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第六章33 巨悪との邂逅

 バルベット大陸の南方地域。


 年間を通して温暖な気候であることが印象的な場所であり、南の果てには活発な火山帯が存在するとされている。北方の大地とは全てが真逆な環境にあり、南の果てに近づくほどに環境は劣悪を極めていく。


「……航大、大丈夫?」


「あ、あぁ……」


 噴煙を上げる火山が周囲に点在する南方地域の最果て。


 炎獄の女神・アスカが呼んでいるという理由で、航大とユイの二人はライガたちから離脱して先行することとなった。


 何故、航大とユイだけが無条件で先に進むことを許されたのかは不明である。女神が待つ王城の守護神である『炎龍』はただ主の命に従って航大とユイを通した。


 しかしライガ、リエル、シルヴィアの三人が通ることは許されなかった。


「あれが王城って奴か……」


「……うん。そうみたい」


「ハイラント城並にデカいな。カガリの時とはえらい違いだ」


『ちょっと、航大くん。それはどういう意味かな? 僕の根城がしょぼいとでも言うのかな?』


 航大の中には既に二人の女神が存在している。


 バルベット大陸の北方地域を守護していた、氷獄の女神・シュナ。

 バルベット大陸の西方地域を守護していた、暴風の女神・カガリ。


 かつて魔竜から世界を救い、今なお世界の均衡を保つために存在し続ける彼女たちは、長い年月を経たことによって徐々に力を失い、今ではこの世界に『実体』として存在することが難しくなった結果に神谷航大の内に潜むことを選択した。


 全盛期には程遠い状態であるとはいえ、航大の内に身を潜める女神たちは宿主でもある航大に自らが持つ力を授ける。その結果、異世界からやってきた普通の少年である航大は、魔法による異形の力を得ることに成功し、これまでの戦いにおいてもその力をいかんなく発揮してきた。


「…………」


 しかし、そんな航大でもこれから待ち受ける戦いの予感を前にして、緊張感を隠すことが出来ないでいた。


 なにせ相手は自分の内に潜むシュナやカガリと同じ『女神』である。


 西方地域でカガリと邂逅を果たした際、航大は試練という形ではあるものの、暴風の女神と一戦交えた経験はある。仲間たちと力を合わせることでなんとか試練をクリアすることが出来た航大ではあるものの、今回はその時と状況が異なっている。


 まずカガリの時は違い、今回の相手は女神でありながら正気を失った状態であることが予測される。世界を守護する存在でありながら、なんら罪もない人間に対して遠慮することなく力を振るう姿は、今でも航大の脳裏に色濃く残り続けている。


 更に炎獄の女神・アスカは『闇の魔力』に囚われている可能性が非常に高いと言える。闇の魔力というものが何なのか、それを航大は詳しく知ることはないが、シュナたちの話からすれば、その力は遥か昔に世界を混沌に陥れた『魔竜』と呼ばれる存在が持つ力であるとのこと。


 大自然が支配する大陸・コハナで、魔竜ギヌスと邂逅を果たしたことがある航大は、女神・アスカが見せた異形の姿を前にして、確かにギヌスから感じた禍々しい力の奔流を見ていた。


「まぁ、しょぼいって言う訳じゃないけどさ、女神によって特徴が出るんだなって思ってさ」


『ふん、こんな城を作っちゃうところは、確かにアスカっぽいと言えばそうかもしれないね。僕は女神として慎ましく生きていくことを決めたから、あんな質素な感じになったのさ』


「……自分で質素であることは認めるんだな」


 身体の至る部分から汗が滲んでいることを感じながら歩を進める航大とユイは、無言の時間を作らないようにと務めて冷静に会話を続けている。


 そうでなければ、航大たちが歩く南方地域の果てを覆う強烈な重圧に屈してしまいそうにいなるからである。


「…………」


 航大たちは何かと戦っている訳ではない。

 女神と邂逅を果たしている訳でもない。


 それにも関わらず、航大とユイの二人はいつもよりも明らかに身体が重くなっていることをしっかりと自らの身体を持って実感していた。この先に待ち受ける存在との邂逅に対して、身体と心が強い重圧を感じているからなのか、それともじっとりと全身に絡みつくような『嫌な感覚』のせいなのか。


 とにかく、自分たちが居るこの場所が『異常』であることに間違いはなく、こんな場所に世界を守護する女神が存在するなんてことは、少し前の航大たちからは想像も出来なかったことである。


「……ここが入り口ってことか」


「……どうやって入る?」


「うーん、俺たちを呼んでるってのが本当なら、無理に侵入する必要もないとは思うけど……」


「……でも、他に入り口はないみたい」


「そうなんだよなぁ……」


 ユイや女神たちと他愛もない会話を繰り広げている間にも、航大たちは炎獄の女神・アスカが待つであろう王城の正門へと到達していた。


 見上げるほどの立派な城壁が王城を取り囲んでおり、ここを突破しなければ女神と邂逅を果たすことすらない。炎龍のように守護神たる存在もおらず、一般的な城で見られる門番的な存在も見つけることは出来ない。


 航大たちの前に立ち塞がる城門はとてもじゃないが自力で突破できるようなものではなく、もちろん押して開くようなものでもない。


炎獄の女神・アスカが根城とする王城は、赤く燃えたぎるマグマの海の中央にぽつんと存在している。王城へと通じる道はたった一本であり、航大とユイの二人は唯一存在する道を歩いてきた訳だが、見渡す限り別のルートなどは存在しない。


「……どうすればいいんだよ、これ」


「……なにか音がする」


「音?」


 途方に暮れる航大の隣で、何かの気配を察したのかユイがピクリと身体を震わせた。航大は特に何も感じるものはなかったのだが、しばしの静寂が過ぎた後、地鳴りのような音と共に城門がゆっくりと開いていく。


「なるほど。俺たちが来てることは分かってるってことか」


「……行こう、航大」


「あぁ、そうだな……」


 ユイに促されるまま、航大は紅蓮の中に存在する王城へと足を踏み入れていくのであった。


◆◆◆◆◆


「結構、内装は綺麗にしてるんだな」


「……すっごく大きい」


「この松明に沿って歩けってことか」


「……そうみたい。この先に強い力を感じる」


「……カガリたちも感じるのか?」


『うーん、確かに力は感じる。だけど、これは……』


「どうしたんだよ、カガリ? なんか歯切れが悪いな」


『いや、そうなんだけど……なんというか、変な感じなんだよね』


「変な感じ……?」


 内に潜む女神たちへ確認を投げてみると、なんともハッキリしない返答が返ってくる。


『私もカガリさんと同じですね。力は感じるのですが、これはアスカさんのものに似てるようで、違う……』


「違うってどういうことだよ。前に言ってた闇の魔力とかいう奴か?」


『それもあるんだけどね。もっと、根本的にアスカの力を感じることが出来ないんだよね』


「……女神の力を感じない?」


『女神とは根本が違う、禍々しきもの……』


『そうだね。この嫌な感じ……魔竜そのものって感じがするんだよね』


 王城の内部を歩きながら、女神たちの考察が続いている。


 魔力というものを察知する力を持たない航大からすれば、彼女たちが感じている違和感を共有することが出来ず、脳内で繰り広げられる女神たちの会話を首を傾げながら聞いているだけである。


「……航大、多分ここ」


「この先に居るのか?」


「……力がすごく強い。息苦しくなるくらい」


『……気をつけるんだよ、航大くん。ユイちゃんの言うとおり、この先にいる』


『航大さんも戦う覚悟をしておいてください。あの様子を見れば、話し合う余地すらないかもしれません』


「…………分かった」


 ユイ、カガリ、シュナの言葉が航大の警戒心を強く煽っていく。

 強くなる鼓動を抑えながら、航大は眼前の仰々しい扉に手を当てる。


「…………」


 見た目に反して、航大たちの歩みを止める扉は少しの力を込めることでゆっくりと開かれていく。開かれていく扉の隙間から身体に纏わりつくような生暖かく、嫌な感覚が溢れ出してくる。


 思わず扉を開こうとする手の動きを止めてしまいそうになる。


 生物が普遍的に持つ本能的な畏怖の感情がそうさせるのであり、これほどにまで邪悪な魔力の根源を航大は感じたことがなかった。少しでも気を抜けば、全身を襲う禍々しい魔力だけで気を失ってしまいそうであり、しかし航大は唇を強く噛みしめると竦みそうになる足に力を込める。


 ここで引き返す訳にはいかない。

 どんな巨悪が待ち受けていようとも、航大には逃げることが許されてはいないのだから。



「……待ち詫たぞ、異形の力を有した者よ」



 扉が完全に開く。


 眼前に広がるのは、綺羅びやかな装飾が施された玉座の間であり、航大たちが立つ場所から玉座の前まで真紅のカーペットが伸びている。


 ハイラント王国でも同じような光景を見てきた航大たちではあったが、炎獄の女神が根城とする玉座は雰囲気が全く違っていた。眩い輝きを放つ装飾品が立ち並ぶ空間であるはずなのに、どこか空気はどんよりとしていた。他の場所とは違って、玉座の間には圧倒的なまでに濃厚な負のオーラが満ちており、そのオーラの根源となる存在が玉座に座って航大たちを見据えていた。


「…………」


 巨悪となる存在が眼前に在る。

 鼓膜を震わせた声音と共に航大とユイはその存在を認識することが出来た。


 しかし、彼らの視線は玉座に座る少女に注がれるのではなく、そのすぐ後ろに存在する巨大な『十字架』に集中しているのであった。


「……カガリ、シュナ、どっちが女神なんだ?」


 玉座の前には似つかわしくない巨大な十字架。


 白銀に輝く十字架を真紅の液体が汚しており、航大たちの視線は十字架を汚す根本原因へと注がれている。


『久しぶりに見たから一瞬、どっちか分からなかったよ』

『どうしてアスカさんが……』


 玉座の間には『二人の人間』が存在していた。


 一人は玉座に座り、赤髪に黒を混じらせた無表情で気怠げな様子を見せる少女。


 一人は白銀の十字架に身体を縛り付けられ、ぐったりとした様子で鮮血を零す少女。


 航大たちの視線は十字架に縛り付けられた少女へと注がれており、紅蓮に燃える炎のような炎髪が印象的な彼女が『炎獄の女神・アスカ』であることは、航大の内に潜むシュナたちの反応からも間違いはなかった。


 航大が何故、どちらが女神であるかを尋ねたのには理由がある。

 それは二人の少女の顔立ちがあまりにも酷似していたからである。


 玉座に座る少女も、十字架に縛られた少女も髪色や纏う雰囲気に決定的な違いはありながらも、本質的な部分は同一であることは感じることが出来る。


「こちらを無視し、今にも死にそうな存在を気にかけるとは……」


 赤髪に黒を混じらせ、玉座に座る少女は航大たちの様子を見て小さくため息を漏らした。この空間を支配する負のオーラは彼女が発しているもので間違いはなく、バルベット大陸の南方地域を襲ったのが彼女であることを航大たちは確信している。


「一つ、聞いてもいいか?」


「この私に問いかけを投げるとは、恐れ多いが許そう」


「そこに居るのは、女神……アスカ、でいいよな?」


「ふむ、私の認識が間違っていないのならばそうであろう。しかし、女神というからそれなりの力を持っているのかと思ったが、大したことはなかったが」


「そうか。それなら……お前は誰だ?」


 そこで初めて航大の視線が玉座に座る少女へと注がれる。

 この場所は炎獄の女神・アスカが根城としている場所である。


 どうしてその場所に、女神以外の存在があるのか。

 それを航大は問いかけなければならなかった。


「世界を支配する大いなる君主の命によって、私はここにいる」


「…………」


「まぁ、私が誰なのかという問いかけに対する返答としては、炎獄の女神・アスカである……というのが正しいだろうな」


「…………」


「私とコイツは同一の存在である。偉大なる君主の力を使い、その存在を取り込み、そしてより高度なものへと進化した存在。それが私だ」


「よし分かった。てめぇは世界の敵だ」


 これ以上の会話は不要であると言わんばかりに、航大は大きく一步を踏み出す。


「……航大、私も」


 航大の隣に立つのは白髪の少女・ユイである。

 彼女もまた巨悪の存在を前にしても臆することなく、航大と同じで怒りにも似た感情を抱いている。


 数多の命を奪った存在が眼前にある。

 そしてそれは女神自身ではなかった。


 今の航大にはそれが分かれば十分であった。


 眼前に巨悪が存在するのであれば、それを討つだけである。

 強い怒りと共に挑むは女神の力を取り込んだ悪魔である。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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