第六章17 歩く屍
「それにしても、あの影は何だったんだ……」
完全に日も暮れ、月明かりだけが照らす薄暗い草原を南に向けて進む航大たち一行。彼らが目指すのは南方地域に存在する名も知らぬ街である。戦いから離脱した一行は、一旦の避難場所として街を選択したのであった。
「分からねぇ……」
「うーん、あんな魔獣見たことないしね……」
航大の問いかけにライガとシルヴィアは首を傾げるばかり。
「長年、この世界を見てきた儂でも、あんな魔獣は聞いたことも見たこともない。そもそも、人の姿をした魔獣など存在するのか……?」
「……でも、魔獣と同じような魔力を感じた」
リエルは腕を組み、かつての記憶を掘り起こして何か手がかりがないかを探す。しかし、ずっとこの調子なので成果は望めないだろう。
ユイは影の者たちが発していた微弱な魔力を敏感に察知しており、その結果を伝えるが謎は深まるばかりである。
「主様、女神様たちはどのような反応なんじゃ?」
「あ、あぁ……ちょっと聞いてみるよ」
『すみません、航大さん。私もあそこまで人間にそっくりな魔獣は知りません』
『そうだねぇ……人間に似た魔獣ってのがそもそもレアな存在なのは間違いないよ。それに、全く存在しないってこともない』
「え、そうなのか……?」
シュナに関しては魔獣に対しての知識が乏しいのか、概ねライガたちと同じ反応を返すだけだった。しかし、カガリに関しては魔獣に対しての知識があるのか、新たな結果を伝えてくる。
『特徴の話だよね。二本足で立つ魔獣だっているし、それに手が生える魔獣だって存在はするよ。でも、二本足で立って二本の腕を持っているってだけに過ぎない。今回の魔獣はより人間に近しい存在であるってことが問題なんだ』
「より人間に近しい魔獣……」
『そういうこと。あの影からは魔獣の魔力を感じたけど、それと一緒に只の人間と同じ気配も感じたんだよね』
「……どういうことだよ。人間であって魔獣でもあるってことか?」
『まぁ、そう表現するのが一番近いかもしれないね。そんな例は今までに聞いたことないけど』
「……街の人が魔獣にされた、ってことはないか?」
『…………』
ここまでの話を総括して、航大は思ったことを口にする。
実際、バルベット大陸の南方地域は炎獄の女神・アスカによって壊滅的な被害を受けている。街の崩壊と共に数多の人間が命を落とした。その果てに魔獣と成り果てることがあるのかどうか。その可能性を口にすると暴風の女神・カガリはその口を閉ざしてしまう。
『可能性として無いとは言い切れません。魔法は魔力さえあればどんなことでも可能にする力がありますから』
カガリの代わりに答えたのは氷獄の女神・シュナだった。
この世界に存在する魔法とは想像力である。
脳裏に魔法の形を想像し、自らが内包する魔力と大地に流れる魔力を組み合わせることで、魔法とは様々なことを可能にする。
『そんな魔法があるのなら、生み出した人間はとても許し難い存在だね』
脳裏に響くカガリの声音には隠そうともしない嫌悪感が滲んでいた。
それもそうだ。何の罪もない人間を魔獣に姿を変えて戦わせる。そんなこと、誰もがいい気持ちにならないのは当然である。
『航大さん、あの影についてもう一つお話が……』
重苦しい空気が漂い始めた頃、シュナが航大に話しかけてくる。
「どうしたんだ?」
『最近は全然話してもないから存在を忘れていたんですけど……』
「お、おう……」
『あの影たち……あの人に似てませんか?』
「あの人……?」
シュナが伝えようとしている人物について、航大は全く心当たりがない。
『航大さんの中にいる影の人……』
「……あ、アイツのことか」
彼女が伝えようとする人物。
それは航大の深層世界に存在する『影の王』のことであった。かつて、航大は深層世界で鍛錬を繰り返していた時間があった。その時、ずっと鍛錬の相手をしていたのが影の王である。
彼は人間の誰しもが持つ負の部分を具現化した存在である。
先ほど戦った影の者たちと同じように、影の王もまた全身を漆黒に染めていた。
「でも、アイツは喋るしなぁ……」
『それでも似ている存在と言えば該当するかと……』
「まぁ、確かに……もし、アイツとさっきの影が似たような存在であるならば……あれは、人間が持つ負が具現化した存在ってことか……?」
影の者たちについて、航大は一つの答えに辿り着こうとしていた。
『なるほどね、人間が持つ負が具現化……その可能性ならあるかもしれない……』
航大とシュナのやり取りを聞いていたカガリは、ふむふむと頷く様子を見せながら言葉を続ける。
『今、この世界には魔竜が持つ闇の魔力が広がろうとしている。その魔力が殺戮によって命を落とした人間に何かしらの影響を与えているのかもしれない』
「闇の魔力が持つ影響力……人間を影に変える……そんなことが出来るのか……?」
『あくまで可能性の話なんだけどね。人間が誰しも持つ魔力と闇の魔力が変に作用したのかもしれないね』
「…………」
大地に蔓延する闇の魔力。
それはかつて世界を混沌に陥れた魔竜が持つ力を差す言葉であり、本来、その力は女神たちによって封印されているはずだった。永い時が経過するにつれて、女神が持つ力の影響が弱まることで、封印されていた力が流出しているのだ。
女神が持つ力の弱体化については、航大の中に氷獄と暴風の女神が存在していることが何よりの証拠である。
「どうだ、航大? 何か分かったか?」
「うーん……なんとも言えないな。ハッキリとしたことは謎だ」
「……そうか。とりあえず、今日はあの街の近くで休憩しよう。あの影たちも追って来ないしな」
航大たちが向かっているのは草原を少し進んだ先に存在する中規模の街だった。
近づくにつれて街が見せる凄惨な様子がくっきりと浮かび上がってくるのだが、航大たちはそこを素通りする訳にはいかなかった。
もしかしたら誰か生存者が居るかもしれない。
それは自分たちの目で確かめる必要があるのは事実であり、だからこそ航大たちは崩壊した街へと足を踏み入れる。
その後に待ち受ける最悪の事実に関して、この時の航大たちには知る由もないことなのであった。
◆◆◆◆◆
「よし、とりあえず手分けして捜索しよう」
「夜も遅いし、ふた手に分かれる形にしようか」
街の入り口へと到達する航大たち一行。
遠くから見ていた通り、街は既に女神・アスカの手によって崩壊した後だった。業炎に包まれた痕ばかりが広がっており、これまでに見てきた街と同じように生存者は絶望的な状況であった。
それでも、航大たちは街の隅から隅までを見て回ることを決めて走り出す。
航大、ユイ、シルヴィアの三人と、ライガ、リエルの二人で別行動を開始すると、それぞれが走りながら街の中を見て回る。
田舎街・レントと比べると倍近い広さを誇る名も知らぬ街。
業炎によってあらゆるものが塵と化した世界において、かつては繁栄を極めていたであろう痕を見るなり航大の胸は痛いくらいに締め付けられる。街を構成していた家屋も木々も、河川も、道も、その全てが女神の手によって蹂躙されていた。
元あった形を保っている部分は一切存在せず、この場所に『街』と呼ばれる何かがあったという証拠が残るだけ。この街で生活をしていた人々は、その全員が理不尽な最期を迎えたのだ。
壊滅した街を歩く度に、航大たちは止めることができなかった惨事を目の当たりにする。
死体として残っているのは運が良いくらいであり、街の規模としては少なすぎる人間の死体を見つけるのがやっとである。
「……相変わらず、酷いな」
「……ここまで徹底的にやるなんて、信じられない」
航大の隣を歩くのは金色の髪を揺らし、ハイラント王国の騎士服を纏う少女・シルヴィアだった。彼女は王国の騎士であるが故に大陸に住まう全ての人々を救い助けることが仕事である。
だからこそ、崩壊した痕を見せる街を歩くと守れなかった自責の念に駆られて表情を暗くする。
「……航大、大丈夫?」
その更に隣を歩くのは白髪が印象的な少女・ユイだった。
彼女は表情の変化に乏しい物静かな少女であるのだが、今回ばかりは航大の心を案じて眉をハの字に曲げている。彼女もまた崩壊した街の有様に心を痛めていて、時折ぎゅっと強く目を閉じて眼前に存在する悲惨な現実から意識を遠ざけようとしている。
「あぁ……俺は大丈夫だ…………ん?」
「どうしたの、航大?」
ユイの心配に応え、再び視線を周囲に巡らせた瞬間だった。
航大が向ける視線の隅、そこに動く影を見つけたのであった。
「今、誰かが居た気がするんだッ」
「ちょっと待ってよ、航大ッ!」
「……航大?」
生存者が居るのかもしれない。
そう考えた瞬間に航大の身体は無意識の内に動き出してしまっていた。
何かの罠であるとか、魔獣の存在であるとか、本来ならばもっと警戒するべきことであったとしても、航大は生存者の可能性が微塵にも存在するかもしれない可能性に興奮を隠すことが出来ないでいた。
走り出した航大を止めることもできず、シルヴィアとユイも慌てた様子で航大の背中を追いかける。
あまりにも見慣れてしまった『死』の光景。
もしかしたらそこに希望の光が差すかもしれない。
航大の気が逸るのも無理はない話である。
「はぁ、はぁッ……確かこの辺に……」
「もぅ……航大ってば走り出したら止まらないんだから……」
航大が視界に動くものを捉えた場所へと辿り着く。
しかし、既にそこはもぬけの殻となっており、生暖かい風が吹き抜けるだけである。民家が残っていることもない、生きている人間の姿も気配もない。
「……見間違いだったのか?」
僅かでも期待があったために反動も大きい。
結局、自分の見間違いであった事実に航大は大きく肩を落とす。
「私とユイも見えてなかったし……見間違いじゃない?」
「……うん。私も見えなかった」
航大から少し遅れてシルヴィアとユイの二人が合流する。
周囲に動く存在はない。完全に航大の見間違いで決着が着こうとしたその瞬間だった。
「……あっ」
肩を落とす航大とシルヴィアの動きを止めたのは、そんな気の抜けたユイの声音だった。
「あれって……」
「やっぱり居たんだ、生存者がッ!」
瓦礫が散乱する街の中、浮浪者のように身体をふらつかせながら歩く人影があった。今度は見間違いなどではない。シルヴィアもユイもその人影をしっかりと捉えている。
「そんな、本当に生き残りが居たの? こんな惨状で……」
「……助けないと」
「そうだな。急いで保護しよう」
死が蔓延した世界の中で見えた光明。
光に縋るように航大たちは小走りでその人影へと近づいていく。
「おい、アンタッ! 大丈夫かッ!?」
「…………」
「おいって、聞こえてるんだろ?」
駆け寄る航大たちの言葉にその人影は反応を見せない。
後ろ姿しか見えてはいないが、髪の長さからして女性である可能性が高い。華奢な身体にボロボロの衣服。所々に見える素肌は煙によって薄汚れており、本来は綺麗な金髪であろう髪も煤で汚れきってしまっている。
両手を脱力させてふらふらと歩く女性へ、航大は肩に手を置いてその動きを止める。
「大丈夫か? 今、俺たちが助けて――」
「…………?」
航大に触れられ、女性はゆっくりとした動きで後ろを振り返ろうとする。
その顔を間近で見たとき、航大たちは戦慄を禁じ得なかった。
「なんだよ、コレ……」
「顔の半分が……うっ……」
「……酷い」
航大たちの姿を視認する女性。
しかし、その顔は半分が焼け爛れていた。
美しく端正に整った顔立ちであっただろう、女性の顔はその半分を業炎によって焼き尽くされていたのだ。皮膚が焼け落ち、その内に存在する肉が露わになってしまっている。
焼け落ちた顔の部分に存在していたであろう眼球はどこかに姿を消していて、顔の半分には不自然な空洞が存在している。
「こんなの……どうして、生きてるんだ……?」
「……航大、離れてッ」
肩に置いた手を離すことも出来ず、航大は呆然と立ち尽くす。
そんな彼を女性から引き離したのはユイだった。
「……この人から魔獣の気配がする」
「あの時の影と同じ……」
ユイとシルヴィアは女性の身体から闇の魔力を察知していた。
それはとても微弱なものであったが、肌を撫でる悪寒は闇の魔力によるもので間違いなかった。
「どうして、この人はどう見ても……普通の人じゃないか……ッ!」
草原で戦った影の者たちとは違う。
航大たちの眼前に立つ女性は、顔が焼け落ちていることを除けば普通の人間である。全身を影の黒で覆うこともなく、業炎に包まれる前はその顔に笑みを浮かべていたであろう人物で間違いないはずだった。
しかし、航大たちの姿を認識するや否や、女性はその唇を歪ませて全身から闇の魔力を放出させる。
「すごい殺気……航大、しっかりしてッ……戦わないとッ!」
「……航大、早く離れて」
全身を襲う異様なまでの殺気。
それは目の前の女性が放っているもので間違いはない。しかし、航大は武器を手に取る勇気がなかった。どれだけ女性が敵意を剥き出しにしようとも、本来は何の罪もない一般人を攻撃することなど出来るはずがないのだ。
「これも女神のせいなのか……?」
爛れた顔面で笑みを作る女性は、紅蓮の瞳で航大の顔をまっすぐに見つめている。
身体から噴出する鮮血のような赤く輝く瞳は、ただそれだけで普通ではないことを証明していた。
彼女も影の者たちと同じ魔獣であるのだ。
その事実が航大をどこまでも深いどん底へと誘っていく。
「嘘……まだ他に居るの……?」
「……一人、二人……三人、四人……どんどん増えてる」
航大が呆然と立ち尽くす中で、シルヴィアとユイの二人は自らを取り囲もうとする住人の姿を捉えていた。その全てが女性と同じで既に命の灯火が消えた人々であることを即座に理解することができた。
何故ならば、ふらつきながらも近づいてくる人々は、もれなく全てが四肢のどこかを欠損しているからだった。腕を失っている者、足を失っている者、他にはそもそも頭部が存在しない者もいる。
「こんなの……街の人がアンデットに……?」
「……どうする、航大?」
「…………」
闇の魔力が蔓延する世界は、死した人々をアンデットへと変えてしまった。
その事実は航大に強すぎる衝撃を与えることとなった。少年は愕然として戦意を完全に喪失してしまっている。
アンデットたちは身体をふらつかせながら少しずつ距離を詰めてくる。
その身体からは闇の魔力はもちろん、航大たちの命を刈り取ろうとする殺意も発している。
「ちょっと、航大ってば……やばいってこの状況ッ!」
「……航大、早く逃げよう」
シルヴィアとユイが航大の腕を掴む。
強い力で女性から引き離し、この街からの脱出を提案する。しかし、航大は強いショックから放心状態であり、目を背けたくなる現実を前にして身動きが取れない。
「……あぁもうッ!」
「……シルヴィア?」
「アンタは黙ってて。航大、いい加減にしなさいッ!」
「――――ッ!?」
このままではアンデットに囲まれて逃げ道を失ってしまう。
そんな状況において、シルヴィアは大声を上げると航大の肩を強く握って自分の方を向かせると、その頬に強烈なビンタをお見舞する。
「あっ……」
「あっ……じゃないッ! アンタがそんな調子でどうするのよッ! 私たちは航大の命令で行動する。航大がそんな状態じゃ、私たちはどうすればいいのか分からないのッ!」
「…………」
「ショックなのは分かる。私だってユイだってそう。でも、航大が動かないと……動いてくれないと、私たちだって何も出来ないんだからッ!」
「…………」
「航大にはこの先の戦いに勝つ責任がある。どんな手を使ったとしても、私たちを守るために、世界を守るために戦わなくちゃいけないのッ! たとえ、どんな辛い現実があったとしても、航大にはその責任があるッ!」
「……責任?」
「そう。自分が守ろうとするものを守るために戦う航大に……私たちは惹かれてるの。貴方が頑張るなら、私たちもそれを助けたい。だから、勝手に諦めないで。諦めるらやることを全部やってから諦めなさいッ!」
「……シルヴィア」
「そうじゃないと、私たちが歩んできたこれまでが何だったのか、分からないじゃない。お願い、航大……私たちを導いて。貴方が作る理想の世界に……」
シルヴィアが手を伸ばす。
その手は白くて華奢で、しっかりと血が通った生きている人間の手である。
「…………」
「……航大ッ!」
彼女の声音が航大の鼓膜を痛いくらいに震わせる。
熱く、強い感情の渦が流れ込んでくる。
ありのままにぶつけられる感情は、少年の折れそうな心に活力をくれる。
「……逃げよう。そして、ライガたちと合流するんだ」
不意に言葉が口をついて出た。
血液と同じようにシルヴィアの言葉が航大の身体に染み渡る。
それを実感しながら、航大の瞳には再びの光が灯る。
「全員、急げッ! 逃げるんだッ!」
「航大……うん、分かったッ!」
「……早く逃げよう」
航大の言葉で全員が踵を返して走り出す。
アンデットたちは鈍足であり、走る航大たちに追いつくことは不可能である。
しかし、街のあちこちからアンデットは姿を現しており、かつてこの街で生活していた人々の全てがアンデットへと姿を変えてしまったかのようだった。
「くそッ……どうしてこんなことに……」
「航大、難しいことは後で考えよう」
「…………」
歯を強く食いしばる。
街が崩壊するだけでは飽き足らず、死した人ですらも安寧を許さない現実に心底苛立ちが込み上げてくる。
だがしかし、航大たちを襲う絶望はこんなものではなかった。
街の入口が見えてきた頃、確実に、そして着実に彼らに迫る存在があった。
それはアンデットと同じ紅蓮の瞳を携えて、命ある者を食い尽くそうと速度を上げて接近してくるのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします




