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第六章57 邂逅・魔竜ガイア

「あれ、俺はどうしてここに……?」


 気付くと、航大は自らの深層世界へと誘われていた。


 記憶が混濁としており、自分がどうして今、この場所へ至っているのかを理解することが出来ない。自分はハイラント王国にて封印から解かれようとしている魔竜をなんとかするためにリエルと共に行動をしていたはずである。


 魔竜はハイラント王国の地下で封印されていた。


 じっとりと身体に纏わりつく魔竜の魔力を感じながら、航大とリエルは魔竜が封印されている塔の最下層へと到達したはずだった。


 しかし、そこからの記憶が酷く曖昧であり、気付けば航大は自らの深層へと招かれていた。


「なにがどうなって……魔竜の封印はどうなったんだ……ッ!?」


「航大くん、ごめん……」


「え、あっ……カガリ……?」


「私たちの予測があまりにも甘かったです……」


「シュナも……」


 声に振り返れば、そこには暴風の女神・カガリと、氷獄の女神・シュナの二人が存在していた。かつて魔竜の厄災から世界を救った女神である二人は、揃って肩を落としその表情をどこまでも暗く歪ませていた。


「なにがどうなってるんだよ……どうして俺はここに居るんだ? リエルたちはどうなってる?」


 航大は自らが感じている疑問について女神へと問いかける。


 彼女たちの表情から良い返事がもらえることはない可能性が大きいが、それでも航大には現状についての正確な情報が必要であった。


「私たちは魔竜が持つ負の魔力について知識がなかった……」


「航大くんのような普通の人間からすれば、魔竜が放つ魔力っていうのは毒だったんだ」


「あ、あぁ……それはなんとなく分かってたけど……でも、それはシュナたちの加護があれば大丈夫だったんだろ?」


「航大くん、結果から話すのならば僕たちの加護は大丈夫ではなかったんだ」


「どういうことだよ……」


 聞いていた話と違っていた。

 カガリの言葉に表情を顰める航大は話を続けるように女神たちへと伝える。


「私たちの加護は確かに航大さんを魔竜からの魔力から守る役割は果たしていました。きっと、加護がなければ航大さんの命は危険な状態になっていたことは事実です」


「…………」


「しかし、あの狭い空間に充満していた魔竜の魔力を体内に取り込んでいたことは事実であり、最下層へと到達する頃には人間に許された許容量を遥かに超えていた」


「超えるとどうなるんだ……」


「本来ならば命を落とします。しかしそれは、私たち女神の加護によって保障されていました。問題は別のところにありました」


「別のところ……?」


「充満していた魔力を摂取していた航大さんは、その許容量を超えたために身体のコントロールを奪われたのです。奪ったのはもちろんその場に封印されていた魔竜・ガイアです」


「そんなことが可能なのかよ……」


 沈痛とした表情で事実を語る氷獄の女神・シュナ。


 彼女の話が事実なのだとしたら、航大がこうして深層世界へと誘われた理由にも納得することが出来る。


 魔竜によって身体を奪われた結果、航大としての意識は追いやられ、その果てにこの場所へと至っている。


「可能かどうか……それは僕たちにも分からなかった。だけど、事実を正確に述べるのならばそれは可能だったんだよ」


「……そうか」


 航大の問いかけに返答したのは暴風の女神・カガリであった。

 彼女もまた自らの責任を感じているのか、表情は暗く沈んでおり言葉は歯切れが悪い。


「それで、魔竜はどうなったんだ?」


「魔竜に関しては――」


 カガリとシュナは航大の視界を通して、事の顛末を見ている女神たちは航大の問いかけに言葉を濁す。その様子に航大は一抹の不安を禁じ得ないのだが、女神たちの返答を待ち続ける。


「魔竜はね、航大くん……その――」


「カガリッ!」


 気まずそうな様子でカガリが口を開こうとした瞬間だった、シュナの鋭い怒号が深層世界に響き渡る。


「忌々しい気配がすると思えば……やはり、女神たちであったか」


「その声……魔竜・ガイアッ!」


 カガリの声音にその場に居る全員が一瞬にして警戒態勢を整えていく。

 声がした方を見れば、そこには眩い光を放つ光球が存在していた。

 光球からは地鳴りのような低い声音が漏れている。


 航大には分からなかったが、女神たちの反応から光球の正体は魔竜・ガイアと呼ばれる存在であることは理解した。


「かつて我々の野望を砕いた女神が、こんなところでなにをしている?」


「ふん、そんなことアンタに説明する義理はないね」


「人としての実体を持たず、子供の中に寄生するような姿が、女神と言えるのか?」


「うるっさいなぁ……」


 光球と会話をするカガリは苛立ちを隠そうとはしない。


 航大から見れば、ただの光る玉と話しているようにしか見えないのだが、魔竜とカガリたち女神の間には浅からぬ因縁が存在するのも事実。カガリと同じようにシュナもまた険しい表情を崩すことなく、その身に魔力を充填させていつでも戦えるように準備を整えている。


「あと二人の女神はどこにいる?」


「その情報を貴方に渡す必要はありません」


「その声、北の女神か。懐かしいな」


「…………」


「ということは、そこの小娘が西の女神……後は南と東の女神たちか」


 光球は航大たちを見下ろしながら、懐かしい邂逅となった女神たちと会話を続けている。


「おい、魔竜だかなんだか知らないけどな、俺の中で偉そうにしてんじゃねぇぞッ」


「貴様が女神たちの拠り所か。傀儡たる存在が、我に口を利こうなどおこがましい」


「英霊憑依――氷神ッ!」


「航大くんッ!?」

「航大さんッ、ダメですッ!」


 魔竜の挑発に乗り、航大は自らの深層世界で氷獄の女神・シュナと融合を果たす。

 その髪を瑠璃色に変色させ、全身を覆うのは煌めく青のローブマント。


 右手には背丈ほどある杖が握られており、その先端には氷の魔力を内包した結晶が飾られている。世界を守護する女神との融合は、航大に絶大なる力を与える。


 これまでも幾度となく激戦を経験してきた航大を助けてきた力でもあり、世界を厄災へと導く魔竜が相手であったとしても対等に渡り合うことが出来るはずである。


「万物を砕け、大地を切り裂け、氷牙の前に敵はなし――氷牙業剣ッ!」


 女神たちが焦る声音を無視して、航大は即座に魔法の詠唱へと入る。

 唱えるは巨大な氷の剣を生成する攻撃魔法。

 航大の身体を中心に膨大な魔力が集中してくると、虚空に氷剣が生まれる。


「誠、愚かなり。その程度で我を倒そうと言うのか」


 航大が攻撃を仕掛けてくるのを見て、魔竜・ガイアと呼ばれた光球はため息混じりに声を漏らす。嘲笑し、侮蔑するような声音に航大の怒りはより増していくばかり。


「航大くん、落ち着いてッ! 今はまだ戦う時じゃないッ!」


「でも、ここでコイツを倒せれば問題ないだろッ、あいつはまだ完全体じゃない、それならば勝てるッ!」


 魔竜・ガイア。

 世界を脅かす存在も今では実体を持たない光でしかない。


 本来の力を取り戻しているとは言えず、この状態であるならば倒すことも可能であると言い張る航大。しかしそれは、目覚めつつある悪意の本質を目の当たりにすることへと繋がる。



「その言葉は間違っていない。しかし、魔竜たる我を甘く見るでないぞ――」



 魔竜の声音が響き、それと同時に航大の深層世界を激しい揺れが襲う。

 そして急速に禍々しき魔力の密度が上昇すると、光球がこれまで以上の眩い輝きを放ち始める。


「確かにお前が言うように、我はまだ完全ではない。しかし、貴様のような小童を葬ることなどあまりにも容易い」


 魔力を十分に集めた光球は強い輝きを放つとその姿を変えていく。

 次の瞬間、ただの光球であった魔竜・ガイアは深層世界に真の姿を現す。


「…………」


 見上げるような体躯をした竜がそこに現れた。


 二本足で立ち、その身体には隆々とした筋肉が浮かび上がっている。漆黒の鱗が全身を覆っており、手足には異なる属性の力が溢れ出している。


 右手に炎。

 左手に雷。

 右足に氷。

 左足には蔦が覆っている。


 巨大な二本の角を生やした竜の顔からは紅蓮に光る瞳が航大たちを見下ろしている。


 コハナ大陸で封印されていた魔竜・ギヌスと対峙したことがある航大であったが、実際に封印から解かれた魔竜と邂逅を果たすのは初めてだった。その圧倒的なまでの威圧感、そして対峙しているだけで冷や汗が止まらなくなる禍々しき負の魔力。


 一瞬にして本能的な畏怖の念を禁じ得ない状況に、航大は攻撃を逡巡してしまう。


「その遅れが致命的な敗北を生む」


「航大くん、逃げてッ!」


 カガリの声音が響く。


 魔竜・ガイアはそんなことも気にした様子はなく、口をゆっくりと開くとその奥に眩い輝きを生み出す。両手両足に見える四大属性の力が突如とした濃度を増していく。鱗の間から火、雷、氷、木、それぞれの魔力が放出され、膨大な魔力は鱗を輝かせながら魔竜の口へと注がれていく。


「――消え去れ」


 冷徹な声音が鼓膜を震わせ、航大の身体は無意識の内に震える。


 そして魔竜・ガイアはその口から光の一閃を放つと、航大の深層世界を一瞬にして『地獄』へと変えていく。


「――――」


 視界が光に包まれる。

 逃げなくては危ない。


 脳がそんな危険信号を発するのだが、航大の動き出しは致命的な遅れを生んでしまった。

 今から行動を開始しても逃げることは不可能に近い。

 迫る光線に対して航大は一步も動くことが出来ない。


「世界を包む風よ、我は全てを拒絶する――風絶連花ッ!」


 光線が直撃する。

 その直前、航大の前に割り込む人物があった。


 茶髪を肩下まで伸ばし、シャツに太腿までを露出したショートパンツと露出が激しい格好をした暴風の女神・カガリはその額に大粒の汗を浮かばせながらも守護魔法を即座の内に展開していく。


「――――」


 次の瞬間、壮絶なる衝撃が航大の身体を襲う。

 視界は眩い光に包まれ、身体は吹き荒れる暴風によって上下左右の感覚を喪失する。


 鼓膜を支配するのはあらゆるものが破壊される悪夢のような衝撃音であり、それは時間にしては短いが永遠にも似た感覚の中で破壊を続けていた。


「今の我ではこの程度か……封印とは忌々しい……」


 全身が悲鳴を上げている。

 深層世界であるが故か、魔竜が放った一撃によって航大が死ぬことはなかった。

 それでも全身には鈍い痛みが続いており、自分の四肢が無事であることが奇跡のように思えた。


「くそッ……いってぇ……」


 痛む身体に鞭を打って航大は立ち上がる。


「――――」


 そして眼前に広がる『地獄』に言葉を失う。

 航大の深層世界は天地が逆転した異様な世界である。


 足元に快晴の空が広がり、頭上には懐かしい世界の光景が映し出されている。

 不思議な世界であり、それが故に美しい自らの深層世界。


 しかしそれは、魔竜が放った一撃によって一変してしまった。


 足元の空は黒々とした炎が包み、頭上を見上げれば見慣れた街並みが消えぬ業炎に包まれている。天地が一瞬にして炎に包まれており、魔竜という存在が持つ力の片鱗を見せつけられる。


「航大くん、大丈夫……?」


「カガリッ!?」


 下の方から声がした。

 そこを見れば、全身に重度の火傷を負ったカガリが膝をついてうずくまっている。

 魔竜の攻撃から航大を守ろうとしたが、その全てを受け流すことは出来なかった。


「痛てて……さすがに、全部を一人で受け切るのは無理だったみたいだね……」


「大丈夫なのかよ、カガリッ!」


「まぁ、ここは航大くんの中だしね……死ぬことはないよ」


 ボロボロの状態になったカガリ。

 その顔に笑みを浮かべて航大の心配を和らげようとする。


「航大さん、大丈夫ですか……?」


「シュナ……俺は……」


「無事なようで良かったです。カガリも無事で……」


 航大との融合が解け、シュナが再び姿を現した。

 彼女は心配そうな表情で航大とカガリの様子を確認し、ひとまず無事であることを見て安堵する。


「不完全な身体とは面倒なものだ」


「…………」


「自らの身体すら維持することが出来ぬとは……嘆かわしい」


 魔竜・ガイア。

 その身体に四大属性の力を備えた魔竜は、忌々しげに言葉を吐き捨てる。


 既にその身体からは膨大な魔力を感じることが出来ず、本人が言うようにまだ完全な状態ではないらしい。しかし、航大はその言葉に安堵することはない。不完全な状態でありながら、航大の深層世界を一瞬にして壊滅させる力を見せつけてきた。


 かつて世界を厄災へと導いた魔竜の力。

 その片鱗を見せつけられ、航大は絶句する他ない:。


「忌々しい女神たちよ、我はもうじき完全なる復活を遂げるだろう」


 魔竜は自らの身体を維持することが出来ず、足元からその身体を瓦解させていく。

 紅蓮に光る瞳で航大たちを見下ろしながら、魔竜は言葉を続ける。


「完全なる復活を果たした時こそが、この世界の真なる壊滅だと心せよ。我が持つ力の片鱗は見せた。過去、貴様たちに封印された時のようには行かぬぞ。次、邂逅を果たした時こそ、この世界の終焉と心せよ」


 その言葉を最後に魔竜の身体は完全に消失する。

 それと同時に深層世界を包んでいた炎も消えてなくなる。


「…………」


 一瞬にして静寂が戻る深層世界。

 しかし、魔竜によって植え付けられた恐怖と痛みは残り続けている。


「なんだったんだよ、アイツ……」


「航大さん、あれが魔竜と呼ばれるものです」


「魔竜ってのは、全員があんな無茶苦茶なのか……?」


「そうですね。魔竜と呼ばれるものたちは、その全てがこれまでの戦いで見てきたものとは決定的に異なります」


「マジかよ……」


「ちなみに、さっきの魔竜は確かにガイアで間違いないけど、あれは航大くんの中に入り込んだ魔力が作り出した不完全も不完全なものだよ」


「…………」


「本体はとっくにハイラント王国から脱出しています」


「ということは、やっぱり俺が気を失ってる間に、魔竜は……」


「そういうことになるね。帝国ガリア、彼らは本当に世界を破滅へ導こうとしている。魔竜を集めているのも事実で、もしかしたら既にいくつかは手中に収めているかもしれないね」


 カガリの言葉が絶望を孕んで航大の鼓膜を震わせる。


「他の大陸にも急いだほうがいい。全ての魔竜が帝国ガリアの手に落ちるのは避けなければならない……」


「そうですね。急ぎましょう」


 カガリの言葉にシュナも賛同する。

 もちろん、航大も女神たちと同じ気持ちである。


 握られた拳はこれからの戦いへ向けての意気込みを表しているかのようであり、しかしその拳は小刻みに震えてもいた。


 魔竜が見せる圧倒的なまでの力は、少しずつ波紋を広げ、やがて全世界に広がろうとしているのであった。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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