第二章12 氷都市ミノルア防衛戦5
第二章12 氷都市ミノルア防衛戦5
「全員、すべきことは理解したな?」
眼前で咆哮を轟かせるヒュドラを前にして、グレオの静かな声が鼓膜を震わせた。
航大、ナイチンゲール、ライガ……そしてグレオ。
全員の表情からはこの戦いに『勝利』するという強い決意が感じられた。
英雄たちはどんな絶望を前にしても諦めることはなかった。
諦めないで戦う。
ただそれだけのことで死力を尽くし、そしてここまでやってきた。
「グレオ、私の剣を受けろ。そしてその身体を癒せ」
「……わかった。君の言葉を信じよう」
言葉少なく、グレオとナイチンゲールはお互いの顔を見て、小さく頷く。
「――ッ!」
これ以上の猶予は与えない。そう言わんばかりにヒュドラは咆哮を上げると、こちらへ向かって突進してくる。民家を薙ぎ倒し、目の前に立つ小さな人間を喰らおうとその首を伸ばしていく。
残っている首はあと六つ。
「首の切断面を焼くのは俺に任せてくれ。この剣の力を使えば、炎を生み出すことができる」
「魔力が消耗するというのなら、私の力を使えばいい」
「……助かる」
「それじゃ、お話はこれくらいにして……いきますかねッ!」
ライガの言葉に全員が頷く。
氷都市ミノルア防衛戦は終局へと突入していく。
◆◆◆◆◆
「グレオ、そっちに行ったぞッ!」
「分かっているッ!」
ヒュドラへと接近する二つの人影があった。
一つは現実世界から異世界へと召喚されたクリミア戦争の英雄『フローレンス・ナイチンゲール』。
もう一つは過去、異世界全土を巻き込んだ大規模な戦い『大陸間戦争』において、ハイラント王国を救い、戦争を終結させたと言われる異世界の英雄『グレオ・ガーランド』。
それぞれ世界は違えど、英雄と呼ばれる二人は手を組み、猛威を振るう魔獣・ヒュドラに立ち向かっていく。
絶望しようとも、どんなに困難な場面に直面しようとも、彼らは諦めなかった。
「首を一つずつ落としていくぞッ!」
「承知ッ!」
言葉少なく、それでもお互いどう動けばいいかは理解している。
同じタイミングで吹雪舞う闇夜の空へと跳躍すると、轟音を響かせながら突進してくる首の攻撃を躱す。
「右からも来るッ!」
六つの首が残っているヒュドラはなりふり構わずナイチンゲールたちに攻撃を仕掛けてくる。
「はあああぁッ!」
吹雪の中、咆哮を上げながら突進してくる首をナイチンゲールは、両手に持った剣で軽くいなしていく。その大きな口に飲み込まれないように、突進してくるヒュドラの牙を剣で受ける。
強大な力を持つヒュドラの突進に、ナイチンゲールの小さな身体はあっという間に吹き飛ばされてしまう。吹き飛んでいくナイチンゲールをヒュドラの首は再度追いかけ、彼女の小さな身体を噛み砕こうとする。
風を切って吹き飛ぶナイチンゲールだったが、彼女はすぐに体勢を立て直すと、民家の壁に両足を着いて再度跳躍する。
「喰らえええぇッ!」
自分が居た場所にヒュドラの首が突っ込んできて、しかしそれはナイチンゲールが跳躍したことによって、ヒュドラの口内には民家の瓦礫が存在するだけ。
壁に突っ込んだところを確認して、ナイチンゲールは両手に持った剣を真下に向けると、ヒュドラの脳天に突き刺していく。
「――ッ!」
脳髄にまで届くナイチンゲールの剣に、ヒュドラの首は脳天から鮮血を噴き出して悶え苦しむ。
「まだまだぁッ!」
「――ッ!?」
さらにナイチンゲールは剣を突き立てたまま、ヒュドラの首を疾走し始める。
脳から首にかけて走り出すナイチンゲールによって、ヒュドラの首には消えることのない切り傷が刻まれていく。生々しい音を立てながら引き裂かれていく身体にヒュドラの苦痛に染まった咆哮を響く。
「もらったああぁぁッ!」
あまりの痛みに悶え苦しむヒュドラの動きが鈍っているのを確認して、グレオは怒号を上げながら大剣を振り下ろしていく。
「離れるんだッ!」
グレオの声が響き、それを合図にナイチンゲールは突き立てていた剣を引き抜くと、跳躍して首からの離脱を図る。
「炎剣――ボルガニクッ!」
その言葉に呼応するように、グレオの大剣は巨大な炎を纏い始める。
ずるっと音を立てて胴体から切り離される首の切断面。グレオは生々しい赤身を晒すそこに剣による炎の斬撃を見舞っていく。
「――――ッ!」
炎に対して敏感な反応を見せるヒュドラは、自らの傷口を包み込んでいく炎に絶叫する。
切断面は一瞬にして焼き焦がされ、人間たちによってその傷口を塞がれていく。
「残り五つッ!」
「どんどんいくぞッ!」
ナイチンゲールとグレオは視線を交錯させると、小さく頷き、次なる標的へと飛翔する。
共に過ごす時間は短くても、極限の戦場で戦うことによって阿吽の呼吸が生まれる。
これで残った首はあと五つ。
戦いは確実に終局へと歩みを進めており、グレオはナイチンゲールの治癒剣によって、魔力を回復させつつ、何度もその剣を振るっていく。ナイチンゲールも毒による影響を感じさせないパフォーマンスを発揮しており、ヒュドラの攻撃を躱して、致命傷とはならないが、小さな傷を幾度もその巨体に刻んでいく。
「ナイチンゲール、火球が来るぞッ! これに乗れッ!」
街の中を跳躍しながら、次なる目標へと走るグレオたちの前に巨大な火球が姿を表した。
瞬時に状況を把握したグレオは己の大剣にナイチンゲールを乗せて、全身の筋肉を使って剣を振るっていく。
「おりゃああああああああぁッ!」
グレオの咆哮が響き、ナイチンゲールがより高く跳躍する。
火球を飛び越えた少女はそのまま首に突進を仕掛け、残ったグレオは表情を険しいものに変えると、炎を纏った大剣を大きく振り上げる。
「はああああぁぁぁッ!」
グレオの咆哮と爆破音が同時に響き渡り、彼の巨体は再び火球の中へと消えていく。
街全体を揺るがす爆音が響き、ヒュドラが放つ火球の破壊力をまざまざと人間に見せつけてくる。粉塵が舞い上がるが、それを切り裂くようにして一つの人影が飛び出してくる。
「グレオッ、こっちだッ!」
ナイチンゲールの声に導かれるようにして、グレオは全身を火傷と切り傷で痛ませながら跳躍を繰り返す。
「治癒剣――キングス・カレッジ」
ナイチンゲールの言葉に呼応するように、両手に持った剣が聖なる光を帯びる。輝きが最高潮に達すると、彼女はその剣で飛翔してくるグレオの身体を切り裂いていく。
「ぐッ……不思議な力だ。傷が癒えていく……」
「当たり前だ。私を誰だと思っているッ!」
待ち構えていたナイチンゲールにその胸から腰にかけて身体を切り裂かれたグレオ。しかし、その傷口から鮮血が噴き出すことはなく、むしろその直前の火球によって負った火傷や切り傷が音もなく消失している。
これがナイチンゲールの権能である治癒剣の力であった。
戦場において、瞬時に絶命さえしなければどんな傷であっても回復してしまうのだ。
「これならまだ戦えるッ!」
グレオは自分の身体が軽くなっていくのを実感して、地面に着地するのと同時にレンガの道が抉れるくらいの跳躍を見せていく。
火球による攻撃が全く効いていないことを見せつけられ、ヒュドラの首が迫ってくるグレオの迫力に怯む。
「――ッ!」
咆哮を上げるヒュドラだったが、その声には明らかな焦燥感が滲んでいた。
その身体に喰らっても這い出てくる。
毒を浴びても立ち向かってくる。
火球すらも真正面から叩き切って生還してくる。
神話に登場し英雄ヘラクレスに倒されたヒュドラであっても、こんな無茶苦茶な戦い方をしてくる人間は見たことがなかった。生物的本能がずっと警告を鳴らしてくる。
それは身近に迫ってくる『死』の予感からくるものであり、神話によって一度滅ぼされているヒュドラは、再度訪れようとしている死の瞬間に恐怖する。
「よそ見をしてるんじゃないッ!」
グレオの覇気に怯んでいたヒュドラは、すぐそこまで接近していたナイチンゲールの対応に遅れを取ってしまう。その瞳がナイチンゲールを捉えた時には、その眼に二本の剣が突き刺さっていた。
「――ッ!」
眼球に剣が刺さり、想像を絶する痛みでヒュドラは絶叫を上げる。
抉り、切り裂かれた眼球は、透明な液体を垂れ流しながらずりゅっと生々しい音を立てて胴体から分離していく。
ナイチンゲールは眼球を切り裂き、痛みに悶え苦しんでいる間に、先ほどと同じように剣をその身体に突き刺した状態で走り出す。
「はあああああああぁぁぁッ!」
その巨体をぐるりと一周するように走るナイチンゲールによって、ヒュドラの身体には深い傷が刻まれていく。
「これならば、貴様の首を落とすことも出来るだろうッ!」
首をぐるりと一周回って、ナイチンゲールはトドメと言わんばかりに闇夜に高く跳躍する。
「治癒剣――キングス・カレッジッ!」
眩い輝きを放つ両手に持った剣は、痛みに苦しむヒュドラにとっては、懐かしく見ていない太陽にも思えた。絶え間ない痛みによって、精神が破壊されたヒュドラの首は、美しく舞い、美しく輝くその剣に意識を奪われる。
「――ッ!」
それは一瞬だった。
その身体に消えることのない傷を負ったヒュドラは、ナイチンゲールの治癒剣によって、一瞬の内に絶命する。光り輝く剣は万物を切り裂く力を誇り、ヒュドラの分厚い首を綺麗に切断していく。
何度も負った切り傷によって、首は脆くなり、自ら植え付けた傷に重ねるようにしてトドメの一撃が加えられる。
「炎剣――ボルガニクッ!」
また一つ落とされた首を踏み台にして、グレオが残る四つの首に向かって疾走する。
ヒュドラの残った四つの首は混乱していた。
どうしてこんなことになってしまった?
どうしてこの人間は立ち向かってくる?
どうして死なない?
どうして自分はここにいる――?
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして……?
ヒュドラはいつかの光景を思い出していた。
それはまだ、ヒュドラが神話の世界でその猛威を振るっていた時代のことだ。
その男はやってきた。ヒュドラからしたら非力で小さな人間だった。特別な力も持たない、男はどんなにヒュドラが絶望の淵へと追いやっても、その瞳だけは決して諦めなかった。
絶望の中に居て、それでも光り輝く瞳をヘラクレスと呼ばれた男は持っていた。
異世界に召喚されたヒュドラは、その時の光景が今この瞬間と重なって見えていた。
人間が持つ希望を何度も打ち砕こうとした。
それでも、人間は諦めなかった。
二度目の『死』が実感を伴って近づいてくる。
――恐怖。
ヒュドラは恐怖していた。
それは本能的なものであり、ヘラクレスに倒された時と酷似しているものだった。
「残り三本ッ!」
また首が落とされた。
炎を纏うグレオの剣はヒュドラの首を切り落とし、その切断面をしっかりと焦がして塞いでいく。
これで残る首があと三つ。
決死の戦いは終局へとその歩を早めていく。
◆◆◆◆◆
「これが英雄の力……?」
少し離れた位置で戦況を見守る航大は、眼前で繰り広げられる壮絶な戦いを呆然と見ていた。今までの戦いの比ではない死闘がそこにはあって、まるでそれは、映画を見ている時のような感覚に陥っていた。
「すごすぎるだろ……」
何度もその身体に傷を負い、一度は絶望の淵に立たされた英雄たち。
しかし、彼らは諦めを知らず、必ず勝機はあると飛び込んでいった。
その結果が眼前の光景である。航大から見ても、ヒュドラは戦意を喪失しかけており、決着の時が迫っていることを感じさせた。
「あの嬢ちゃん、本当にすげぇな……」
「ライガッ!?」
「ちょっと、これ持っててくれ。援護しに行ってくるわ」
戦いを見ていた航大の隣には、いつの間にかライガが立っていて、目の前の戦いを険しい表情を浮かべることなく、楽しげに笑って見ているのであった。
「これって……炎じゃんッ!?」
「大丈夫だって、落とさなければ炎が移ることもないし」
航大の手に渡されたのは炎が灯ったランタンのような形をした容器だった。
容器の中では小さな炎がしっかりと灯っていて、傍から見る分にはこの炎に消えない魔力が含まれていることなど想像できない。
「それじゃ、ちょっくら行ってくるわ」
「大丈夫か、ライガ?」
「誰に言ってんだよ。俺は伝説の英雄……グレオ・ガーランドの息子だぜ?」
あの戦いを目の当たりにしているからこそ漏れた航大の言葉に、ライガはニカッと歯を見せて笑った。背負っていた大剣をゆっくりと引き抜き、しっかりと右手に握ると、ライガは軽い足取りで戦場へと駆け出していく。
◆◆◆◆◆
「――ッ!」
異世界に召喚されたし魔獣・ヒュドラの悲痛な咆哮が街に響き渡る。
戦況は間違いなく有利になってきている。しかし、戦場で戦っているナイチンゲールとグレオの表情は冴えない。
首は残り三つ。あと二つを切り落とし、最後に魔力が篭った炎を放てばこの戦いは終わる。それだというのに、ナイチンゲールとグレオの表情は曇っていくばかり。
「こんなに胸糞の悪い戦いも初めてだ……」
「そうだな。コイツ……泣いてるみたいだ……」
ナイチンゲールの言葉に、グレオは表情をさらに顰めて答える。
ヒュドラの攻撃はもう無茶苦茶だった。精彩を保っているとはお世辞にも言えず、今はただ迎えようとしている明確な『死』に怯え暴れているだけにしか見えない。
何度もこの魔獣には絶望させられた。
何度も傷を負わされた。
街の人間を襲い、この魔獣によって命を落とした人間もいる。
本来ならば、命を賭けて戦っている中で魔獣相手に感情を抱くことなどあってはならない。しかしそれは、魔獣には『心』が無いという前提での話だ。
「コイツには心があるって言うのかよ……」
「……それでも、倒さなくていい理由にはならないッ!」
泣き喚くようなヒュドラの咆哮に表情を顰めながらも、二人の動きが鈍ることはない。
その視界にヒュドラの首をしっかりと捉え、首を落とそうと跳躍を続ける。
「その通りだあああぁッ!」
「……えっ?」
ヒュドラの声だけが響き渡る中、どこかで聞き慣れた怒号が響き渡った。
「はぁ……全く、あいつは……」
ナイチンゲールたちが予想していなかった場所から一つの人影が飛び出してくる。それはグレオと同じような大剣を背負っていて、凄まじい速さでヒュドラの元まで飛翔すると、その剣を敵の頭に振り下ろしていく。
「――ッ!」
脳天に叩きつけられる大剣に、脳が揺れる刺激が与えられ首から悲痛な声が木霊する。
「続くぞッ!」
頭をかち割ろうとするかのような剣による打撃攻撃。不意打ち気味の攻撃に怯む様子を見て、グレオとナイチンゲールがそれに続けと跳躍する。
「グレオ、逆方向からも来ているぞッ!」
「――承知ッ!」
怯む首へ突進を続けるナイチンゲールたちを狙うように、もう一本の首が火球を放ってくる。今までよりもサイズは小さいが、目に見えるだけで十個ほどの火球が接近してきている。一発で大きいのを狙うのではなく、小さくしてその分を数を増やしてきたようだ。
「これくらい、何とでもないッ!」
「いや、ここは俺に任せろッ!」
グレオが火球に対応しようとするも、その間に割り込んできたのはライガだった。
「ライガッ、お前では荷が重すぎるッ!」
「そんなことねぇッ! そこで見てろ、親父ッ!」
大剣を構え、ライガは真剣な表情を浮かべると、思い切り大剣を横に薙ぎ払っていく。
「風牙ッ!」
薙ぎ払われた剣から風の刃が生まれ、火球へと飛翔していく。
幾重にも重なった風の刃は火球を一つ残らず両断していく。両断された火球はその場で爆ぜて消えて、グレオたちへの被害は全くといって無かった。
「どうだ親父ッ! 俺だってただ毎日を過ごしてる訳じゃ――って、もういないッ!?」
ライガの活躍を横目にして、グレオはやれやれ……とため息を漏らしてヒュドラ本体への飛翔を続ける。ライガの攻撃によって怯んでいる首に近づき、グレオとナイチンゲールはお互いの視線を絡み合わせる。
「私は右からッ!」
「俺は左からいくぞッ!」
言葉少なく頷き合い、二つの影が左右に別れていく。
そしてお互いの武器をしっかりと握って、左右からの同時攻撃を仕掛けていく。
「――ッ!」
最早、今のヒュドラには二人の英雄を止める術は存在していなかった。
左右から交差するように、ナイチンゲールとグレオの刃がヒュドラの首をしっかりと捉え切断していく。絶命の咆哮を漏らし、首が胴体から切り離されていく。
その様子をしっかりと見送ったグレオたちは、次なる標的へと視線を移す。
しかし、そこには既に飛び込んでいる人影があった。
「……あれ、貴方の息子では?」
「はあぁ……どうしてあいつは熱くなると、視野が狭くなるんだ……」
残り二つとなった首の一つ。そこに向かって飛翔するのはライガだった。
その剣を握り、ヒュドラの口から放たれる火球の全てを風の刃で切り裂いていく。
「はああああぁぁぁッ!」
恐れることなく、ライガは自らの力だけを信じて跳躍する。
眼前には自分の背丈の数倍はある巨体。
「――ッ!」
立ち向かってくるライガに対して、ヒュドラも真っ向からぶつかっていく。
その命を喰らおうと大きく口を開けて突進する。並の人間なら恐れるような状況にあっても、ライガは臆することなくその剣に力を込める。
「これで最後だッ……風牙あああぁあぁッ!」
その剣に巨大な風を纏い、咆哮と共に振り下ろしていく。
すると、半月の形をした巨大な風の刃が形勢され、万物を切り裂く風の刃はヒュドラの首を縦に両断していくのであった。
◆◆◆◆◆
いよいよ、九つあったヒュドラの首は残り一つとなった。
先ほどは一つになった瞬間に、切り落とした首の全てが復活していた。
「ナイチンゲールッ! これをッ!」
「承知した、マスターッ!」
八つ目の首が落ちたことを確認して、航大はその手に持ったランタンをナイチンゲールに向けて全力投球する。
飛んでくるランタンをその手にキャッチすると、ナイチンゲールの瞳は度重なるダメージに悶えるヒュドラを向く。
「この戦いを終わらせるぞッ!」
「おうッ!」
グレオとライガがその剣を重ね合わせる。
その剣にナイチンゲールを乗せて、ヒュドラの元まで届けようと言うのだ。
「ナイチンゲールッ、いつでもいいぞッ!」
その様子を見てナイチンゲールは一つ頷くと、二人の重なり合った剣の上に着地する。
「「おらあああああああああああぁッ!」」
二人の男の声が重なり合い、野球でバットをフルスイングするかのようにして、剣を振るう。
「はああああああああぁぁぁッ!」
今までとは比にならない速度で飛翔するナイチンゲールはその手に持ったランタンを宙に放る。
「――ッ!」
飛んでくるナイチンゲールを見て、ヒュドラはそれ以上の抵抗を諦めた。
大きく口を開き、まるでナイチンゲールの攻撃を待つかのようにその場で制止する。
その様子に表情を顰めながら、ナイチンゲールは消えぬ魔力を持ったランタンをその口に放り投げるのであった。
◆◆◆◆◆
「――ッ!!」
魔力が込められた炎はヒュドラの身体を内から燃やしていく。
巨体の中心が赤く輝き、その体内で炎が猛威を振るっていることを実感させた。
「はぁ、はぁ……これで、終わるのか……?」
走ってきた航大は、膝に手をついて眼前の光景を見つめる。
燃える。
燃える。
燃える。
ヒュドラの体内を焼き尽くした炎は、その姿を表に出してくる。
美しい炎だった。
残酷な魔力が込められているとは到底思えない、美しく、力強い炎に航大は胸が締め付けられるような苦しみを覚える。それは、ヨムドン村で見たものと同じだった。罪もない人間を絶命しても尚、燃やし続けた炎なのだ。
「どうしてあいつ、最後に……」
「…………」
その言葉に答える者は居ない。
最後の瞬間を見たナイチンゲールでさえ、眉間に皺を寄せて目を閉じている。
グレオもライガも、勝利の喜びを表すことなく、ただただ険しい表情で眼前の光景を目に焼き付けている。
『――ヨウヤク、死ネル』
それは鼓膜を震わせたのか、それとも脳に直接語りかけてきたのか。
全員がハッとするように顔を上げて、燃え続けるヒュドラを見る。
『アリガトウ、人間ヨ』
その言葉は中央に鎮座していた首から発せられていた。
身体を垂直に伸ばし、その目は異世界の夜空を見つめていた。
「なんで、魔獣が喋って……」
ヒュドラの声に反応を見せたのはライガだった。
この異世界に住まう人間の常識として、魔獣には『心』が無いというのが前提として存在していた。だからこそ、魔獣が人間の言葉を話す訳がないし、こうして心を通わせることもないはずなのだ。
『死スルコトデ、安寧ヲ得ラレルト思ッテイタ……シカシコレハ、私ニ対スル罰デモアルノダロウ。コノ身体ハ罪ヲ犯シスギタノダ』
ヒュドラの声に誰もが息を呑む。
その言葉に答える暇もなく、ギリシャ神話の魔獣・ヒュドラは異世界の地にて絶命した。
その身体はしばらくの間、直立不動の体勢を保っており、それも時間が経つことで崩れ、最後には灰となっても燃え続ける塊と化した。
◆◆◆◆◆
氷都市・ミノルア防衛戦はこうして幕を閉じる。
失った物はあまりにも多く、負った傷は身体にも心にも大きく刻み込まれた。
異世界に召喚させられしヒュドラは絶命した。
しかし、失った異世界の尊い命は戻らない。
いつしか、ミノルアを覆っていた吹雪は止んでいて、そこに存在する人間の心とは真逆に、頭上には満天の星が輝く夜空だけが存在していたのであった。
桜葉です。
長かったミノルア防衛戦が幕を閉じました。
次回もよろしくお願いします。