第七章11 炎獣・イフリートとの戦いⅡ
世界を手中に収めんとする帝国ガリアの動きが活性化し始めている。
各大陸に封印されし魔竜を回収する帝国騎士たちの魔の手は、ルーラ大陸に存在する要塞国家・マルーダへも伸びていた。航大たち一行がマルーダへと到達すると、既にそこでは帝国騎士による襲撃が行われている真っ最中であった。
魔獣たちが闊歩し、マルーダの城下町を荒らし回っている。
帝国騎士の中には異界の魔獣を召喚し、それを自由に使役することが出来る能力を持つ者がいる。その帝国騎士のことを航大はよく知っている。バルベット大陸の北方に存在する氷都市・ミノルア。そこはリエルやシュナの故郷でもあるのだが、そこを襲撃してきたのも帝国騎士であった。
異界の魔獣を召喚し、それを使役する怠惰のグリモワール。
それを所有するのが乱雑に伸ばした金髪に紅蓮の瞳を持つアワリティア・ネッツという青年であった。
「まだまだこんなものではないだろう? さぁ、かかってこいッ」
「――――ッ!」
マルーダ共和国へと到達した航大たちの前に立ち塞がったのは、異界の魔獣・イフリートであり、全身に炎を纏った魔獣を前にして一人、立ち向かうのは炎獄の女神・アスカだった。
互いに炎を得意とし、より強者との戦いを望んでいる二人が出会ったのは運命か偶然か……真っ向から衝突する両者の戦いは激しさを増していく。
「打ち砕け、纏いし炎に壊せぬものなし――裂・炎獄脚ッ!」
両腕に炎を纏うのが『絶・炎獄拳』であるのならば、両足に炎を纏うのが『裂・炎獄脚』である。
「さぁ、打ち合いの開始だッ!」
「――――ッ!」
炎獄の女神・アスカと炎の魔獣・イフリート。
両者は空を駆けると幾度となく衝突を繰り返していく。
激突してはその衝撃によって距離が開き、休む暇もなく再び衝突を繰り返す。
「くははッ、ほらほらッ……まだまだぁッ!」
両足に業炎を纏うアスカの一撃は強烈である。
大空を飛ぶ鷹のようにすばやく、軽やかに舞う蝶のようにしなやかに、アスカは空中を自在に舞うと巨大な体躯を誇るイフリートを相手に臆することなく足を振るっていく。
風を切る音と共にアスカの蹴りが炸裂する。
イフリートもまた負けじと爪を振るうのだが、その威力は完全に互角である。両者が衝突を繰り返す度に衝撃波が周囲に広がっていく。家屋が瓦礫へと姿を変え、地面が幾度となく抉れていく。
「おらあぁーーーーーッ!」
「――――ッ!」
一瞬の隙を突いてアスカはイフリートの頭上へと位置を変えると、ニヤリと笑みを浮かべながら頭部へと踵落としを見舞う。凄まじい衝撃と共にイフリートの巨体が地面へと落下していく。
地面へと落下するイフリートの身体が噴煙の中に消えていく。
マルーダの大地が揺れ動き、周囲にも衝撃が広がっていく。
「――――ッ!」
「ぬッ!?」
噴煙を斬り裂いて飛び出してきたのは、無数の炎球だった。
イフリートが放った炎球は虚空を自在に闊歩すると、あらゆる方向からアスカに襲いかかっていく。
「この程度……ッ!」
一つ、また一つと炎球を蹴りで迎撃していくアスカだが、彼女を襲う炎球は時間の経過と共に数を増やし、次第に対応が後手に回っていく。次第に身体へと被弾が増えていき、アスカの表情が僅かに歪む。
「――――ッ!」
アスカが炎球の対応に苦悩しているのを見て、イフリートが反撃に転じていく。
全身から炎を溢れさせると、イフリートは地面を強く蹴って飛翔する。彼が突進する先にはアスカが存在しており、言葉にならない咆哮と共にその爪を振るっていく。
「――甘いッ!」
「――――ッ!」
接近するイフリートに対してアスカは虚空を蹴り上げて自らの身体を反転させる。
その際に幾つかの炎球が小柄な身体に直撃するが、それでも彼女は弱る様子を見せずにイフリートに対して業炎に包まれた足で蹴りを繰り出していく。
「……ぐぅッ!?」
何度目か分からない衝突。
衝撃が城下町を駆け抜けていく中で、一方的に吹き飛ばされたのは炎獄の女神・アスカだった。イフリートが放つ炎球が直撃したことで彼女の身体には確かなダメージが存在していた。
それでも十分な破壊力を持つ攻撃を繰り出したのだが、一瞬の対応に出遅れが発生してしまった。互いに強者であるからこそ、一瞬の判断に遅れが出ればそれは致命的な結果を生んでしまうこともある。
アスカは自分が思っている以上に身体へのダメージが大きく、そのせいでイフリートに対する致命的な遅れを露見してしまったのだ。
「ぐッ、かはッ……」
再び地面が大きく揺れる。
アスカが踵落としでイフリートを地面に叩きつけたのならば、イフリートもまた全身をバネのように撓らせて繰り出した回し蹴りによってアスカを地面に衝突させたのだ。
広範囲に噴煙が巻き起こり、地面の揺れからも想像を絶する衝撃とダメージがアスカを襲う。見た目はただの少女であるアスカの身体は地面を何度もバウンドして、その全身を地面に擦りつけながら後退を繰り返す。
「ぐうぅ……これは、中々……がはッ、ごほッ……」
イフリートの蹴りはアスカの腹部にヒットし、よろよろと立ち上がるアスカは爛々と瞳を輝かせながらも口の中に溜まった鮮血を吐き出す。普通の人間であるならば、今の一撃だけで即死ものなのだが、彼女もまた女神と呼ばれる存在であるがため、全身への甚大なダメージだけで済ますことが出来た。
しかし、互角だった戦いが一瞬にして劣勢へと追い込まれたことは確実であり、長期戦になればなるほど、イフリートから受けた甚大なダメージが不利に働くことは間違いない。
「――――ッ!」
「……さて、どうしたものか」
よろめきながらも立ち上がるアスカを見て、イフリートは喜びを孕む咆哮を上げる。この程度で終わるはずがないと言わんばかりの咆哮が鼓膜を震わせ、アスカもまた身体の痛みを感じながらも笑みを浮かべている。
「そうだな、この程度では終わらんよ……私は炎獄の女神である。敗北は……許されないッ!」
誰がどう見ても圧倒的に不利である。
このまま戦いを続ければ自身の身体がどうなるか、それは張本人であるアスカが誰よりも一番よく理解している。しかし、彼女は世界を守護し、均衡を保つ女神である。だからこそ、敗北を認める訳にはいかないのだ。
狂戦士たる側面を持つアスカだが、彼女の行動の原理にはしっかりと世界を守る使命が存在しているのだから。
「業火よ猛れ、業炎よ我を包め、手にするは破壊の炎神――武・業火炎舞ッ!」
唱えるは究極の武装魔法。
全身に炎を纏い、背中には業炎の両翼が生える。
炎と一体化することで爆発的な速度と破壊力を得る武装魔法であり、かつて魔竜との戦いが続く中で、彼女が最も使った魔法の一つである。
周囲に濃厚な魔力が広がり、それが一点に集中することで対峙する敵に圧倒的な威圧感を与える。
「…………」
姿を変えたアスカを見下ろし、イフリートは再び自分の身体が粟立つ感覚を覚えていた。未だかつてこれほどまでの強者とは対峙したことがない。炎の魔神たるイフリートを持ってしても、アスカは素直に驚異であると認めざるを得なかった。
「我と貴様の戦いはまだ、終わらない……ッ!」
「…………」
「炎の竜よ、我に絶対不倒の力を授けよ――炎龍烈斬ッ!」
右手を大きく伸ばし、手の平に業炎を集めていく。
渦を巻いて集中する業炎は炎龍へと姿を変え、更に竜はアスカの体躯を上回る両刃の大剣へと変貌を遂げていく。炎の魔力が剣に具現化し、それを手にしたアスカは炎の翼を羽ばたかせる。
一瞬にして最高速度へと達するアスカの身体を目で捉えることは難しく、炎の魔神たるイフリートですら必要最低限の動きで回避行動を取るのが精一杯であった。
「どうしたッ、逃げるのかッ!?」
炎剣が空を切り、すかさずアスカは連撃の体勢を整えていく。
「――――ッ!」
イフリートもまたアスカの挑発に負ける訳にはいかない。
自らもそこらの剣には負けない切れ味を持った爪を振るって迎撃していくのだが、甲高い音が響いた直後、イフリートの右腕は大きく裂け、青白い液体が宙に舞う。
アスカが振るう剣が初めてイフリートに傷を付けた。
それは確かな手応えであったのだが、アスカが持つ炎剣もまたイフリートとの衝撃に耐えることが出来ずに剣の切っ先が折れる。
「なんという硬さッ、なんという切れ味ッ!」
「――――ッ!」
「次だッ! これならばどうだッ!?」
反撃に転じようとするイフリートの身体を炎剣を押し付ける形で強引に押し切ると、アスカは両手で炎剣を強く握り直して、ありったけの魔力を剣に注いでいく。
太陽のような眩い輝きを放つ炎剣は激しく燃え盛り、それを思い切り振り下ろすことで『炎の三日月』を生成する。それは剣から放たれた斬撃であり、触れるものを焦がし、あらゆるものを切り裂く必殺の攻撃であった。
「――――ッ!」
体勢を崩していたイフリートには避けることができない。
風を切り、瞬きの瞬間に接近する炎の斬撃がイフリートへと直撃する――。
「…………」
想像を絶する質量と破壊力を持った斬撃を受け止めることは不可能であった。
斬撃へと飲み込まれたイフリートは力なく地面へと落下し、轟音と共に爆発の中に姿を消した。アスカが放つ斬撃は大地を燃やし、幾度となく爆発を繰り返しては飲み込まれし悪を断罪しようとする。
誰が見ても直撃である。
勝負は決した。
そう判断してもおかしくない会心の一撃。
「――なるほど。それは厄介だ」
しかし、当事者であるアスカ自身が漏らした言葉は喜びに打ち震えていた。
決して、勝利を確信した訳ではない。その瞳は大きく見開かれており、驚きと喜びが入り混じった複雑な表情を浮かべている。
彼女が向ける視線の先、そこには自らが放った業炎が渦巻いているのだが、その炎が一点に集中している。渦潮のように炎が何かに吸収されているのだ――その中心に、史上最悪の魔獣が姿を現す。
「炎を取り込み、その傷を癒やしたか……化物め」
炎の中心。
そこには自らの体内へと炎を取り込みより強く、より強靭に成長を遂げたイフリートの姿があるのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




