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第六章38 決意と覚悟

 藻掻き、苦しむ少女は自らの深層に沈んでいく。


 そこは一切の光が差さない漆黒の世界であり、どれだけ藻掻こうとも身体が浮上することはなく、底なしの沼に嵌っていくような感覚が少女を襲い続ける。


 沈めば沈むほど、少女は自らの内に存在する『負』に近づくような感じがして、必死になった手足をばたつかせることでなんとか浮上のきっかけを掴もうとするも、そんな少女の意図とは反して身体は沈んでいくばかり。


「……嫌」


「……どこ、ここ?」


「……航大、航大、航大」


 強い不安に襲われた時、その名前を呼ぶと心が安らいだ。

 目を閉じて、光も差さない闇の中でも少年の顔はすぐに思い浮かべることが出来る。


 自分が何者なのか。

 どうしてこの場所に存在しているのか。


 長い時を経たとしても、少女は自分自身のことについて何も知らなかった。


 ユイ。


 何も分からない自分に少年が付けてくれた大切な名前。

 少女はその名前を気に入っている。


 何故だろうか、その名前を呼ぶことも、呼ばれることにも不思議と慣れている感覚があり、欠けていたパズルのピースがピッタリとハマった感じである。


「……私、戻らないと」


 少年のことを考えると、ユイはすぐに時間を忘れてしまう。

 今、自分が強い不安の中に囚われていることすら、少年のことを想えば忘れ去ってしまうのだ。


「……航大が危ない。急がないと」


 炎獄の女神・アスカの姿を模した少女によって、ユイはこの世界へと飛ばされた。


 女神ですら退ける力を持つ少女を前に、ユイは航大と力を合わせて戦わなければならない。だからこそ、こんな場所で足踏みをしている暇はないのだ。


「…………」


 しかし、この場所から抜け出す方法が見当もつかない。


 そもそも自分が今どこにいるのか、それすらも不明な状況で脱出しようにも打つ手がない。ただ身体を暴れさせたとしても、それは何の意味も見出すことはなく、闇の中へ落ちていくことには変わりはない。


「…………誰?」


 音もない。

 光も差さない。


 自分だけで全てが完結している世界に突如として変化が現れた。

 つい先ほどまで自分しか存在しなかった世界。


 そこに誰かの気配を感じたのだ。

 自分のものではないことは確かであり、しかし他人ではない。

 そんな不思議な感覚と共にユイは闇へ向けて声を発する。


「……私は貴方」


「…………」


「私と貴方は誰よりも近くに存在して、だけど決して邂逅を果たすことはなかった」


 暗闇の中より姿を現したのは、ユイにそっくりな少女であった。


 そっくりという言葉は正確には正しくなく、より正しい言葉に置き換えるのであれば『酷似』していると表現するのが正しい。


 ユイと同じ長い黒髪を三つ編みにして、異世界では見たことのない不思議な格好をしていた。背丈も顔立ちも全く同一である少女は、ユイと同じ無表情で無感情な声音で言葉を紡ぐ。


「……どういうこと?」


「そのままの意味。私は貴方で、貴方は私。私と貴方は表と裏の存在であって、決して同時には存在し得ない関係」


「…………」


「貴方がこの場所にやってきた。それは再び世界が終末へと近づいていることの証でもある」


「……世界の終末」


 三つ編みを揺らしながら紡ぐ少女の言葉。


 それを聞くユイは何故だか少女の言葉を一蹴することは出来なかった。彼女は紛れもなく真実だけを述べている。この時のユイは何故かそう感じずにはいられなかったのである。


「語りましょう。今までの世界が辿った結末と、これから迎える新たな結末を……」


「……今までの世界?」


「そう。貴方もこれまでの時間で何度か垣間見てきたはず。崩壊する世界の姿を……」


「…………」


「その世界で貴方は何をしていた?」


「……私?」


「崩壊する世界の中で、貴方は大切な人をその手で殺める。そうでしょう?」


 一切の感情が篭っていない冷めた瞳がユイを射抜く。


 絶望的なまでに抑揚のない声音がユイの鼓膜を震わせると、白髪を揺らす少女の身体は僅かに震えてしまう。


 記憶の奥底に封じたはずの光景が蘇る。

 見知らぬ朽ち果てた場所で対峙するのは、この世界で最も愛する少年だった。


 同じような夢を何度か見ているユイなのだが、微細に違う箇所は存在しつつも、最期に到達する結果はいつも同じであった。


「……どうして私が、航大を?」


「その結末は貴方が選んだものではない」


「……誰が、そんな結末を選ぶって言うの?」


「貴方が誰よりもよく知る人物よ」


「…………」


 眼前に立つ、自分と姿形がよく似ている少女の声音。


 投げかけられる問いかけに対して、彼女は紛らわしい返答を返すばかり。しかし、その瞳は『貴方はもう知っている』と、言いたげであり、事実ユイは自分が望まぬ未来を選択するであろう人物に心当たりがある。


「……航大が、私に殺される未来を選ぶ?」


「貴方を助け、世界を救おうとする。これまでの世界であの人は常にその選択をしてきた」


「……そして、私がそれを壊す」


「そうよ。貴方はこの世界を壊す者だから」


「……世界を壊す」


「世界を壊し、再び創世する力を得る。それが貴方」


「…………」


「今はとても信じられないかもしれない。しかし、それがこれまでも繰り返してきた世界の行く末」


「……変えることはできないの?」


「これまでの貴方は変えようとしていた。だけど結末はいつも同じ」


 今までに見てきた夢の光景は、どんな時もユイにとって最悪の結末であった。


「どうして私は世界を壊すの?」


「それがあの人を救う最善の手だから」


「…………」


 少女の言葉をユイは理解することが出来ない。

 この世界を壊すことが航大を助ける最善の手であると少女は言う。


「原初の書。それは世界を終末へと誘う究極の魔導書」


「……原初の書」


「この世界に存在する大罪の名を冠した魔導書が全て集まる時、世界は終末を迎え、新たな創世の時を迎える」


「…………」


「そして、自らの欲望のままにその力を手にしようとする存在がある」


「……それは、誰?」


「帝国ガリアが総統、ガリア・グリシャバル」


「…………」


「あの男は究極の魔導書を求め、自らの欲望を果たすために今は準備の段階に入っている」


「……準備」


「かつて世界を滅ぼした悪しき存在である魔竜を集め、更に大罪の名を冠した魔導書も同時に集めている」


「…………」


「準備は最終段階へと移ろうとしている。ここまでは決して変えることの出来ない世界の流れ」


「……ガリアが動いているのは分かった。でも、そこからどうして私が世界を壊すことに繋がるの?」


 少女の説明を聞く限り、世界を破滅させようとしているのはガリア・グリシャバルである。しかし、少女は先ほどの説明で世界を破滅させるのは『ユイ』であると語った。


「それは当然の疑問。では、どうして貴方が世界を破滅させるのか……それはガリアが望む世界の破滅はあの人の死を意味する」


「…………」


「貴方はその結末を良しとしない。だから、ガリアの目的を潰す必要がある」


「……航大も、世界も、みんなも、全部を助ける道はないの?」


 ユイの瞳は震えていた。

 眼前に立つ少女の言葉は嘘じゃない。


 そうハッキリと確信を持てるからこそ、ユイという少女は自らが望む救いの道を問いかける。


 これまでの自分も同じ問いかけを投げかけただろう。

 そして返ってくる答えも変わらないのだろう。

 それでもユイは問いかけずにはいられなかった。


「全てを救う。きっとその道はどんな結末と比べても厳しいものになる。世界がどんな姿を見せるのか、それは貴方次第」


「…………」


 絶望的な言葉が返ってくるかと思ったユイだったが、少女が放った言葉に驚きを隠すことが出来ない。


「貴方と世界が選べる選択肢は少ない。だけど、そこからの結末は努力次第で変えることが出来るかもしれない」


「…………」


「望む未来のため、どんな手も尽くす覚悟はある?」


「……ある」


「時にそれは苦痛を伴うかもしれない。それでも望む未来のために……」


「……私はなんでもする。航大を、大切なものを守るためなら」


「……幾度となく繰り返した時は失われ、また新たな時が動き出す」


 ユイの強い覚悟と決意を目の当たりにし、名も知らぬ少女は抑揚のない声音で言葉を紡ぐ。

 踊るように、歌うように。



「待つのは悲劇か、それとも歓喜か、はたまた絶望の終末か……」



 終末へと突き進む世界は少しずつ、そして確実に新たな結末へと突き進む。



「進みなさい。貴方が思う未来へ。その果てで私たちはまた邂逅を果たす」



 少女の声音と共にユイの意識が遠くなる。

 意識が覚醒しようとしており、その流れにユイは逆らうことができない。


 繰り返す世界が歩んできた悲劇の結末。

 それを繰り返してはならない。


「さぁ、貴方は貴方が成すべきことをしなさい」


 その言葉を最後にユイの意識は完全に途絶える。


 悲壮な決意と覚悟を新たに目を覚ます少女は、自らが成すべきことを理解し、望む未来を手に入れるために動き出すのであった。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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