峙するのは、同じく炎を操る女神・アスカだった。彼女は女神の中でも好戦的な部類であり、自分と同じ炎を得意とするイフリートを前に黙ってはいられなかった。
炎と炎。
互いに一つの頂点へと上り詰めた戦いは苛烈を極める。
アスカが優勢になれば、次にはイフリートが攻勢を強めていく。一進一退の攻防が続く中でアスカが見せるのは強力な炎の武装魔法と、圧倒的な力を内包した会心の一撃だった。強すぎる一撃は城下町を破壊しながらイフリートを飲み込むのだが、その果てに待っていたのは絶望の光景だった。
「――――ッ!」
「さてさて、どうしたものか……」
炎獄の女神・アスカ。
炎の魔獣・イフリートに対してたった一人で戦いを挑んだ少女であり、剣と魔法が支配するこの世界の平和と均衡を保つ女神でもある。シュナとカガリが自らの身体を失う中で、アスカは今も自分の身体を持っている。
「これまでの傷も全て癒やしたという訳か……炎を相手にするのは互角ではなく、絶対的な有利だったと……そういうことか」
アスカとイフリートの激化する戦いが続く中で、アスカの表情は常に笑みを浮かべていた。かつて魔竜と対峙した時と同じような感覚である。絶対的な強者との対峙はアスカにとって何事にも代え難い喜びと興奮をもたらすものであり、炎の魔獣・イフリートとの戦いもまた彼女にとって喜ばしいものだった。
しかし、炎を得意とするアスカにとって、イフリートを相手にするのは不利であったと今更ながらに理解する。最も対峙してはいけない相手だったのだ。
炎獄の女神・アスカが放った業炎の斬撃も、イフリートにはダメージを与えるどころか、それを吸収して傷を癒やしてしまった。つまり、アスカがイフリートと戦えば戦うだけ自分だけが消耗し、相手は炎を取り込んでより強力に進化していくのだ。
「くくく……面白いじゃないか。そうでなければ、ここまでやってきた意味がないッ!」
「――――ッ!」
「血湧き肉躍る。最後に立っている方が勝者なのだ、単純明快ッ! さぁ、戦おうではないかッ!」
炎の武装魔法『武・業火炎舞』を身に纏うアスカは身体を包む炎の勢いを増すと、心底楽しげな笑みを浮かべてイフリートへと突進する。背中に生えるは業炎の翼、それが彼女に空を自由に滑空する力を授けている。
「――――ッ!」
地面へと落下しているイフリートもまた、アスカの攻撃から吸収した力によって全身を包む炎を強くすると、周囲に轟く咆哮を上げて飛び出していく。
「「――――ッ!」」
虚空で激突する二つの炎。
眩い光が崩壊したマルーダの城下町を照らし、光に遅れて衝撃が駆け抜けていく。
「ぐうううぅぅぅッ!」
激突の中から真っ先に飛び出してきたのはアスカだった。
イフリートとの力量差は明確であり、彼女の小柄な身体はいとも容易く吹き飛ばされてしまう。力任せに吹き飛ばされたアスカの身体はボールのように地面をバウンドし、即座に体勢を立て直そうとするも、炎を纏った巨体はそれすらも許してはくれない。
相手に反撃を許さない一方的すぎる展開。
魔獣が腕を振るえば鮮血が舞って小さな影が吹き飛ぶ。
「まだだッ、こんなものじゃないだろッ!?」
「――――ッ!」
「怒れッ、猛れッ! 貴様の全力を見せてみろッ!」
鼻から、口から、白い手足から……鮮血が溢れてアスカの身体を汚すが、それでも彼女はイフリートへの挑発をやめようとはしない。戦うこと以外の知性を有しないイフリートを煽れば攻撃は活性化するばかりであり、アスカの小さな身体は魔獣による陵辱の限りを受けている。
『普通』であるならばこの時点で命はないだろう。
しかしそれは『普通』であるならばの話であり、イフリートに防戦一方となっているのはかつて世界を魔竜から守り抜いた『女神』なのだ。
「――――ッ!」
「どうした、魔獣?」
「…………」
その瞬間、イフリートは微弱な違和感を感じ取った。
何かがおかしい。
自分の攻撃は確かに効いている。
このままならば、直に少女の命は事切れるだろう。それは間違いない。
なのに何故だろうか――腕を振るう度に手応えが感じなくなっているのだ。
「もっとだ、もっと私をボロ雑巾のように痛めつけろッ!」
「…………」
腕を振るう。
少女は飛んでいく。
鮮血が眼前をゆっくりと舞う。
また腕を振るう。
鈍い音が鼓膜を震わせた。それは少女の身体を形成するどこかの骨が粉砕する音。
圧倒的なまでの攻勢。
圧倒的なまでの有利性。
負けるはずがない。
逆転するには遅すぎた。少女の身体には力は残されていない。
そのはずなのに――
それは間違いない真実なはずなのに――
「さぁ、私を殺せ。その果てに決着は待っている」
「――――ッ!」
イフリートの爪がアスカの身体を貫く。
防御を固めようと腕をクロスさせたアスカだったが、イフリートの爪はそんな彼女の腕を貫き、胸を裂き、内蔵を串刺しにしながら背中へと貫通させた。
これ以上ない決定的な瞬間だった。
炎獄の女神・アスカは炎の魔獣・イフリートの前に屈した――そのはずだった。
勝負は決した。イフリートは自らの爪を少女の身体から引き抜き距離を取ろうとする。しかし、そんな腕を掴んで離さないものがあった。
「捕まえたぞ、魔獣?」
口から夥しい量の鮮血を零しながらイフリートの腕を掴むアスカ。彼女は絶え間ない笑みを浮かべ、その瞳は爛々と輝きを増している。いつしか、アスカの身体を包む炎がこれ以上にない勢いを持っている。
危険だと判断した時には遅かった。
イフリートの腕は異常なまでの力によって固定されている。腕を掴むアスカの指が肉に食い込んでいる。このまま骨ごと握り潰すのではないかと言わんばかりの力を見せるアスカ。
彼女のどこにそんな力が残されているのか。
いや、どうしてここに来て今までにない力を見せているのか。
イフリートの脳内には様々な疑問が湧いて出ているのだが、その答えは見つからない。
「貴様が炎を吸収し強くなるのならば、我は死に瀕するほどに強くなる。ただ、それだけだ」
「…………」
「幾度となく死線を潜り抜け、自らの命の炎が潰えそうになる時……我の命は至上の輝きを手にする。勝負はこれより、最終決戦を迎える――ッ!」
アスカの全身を覆う炎がより一層輝きを増す。
炎の魔獣との戦いは激しさを増して終局へと誘われていく。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




