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第七章3 潰える灯火

「我が騎士たちは優秀であるな」


「ふっ、優秀でなければ自分の部下として飼うこともないだろう?」


「あぁ、そうだな……全く、その通りである」


 暗雲が立ち込め、荒廃した光景がどこまでも続く大地。

 地竜に乗って大地を疾走するのは遠目からでも判別できる巨体を誇る男である。


 その隣では細身の身体と紅蓮に燃えるような赤髪が印象的な少女が男と同じように地竜を操舵していた。


「入念な準備が実を結ぼうとしている。これはとても喜ばしいことである」


「驚くほどに長い時間を掛けた。入念過ぎる準備が必要だったのか、理解し難い選択であったな」


「ふははッ、大きなことを成すのであれば準備は入念過ぎる方がいいのだ。万が一にも失敗は許されないのだからな」


「ほう、貴方でも失敗を恐れるか?」


「当然だ。これまでも失敗ばかりの人生であった」


「失敗ばかり……とても、そのようには見えないが?」


「失敗をしない人間は存在しないのだ。人間という生物は不完全であり、不完全だからこそ人間なのだろう」


「はっはっは、誰よりも人間であることを嫌い、誰よりも人間でありたくないと願う貴方がそれを言うか?」


「我はこの世界で最も人間という生き物を愛している。愛しているからこそ、我は不完全ではない完璧な人間というものを作り出したいのだ。憎しみもない、争いもない、全てを我がコントロールする。その果てに真なる世界が存在するのだ」


「貴方は神にでもなるつもりか?」


「……愛する人間のためならば、我は神にも悪魔にもなろう」


「その覚悟があるのならば、何も心配することはないな」


「さぁ、もうじき見えてくるだろう。我が最も失敗した消えぬ遺恨が……」


「あれが……」


 荒れ果てた大地を進む二つの人影。

 変わらぬ景色が延々と続くかと思った矢先、大地が突如として『変化』を見せる。


「炎の大地と氷の大地……相反する二つの大地が隣り合っている……近くで見ると壮観だな」


「あれこそが、我の最も失敗した産物である」


「へぇ……失敗の産物、ね。ガリア・グリシャバル。貴方はそれをまだ引きずっていると?」


「そうだ。あの大地が存在し続ける限り、我の心が晴れることはないだろう」


「それならば消してしまえばいい。ガリア、貴方ならばそれが出来るだろう?」


「あぁ、そうだな……」


 遠くに見える異形の大地。

 かつて大陸間戦争と呼ばれた全世界を巻き込んだ大規模な戦争が勃発した。


 戦争末期。


 敵対する二つの大国を代表する英雄たちが衝突した。


 その結果が戦争の行く末を決める。壮絶なる激闘の末、帝国を代表する英雄は倒れ伏した。人知を超えた力の衝突は大地の環境を一変させた。


「この場所に居るのだろう?」


「奴はここにいる。それは間違いないだろう」


「それならば、急いで向かおうじゃないか。そのために、我はここにいるのだろう?」


「その通りだ。お前には手間をかけるな」


「ふっ、この日のために生まれてきた。貴方が作る世界の行く末を見守ることが出来ないのが、心残りではあるがな」


「…………」


 猛吹雪が常に吹き荒れる氷の大地。

 灼熱の炎が絶え間なく生まれる炎の大地。


 二つの大地が重なり合うその場所に、帝国ガリア総統であるガリア・グリシャバルが求めるものがある。それは彼の野望を果たすために欠けてはならないピースであり、最も近くに存在していながら、ガリア自身が手に入れなければならないものでもあった。


「さぁ、行こうではないか」


「あぁ……」


 大陸間戦争。

 あの戦いでガリアは生まれて初めて決定的に敗北した。


 この世界において自分よりも強い人間なんて存在するはずがないと信じていた。他者を寄せ付けない圧倒的な自信と力を兼ね揃えていたガリアだったが、そんな彼の全てを打ち砕く者がいた。


 壮絶なる戦いの果てにガリアは左半身を失い、命の灯すらも消そうとしていた。


「…………」


 世界は不平等である。

 あらゆる格差が存在し、生まれながらにして与えられた地位によって迫害される。


 格差があるから争いが発生する。

 争いがあるから人が死ぬ。


 ガリア・グリシャバル。


 その男は誰よりも世界を愛し、誰よりも人間を愛していた。

 だからこそ、争いの耐えない世界の姿に、命を落としていく人々の姿を許すことが出来なかったのだ。


「……あれから長かった」


 歪み、肥大化する想いはやがて野望へと姿を変える。

 世界を統一し、真なる平等の元に新たなる世界を作る。

 それがガリア・グリシャバルが考える世界のあり方であった。


「……迎えにきたぞ」


 ガリアが一步を踏み出す。

 その度に大地が裂け、周囲の空気が震撼する。


 過去への決別。


 ガリアは今、過去の遺恨と向かい合い、そして未来へと足を踏み出すために過去を精算する。消えることのない炎と氷の大地は、ガリアが足を踏み出す度に瓦解していく。


『私はこの時を待っていた』


 その声はガリアの鼓膜を震わせたのではなく、彼の脳内に直接声を届けた。


「久しいな」


 突然の事態が発生してもガリアは動揺を見せることはなかった。


 永い時を経て再会する瞬間のような、ガリアは姿を見せない何者かとの再会を誰よりも喜んでいた。その声は弾んでいて、今すぐにでも声の主に会いたい、そんな様子が伺い知れる。


『時は満ちた。さぁ、我の元まで来るがいい』


「そうしよう」


 ガリアは大きく一步を踏み出す。

 決して忘れることのできない、過去の遺恨が残る異形の大地をしっかりと踏みしめる。


「ほう、こんな場所が……本当に炎と氷の大地と言ったところだな」


「過去の遺物である。我にとっては、全てが終わり、全てが始まった場所でもある」


「大地の環境をここまで変えるとは……貴方にそこまでの決意をさせる相手とは、どれほどのものだったのか」


「今ではもう過去の話だ。世界は時間と共に移り変わる。どんなに力を誇示した存在も、時間という悠久の流れには逆らうことが出来ない」


「……今では負けることはないと?」


「我、以外の人物は時間と共に全てが劣化する。そして、我は時間と共に力を増していく」


「それでは、貴方には敵が居ないということになる」


「その通りだ。我はこの世界を統べる神になる。神は世界の頂点に君臨していなければならない」


「神になる。恐れ多いものだ。しかし、貴方ならばそれが可能なのかもしれない」


「かもしれない、ではない。我は我の野望を果たす。そのための準備を今、進めているのだ」


「そうだな。自分の野望を果たすのだというのならば、まずはアレをなんとかしなければならない」


 異形の大地を進むガリアと赤髪の少女。

 そんな二人の前に立ち塞がる存在があった。


「立ち去れ、ガリア・グリシャバル」


「懐かしいな、名も知らぬ獣よ」


「いずれやってくるだろうとは思っていた。しかし、この先へ通す訳にはいかない」


「この大地は我が作った物だが、貴様はどうやら違うようだ」


「我々は女神によって作られた。ここに眠るある物を守るために」


 ガリアの前に立ち塞がるのは炎の獣だった。


 全身を燃えたぎる炎で包んだ四足の獣は、爛々と輝く瞳でガリアを睨みつけている。その身に宿す魔力は極限にまで高まっており、敵意と殺意を隠そうともしていない。


「女神。なるほど。この世界の均衡を保っていると言われた存在か、全く忌々しい限りだ」


「…………」


「そっちの竜も我の邪魔をするのか?」


 ガリアが視線を向ける先、そこには美しい青の鱗が印象的な竜が存在していた。


「貴様は危険過ぎる。この先へ通す訳にはいかない」


「こちらも素直に引き下がる訳にはいかないのでな。戦うというのならば、相手をしようじゃないか」


「――――ッ!」


 炎と氷が支配する異形の大地を支配する魔獣たちが先に動きを見せる。

 その身に膨大な魔力を内包し、魔獣たちはありったけの力で攻撃を仕掛けようとする。


「その程度の魔力か……片腹痛いッ!」


「――――ッ!?」


 魔獣たちが接近を始める。

 しかし、ガリアは一切の動揺を見せることはない。


 雄叫びにも似た声音が周囲に轟くのと同時に地面が大きく抉れる。


 ガリアが放つこれまでに感じたことのない膨大な魔力が大地を抉り、接近する魔竜たちの身体を斬り裂いていく。


「その程度か? 我が敗北を喫したこの大地を守る獣よ」


 自らが発した禍々しき魔力は女神によって力を与えられし魔獣たちを一瞬にして吹き飛ばす。炎の獣が、青の鱗を持つ竜が地面を滑り、力なくその場に倒れ伏す。


「この我を相手に全力を出さぬと言うか? それとも、力を出せない理由があるのか?」


 帝国を統べる男が一歩を踏み出す。

 巨体を誇る彼を中心に空間が歪み、踏み出す足を中心に幾つものクレーターが出現する。


「つまらぬ。このような力も持たぬ者がこの大地に君臨していたなど、到底認めることは出来ない」


「…………」


 炎と氷の魔獣たちは地面に縛り付けられている。

 ガリアが近づく度にその身体は歪な音と共に地面へめり込んでいく。


 全身を押し付けようとする重力が強くなっている証拠であり、骨が軋み、無残にも折れていく生々しき音が周囲に木霊している。既に戦うための力は残されていないことは明らかであり、しかし帝国総統・ガリアは自らが発する魔力を抑えることすらない。


 苛立たしげに声を漏らし、そして右手をゆっくりと差し出す。


「……消えろ」


 聞く者に畏怖の念を与える冷え切った声音が響く。

 その直後、魔獣たちの身体はトマトが潰れた時のような、そんな音と共に絶命した。


 女神によって永い時を生きてきた魔獣たちは抵抗することすら許されずに命を落とした。あまりにも呆気ない最期であり、その死を悲しむ者すら存在しない。


「さぁ、行こう」


「……貴方はどこまでも暴虐的だ」


「それぞれが果たすべき使命がある。命を賭けて守らなければならないものがある。それは我にとっても同じことである。この命を賭けてでも、果たすべき野望がある。互いに譲れぬのなら、己の武力を持って相手を制さなければならない」


「…………」


「貴様の力を借りる時が来たようだ」


「……そうみたいだね」


 魔獣たちに視線を向けることなく、ガリアと赤髪の少女は歩を進める。

 静寂が支配する異形の大地。その中心には『塔』が存在していた。

 異様な魔力と雰囲気を発する名もなき塔。この場所にガリアは用事があったのだ。


「――――」


 塔に向かって手を伸ばす。

 すると、眩い閃光が突如として走り、そしてガリアの右手を吹き飛ばした。


「……なるほど。これが結界ってこと」


「その通り。武装魔法を纏っている我の手をいとも容易く吹き飛ばしおった」


「凄まじい力で封印されている」


「この結果は力づくで突破することは我にも不可能。だから貴様を利用するのだ、ネーシャ」


 赤髪の少女を振り返り、ガリアはそこで初めて彼女の名を口にした。


「ようやくその名を呼んでくれた」


「名など、我にとってはどうでもいいこと。さして重要なことではない」


「……それでいい。それを望んだのは自分なのだから」


「無駄話をしている時間はない。その力、今ここで使ってもらおう」


「…………」


 ガリアの言葉に導かれる形で赤髪の少女・ネーシャは一步前に出て、目に見えぬ結界と対峙する。ただ見るだけならば、そこに強力な結界が存在しているなんて思いもしないだろう。


 本来、名もなき塔が人間に認識されていることすらが異常なのである。


 超高度な認識阻害の魔法と守護結界によって、塔は厳重に封印されていたはずである。しかしそれは、世界の均衡を保つ女神たちの連携が乱れたことによって力を失いつつある。


 ガリアもまさか自分が統治する大地に封印されているとは知らずに、永い時を過ごしてきたのだ。自らが主導する世界の崩壊と再生。その過程によって、塔は姿を現したのである。


 この塔に求めるものがある。

 しかし、守護結界を突破するのは容易なことではない。


「貴方の役に立つことができる、それはとても喜ばしい」


「…………」


 ネーシャの声音が優しく響く。

 これまでのイメージとは打って変わって、これまで押し隠していた人間的な感情が表に出ているのだ。


「この瞬間のために生まれてきた。自らの命を散らすことに悔いはない」


「…………」


 炎獄の女神・アスカと酷似した少女はゆっくりと右手を差し出していく。

 それはガリアが手を吹き飛ばした時と全く同じ行動である。

 結界に触れればその身体が吹き飛ぶ。しかし、ネーシャは躊躇う素振りを見せることすらない。



「――さようなら」



 その言葉がガリアの鼓膜を震わせた瞬間だった。

 ネーシャの小柄な身体が消し飛んだ。


 たっぷりの水音を含んだ破裂音が周囲に轟き、人間として存在していたネーシャの身体は瞬きの瞬間に肉塊へと姿を変えた。その直後、塔を包んでいた守護結界は音を立てて崩壊する。


「やはり、結界の破壊には女神の力が必要であったか」


 肉塊に姿を変えたネーシャに視線を向けることなく、ガリアは無表情で眼前を見つめ続ける。

 女神が施した結界。


 それを破るためには女神の力が必要だった。


 ガリアにとって確証を得られた試みではなかったものの、不運にもガリアの試みは見事に望む結末をもたらした。今、目の前で潰えた命についてガリアが思いを馳せることはない。


 自らの野望を果たすためのやむを得ない犠牲である。

 その程度にしか彼は認識を持っていないのだ。



「魔竜・アーク。我はここまでやってきた。さぁ、世界をその手にしようではないか――」



 ガリアの声音が響く。

 それは世界が終末へ向かって新たなる一步を踏み出した瞬間でもある。


 剣と魔法が支配する異世界。

 ゆっくりと、ゆっくりと、世界は破滅へ向かって突き進む。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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