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第六章40 決定的な別れ

「……お願い、航大。私にその本を渡して」


「…………」


「傲慢のグリモワール。異界から英霊を召喚する、異能の魔導書」


「どうしてそれを……」


「……思い出したから。私はどうしてこの世界に存在しているのか、その意味を」


「思い出した結果がその行動だって言うのかよ」


「……そう。私は自分に課された使命を思い出すことが出来た。それを果たすためには……航大、貴方が持っている魔導書が必要なの」


「…………」


 バルベット大陸の南方地域に広がる最果て。


 そこには炎獄の女神・アスカが根城とする『王城』と呼ばれる建造物が存在しており、活発な火山地帯に囲まれて存在する王城で、航大は信じられない光景を目の当たりにしていた。


 普段、女神が生活をしているであろう王城内部に存在する玉座の間。


 そこには炎獄の女神・アスカの姿を模した赤黒い髪が印象的な少女が存在しており、南方地域の街を襲っていた張本人と邂逅を果たした。


 その凶行を止めるため少女との戦いが始まろうとしていたのだが、航大が放つ攻撃の前に立ち塞がったのは、純白の髪を揺らす少女・ユイだった。


「どうしてだよ、どうしてユイ……お前が……」


「…………」


 氷獄の女神・シュナとシンクロを果たした航大が放つ氷魔法。

 その前に立ち塞がるユイは、いつもの無表情でそれを無効化した。


 これまで罪もない人間を大勢殺してきた、討つべき敵を守るようにしてである。


 あまりにも強い衝撃が航大を襲っており、今この瞬間においても航大は自らの眼前に広がる光景が嘘であって欲しいと願っていた。


 航大の内に潜む女神たちも、ユイの行動を理解することができずに絶句を続けている。


「……航大、その本を渡してくれたら、貴方に危害は加えない」


「本気で言ってるのか?」


「……私は本気。そうじゃないと、そうしないといけないから」


「分かんねぇよ……ユイの言ってることが……ッ!」


 どうして自分はユイと対峙しているのか。


 いつもの無表情で自分を見据えるユイが本気であることが伝わってくるから、航大の胸はこれ以上にないほど強く締め付けられている。今の彼女と言葉を交わすと、その度に航大は感情的になっていく。


 それもそのはずであり、初めて異世界にやってきた航大が誰よりも最初に邂逅を果たしたのがユイだった。数多の戦いにおいて、航大はユイと戦うことで困難を乗り越えてきただからこそ、彼女が自分に対して強い敵意を向けていることが信じられないのだ。


「…………」


 これ以上の説得は無駄であると悟ったのか、ユイは感情的になる航大を見て悲しげな表情を浮かべ、そして拳を握って臨戦態勢を整えていく。


「本当に戦わないとダメなのか……?」


「……ダメ。そうすることが、私たちの定められた運命だから」


 白髪を揺らすユイを中心に、濃厚な魔力が周囲から集中してくる。


 肌にビリビリと感じるその魔力に、航大の肌は粟立ち、ゆっくりと姿を変えていく少女の姿を前にして、航大は再び言葉を失ってしまう。


「その姿は……」


「……航大がこの世界に召喚した英霊。忘れてないでしょ?」


 黒く染まった魔力に身を包んだ直後、そこに立っていた少女は外見を大きく変化させた。


 純白の髪を漆黒に染めたユイは、その身体に探偵がよく着るインバネスコートを包み、頭には鹿撃ち帽子というものを被っている。そして彼女の手には煙が燻るパイプが握られており、まさに探偵といった姿は異世界にやってきた当初、初めて航大が異世界に召喚した英霊シャーロック・ホームズそのものであった。


「どうして、俺は召喚してないのに……」


「……航大の力がなくても、私なら英霊を身に纏うことができる」


 英霊としてではなく、『ユイ』としての意識を持ったまま、彼女は異能を手に入れている。異界の英霊をその身に宿した彼女の力を、航大が誰よりもよく分かっている。


「さぁ、その本を渡して。これが最後の宣告。渡してくれないなら……」


「…………」


『……航大さん、ここは戦いましょう』


「シュナ……でも……」


『相手は本気です。このままでは、航大さんの命が危うい』


「……くそッ!」


 脳内でシュナの声音が響く。


 彼女はユイが発する殺気を敏感に察知しており、まだ戦うことに消極的である航大に危険を知らせている。ユイと対峙している航大も浴びせられる殺意は理解している。


 しかし、ここまで共に旅をしているからこそ、航大はすぐに頭を切り替えることが出来なかった。ユイと戦わなければならない。その事実を受け入れることが出来ていないのだ。


「……いくよ、航大」

「……ユイッ!」


 ぼそっと呟かれた言葉が航大の鼓膜を震わせた瞬間、彼女の身体が飛ぶ。


 それは見る者を魅了する華麗な舞。一切の無駄が存在しない彼女の躍動を目の当たりにして、航大は素直に美しいと評価した。


『航大さんッ、しっかりッ!』


「――――ッ!?」


 シュナの声音で我に帰る。

 目の前に迫るのは探偵服に身を包んだ少女。


「女神の加護を受けし氷壁よ、今ここにあらゆる攻撃を防ぐ盾となれ――絶対氷鏡ッ!」


 迫るユイに対して反撃する時間はない。

 咄嗟にそう判断した航大は氷魔法による守護防壁を展開する。


「……そんなもので私の攻撃は防げない。おいで、緋剣・ヴィクトリア」


 素早い動きでパイプを懐にしまったユイは、何もない空間に手を伸ばすと自らが戦うための道具を取り出す。


 虚空から姿を見せるのは刀剣を真っ赤に染めたレイピアであり、一筋の赤い閃光を残しながら航大の喉元を狙って突きつけられる。


「――――ッ!?」


 守護防壁を展開した航大であったが、英霊の力をその身に宿したユイが放つ一閃は氷で生成された防壁をいとも容易く破壊していく。眼前で音を立てて崩壊する防壁に航大は必死に身体を捻ることで、ユイが放つ攻撃を躱そうと試みる。


「……遅いよ、航大」


「しまッ……ぐぅッ!?」


 超人的な反射神経によって迫るレイピアの軌道から外れることが出来た航大であったが、しかしユイはそんな航大の行動はお見通しであると言わんばかりに、すぐさま体勢を立て直して渾身の蹴りを腹部へと見舞う。


 まるで自分の行動が先読みされているような流れる動作によって繰り出される蹴りを、航大は防御姿勢を取る暇すら与えられずに直撃させてしまう。


「がはッ、ごほッ……」


「……早く負けを認めて。そうじゃないと、航大……本当に死んじゃうよ?」


 地面を転げ回り、その反動を生かして立ち上がる航大。

 しかし、腹部に感じる痛みは全身を駆け巡っており、呼吸すらままならない状況へと追いやられる。


「はぁ、はぁ……くそッ……ユイ、お前……」


「……航大の動きならよく分かる。誰よりも近くでずっと見てきたから」


 苦しむ航大を見ても表情一つ変えることはない。

 ユイは一步足を踏み出すと、その手に持った真紅のレイピアで航大にトドメを刺そうとしているのだ。


 彼女が本気で自分を殺そうとしている。


 ユイが放った蹴りは間違いなく本気のものであり、明確な殺意と敵意を航大に知らしめたのだ。


「……まだ戦う?」


 少女は問いかける。

 これ以上の継戦は無駄であると言わんばかりに。


 小柄な身体から発せられるのは明らかな殺意であり、そしてその言葉には自分が勝利すると絶対的な自信のようなものが感じられる。


「…………」


「……魔導書を渡して。私もここで航大を殺したくはない」


「その言い方……どっちにしても、俺を殺すみたいに聞こえるな」


「……それが定められた運命ならば、私はそうする」


「本気なんだな、ユイ……」


「……うん。私は航大の敵だけじゃない、この世界の敵になる」


 言い放たれた言葉は確かな覚悟が込められていた。

 航大が気を失っている間、彼女の身に何が起きたのかは分からない。


 相変わらず玉座で退屈そうにしている炎獄の女神・アスカに似た少女が何かをした訳でもない。


 ユイは自分の意思で航大たちと敵対する道を選び、その果てに航大が持つグリモワールを求めているのだ。


「分かった。お前がそこまで言うのなら……俺は戦う……」


「…………」


「でも、俺はユイを殺したりはしない。その目……覚まさせてやる……ッ!」


 航大はまだどこかで希望を捨ててはいなかった。


 今、この瞬間もユイがちょっとおかしくなったくらいにしか考えては居なかったのだ。そうでもしないと、航大は突きつけられる厳しい現実を受け入れることが出来ないからだ。


 ずっと共に旅をしてきた。


 どんな時でも自分を心配して、時には傷つきながらも一緒に過ごした時間は偽物ではないと信じているから。


 だからこそ、彼女の目を覚まさせるのは自分にしか出来ない。

 これまでも数多の絶望は経験してきた。

 今回も航大は迫る絶望を乗り越えることが出来ると確信を持っている。


「……さぁ、構えて」


「…………」


「……ごめんね、航大。あの約束……忘れないで」


「――ユイッ!」


 腹部の痛みを刹那の瞬間忘れて、航大は地面を蹴って跳躍する。

 航大と全く同じタイミングでユイも飛ぶ。


 風を切って直進する二つの人影が重なり、そして再び元の形へと分裂する。

 甲高い音が響き渡った直後、玉座の間を膨大な魔力の奔流が走り抜けていく。


 航大が手に持つ氷杖を通してユイと触れ合った瞬間、航大の中に『迷い』が生まれた。

 それは時間にして一瞬であったのだが、互いを知り尽くした戦いにおいてはその一瞬が致命傷となる。


「…………」


 ユイと航大はお互いに背中を向けて立ち尽くしている。

 しばしの静寂が支配した後、航大の身体が突如としてガクッと折り曲がる。


 胸から脇腹に掛けて深い裂傷を刻まれた航大は、言葉を発することも出来ずにその場へ倒れ伏す。


 ユイが持つ秘剣・ヴィクトリアの刀身には生々しい鮮血が伝っており、それが航大の身体から噴出した鮮血であることはすぐに理解できた。


 対する少女の身体には一切の傷は生まれていない。


 彼女の凶行を止めるために戦う。

 そう決意したはずの心は、少女と触れ合った一瞬の内に瓦解したのだ。


「……航大は優しすぎる」


「…………」


 変わらない無表情のまま、ユイはぼそっと言葉を漏らす。

 その言葉を届けたい相手は玉座の間に沈み、じわりと体内から溢れ出した鮮血が広がっていく。



「……その優しさが私を苦しめる。その優しさが、世界を壊す」



 漏れる言葉は少年には届かない。

 ゆっくりと踵を返すユイは、航大の懐から『傲慢のグリモワール』を取り出す。


 今まで自分に力を与えてくれた異能の魔導書。

 それを手に入れ、少女の目的は一つ果たされる。


「それじゃ、行こうか?」


「…………」


「我が主が待つ場所へと」


 玉座に座り、事の顛末を見守った少女はその言葉と共に立ち上がる。

 歩き出す巨悪の背中を追うように、白髪の少女はゆっくりと歩を進める。


「…………」


 最後に横目で倒れ伏す少年の姿を捉え、しかしそれでもユイの表情は変わることがないのであった。


 バルベット大陸は南方地域の最果て。

 そこで航大たちを待っていたのは、決定的なまでに絶望な真実なのであった。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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