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第六章42 女神の加護

 影の王との邂逅を終え、航大は自らの深層に広がる世界へと辿り着くことが出来た。


 この世界は航大の記憶が忠実に再現された場所であり、今では懐かしい航大が生まれ育った街が頭上に広がっている。ここは天地が逆転した世界であり、足元には青空がどこまでも広がっている。


「……ここも変わってきてるのか?」


 頭上に広がる街並みを見て、航大は僅かな違和感を覚えていた。


 異世界とは違う世界、自分が生まれ育った街が広がっているはずなのに、何故か見覚えのない建造物が点在している。


「そうですね。この世界は航大さんの記憶から作られているものであって、今の世界での時間が長くなった結果、新たな記憶に作り変えられているのかもしれませんね」


「うん。僕たちが知らない世界と、僕たちが知っている世界が混ざってきてる。僕は航大くんだけが知っている世界の街並みは好きだな。知らないものがたくさんあるから」


 見上げる航大に続く形で二人の女神もまた航大が見てきた世界を視界に映す。


「あ、ほらッ! 分かりにくいかもしれないけど、こっちの世界にある家とかがある」


「確かに、よーく見ればちらほらと……」


 シュナとカガリが空を指差しながら、少しずつ変化している様に盛り上がっている。


 先ほどまでの戦いについては一切語らず、努めて明るく振る舞っているのが分かって、航大は自分の未熟さが招いた結果に胸を痛くする。


「すまない、シュナ……カガリ……、俺が不甲斐ないばかりに……」


「…………」


 航大の声音に女神たちの表情が曇る。


「航大さん、良かった……また会えて……」

「いやー、大変なことになっちゃったね」


 くるりと航大を振り返り、シュナとカガリはそれぞれの言葉を投げかける。


 シュナは今にも泣きそうな表情を浮かべ、カガリは無理して明るい様子を見せるようにして笑みを浮かべている。それぞれが複雑な感情の中で航大を慰めるようにしてくれているのが分かって、無意識のうちに航大の表情も曇ってしまう。


「最初、航大さんの手からグリモワールが離れて、この世界も崩壊をはじめました」


「え、崩壊って……」


「航大さんの記憶から作られた深層の世界。この世界はグリモワールの力によって作られたものです。グリモワールが手から離れれば崩壊を始まるのは当然のことではあるのですが……」


「でも、力を使う度に航大くんの中に蓄積していたグリモワールの残滓が世界の均衡を保っているんだよ」


「……あいつの力、か」


「グリモワールは航大くんの負の感情を力として体内でいつか放出する時に備えて蓄えていたんだけど、それがまさかこんな形で役に立つなんてね」


 影の王の説明にもあったように、航大の中に潜むグリモワールの力があったからこそ、今もこうして女神たちと会話をすることが出来る。もしそれも喪失してしまっていた場合、女神たちの力は行使することが出来なかっただろう。


「とにかく、こうしてまたお会いすることが出来て良かったです」


「あぁ……シュナたちの力がないと戦えないからな……」


 女神たちが持つ力は絶大であり、この先の戦いでも彼女たちの力は必須であると言えた。


「航大くん、君はこの先どうするか……それを決めたんだね?」


「…………」


 シュナの言葉で和やかな雰囲気になろうとした矢先、暴風の女神・カガリが鋭い眼光を持って航大に問いかける。決してふざけているのではない、彼が自分で決めた未来を聞いているのだ。


「ユイも……世界も……みんな全部を守る……それが、俺の決めた道だ」


「航大くんならば、そう言うと思ってたよ。でも、その道がどれだけ大変なものか……それは分かっているんだね?」


「…………」


「あの場所での戦い……ユイさんは確かに航大さんを殺そうとしていました。そして、航大さんは優しいが故に、あの人を傷つけることが出来なかった……」


 カガリの言葉を継ぐ形でシュナも口を開く。

 彼女もまた航大が決めた未来を成し遂げる困難さを語る。


「私も今まで気付くことが出来なかったのですが……ユイさんも航大さんと似たような強大な力を持っていました。そんな彼女が本気で世界を壊そうとしている……それでも両方を守ると言うんですね?」


「あぁ……ユイが何を言おうと、俺はあいつを助けたい」


「……本気なんだね、航大くん」


「ふぅ……これは何を言っても無駄かもしれませんね」


 女神たちがどんな言葉を投げかけたとしても、航大は自分で決めた未来を遂行することを諦めはしないだろう。彼の強い決意と覚悟が伴った瞳を前にして、二人の女神はそれ以上の言葉を飲み込んだ。


「大切な人を守る、ついでに世界も守る…………いいんじゃない? 航大くん主人公っぽいじゃん」


「はぁ……そう簡単に行くとは思えませんが……」


「確かに難しい道であることは分かってる。でも、俺は……世界も、ユイも……諦めることが出来ないんだ」


「分かってるよ、航大くん」


「はい。今の私たちは貴方と共にあります。航大さんが望む未来は、私たちが望む未来でもある。どんな困難な道程であったとしても、私たちは全力で貴方をサポートするまでです」


 シュナ、カガリ。

 かつて魔竜から世界を救った二人の女神は、また新たな脅威を前に戦うことを決意する。


 世界を守ること、それが彼女たちに課された使命でもあるから。


「もうじき、目を覚ますことが出来そうだね?」


「そうですね。さすがは私の妹……といったところですね」


 話が一旦途切れると、カガリとシュナの二人は再び頭上を見上げてぼそりと一言を呟いた。


「目を覚ます?」


「今、リエルちゃんたちが必死になって、航大くんを助けようとしているんだよ」


「そうか……俺はユイに……」


「安心してください。リエルたちの救護によって、なんとか一命を取り留めることはできそうです。これも女神の加護があったからかもしれませんね」


「全くだね。僕たちが君の中に存在する。それは君が思う以上に特別なことなんだよ?」


 二人の女神が安堵の笑みを浮かべている。


 彼女たちが航大の中に存在していて、何の力を持たない少年に対して異形の力を与えることが出来る。その力がこれまでの少年を助けて来たのは事実である。


「そうだな。ありがとう、シュナ……カガリ……」


「……まぁ、改めてお礼を言われるようなことでもないよ。これから、まだ僕たちの力は必要だろうしね」


「……いつでも仰ってくださいね。私たちは貴方と共にあるのですから」


「あぁ……」


 女神たちは世界の均衡を保つために遥か古の時代から存在し続けていた。


 航大と共に世界を守る。

 彼女たちもまた、この瞬間に覚悟を新たにする。


「じゃあ、そろそろお別れになっちゃう航大くんに…………女神の加護を……」


「――――ッ!?」


 ぴょんぴょんと青空が広がる大地を跳ねるようにして近づいてきたカガリは、航大と身体が触れ合うほどに接近すると、彼が何かを言う前に自らの唇を航大の頬に触れさせる。


「えへへー、嬉しい加護でしょ?」


「いや、お前……な、なにを……」


 僅かに熱がある右頬を触りながら、航大は顔を真っ赤にして口をパクパクと動かす。


「ほらほらシュナもッ! 女神なんだから、ちゃんと加護を授けてあげないと」


「こ、こんなの聞いてませんよッ……!」


「えぇー、じゃあシュナはやめておく?」


「――――ッ!」


 カガリが航大の頬にキスをしたのは、シュナも全くの予想外な行動だったらしい。

 彼女もまた顔をりんごのように真っ赤にさせると、おろおろと視線を四方八方に彷徨わせている。


「……分かりました」


「ええぇッ!? なにが分かったんだよ、シュナッ!?」


「こ、この状況で私だけがやらないのは不公平というものですッ!」


「不公平ってなんでッ!?」


「こ、航大さんッ! 目を瞑ってくださいッ!」


「あ、はいッ!」


 顔を真赤にさせたまま、謎の圧力で航大を従わせるシュナ。

 航大も彼女の言葉に慌てて目を瞑る。


「い、いきます……ッ!」


「よく分からないけど、分かったッ……」


「――――」


 目を瞑って暗闇の中、シュナが近づく感覚だけはハッキリとしている。


 航大の身体と触れ合いそうなまでに接近したシュナの吐息が、熱が、航大の心を異様に高揚させていく。


 しばしの沈黙が支配した後、カガリとは逆方向の左頬に柔らかな感触があった。


「こ、これで終わりですッ!」


「あ、あぁ……」


「ふっふっふ、シュナってばそんなに顔を赤くして……まさか、男の子にキスをするのも初めてだったのかな?」


「う、うるさいですよッ! 元はといえば、カガリが勝手なことをするからッ!」


「はっはっはッ! まぁいいじゃないか。これから過酷な道を歩む少年に、女神たる者、加護を授けてあげないとッ!」


「加護を授けるのはいいですッ! でもそれが、キスだなんて聞いたことありませんッ!」


「そこはアレだよ……まぁ、その場のノリってやつ?」


「貴方って人は……」


 航大を置いてけぼりにして女神たちがきゃーきゃーと話し合っている。


「な、なんだったんだ……」


 両頬に感じる柔らかい感触。

 航大の心臓は異様なまでに早く鼓動を刻んでおり、女神たちの言い合いなんてものは頭に入ってはこない。


「まぁ、おふざけはこれくらいにして……」


「カガリ……おふざけって……」


「航大くん、僕たちは君の決定を尊重するよ。後はリエルちゃんたちを説得するんだね」


「リエルたち……」


「君がどうしたいのか、それをちゃんと説明してあげるんだ。君が進む道は、決して一人で成し遂げられるようなものではない」


「航大さん、貴方は一人ではありません。いつも助けてくれる仲間たちが居ることを、どうか忘れないでください」


 冷静さを取り戻した女神たちのそんな声音と共に、航大の意識が徐々に朧気になっていく。これは深層世界からの離脱が近いことを示しており、この後、航大は目を覚ますのだろう。


「あぁ……みんなにも分かってもらうように頑張るよ」


「うん。よく言った。それじゃ頑張ろうね、航大くん」


「リエルたちもよろしくお願いします」


 その言葉を最後に航大の意識は一旦途切れ、再び現世へと回帰を果たしていく。

 数多の仲間たちと共に、航大は大きな戦いの連鎖へと身を落としていくのであった。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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