第六章28 月下の戦いⅩ
バルベット大陸の南方に存在する名も知らぬ街での戦い。
そこは炎獄の女神・アスカによって崩壊した場所であり、街を形成していたあらゆるものが業炎に飲まれて灰燼と化すことになった。数多の命を飲み込んだ炎が消えた後、街で生活していた人々は『アンデット』と呼ばれる歩く屍へと姿を変えた。
「くそッ……マジで身体が……言うことを聞かねぇ……」
「はぁ、はぁ……ホントに、これはまずいかも……」
屍が闊歩する世界において、ライガ、シルヴィアの二人は見上げるほどの巨体を誇る男・オリバーと対峙していた。彼はこの街を治める立場にあった人間であったが、女神・アスカの襲撃によって命を落とす
こととなった。
絶望と共に死した彼はその身体を魔獣にも似た異形のものに変化させ、隆々と脈打つ筋肉で武装してライガたちの前に立ち塞がった。
紅蓮の瞳を光らせるオリバーを相手に、ライガとシルヴィアは自身が持つ力を使って善戦するが、一瞬の隙を突かれた結果、地面から突如として姿を現した触手によって四肢の自由を奪われる。
その後、オリバーは自らの身体に爪を立て、皮膚と肉を切り裂くことで鮮血を噴出させるとそれを雨のようにしてライガとシルヴィアに浴びせかけた。オリバーの鮮血は生者には毒となり得るものであり、少量でも影響が強く出るものであった。
ライガとシルヴィアの二人はオリバーの鮮血を浴びることで身体の自由を奪われ、更に命の危機に瀕しようとしていた。
「ちょっと、ライガ……なんとかしなさいよ……」
「んなこと言われても……身体が動かねぇんじゃ……どうしようもないぜ……」
全身を濡らす鮮血に眉を顰めながらも、ライガとシルヴィアの二人は触手によって身体を縛られているため行動ができない。更に二人は毒によって弱体化しているため、身体を縛る触手から逃れることができない。
「――――」
紅蓮の瞳を光らせて、オリバーはゆっくりと大きく一步を踏み出す。
彼が向かう先には身動きが取れないライガとシルヴィアの二人が存在していて、この戦いを終えるために行動を開始したと考えるのが普通であった。
迫る巨体を前にして、ライガとシルヴィアは逃げることすら出来はしない。このままでは、二人の身体はオリバーによって破壊の限りを尽くされることとなる。
「へっ……これが絶体絶命って奴か……」
「はぁ……アンタねぇ、なに笑ってんのよ……」
「だってよ、そろそろだろ?」
「全く、待たせすぎなのよ……」
近づくオリバーを前にしても、ライガとシルヴィアの二人にはどこか余裕な素振りが見え隠れしていた。そもそも、この戦いには未だ姿を見せていない『もう一人』の存在があった。
瑠璃色の髪を持ち、この地から真逆の北方で生まれ育った『賢者』という名を持つ少女は、ここぞという場面で姿を現す。
「ふむ、まさかここまで苦戦しているとは、予想外だったぞ?」
その声音はライガとシルヴィアの背後から聞こえてきて、苦しむ二人の鼓膜を優しく震わせた。その声に振り返れば、そこには美しい瑠璃色の髪を月明かりの下で輝かせる小柄な少女の姿があった。
両手を腰に当て、偉そうな態度を崩そうともしないリエルは、ライガとシルヴィアの二人を見下ろすようにして堂々と登場した。
「うるさいわね、ちょっと準備に時間が掛かりすぎじゃない?」
「ふふん、まぁ今に見てるんじゃ……これが儂の新開発の魔法じゃッ!」
うず高く重なり合った瓦礫の上に立つリエルは自信満々といった様子で笑みを浮かべると、その右手を高く天に突き上げる。
リエルを中心として膨大な魔力が姿を現す。
それは少し離れたライガやシルヴィアでも感じ取れるほどに強大である。
「天地を凍てつけ、業氷の前に立つ魔はなし――偉大なる破魔の氷槍ッ!」
その声音をトリガーにリエルが放つ膨大な魔力が無数の『氷槍』へと姿を変える。
月明かりを受けて輝く氷の槍。
円形に広がるそれはリエルたちが立つ場所を中心に、何重にも重なって円を描くように周囲を覆い尽くしている。
「なんだよ、コレ……」
「す、すごい……」
自らを囲む氷槍に感嘆の声を漏らすライガとシルヴィア。
「ちと、準備に時間が掛かるのが難点じゃが、破壊力は折り紙付きじゃッ!」
「――――」
展開された氷槍を見て危機を察したオリバーが咆哮を上げる。
「ふん、うるさくデカい虫じゃな……」
大地を揺らして接近してくるオリバーに対して、リエルは忌々しげに眉を顰めると、右手を振り下ろす。
「行け、氷槍たちよ」
リエルの言葉に従い、周囲に展開された氷槍たちが一斉に矛先をオリバーに向ける。
静かに、そして疾く氷槍はオリバーの身体を貫こうと空中を滑空する。
「――――」
迫る氷槍に対して、オリバーは咆哮を上げるとその腕を振るって迎撃しようとする。
全方面から接近してくる氷槍はその一本一本が凄まじい破壊力を持つ。
しかしオリバーはその全てを迎撃しようと腕を振るう。
「ふん、小癪な……」
オリバーは巨体を誇るがその動きは早い。
ライガとシルヴィアを放置して、地面が抉れるほどの跳躍の連続でなんとか氷槍の直撃を避けようとしている。更に少しずつリエルへと接近するように回避しており、およそ人間には不可能な動きの連続には驚きを禁じ得ない。
「――――」
「いつまで続くかの?」
少しずつ接近しようとするオリバーを見ても、リエルは少しも表情を変えることはなかった。
オーケストラの指揮者のように、両手を振るい、軽やかにステップを踏むと、その動きに呼応するように展開された氷槍たちが次々にオリバーを襲う。
オリバーが腕を振るい氷槍を打ち砕くのだが、それよりもリエルが次々に氷槍を生み出す速度のほうが圧倒的に早い。
「ほれ、ほれッ、もっと踊って見せるんじゃ」
月明かりが差す中でリエルは踊り続ける。
腕が振るわれ、その直後に新たなる氷槍が巨体を貫こうと飛翔する。
リエルのステップが早くなればその分だけ氷槍の鋭さが増す。
「――――」
「まだまだ、こんなものではないじゃろう?」
リエルが見せる氷獄の演舞。
それは見る者によっては魅力的で美しく、また逆の視点から見れば地獄の舞いに見えることだろう。オリバーは雨のように降り注ぐ氷槍を前にして、次第に動きが鈍くなっていく。
回避するための思考が追いつかず身体の動きが僅かに遅れる。
「もうおしまいかの?」
一撃。
また一撃。
オリバーの動きが鈍くなった瞬間を、リエルが見逃すはずがなかった。
少しでも判断が遅れれば、次の瞬間にはオリバーの身体を氷槍が掠めていく。皮膚が裂け、鮮血が溢れるが、それも次の瞬間には氷結する。
「その血は厄介じゃからの……少し、凍らせてもらうぞ?」
「――――ッ!」
どこまでも余裕といった素振り、口ぶりでオリバーを挑発するリエル。
その言葉を聞いてオリバーは大きな咆哮を上げるのだが、しかしそれは冷静な判断を奪う結果へと繋がっていく。
なんとかこの状況を脱しなければ。
そう思えば思うほどリエルの思惑に嵌っていくことになり、冷静さを欠いた状態で雨のように降り注ぐ氷槍を回避することなど不可能なのであった。
「そろそろ終いじゃな」
気付けばオリバーの身体は凄惨なものに変わっていた。
全身の至る部分に裂傷が見られ、しかし傷口から鮮血が溢れることはない。
傷口は薄い氷の膜で覆われており、鮮血を零すことはないのだが、しかしその氷の本当の役目は傷口を塞ぐものではない。
「そろそろ、動くのがしんどくなってきたところじゃろうな」
「…………」
「身体の内から冷えていく感覚はどうじゃ?」
「――――」
傷口を覆う氷の膜が少しずつ、ほんの僅かに広がっていく。
更に氷結の効果は表だけではなく、身体の内部にも強い影響を及ぼしていく。
血液を凍らせ、臓器を氷結させる
「凍てつく破魔の氷槍、終焉に舞え――偉大なる破魔の氷槍・終(アブソリュート・ブリザード・ランス・エンド)ッ」
新たに詠唱を唱えることで、リエルの頭上に展開された氷槍が集まってくる。氷槍たちは一つに融合を果たすと輝く一本の槍へと姿を変える。
「射抜け、氷槍ッ!」
鋭い声音が響き渡り、次の瞬間には融合した氷槍がオリバーの身体を貫いていた。
あまりの速さに誰もが視線で追うことが出来なかった。
「す、すげぇ……」
「私でも見えなかった……」
オリバーの胸から背中に掛けて突き刺さり、貫いた氷槍を見てライガとシルヴィアはその破壊力に呆然とする。
「ふぅ、これで奴もお終いじゃろう。待たせたのライガ、シルヴィア」
「全くだぜ……ちょっと準備するから時間くれって、いくらなんでも長すぎだろう……」
「もう少し遅かったら、本当に危なかったんだからね」
氷槍が突き刺さり活動を停止したオリバーを尻目に、リエルは軽やかな動作でライガたちに近づくと、二人の身体を縛っていた触手を消し去る。
身体の自由を取り戻したライガとシルヴィアだが、二人の体内にはオリバーの毒が回っていて立っていることすら出来ない。地面に座り込むライガたちを見て、一切の怪我もないリエルはやれやれといった様子でため息を漏らす。
「ちょっと厄介な毒があるようじゃの。でも、儂とカガリ様の治癒魔法があれば対処することが出来るじゃろう」
「お、マジか……それは助かったぜ……」
「まぁ、そうじゃなかったら私たち死んじゃうんだけどね……」
「とりあえず応急措置をしておこう。そうすれば少しは時間が稼げるはずじゃ」
オリバーの毒はリエルが持つ治癒魔法だけでは完治することが難しいものだった。しかし、暴風の女神でありあらゆる治癒魔法を知り尽くしている女神・カガリの力があれば問題はない。
「よし、動くことくらいは出来るじゃろう。主様のところへ急ぐんじゃ」
「おう、そうしよう」
「…………」
「どうした、シルヴィア?」
「……まだ終わってない」
「「……は?」」
シルヴィアの言葉にライガとリエルの二人が同時に声を漏らし、そして全く同じタイミングで視線を一点に集中させる。
全員の視線が向く先、そこには天を見上げて氷槍に身体を貫かれたオリバーの姿があった。
「おいおい、流石に終わっただろうがよ……」
「でも、まだ微弱だけど魔力を感じる……」
「そんな馬鹿な……確かに奴は……」
リエルの震える声音が漏れた次の瞬間、オリバーの指先がピクリと動き出す。
そしてゆっくりとした動きで腕を持ち上げると、自らの胸に突き刺さる氷槍を握りつぶす。
「……リエル、まだ戦えるか?」
「……また、時間を稼ぐことができればじゃな。さっきの魔法で魔力が枯渇気味じゃ」
「今の私たちに時間を稼ぐ余裕があるとでも?」
「ピンチ、って奴じゃな」
再び紅蓮の瞳を日から焦るオリバーを前にして、ライガたちは何度目かの絶体絶命へと追いやられることとなるのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




