第六章55 瓦解
「あ、主様……これは一体、どういうことなんじゃ……ッ!?」
「俺にも分かんねぇ……だけど、嫌な予感だけはするんだ」
「これだけ大きな魔力が渦巻いておる……ただ事ではないのは確かじゃが……」
「……なぁ、リエル」
「どうしたんじゃ、主様?」
「魔竜ってどこに封印されてんのかな……?」
「……はっ?」
断続的に大きな揺れが襲うハイラント王国。
至る所から轟音が響き、その直後に城が揺れる。
王城の関係者たちも事態の把握に務めている最中であり、まだ全容を把握できていない。
女神たちの言葉から急を要すると判断した航大は勢いそのままに飛び出したまではよかった。しかし、肝心の魔竜がどこに封印されているのか、それを知らないのだ。
「知らないよなぁ。しまったな、シャーリーに聞けばよかったかもしれねぇ……」
「主様、どうして今、魔竜のことを……?」
航大の問いかけに答える術を持たないリエルは目を丸くして、しかしそれでも航大の後ろをしっかりと追いかけている。
「まさか、この轟音は……」
「女神たちがそう言ってるんだ。魔竜の封印が解けそうになってるってな」
「――――」
返ってきた言葉を聞いてリエルは絶句する。
魔竜という単語が持つ圧倒的な負のオーラ。
リエルは幼い頃、実際に魔竜をその目で見ているからこそ、航大以上に魔竜という存在がもたらす厄災の大きさを知っているのだ。
今、その魔竜が復活を果たそうとしている。
その言葉が持つ意味の大きさにただただ絶句するばかりである。
「本当なんじゃな、主様?」
「俺もまだ確信はないんだけどな……」
「しかし、この身体に纏わりつくような魔力……魔竜のものと言われれば納得はできるの……」
轟音がする方向へと急ぐ航大とリエル。
王城内部は慌てふためく人でごった返しており、航大たちは思うように前へ進むことが出来ない。
「もし魔竜の封印が解かれようとしているのだとしたら……一体、誰が……?」
「……分かんねぇ。でも、こんなことをしそうな奴らなら思い浮かぶけどな」
「帝国ガリアの騎士、じゃな」
「いよいよ本格的に動き始めたのかもしれない……」
「…………」
異常な状況を目の当たりにして、航大とリエルの間にも重い空気が漂う。
もし帝国騎士が魔竜の封印を解こうとしているのだとしたら、ハイラント王国の王城での戦いは避けられない。帝国騎士たちがどのような戦い方をするか、それをよく知っている航大は苦々しい表情を浮かべる。コハナ大陸での一件が脳裏を過り、その度に首を強く振って嫌な予感を掻き消そうとする。
『航大くん、あっちッ!』
「あ、あっちッ!?」
『そうですね。あの塔から強い魔力の波動を感じます』
轟音の正体を探る航大たちだったが、女神たちの声音に立ち止まる。
女神の声が聞こえるのは航大だけなので、リエルは突如として立ち止まった航大の背中に思い切りぶつかるとなってしまった。
「あ、主様……?」
「リエル、どうやらあれらしい」
「あれ?」
航大が指差すのは王城の中でも最も天高く聳える塔だった。
「あぁ。そっちから魔竜の気配を強く感じるらしい」
「なるほど。それならば急いだほうが良いなッ!」
「行こう」
リエルへの簡単な状況の説明を終え、航大たちは再び走り出す。
足を踏み出し、禍々しき魔力の源へ近づいていく度に、航大とリエルの二人は自らの体を包む重い空気を感じずにはいられなかった。じわりと背中に冷や汗が伝うような、本能的な恐怖心が襲ってきて、思わず足を止めてしまいそうにもなる。
しかしそれは、そこまで魔竜の復活が近づいていることの証でもあった。
「君たち、どこに行こうとしているんだッ!」
ハイラント王国の王城を形成する建造物の中でも、最も天高く聳える塔の入り口。
名も知らぬその塔は頻繁に視界へ飛び込んでくるものであったのだが、そこに何があるのか、それを知る者は存在しなかった。
航大たちも特別話題にするようなこともなかったのだが、そこから魔竜が持つ禍々しき魔力が濃厚に漏れ出ているのも事実。
そうであるならば、航大たちはそこへと向かわなければならないのだが、こんな異常事態であるにも関わらず、塔の入り口には王城の警備兵が配属されており、航大とリエルの侵入を拒もうとしていた。
「どいてくれッ! この塔に入りたいんだッ!」
「……それは出来ない」
「ど、どうしてだよッ! 異常事態ってのは分かってるんだろ? そして、異常事態の大元はこの塔の中にあるッ!」
塔の入り口を守護しているのはハイラント王国の騎士で間違いはない。
王城内部が大混乱に陥る中、塔を守護する騎士は苦々しい表情を浮かべながらも、航大たちの侵入を頑なに拒み続ける。
「この塔はハイラント王国において、最も侵入が強く制限されている場所でもある。どんな異常事態が発生していたとしても、部外者を立ち入らせる訳にはいかないんだ」
「全員の命が危ないとしてもかッ!?」
「…………」
「この中で今、魔竜が復活しようとしているんだッ! もし、魔竜が復活しちまったら……自分だけじゃない、世界中の人間が死ぬことになるんだぞッ!?」
航大の怒号が響き渡る。
あまりにも強い航大の意思を目の当たりにして、騎士の表情がより苦々しいものへと変化する。
何か異常事態が発生しているのは認識している。
その発生源が自分の守護する塔であることも薄々感づいてはいる。
しかし、ハイラント王国が誇る騎士たちは自らが課された使命を全うしなければならない。自分の命と引き換えになったとしても、王国の厳命を忠実に遂行しなければならないのだ。
「頼むッ、急いでるんだッ!」
「しかし……」
「あぁもう、これだから騎士という生き物は融通がきかないんじゃッ!」
魔竜の復活は近い。
今、この瞬間にも魔竜は長き封印から目覚めてしまうかもしれない。
「主様ッ、こうなったら力づくでも……」
「…………」
地団駄を踏み、唇を強く噛みしめるリエルは強行突破することを提案する。
事実、航大たちに残された時間がそう長くないことは見ての通りであり、今は一秒でも早く塔の内部へと立ち入る必要がある。
「……すまない。どうしても通りたいというのなら、この私を倒していくんだ」
「…………」
対峙する騎士の顔には複雑な色が浮かんでいる。
ハイラント王国に仕える騎士としての誇りと、緊急事態の中で身動きが取れないジレンマ。せめぎ合う二つの感情が騎士の顔にはしっかりと現れている。
「……それじゃ、行くぜ」
「掛かってこいッ!」
「――――ッ!」
一瞬の静寂が支配した後、二つの人影が交差する。
小さな戦いは一瞬にして決着する。
「…………」
「主様、大丈夫か?」
「あぁ、俺はなんともない。先を急ごう、リエル」
「う、うむ……」
倒れ伏す騎士に目をくれることもなく、航大は再び走り出す。その後ろを少し戸惑った様子でリエルが付いてくる。
「まさか一撃で決着がつくとは……主様もやるのぉ……」
「違うよ、リエル。あれはそういう戦いだったんだ」
「そういう戦い?」
「男同士にしか分からない戦いって奴さ」
「ふむ、分からぬ……」
「でだ、これはどういうことだ?」
塔の番人であった騎士を倒した航大。
二人は最も魔竜の反応が強い塔の内部へと足を踏み入れた。
しかし、眼前に広がる光景を目の当たりにして思わず足を止めて絶句してしまう。
「これは下に降りろってことか……?」
「うむ……まさか、あんなに高い塔が下に続いているとは……」
王城の中で最も天高く突き出している塔の内部には、上へ登るための螺旋階段のようなものは一切存在してはいなかった。代わりに存在していたのは、地下へと通じる螺旋階段であり、上へと登る階段が存在しているとばかり思ってた航大たちは、逆に下へと伸びる階段を見て二の足を踏んでしまう。
『航大くん、急いでッ!』
『下から魔竜の気配を感じます。さっきよりも強くなってる……急ぎましょうッ!』
「お、おう……ッ!」
航大の内に潜む女神たちは強い緊張を孕んだ声音で航大に急ぐように告げてくる。その切羽詰まった声音に再び気を引き締め直すと、航大たちは螺旋階段を下っていく。
「くそ、暗いな……」
「なんか嫌な感じがする……じめじめと纏わりついてくるような感じじゃ……」
「俺は魔力って奴をあまり感じないんだが……それでも、身体が重くなる感じはするな……」
早歩きで螺旋階段を下る航大とリエル。
塔の内部は一切の光が差さない漆黒の世界と化しており、明かりもなければ音もない。
航大たちの足音と呼吸音だけが狭い螺旋空間に響き渡り、それ以外は一切の無である。
「なぁ、リエル」
「どうしたんじゃ、主様?」
「いや、ちょっと名前を呼んでみただけ」
「ふむ……」
螺旋階段を降りてどれくらいの時間が経過しただろうか。
かなり急いで降りているには違いないのだが、航大たちはまだ最下層へと到達できないでいた。しかし、足を踏み出して下層へと降りるにつれて航大たちの身体を包む重い空気が強くなっていく。
じわりと汗が背中を伝い、航大たちの息が荒くなる。
魔竜が放つ負の魔力が人間の身体へと悪影響を及ぼしているのは間違いない。
『航大さん、大丈夫ですか……?』
「はぁ、はぁ……シュナ、か……いや、俺は大丈夫だ……」
『それにしては息が荒いね……まぁ、こんな狭い空間でこれだけの魔力が満ちていれば、さすがに影響なしって訳にはいかないか……』
「くっそ……身体が重い……」
揺れは断続的に続いている。
一秒でも早く原因を突き止めなければならないことは理解していても、身体が言うことを聞かない。このままでは戦うことはもちろん、歩くことすら困難な状況へと追いやられてしまう。
『シュナ、航大くんに守護魔法を』
『はい、そうですね。このままでは危険です。航大さん、少しじっとしててくださいね』
「お、おう……」
『――――』
シュナが頭の中で魔法を詠唱する。
その直後、航大の身体が眩い光に包まれていく。
「お、おぉ……身体が軽くなった……ッ!」
『これでしばらくの間は大丈夫だと思います。でも、魔竜の魔力濃度が高い場所に居続けるのは危険です……』
『そうだね。ちゃっちゃとこの現象の犯人を見つけて、魔竜の封印を元に戻そう』
女神たちが言うように、螺旋階段の下はまだ底がしれない。
闇が広がる空間が延々と続くだけだった世界に僅かな変化が現れる。
「灯りが見えてきたぞ……」
「そうじゃな。誰かの気配を感じるぞい……」
下を見れば闇が支配していた空間に淡い光が灯っていることに気付く。
そこが塔の最下層であることは間違いなく、航大とリエルの二人は顔を見合わせると、その足の速度を早めていく。
「…………」
長かった階段の最果て。
しっかりとした地面に足をつけると、眼前には小部屋が存在していた。
複数の松明が壁に備え付けられており部屋を照らし、小部屋の中央には十字架が突き刺さっている。あの部分に魔竜が封印されているのは間違いないのだが、しかし航大はこの光景に違和感を覚えていた。
「ここに魔竜が……?」
航大は一度、魔竜と邂逅を果たしている。
コハナ大陸にて封印されている魔竜・ギヌス。
あの魔竜は巨大な空間にその肉体ごと封印されており、航大は巨大な体躯を誇る魔竜に圧倒された記憶があった。
しかし、ハイラント王国の地下で封印されている魔竜は、ギヌスとは決定的に異なっていた。まず、魔竜が共通して持っている巨大な体躯がどこにも存在していないのだ。部屋も小さく、中央に十字架が突き刺さっているだけ。どこを見ても魔竜の身体を確認することは出来ず、本当に魔竜はここで封印されているのか、そんな疑問すら覚えてしまうほどだ。
「うっ……」
まずは魔竜の封印について確認する必要がある。
明らかに魔力の濃度が高い十字架の様子を確認しようと一步を踏み出す航大だが、その瞬間に全身を包む濃厚な負の魔力に思わず声を漏らしてしまう。
「これは……こんなにも、魔竜の魔力が満ち溢れておるなんて……」
『気をつけて、航大くん。ここに長時間いるのは危険だよ。安全を確認したら、外に出よう。ちょっと長く魔竜の魔力に触れ過ぎだ』
「あ、あぁ……分かってる……俺もこんな場所には一秒たりとも居たくないしな」
女神の声音が脳裏に響く。
彼女たちの言う通り、魔竜が封印されているこの場所は普通の人間にはあまりにも危険な場所であると言えた。全身が魔竜に侵食されていくような感覚が常に襲ってきており、長時間の滞在は自らの命を危険に晒している。
「主様、気をつけるんじゃぞ?」
「…………」
リエルの声音が航大の鼓膜を震わせる。
しかし、航大はそれに対して一切の返答をしない。
「…………」
「……主様?」
航大と長く接しているリエルだからこそ、航大が見せる僅かな異変にいち早く気付くことができた。無言を貫く航大はゆっくりと十字架に向けて足を踏み出している途中であり、その背中から普通ならば異常を察することは出来ない。
「主様ッ、何を――ッ!?」
リエルの問いかけに答えない航大は魔竜が封印される十字架へと手を伸ばした。
その間も彼は一言も言葉を発することはなく、明らかに常軌を逸した様子である。
「――ありがとう、お兄さん」
それは航大のものでもなければ、リエルのものでもない。
二人の背後から響いた声音に振り返れば、そこには全身をローブマントで覆った人間が立っていた。その人物はハイラント王国へと帰還を果たした際に航大が見かけた人物であり、今、この状況においてその人物は魔竜が封印されるこの場所へと至っていた。
「お、お主は……」
「……私は帝国ガリアが騎士、暴食のグリモワールを所有するガリア・ナタリ。お久しぶり、というべき?」
顔を覆っていたローブから顔を覗かせたのは、帝国ガリアが誇る騎士の一人、ガリア・ナタリだった。褐色の肌に感情が篭っていない瞳、白髪の少女・ユイと外見が似ている少女は、ただ無表情のまま航大に礼を言う。
「魔竜・ガイア。それを受け取りに来たの」
「魔竜……ガイア、じゃと……?」
ナタリが見つめる先、そこには航大の姿がある。
航大が触れる十字架は眩い光を放っており――そして、静かに瓦解する。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




