第六章47 憤怒と怠惰の騎士
「ちッ……どうしてまたお前と一緒なんだよ」
「それが総統の命令だからじゃないか。僕たちはただ、総統に従うのみ」
「まぁ、今回は遅刻もないし、さっさと終わらせようぜ」
「ふむ……その考えには僕も賛同するよ」
「だよなぁ……お前ならそう言うよな? だったらさ……なんでココから一步も動かないんだよッ!?」
世界を構成する五大大陸の一つ、ルーラ大陸に降り立ったのは、世界に厄災をもたらす帝国ガリアの騎士たちであった。
汚い言葉を平気で使い、感情を露わにし、乱雑に伸ばした金髪の奥で真紅の瞳を瞬かせているのは、『怠惰のグリモワール』を所有する青年であるアワリティア・ネッツ。
そんな彼と共にいるのは、同じ帝国ガリアの騎士であり、薄紫の髪を短く切り揃え表情を一切変えることなく無気力な様子を隠そうともしない『憤怒のグリモワール』を所有する青年であるルクスリア・ランズ。
ネッツとランズの二人は帝国ガリアから海を渡り、要塞大陸という異名を持つルーラ大陸へと上陸を果たしていた。今、二人はルーラ大陸の玄関口でもある港町で優雅なティータイムを楽しんでいる最中であり、混沌へと突き進む世界の中で異様なまでに静かな時間が流れている。
「ふぅ……これから嫌でも戦わないといけないんだ。その前にちょっとした休憩くらいしてもいいんじゃないかい?」
「ちょっとした休憩くらいなら、俺だって何も言わねぇよ……だけどな……俺たちはそんなに悠長なことをしてる場合じゃ――」
「助け、て……」
ネッツとランズが何気ない会話を繰り広げる中、それを遮るようにして掠れた誰かの声が二人の鼓膜を震わせた。ランズが身に纏う帝国ガリアの騎士服を力なく引っ張るのは幼い少女だった。
小柄な身体に明るいオレンジの髪。
今はその全てが土埃で薄汚れてしまっているのだが、本来ならば可愛らしい少女なのだろう。
「…………」
少女は白いワンピースを着ていた。
清楚な印象を与える純白のワンピースも、彼女が地面を這いずり回った果てに見るも無残に汚れ尽くされていた。
ワンピースを汚すのは土埃だけではない。
洋服の至る所に赤黒く変色を開始した鮮血が付着しており、それは少女自身のものもあれば、そうじゃない他人のものが混じっている。
「おい、ランズ……」
「はぁ……僕がこの世で最も嫌いなもの……それが何か、君には分かるかい?」
「……あ?」
突如として訪れた地獄の中、幼き少女は奇跡的に生存を果たしていた。
誰かに助けを求めなければならない。
少女は幼いながらも本能的にそれを理解すると、痛む身体に鞭を打って二人の男を見つけることが出来た。
大人は誰もいない。
みんなが物言わぬ肉塊へと姿を変える中、優雅にティータイムを嗜んでいる二人の男を見つけた時、少女の心は僅かに救われたのだ。純真無垢。だからこそ、疑いの目を持たずに少女はただ無心に助けを求めた。
「お父さんと、お母さん……みんな、居なくなっちゃった……お願い、助けて……」
少女は自分たちの身に何が起きたのかを理解できずにいた。
何不自由なく港町で生まれ、そして育ってきた少女はそれが突如として奪われた現実を受け入れることが出来ていないのだ。震える瞳はランズの顔だけを映しており、その周囲に広がる地獄を直視することはない。
「僕が大嫌いなもの……それは汚い存在の全てだよ」
「あッ、あぁッ、あああああああああああああぁぁぁぁぁッ!」
吐き捨てるようにランズが言い放った直後、彼の足元で倒れ伏していた少女の足に『業炎の剣』が突き刺さった。
「――――」
生暖かく、それでいて美しい鮮血の飛沫を散らし絶叫する少女。
その光景を見たネッツは僅かに目を見開いて絶句している。
「はぁ……僕の服が汚れてしまったよ。それもどこの馬の骨とも分からない子供によってね」
「嫌ッ、嫌ああぁッ、痛いッ、痛いよぉッ、お父さん、お母さんッ!」
少女の右足に突き刺さる業炎の剣は、少女の足を容易く貫通し地面に突き刺さっている。触れれば全てを燃やし尽くす業炎の剣は、少女の足を徐々に焦がしていく。
「僕もまだまだ、ってことだね……子供とはいえ、まだ生き残りが居たなんて」
「んぎッ!?」
苦しむ少女へ視線を向けることなく、その手に持ったティーカップを傾けるランズは『新たなる業炎の剣』を生成すると、痛み苦しむ少女の左足へとそれを落とした。
「んぎッ、あッ、がッ……」
右足のみならず、左足にも強烈な痛みが走る。
その痛みはとてもじゃないが少女に耐えられるものではなく、全身を襲う痛みと熱に少女は言葉を発することが出来ずに身体を痙攣させている。
「全く、子供というのは面倒くさい存在だよ。身体が小さいからちょこまかとそこら辺を動き回る。それでいて、何も知らない純粋無垢で最も忌々しい存在だよ」
「…………」
「ネッツ、君もそう思わないかい?」
「…………」
「子供というのは確実に消さなくてはならない。そうしないと、後に僕たちの脅威になるかもしれないからね」
「…………」
「憎しみ、復讐の感情というものは何よりも恐ろしいものだよ。人間はそれを力に変えることが出来るからね……あまりにも強い負の感情は、時に人間の限界を越える」
「…………」
「君もよくそれを理解するといい。僕たちは帝国ガリアの騎士。一切の妥協や温情なんてものを与えることを許されていないのだから」
優雅に紅茶を飲みながら、ランズは対面に座るネッツへと持論を展開していく。
それはあまりにも捻くれた言葉であり、ネッツには全く響くことはない。
彼が語る間にも足元で転がっている少女の命は確実に蝕まれていた。
「助け、て……誰、か……嫌、だよぉ……死にたく、ないよぉ……」
少女の口元から鮮血が零れる。
最早、一步たりとも動くことは出来ない。両足を地面に縫い付けられ、少女はその瞳にいっぱいの涙を溜めて助けを求める。
「うるさいなぁ……もう殺しちゃおうか」
「おい、ランズ――」
珍しく苦々しい表情を浮かべるネッツ。
そんな彼が言葉を発しようとした瞬間だった。
「――――」
一際巨大な業炎の剣が頭上から落下してくると、力なく横たわる少女の胸を背中から突き刺した。それは誰が見ても致命的であると分かる光景であり、背中の皮膚を裂き、小さく鼓動を刻む心臓を貫いた剣は夥しい量の鮮血と共に地面へと切っ先を埋める。
「どうしたんだい、ネッツ?」
「あ、いや……なんでもねぇ……」
「これでようやく静かに紅茶が飲めるね」
「あ、あぁ……そうだな……」
ネッツとランズからすれば名も知らぬ港町。
帝国騎士たちの襲撃を受けたその町は一瞬にして業炎に包まれることとなった。家を燃やし、人を燃やし、命を喰らう炎に港町で暮らす人々は飲み込まれていった。
要塞大陸と呼ばれるルーラ大陸。その牙城の一つを帝国騎士たちは自身が持ち得る異形の力によって崩壊させたのだ。
港町が陥落した事実は、大陸を統治する国へ真っ先に報告が飛び、帝国騎士たちを討とうと大隊がこの町を目指して進軍しているだろう状況であっても、ランズは焦ることなく優雅な時間を過ごしているのだ。
「はぁ……とりあえず、移動しなくていいのか?」
「移動? 人仕事終えたばかりなのだから、もう少し休憩してもいいだろう」
「いや、休憩するのはいいんだけどよ……なにもこんな場所でしなくてもいいだろうよ」
「僕はこの場所が好きだよ。眺めもいいし、海も見えるしね」
「あのなぁ……こんだけ派手に暴れたらよ、相手も黙ってねぇんじゃないか?」
「相手なんて関係ないよ。僕たちに立ち向かってくるのならば、その全てを砕くのみ」
「はぁ……分かったよ……」
いつもなら激しい口振りでランズを相手にも自由に発言するネッツも、眼前で繰り広げられた凄惨たる光景に意気消沈といった様子である。バルベット大陸の北方地域。そこにある氷都市を襲った際もランズは狂気的な行動を見せることはあった。
ルクスリア・ランズ。
『憤怒のグリモワール』を所有し、自在に業炎を司る狂気の騎士。
帝国ガリアの騎士の中でも筆頭クラスで狂気的で猟奇的な彼と共に、ルーラ大陸を巡る狂気の時間が始まろうとしているのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




