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第五章98 【幕間】束の間の休息<ユイとの――1>

「――――」


 ハイラント王国は夕闇に包まれようとしていた。

 金色に輝く太陽が姿を隠し、そして闇夜を照らす月が存在感を増す。


 いつものように夜の帳が下りようとしている王国で、闇に抗おうとするかのような白髪を持つ少女は微睡みの中を彷徨っていた。


 今日は大好きで大切な人とのデートが控えている日である。


 運悪くデートの順番は一番最後になってしまったのだが、逆転の発想をすれば時間に縛られることなく彼を独り占めにすることができるのだ。普段であるならば、彼女の心は踊り狂い眠ることなど出来るはずがないのである。


 しかし、彼女にとって当然であるはずの事象は、ある日をきっかけに一変してしまった。


「――――」


 帝国ガリアでの事件は、彼女の心に消えることのない傷を生んだ。


 全てを失った彼女が唯一持っていたもの、それはある少年を守るという使命だけだった。名前も知らない、どんな人間なのかも分からない。どこにでも居るような普通の少年であるのに、彼を守ること。それは、何も持たない少女にとって大切なことであるように思えた。


 自分では戦う力を持たない少女は、少年に力を借りることでしか己の存在価値を見出すことができなかった。常に自分は少年と共に在り続けなければならない。それにも関わらず、帝国ガリアで少女は自らの手で少年を殺めようとしてしまったのだ。


 あの時の記憶は酷く曖昧である。


 それでも嫌という克明に覚えているのは、自分の手が人間の体内に潜り込み、触れるもの全てを破壊した感触である。


「――――」


 何度、幾度となく忘れようと努力はした。しかし、その努力は今の今まで水の泡と化している。


 ――夜。


 眠りにつくと少女は自らが犯した最大の罪である瞬間を夢で見る。

 結末が分かっているのに抗えない。


 定められた未来へと突き進み、最後には生々しい感触と共に目を覚ます。

 そんな日々の繰り返しは、確実に、そして着実に少女を追い詰めていった。


 何度、謝罪をしても許されることはない。

 何度、懺悔しても罪は消えてはくれない。


 少年は確かに戻ってきて、その暖かさを確認したとしても、少女を支配する悪夢は消えてなくなってはくれないのだった。


「……航大」


 名前を呼ぶ。

 彼と出会ってから数ヶ月という時しか流れてはいない。

 それなのに、もう何年も前から彼をそう呼んでいるような感覚が襲ってくる。


「…………航大」


 返事はない。嫌になるくらいの静寂だけが返ってくるだけ。


 それでも、彼の名前を呼ぶ自分の声が鼓膜を震わせることで、少女はしばしの安寧を得ることが出来るのだ。


 微睡みの中で少女は残酷な夢を見る。

 それは――世界が終末を迎える夢。


◆◆◆◆◆


「…………」


 異世界の最果てにあるのは、遥か昔の世界で繁栄した魔法都市だった。


 魔法発祥の地であり、過去の世界において間違いなく最も発展した都市であったことは間違いない。あらゆる権力と富が集中し、異世界の最果てに存在しながらも魔法都市は世界を手中に収めることに成功していた。


 しかし、魔法都市の栄華は永遠に続くことはなかった。


 人智を超えた力を人間に与える『魔法』という存在。その力を手にしたものは己の中に潜む野望に目覚めてしまう。些細なことがきっかけで始まった内乱が、次の瞬間には魔法都市全土を巻き込む大戦争へと発展していく。


 人と人がぶつかり、魔法と魔法が数多の命を奪っていった。

 野心や野望を持たない一部の人間が魔法都市から離脱し、世界各地へと散らばった。

 互いが互いを殺し合う地獄のような戦いは、唐突に最期の時を迎えた。


「…………」


 戦いが続く魔法都市に姿を現したのは、世界の終焉を告げる『魔竜』の登場であった。


 圧倒的な力を誇示する魔竜は、魔法都市を舞台にした永き戦争を破壊の限りを尽くすことで収束させた。


「…………」


 永き戦いによって、魔法都市は荒廃した大地と化してしまった。魔竜による負の魔力が都市を包み、普通の人間では長く生きることができない死の土地となってしまい、今では誰も近寄ることができない場所である。


 過去の人間たちは魔竜の魔力が流出しないように結界魔法を展開し、魔法都市を世界の最果てに封印した。それから気が遠くなるような年月が経過した今では、魔法都市の存在を知る人間は誰一人残っておらず、しかし結界魔法だけが維持され続けることで、永遠の時を過ごそうとしていた。


「……あと何度、選択を誤れば正しい未来を歩むことができるの?」


 ここは世界最果ての大地である。


 魔竜が残す濃厚な負の魔力が支配する場所であり、人間が存在することを許さない。

 だからこそこの場所に存在する者は、最早人間とは呼べない『何か』なのだろう。


「……私は、またここで貴方を殺す」


 魔法都市の残骸。その中心に存在するのは、原型を留めない朽ち果てた王城であった。

 世界の中心であったこの場所に存在するのは、巨大な黒翼を背中に生やした一人の少女であった。


 濃厚な負の魔力は濃紺の霧を発生させて都市を包んでいる。

 視界は最悪であるが、少女はある一点を見つめて立ち尽くしている。


「久しぶりだな」


 死の大地に姿を現したのは、何ら変哲のない姿をした少年であった。

 少女と対峙した少年の表情は険しいものであった。


「……どうして来たの?」


「お前を助けるためだ」


「……私はもう、戻ることはできない。この世界を……この結末を認める訳にはいかないから」


「認めるとか、認めないとか……そんなことは関係ねぇ。俺は俺のすべきことをする」


「……貴方には私を殺すことはできない。世界はここで終わる」


「終わらせねぇよ。全部、俺が助ける」


「…………」


 少年の瞳に迷いはない。

 彼は少女を救い、世界を救おうとしているのだ。


 今の世界において、それを可能とすることができるのは少年しかいない。しかし、これまでの世界において、少年は幾度となく失敗と敗北を繰り返しているのだ。


 この先に存在する未来を少女だけが知っている。

 僅かな望みを信じ、死に物狂いで絶望に抗おうとする少年の姿を、少女だけが知っている。


「…………」


 これは失敗を続ける少女が受ける罰でもあるのだ。


 自分が失敗をするから、自分に力がないから、世界は何度も少女に同じ結末を突きつける。愛する者をこの手で殺す。だが、その先に待つ世界の未来を少女は認める訳にはいかなかった。


「……私はまた繰り返す」


 少女の身体を禍々しい魔力が包み込む。


 かつて魔法都市を破滅させ世界を混沌に陥れた魔竜が持つ魔力が、少女の小柄な身体に集中していく。魔竜が持つ魔力を使うことができる少女にとって、世界の最果てであるこの場所は最も力を使うことができるということである。


「……やるしかねぇんだな」


 世界破滅の力を身に纏う少女を睨みつけながら、少年もまた覚悟を決める。その身体に聖なる魔力を纏わせ、少女にも負けない力を持っていることを見せつける。


「…………」

「…………」


 しばしの無言が世界を包み、最後の戦いが幕を開こうとしている。


 結末は分かりきっている。

 それでも少年は世界を、少女を救うために戦いを挑むのであった。


◆◆◆◆◆


「…………」


 微睡みの中でユイは夢を見る。


 その夢は完全に意識が覚醒してしまえば消えてしまうものであり、彼女は自分が見る夢の意味を未だに理解することができないでいた。しかし、何故か夢から覚めた時、ユイはその瞳から大粒の涙を流していた。


 彼女にとって世界終末の夢はとても大切な意味を持っているのは間違いない。


「……貴方は、誰?」


 今、ユイの目の前には一人の少女が立っている。

 長い黒髪と背中から生える黒翼が印象的な少女は、とてもユイに似ていた。

 いつも見る夢の登場人物である少女は、決まって最後の瞬間にこうしてユイの前に現れるのだ。


「――貴方はまた繰り返す」


 自分にとてもよく似ていて、しかし自分ではない。

 時間の経過と共に存在感を増す少女は、いつも何も知らないユイに警告する。


「世界を救うことができるのも、破壊することができるのも貴方だけ」


「……分からない」


「分かる時が来る。それもそう遠くない未来に――」


 意識が急速に覚醒していく。

 微睡みの中で見る夢はいつも同じなのであった。


◆◆◆◆◆


「…………」


 目を覚ます。

 心地いい気怠さを感じながら目を開くユイは、その視界に愛する人を映す。


「全く、探しても居ないと思ったら、まだ寝てたのか?」


「……航大?」


 目を覚ませば、そこには自分の顔を覗き込んでいる神谷 航大の姿があった。彼はやれやれといった呆れ気味な表情を浮かべ、しかしユイを怒ることなく見つめている。


「デート、するんだろ? ほら、行こうぜ」


「…………うん」


 航大が伸ばす手をしっかりと掴む。


 ここは夢じゃない。航大の手からは人間の温かみが伝わってきて、恐ろしい夢を見ていたユイの心が瞬時に癒やされていく。彼と共に歩む時間は、今のユイにとって最も大切であると言えた。


「…………」


 航大の手を強く握りしめる。

 今、この瞬間を白髪の少女は何よりも大切にしようと強く想うのであった。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします

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