第六章56 暴食の騎士
「魔竜・ガイア。それを受け取りに来たの」
ハイラント王国の王城。
南方地域より帰還を果たした航大たち一行を待ち受けていたのは、世界を終末へと誘う絶望であった。
王女・シャーリーへ南方地域で起きた事件について報告をしている最中、突如として王城が激しい揺れに襲われた。禍々しき魔力が王城を包み、その発生源へと航大とリエルが向かう。
じっとりとした身体に纏わりつくような魔力を追跡する航大とリエルの二人は、王城の中で一際巨大な塔を目標にして走っていた。というのも、名も知らぬ王城の塔から膨大な魔力が漏れ出ていることは明らかであり、そこにハイラント王国を襲った犯人が居ると判断し、禍々しき魔力で満たされる塔へと足を踏み入れた。
塔の内部には上へ続く階段ではなく、遥か地下へと続く螺旋階段が存在していた。
上に登っていくものであるといった認識を覆す展開に驚きつつも、航大たちは魔力が濃厚である下層を目指して歩を進める。一歩一歩、また一步と脚を踏み出して最下層へと近づく度に、航大たちの身体を包む濃厚な負の魔力は強くなっていく。背中を伝う汗も多くなり、普通の人間ならば負の魔力に当てられて気を失うような状況であるが、航大は女神の加護を受けることでその場をやり過ごしていた。
「魔竜、ガイア……じゃと?」
塔の最下層。
そこへ到達した航大たちは異様な光景を目の当たりにする。
これまで禍々しき魔竜の魔力を追ってきた航大とリエルだったが、そこには二人が危惧した展開を裏切る光景が広がっていた。塔の最下層には小部屋が存在しているのみであり、壁に備え付けられた松明が弱々しく部屋を照らしている。
部屋の中央には松明の灯りを受けて白銀に輝く十字架が地面に突き刺さっているだけであり、それ以外には一切の物が存在しない。てっきり航大は封印される魔竜の姿があるものだと思っていた。
コハナ大陸で眠る魔竜・ギヌスはその本体がしっかりと封印されていた。
だからこそ、最下層に魔竜の姿がなかったために航大とリエルは拍子抜けといった様子でため息を漏らした。
――しかし、その安堵こそが最大の落とし穴であった。
「……私は帝国ガリアの騎士。暴食のグリモワールを所有している。私たちには課せられた任務がある」
「……任務、じゃと?」
「そう。世界に散らばった魔竜の回収」
「――――」
「魔竜はこの場所に封印されていた。しかし、私にはその封印を完全に解くことが出来なかった」
魔竜が持つ禍々しき負の魔力。
それは普通の人間が長時間触れるには毒であることに間違いはなかった。
一切の魔力耐性を持たない航大のような一般人であるならば、最悪、死に至ることもある危険なものであった。魔竜の封印が弱まった塔には負の魔力が充満していた。女神の加護があるおかげで航大はこれまで劣悪な環境の中でも耐えることが出来たが、魔竜が放つ魔力は着実に航大の身体を侵食していた。
「ハイラント王国に眠る魔竜は他のとは違う。特別なもの。だから、封印もまた特別な仕掛けが施されていた」
「まさか……」
「……ハイラント王国に眠る魔竜・ガイアの封印。それを解くことが出来るのは、お兄さんだけだった」
「…………」
「――魔竜・ガイアの封印を解くために必要なもの。それは世界の均衡を保つ女神の力」
魔竜の侵食は耐性のない人間に苦しみを与えるだけではなかった。
あまりにも多くの魔力を取り込めば、一時的ではあるものの魔竜による行動のコントロールを受ける。女神の加護によってなんとか持ちこたえていた航大であったが、しかしその身体に取り込まれた魔力の量は許容量を遥かに上回っていた。
「時間は一瞬でよかった。一瞬でもその身体が自由を失い、そしてその十字架に触れればそれでよかった」
「儂たちが、魔竜の封印を解いた……?」
リエルが振り返る。
そこには茫然自失といった様子で立ち尽くす航大の姿があった。
「そういうこと。これでまた、世界は終末へと近づいた」
帝国ガリアの騎士、ガリア・ナタリ。
彼女は個性的な帝国騎士の中では寡黙であり、感情の起伏に乏しい存在であった。積極的に任務へ参加することもなく、他の帝国騎士たちからもその実力を疑問視されることが多かった。
しかし、ガリア・ナタリという存在は誰よりも力を持ち、そして誰よりも頭脳明晰であった。
航大が帝国で捕らわれた時、ナタリは彼が持つ特別な力の片鱗を感じていた。
帝国で航大とユイが戦った際、氷獄の女神・シュナが持つ力の残滓を見逃すことはなかった。そして、バルベット大陸へと降り立った彼女はそこで氷獄の女神・シュナが残した力を見る。
その瞬間に航大が見せる特別な力は女神が与えたものであることを理解し、そしてハイラント王国へと到達した。王国へ辿り着いたナタリは真っ直ぐに魔竜が眠る塔へと向かった。塔を守護する騎士へ『幻覚』を見せることで内部へと侵入し、そこで魔竜の封印と対峙する。
「美しき氷の華、凍てつく世界に咲き誇れ――」
魔竜が復活を果たそうとする塔の最下層。
リエルが放つ結界魔法によって閉ざされた空間が一瞬にして氷の世界へと姿を変える。
「……貴方が私と戦うの?」
「魔竜の復活……それを許す訳にはいかぬ」
「復活を止めることはできない。それが定められた運命だから」
「固く、凍てつく、氷の拳、破壊の一撃を見せよ――氷拳剛打ッ!」
纏うは氷の武装魔法。
華奢な両腕に巨大な氷が覆うのを確認すると、リエルはすぐさま次なる行動へと移る。
「…………」
「おりゃあああぁぁーーーーーッ!」
氷雪結界の中に在るとき、リエルは通常からは考えられない機動力を手にする。結界魔法の範囲内であれば彼女はどこからでも現れることが出来る。その特性を利用することでリエルはナタリの前から姿を消すと、瞬きの瞬間に背後へと回って攻撃を仕掛ける。
「まずはお主を無力化する。この狭い空間で結界の中ならば、こちらに分があるッ!」
「はぁ……なにもこんなところで戦わなくてもいいのに」
「――――ッ!?」
リエルの攻撃は完璧であった。
結界で姿をくらまし、そして息つく暇も与えずに攻撃を繰り出す。
放たれた拳は確かにナタリを捉えたはずだった。
しかし、放たれた拳は突如として現れた炎によって阻まれる。
「くッ!?」
「貴方では私に触れることすら出来ない」
「なん、じゃと……ッ!?」
「今の貴方では私の相手は務まらない。他の帝国騎士たちと戦うことで精一杯だろうし」
「あまり儂を舐めるんじゃ――」
「相手はしっかりと見極めたほうがいい」
「――ぐぅッ!?」
ナタリの静かな声音が響く。
すると、リエルの身体から力が抜ける。
「な、なにを……ッ!?」
「私は何もしていない。だけど、身体に力が入らないでしょ? そして、本物の私がどこにいるのか、それが分からないでしょ?」
「――――」
身体から力が抜け、自らが生成した結界魔法を維持することすら出来なくなる。
自分の身体を襲う異変に気付くことが出来ず、リエルは混乱するのだがそんな彼女にさらなる追い打ちが襲いかかる。
「どういう、ことじゃ……」
「ほら、早く本物の私を見つけないと、貴方は死んじゃうよ?」
「や、やめろ……ッ!」
ナタリの声音が四方八方から聞こえてくる。
その違和感に顔を上げれば、そこには数えることすら億劫になるほどの『ガリア・ナタリ』が存在していた。二人、三人なんていうレベルではない、数十人を超える同じ姿をした人間がリエルを取り囲んでいるのだ。
どこまでも無表情に、どこまでも無感情にリエルを見下ろすナタリは、その手に燃え盛る炎の剣を握っていた。
いつのまに分身した?
攻勢だった状況が一瞬にして一変した現実を理解することが出来ない。
ただ一つ確かであることは、今のリエルは絶対的に危険な状況にあるということだけ。
「一つ」
「ああああああああぁぁぁぁぁッ!?」
ナタリの声音が響く。
燃え盛る剣がリエルの右手を貫く。
「あがッ、ぐッ……どうして、身体が動かぬ……ッ!」
「二つ」
「――――ッ!」
今度はリエルの左手を炎の剣が貫く。
貫いた剣はそのまま地面へと突き刺さり、リエルの両手を地面に縛り付ける。
皮膚を裂き、皮膚を焦がし、身体の外と内からリエルの身体を痛めつける炎の剣。
「次はどこにする?」
「はぁ、はあぁ、はぁ……こんなもの、で……儂は――」
「次は肩かな?」
「――――ッ!」
肌を裂く鈍い音と共にリエルの右肩に新たな炎の剣が突き刺さる。
無数に存在するナタリの一人一人がリエルを傷つけていく。
「全員が剣を刺すまで耐えきれるか、それとも壊れちゃうか――」
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーーーッ!」
リエルの悲痛な叫び声が木霊する。
絶望を孕み、希望の灯火が消失するどこまでも悲痛で悲劇的な声だった。
「さぁ、次はどこにする?」
耳をつんざくような叫び声が木霊する中、帝国ガリアが誇る騎士であるナタリの声音はどこまでも静かにリエルの鼓膜を震わせた。
◆◆◆◆◆
「これで最後」
「――――」
何度目か分からない断末魔が響く。
消えぬ炎を纏う剣によって地面へ縫い付けられた少女・リエルは気が狂いそうになる痛みと熱さの中で極限状態へと陥っていた。身体の至るところに剣が突き刺さっている。
無限にも思えた地獄はナタリの一言によって終幕を迎える。
「まさかこの地獄に耐えるなんて、ちょっと驚き」
「はぁ、はぁ……」
「もしかしたら数が足りなかったかもしれない。でも、これ以上は貴方の身体に刺すところがないから」
「…………」
「貴方を甘く見ていたのは事実。そこは訂正する。貴方の精神力はとても強いもの。それだけは誇ってもいい」
「それ、だけ……じゃと……?」
「そう。それだけ。貴方が私に勝つことは出来ない。それだけは変わらない事実」
「…………」
気付けばリエルの身体から炎の剣が消えていた。
身体も自由である。
しかし、確かに自分の身体を痛めつけた炎剣の痛みと熱だけはしっかりと覚えている。
「貴方が見ていたのは幻覚。現実ではない光景に苦しんでいただけ」
「そんな馬鹿な……こんなこと……」
「そう。貴方は以前にも同じような技を使う人間と戦ったことがあるはず」
「どうして、それを……お主が……」
「私は帝国ガリアが誇る騎士の頂点に立つ者」
身動きが取れないリエルに見下ろすこともなく、ナタリは静かに語る、そして静かに歩き出す。彼女が向かう先、そこには航大の姿がある。
「――そして、暴食のグリモワールを所有する異形の存在」
航大の隣に立ち、眩い輝きを放つ光へと手を伸ばす。
すると光は急速に収束し、ナタリの手の上で光球へと姿を変える。
「私が持つグリモワールの権能。それは全てのグリモワールが持つ力を使役できるもの」
「――――」
たった一人でも絶大なる力を持つ帝国ガリアの騎士。
その全員がグリモワールを所有し、異形の力で世界に厄災をもたらそうとしている。
しかし、リエルの前に立つ褐色の少女はその全てを思いのままに使うことが出来ると言う。
「だから言ったでしょ? 貴方では私に勝つことは出来ないって」
「……それでも、逃がす訳には、いかぬッ!」
ナタリの言葉は聞いていた。
意味も理解した。
だからこそ、リエルは自らの命を犠牲にしてでも眼前の敵を殲滅しなくてはならないのだと覚悟を決めた。そうしなければ、後にガリア・ナタリという存在は巨悪として世界の平和を脅かすであろう。
「天地よ凍てつけ、業氷の前に立つ魔はなし――偉大なる破魔の氷槍ッ!」
全身が悲鳴を上げる。
ただでさえナタリの幻覚によって瀕死の状況へと追いやられた今のリエルが扱うには、その魔法は強すぎた。残された魔力を一瞬にして食い潰す、巨大な氷槍を生成する氷魔法最上級の攻撃。
背中を見せる今この瞬間こそが最大のチャンスであると言わんばかりに、リエルはそれを投擲する。
「――今はまだ、戦う時ではない」
くるりとリエルを振り返るナタリ。
迫る無数の氷槍を前にしても彼女の表情は一つも変わることがなかった。
「――どう、して?」
「暴食のグリモワール。それは他のグリモワールが持つ力を自在に扱うことが出来る」
ナタリが手を伸ばす。
すると、リエルが放った氷槍が一瞬にして瓦解する。
「でもそれは副次的なもの。このグリモワールが持つ真の力はそこではない」
「……く、そッ」
リエルの攻撃は全てが無に帰した。
それを見届け、リエルの意識は深い闇へと誘われる。
「意識を失っちゃった。まぁ、それも仕方のないこと」
倒れ伏したリエルを見て、ナタリは小さくため息を漏らす。
そして視線を隣に立つ航大へと向ける。
「お兄さん。ありがとう」
その言葉を合図に航大の身体もゆっくりと傾き、そして倒れ伏す。
彼もまた意識を失ってしまっていた。
「待ってるね、お兄さん。きっと、私と貴方は戦う時がくる。その時を、私はずっと待ってる」
その言葉は航大には届かない。
ナタリは静かに左手を天へと突き上げる。
右手には輝きを放つ光球が存在している。
「さぁ、戻ろう」
ふわり、とナタリの周囲に風が舞い、そして一際巨大な破壊の音が連鎖する。
それはナタリがハイラント王城の塔を一瞬にして破壊する音であり、一切の光が差さない最下層の部屋を太陽の光が照らす。ナタリは地下空間を覆っていた上層部の全てを一瞬にして破壊し、そして自らの身体を浮遊させた。
「魔竜・ガイア。確保」
ナタリの身体はふわり、ふわりと空を目指して浮上する。
魔竜・ガイアを手に入れたナタリの任務は終了した。
地表へと浮上し、更に空へと舞い上がったナタリは、どこまでも無表情な様子で声を漏らすと、次の瞬間にはその姿を消失させた。
こうしてハイラント王国を襲った悲劇は唐突に終幕を迎えた。
世界を終末へと誘う歯車は、急速にその速度を早めていくのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




