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第六章52 少女と女神

「……なんだったの、今の力?」


 バルベット大陸の北方地域。


 過去に幾度となく戦禍の舞台となった地域であり、年間を通して極寒の厳しい環境にあるのが特徴的である。そんな地域を襲った悲劇は大きく二つが存在する。


 遥か古の時代、世界がまだ魔竜という存在の厄災に苦しむ中、北方の地域は魔竜と女神の戦いが勃発した場所でもある。


 もう一つは人々の記憶にも新しい事件であり、帝国ガリアが誇る騎士の襲撃である。


 女神の抹殺を企んだ帝国騎士たちは己が持つ異能を使うことで、北方の地域に存在する都市・ミノルアに壊滅的な被害を与え、そしてアルジェンテ氷山に消えぬ業炎を放った。


 街は崩壊し、氷山は消えぬ炎に包まれた。


 たった数人の帝国騎士が植え付けた傷は深く、そして大きい。辛うじて生き延びた人々は安寧を求めて街を出て行き、残された僅かな人々だけの力では街の復興は難しいのは言うまでもない。


 夜中でも眩い輝きを放つ炎が氷山を焼き尽くした時、その麓にある氷都市・ミノルアもまた共に滅びる運命であった。


「……これが女神の力」


 残酷なまでに悲劇的な運命が決定付けられた街を救ったのは、異国からやってきた一人の少女であった。彼女がミノルアを訪れたのは全くの偶然であった。


 ローブマントで全身を覆った少女はバルベット大陸を統治するハイラント王国へと向かっていたはずだった。しかし、彼女は極度の方向音痴であり、その果てに辿り着いたのがバルベット大陸の北方地域、氷都市・ミノルアなのである。


 途方に暮れる少女はミノルアで暮らす老人と出会う。


 どんなに絶望的な状況であっても諦めない老人の姿に打たれた少女は、氷山を焼き尽くそうとする業炎を消すために一步を踏み出した。


「……この力、あの人と似てる」


 業炎が支配する地獄と化したアルジェンテ氷山。

 異形の力を持つ少女であっても、全ての炎を消し去るのは難しかった。


 そんな彼女に力を貸したのが、かつて魔竜から世界を救った女神の一人、シュナだった。業炎の中に消えたシュナの身体は結晶に守られることで存命していた。しかしそこに、シュナの魂は存在せず、在るのはシュナが残した残留思念のみ。


 業炎を前にして為す術もないと絶望しかけていた少女だが、女神が残した残留思念は無力な少女に希望を与えた。


 女神と融合した少女は氷山を覆っていた業炎を消し去り、かつて存在していたアルジェンテ氷山の光景が眼前に広がっていた。


 粉雪が舞う氷が支配する氷山は異様な静寂に包まれていた。


 つい先ほどまで消えぬ業炎が覆っていた場所とは思えないほどに美しく、それでいて雄大な氷山に心を奪われる少女は、後ろを振り返ってそこに居る存在へと目を向ける。


「……女神、シュナ。貴方はそれほどまでの力を持っていながら、どうして結晶の中に?」


『今となっては私たち女神も世界の均衡を保つための存在。己が持つ魔力を世界のためだけに使っています』


「……だから、こうして眠っていたの?」


『そうですね。それぞれの女神が自らの根城を作り、そこを中心として全世界に魔力を注いでいます。なので、人としての肉体は必要ないんです』


「……貴方は女神になって良かった?」


『…………』


 静寂が包む氷山でローブマントに身を包んだ少女は、残留思念となったシュナへ問いかけを投げる。


「……人智を超えた存在となって、貴方は今の状況を願った?」


 抑揚のない声音から少女の感情を読み取ることは不可能である。

 少女はただ純粋な疑問を投げているだけであり、その問いかけに深い意味はない。


『私はこの力を使うことでたくさんの人を助けてきた。時に大切な家族も。それは女神としての力がなければ成し得なかったこと』


「…………」


『私はこの力に感謝してます。だから、貴方の問いかけの答えとしては、女神の力を手に入れて、女神として存在し続けることは良かった、と言えますね』


「……なるほど」


『貴方が何を望み、何を成そうとしているのかは分かりません。ただ、貴方から感じるのは異形の力。今までに感じたことのない、強大な力です』


「…………」


『その力をどう使うのかは貴方次第。だけど、もし……』


「……もし?」


『貴方が持つその強大な力が世界に害する形で使われるのだとしたら……きっと、私の力を持った人間が貴方の前に立ち塞がるでしょう』


「…………」


『世界を守り、均衡を保つのが女神の果たすべき使命。私の本体はきっと、いつか来るであろう戦いに備えているはず』


「…………」


『まぁ、そんな時が来ないことを祈るばかりですね』


「……うん」


『それじゃ、そろそろ時間みたい』


 残留思念となっているシュナには活動の限界が存在していた。


 ローブマントの少女へ力を貸したことで、残留思念として顕現するための力は使い果たしてしまっている。ただでさえ希薄な気配が薄れていく中で、女神・シュナは優しい微笑みを浮かべる。


『名前も知らない女の子。この世界に生きる者として貴方が成すべきことを成しなさい』


「……うん。私は私がすべきことをする」


『最後に、ありがとう。貴方のおかげで北方の大地は元の姿を取り戻すことが出来ました』


「……私は、特別に何かをした訳じゃ」


『――――』


 女神・シュナが最後に残した言葉。

 それはローブマントを被る少女の心へと確かに届いた。


 満月が照らすアルジェンテ氷山には絶え間なく粉雪が舞う。

 穏やかな風が吹き抜ける氷山の中で、少女は結晶の中で眠る少女へと視線を落とす。


「……きっと、私は……世界の敵になる存在。貴方の言葉を信じてもいい?」


 シュナの身体が眠る結晶からは一切の力を感じない。

 身体はそこにあるのに、その内には何も存在していないのだ。


 だから、少女が呟く声音は誰の耳にも届くことはない。ぼそりと呟かれる言葉は自分自身への言葉のようでもあり、ローブの奥で光る瞳には僅かな逡巡が浮かんでいる。


 彼女は進む。

 自らが果たすべき使命を成し遂げるために。


 向かうはハイラント王国。

 そこで彼女を待つものとは一体――。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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