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第二章10 氷都市ミノルア防衛戦3

第二章10 氷都市ミノルア防衛戦3


 それは悪夢のような光景だった。


 航大たちが住まう現実世界において、神話上に登場するとされる伝説の怪物であり、海蛇の身体に九つの首を持った『ヒュドラ』が異世界に顕現した。大陸の北方に位置する巨大都市・ミノルアを襲ったヒュドラを始めとする魔獣たちは、人々に襲いかかると平穏な日々を送っていた街をあっという間に壊滅させてしまった。


 魔獣の猛威を打ち破るため、航大はクリミア戦争の英雄・フローレンス・ナイチンゲールを英霊として召喚することに成功した。あらゆる物を癒す力を持つ、ナイチンゲールと共に魔獣を討伐していた航大たちの前に、ヒュドラはその姿を現した。


「こんなの相手にどうしろって言うんだよ……」


 航大の言葉に答える者は居ない。

 それもそうだ。この場に存在する航大、グレオ、ナイチンゲールの全員は満身創痍である。度重なる魔獣たちとの衝突、そしてヒュドラとの生死を賭けた戦い。


 その全てにおいて、死力を尽くした三人は九つの首を持つ魔獣・ヒュドラを追い詰めたかのように思えた。そんな甘い現実を嘲笑うかのように、ヒュドラは失ったはずの八つの首をいとも簡単に復活させると、鼓膜を突き破らんばかりの咆哮を上げて航大たちを見下ろしていた。


「これは、どういうことだ……?」


「さすがに、これは予想外と言わざるを得ないな」


 ヒュドラの毒を浴び、最も満身創痍な様子を見せるナイチンゲールは、ただ呆然と立ち尽くしていた。その隣に立ち、自らの背丈をも越える大剣を持った男・ハイラント王国騎士隊の隊長であるグレオもヒュドラから視線を外すことなく呆然とした様子で呟くだけ。

 世界は違えど、お互い英雄として名を馳せた偉人たちも、眼前の光景を前には唖然と立ち尽くすばかりだ。


「また一からやり直しということか」


「そういうことになるな。まだ動けるか?」


「……この剣を持ってすれば、不可能なことはない」


 普通なら絶望して、戦う気力すらも失いそうになる現実を前にして、それでもナイチンゲールとグレオは戦うことを諦めなかった。これが英雄、偉人として語り継がれる所以なのか、彼らの辞書には『諦める』といった言葉は存在しなかったのだ。


「どうすればいいんだ……」


 そんな英雄たちの背中を見て、航大は頭をフル回転させて何かしらの突破口を模索する。眼前に存在する魔獣・ヒュドラは航大の考えが間違っていなければ、元世界の魔獣である。それならば、この魔獣に対する対処法を見つけ出せるのも航大だけなのだ。


「ヒュドラ……確か、ギリシャ神話に登場する怪物……だったはず……」


 とにかく歴史が好きだった航大は、自らが持つあらゆる知識を総動員させ、ヒュドラに関する情報を得ようとする。しかし、航大は主に人物にまつわる知識に強く、怪物、魔獣、モンスターに類する知識には強くなかった。


「くそっ……神話に出てくるってところまでは分かるのにッ……」


 そこまでの知識は存在する。

 問題はその後だった。ギリシャ神話と一言でいっても、あまりにも幅が広すぎる。


 もう少し情報を絞り込むことができれば、目の前で猛威を振るうヒュドラに対する攻略法が思い浮かぶかもしれない。


 時間は残されていない。


 ナイチンゲールとグレオの体力にだって限界は存在する。無限に復活を続けるヒュドラに勝つための鍵である航大は、頭を抱え思考の海にその身を沈めるのであった。


◆◆◆◆◆


「はああああぁッ!」

「うらあああああぁぁぁぁッ!」


 二つの声が重なり、反響する。

 一つは女性の声。

 もう一つは野太い男の声だった。


「――ッ!」


 静寂に包まれた街を切り裂いて木霊する二つの声を掻き消すように、人間の言葉では理解することが出来ない魔獣の咆哮が轟く。

 街中を跳躍する二つの影は、一つの巨大な影に立ち向かっていき、何とかして絶命させようと力を尽くす。しかし、その動きは最初と比べて明らかに鈍っており、このままではヒュドラの前に力尽きるのは時間の問題だった。


「はぁっ、くッ……身体がッ……!?」


「危ないッ!」


 毒による影響を受け、苦しげな声を漏らすのはナイチンゲール。

 地面を蹴る度に両手に持った片刃剣で己の身体を傷つけ、癒やしていく。今の彼女は、自らが持つ権能を無理やり使うことで戦うための力を保っていた。ヒュドラによる毒攻撃をまた受けることがあれば、その瞬間に彼女は命を落とすだろう。致死量を越える毒によって、治癒剣を持ってしても回復が間に合わなくなってしまう。


 そんな大きすぎるハンデを背負いながらも、彼女は果敢にヒュドラの身体へと飛翔し、その硬い皮膚を幾度となく切り刻んでいく。

 肌に切り傷を負っていくヒュドラではあったが、その様子に大きな変化は見られなかった。彼女の攻撃はヒュドラに対してお世辞にも有効とは言えず、どんなに表面の皮膚だけを切り裂いたとしても、ヒュドラを討ち倒すことはできない。


 ナイチンゲールが跳躍を続け、ヒュドラの狙いを引きつけている中、伝説と呼ばれる大剣を持ってして有効な攻撃を仕掛ける存在があった。


「もらったああああぁッ!」


 ナイチンゲールの元に殺到する首の一つに対して、強烈な一撃を見舞うのは、遥か昔の大陸間戦争において英雄と謳われる功績を上げた、生ける伝説の騎士・グレオであった。

 弱っているナイチンゲールを喰らおうとして、首を目一杯に伸ばした所を狙ってグレオはその大剣を思い切り振り下ろす。


「――ッ!?」


 九つあった首の内、また一つを切断させる。

 ヒュドラの断末魔の咆哮が響き渡り、再びヒュドラはその首の一つを失う。


「はぁ、はぁ……大丈夫か?」


「すまない、助かった」


 九つあった首の相手を一人で請け負っていたナイチンゲールの小さな身体を抱きかかえると、グレオは一旦ヒュドラから距離を取る。

 安全圏まで退避したグレオの腕から解放されたナイチンゲールは、自ら立っていることも難しく、片膝を突いて悔しげな表情を浮かべる。


「くッ……はぁっ……はぁ……すまない、足手まといになってしまって……」


「何を言うか。君がその身を投げ出してくれたから、また首を一つ落とすことが出来たのだ」


 険しい表情のまま、グレオは弱気な言葉を漏らすナイチンゲールに向かって激励する言葉を送る。しかし、彼も横目でナイチンゲールの様子を確認すると、その表情を更に険しいものへと変えていく。


「…………後は任せておけ」


「……なにを?」


 治癒剣を持ってしても回復が追いつかなくなってきているナイチンゲールの様子を、瞬時に判断したグレオは彼女を戦線から離脱させることを決める。

 それはあまりにも酷な決断だった。グレオとナイチンゲールの力を持ってして何とか戦えている。現状を正しく把握するのだとしたら、そういった結論に至る中での離脱。その事実がもたらす答えはどこまでも非情だった。


 しかし、グレオからすれば航大もナイチンゲールも世界をそして国を背負っていく未来ある若者だった。これからの未来を作っていく貴重な命をここで失う訳にはいかない。自分の命を持ってしても、この戦いに決着をつける……そう決断したグレオは、大剣をしっかりと握り直すとゆっくりと一歩前に出る。


「その身体では、これ以上戦うことは難しいだろう。下がって回復に務めるんだ」


「……ッ!?」


 異世界において英雄としてその名を轟かせた生ける偉人・グレオは、決意を固めた表情で言い放つ。

 全盛期のグレオならば、一人でもヒュドラ相手に立ち向かうことが出来ただろう。しかしそれも今では昔の話。年老いたグレオは自らが劣化していることを、今回の戦いにおいてこれでもかと痛感していた。数え切れない戦場を共に戦ってきた『神剣ボルガ』と共にこの地で死する覚悟を決めると、両足で地面を強く踏みしめて跳躍する。


「ここからは私が相手だッ!」


「――ッ!」


 一人立ち向かってくるグレオを相手に、ヒュドラは八つの首を限界まで伸ばして大地を揺さぶる咆哮を上げる。ヒュドラはまず、両端の首を伸ばすと突進してくるグレオえお噛み殺そうとすることで応戦する。


「はあああぁッ!」


 瞬きの間に接近してくる首の一つを剣で振り払い、自らを飲み込もうとしてくるもう一つの首に対しても瞬速で剣を横に薙ぎ払うことでヒュドラの牙の一本をへし折る。

 音を立てて吹き飛ぶ牙の刺激に、首の動きはその間にグレオは神剣ボルガを握り直して、再び薙ぎ払いを行う。


「――ッ!」


 呆気なく、二つの首による攻撃を防がれたヒュドラは、間髪入れずに次の攻撃へと移っていく。次にヒュドラが繰り出して来たのは、残った六つの首による火球攻撃だった。


「ちッ!」


 グレオの小さな身体を取り囲むようにして吐き出される火球に対して、グレオは舌打ちを漏らしながらも、先ほどの斬撃で怯んでいるヒュドラの首を踏み台にして高く飛ぶことで回避しようと試みる。


「――ッ!?」


 ヒュドラが想像している以上に素早い身のこなしを披露するグレオに対して、魔獣は困惑を隠せない。首が落ちて復活したまでは良かったが、それまで戦っていた記憶は継承されていない。そのため、グレオの戦闘力をその身を持って経験しているのは中央で鎮座する首のみ。


「もう一本ッ!」


「――ッ!」


 グレオが踏み台にした首の一つは、同じ身体から生えている他の首による火炎攻撃によってその顔を炎に包まれていた。

 今までに聞いたことのない甲高い咆哮を上げる首を根本から両断しようと、グレオは振り上げた大剣を振り下ろしていく。風を切って叩きつけられる神剣ボルガは、燃え盛るヒュドラの首を根本からしっかりと切断した。


「はぁっ、はぁっ……次ぃッ!」


 その目を見開き、全身をボロボロにしながらも吠えるグレオの姿は圧巻だった。

 多彩な攻撃を絶え間なく浴びせてくるヒュドラ相手に怯むことなく、鬼神の如き身のこなしと戦闘力で互角以上の戦いを演じていく。


「くッ!?」


 首を落とされ、グレオに対する学習能力がリセットされたとはいえ、ヒュドラも神話に登場する怪物としての戦闘力を見せつけてくる。

 グレオの動きを理解し、その危険性をしっかりと感じることで首同士の情報共有が始まる。彼の細かい動きの仕草であったり、その剣が持つ切れ味などを理解した。


「――ッ!」


 首の一つが体内から大量の毒を吐き出した。

 毒は触れるだけで人間を確実に絶命させる力を持っており、さすがのグレオも迫ってくる毒を前には回避行動に集中しなければならない。


 そんな人間の行動を瞬時に理解したヒュドラは、毒による攻撃を繰り返すことでグレオを着実に追い詰めていく。既に落とされた首から溢れ出る毒と合わせて、戦場となっているミノルアの一角は毒の海と化していた。足の踏み場を見つけるだけでも四苦八苦するような状況へと変わってしまい、グレオの動ける範囲が徐々に失われていく。


「まずいなッ……」


 毒はその身に直接触れなければ問題ない。

 毒の海と言っても、全身が浸かるような量の毒が街を覆っている訳ではないので、直接触れなければ問題はない。しかしこのまま戦いが長引けば、いつかどこかで毒に触れてしまう可能性が高まっていく。


「姑息なッ……!」


 これまでの人生の中で、何度か魔獣と戦ってきた。

 しかし、そのどれよりもヒュドラは賢く、そして強かった。


 このまま首を落としていったとしても、また復活するかもしれない。その事実に対しての対処法というものは浮かんでは来ない。


 この世界において、こんなにも強い魔獣が存在しているのか……グレオはその剣を振るう度にそんなことを考える。飛来してくる毒の塊を躱し続けながら、攻撃の手を緩めないヒュドラに舌打ちを禁じ得ないグレオ。最早、ヒュドラに近づくことすら難しくなった状況の中、グレオは四方を首に囲まれてしまっていた。


「……ッ!? しまったッ!」


「――ッ!」


 グレオの周囲を取り囲む七つの首からの同時攻撃。


 口から吐き出される火球と同じく口から吐かれる毒の塊。

 そのどれもが巨体を誇るグレオの身体を容易に包み込むことが出来るレベルである。


 その時、グレオは瞬時に咄嗟の判断を遅らせてしまった自分を呪っていた。

 魔獣を完全に絶命させるために巡らせていた思考が状況把握を一瞬でも遅らせてしまっていた。その隙が命取りとなり、グレオはまさに絶体絶命の状況へと追いやられる。


「どうすればッ……」


 頭は今までにないくらいフル回転していた。

 絶体絶命の状況を脱するべく取るべき行動を見つけ出そうとしていた。

 しかし、最的確な答えは出てこない。自分の身体か、武器か……何かを犠牲にしなければ命を守ることができず、それすなわち敗北へと直結していく。


「――ッ!」


 最早、声も出ない。

 極限状態の中、グレオは唇を噛み締める。音もなく接近してくる毒と火球。

 実感を伴って背後に忍び寄ってくる絶望の二文字。



「こっちだッ、親父ぃッ!」



「――ッ!?」


 そんな絶望の二文字を切り裂く声音が戦場に轟いた。

 その声はグレオにとって、あまりにも聞き慣れた声であって、名前ではなく自分を父親と呼ぶ声にグレオは絶体絶命な状況の中であってもどこか懐かしさを感じていた。


 声は頭上から響いていた。グレオが瞬時に顔を上げると、そこには小さな人影が見えた。

 自分と同じ背丈ほどある大剣を振り上げたそのシルエットを、グレオはよく知っていた。


「こっちにッ、飛んでこいッ!」


「――ッ!」


 その声に導かれるように、グレオは飛んだ。

 自ら灼熱の火球に飛び込むようにして。


 本来であるなら、火球に飛び込んで奇跡的に大剣で両断することができたとしても、火球はその場で瞬時に爆発することが可能だった。そのため、切れ味の強い剣を持っていることはこの火球に対しては悪手となっていた。


 しかし、グレオを助けるべくこの場に参戦した男が持っていたのは、剣の形をした鈍器だった。大剣は刃こぼれが目立ち、さらに刀身のあちこちが錆びついている。剣の形をしているだけであって、その大剣には切れ味というものが存在しない。


 後ろから音もなく接近した影はその剣で火球を叩き、軌道を僅かにずらしたのだ。

 ずれた軌道によって、グレオに逃げ道が生まれた。小さな、しかし確実に見えた安全なルートを辿るようにしてグレオは飛翔し、毒と火球からの攻撃を完全に回避することに成功した。


「……騎士として戦う限り、その名で呼ぶなと言ったはずだぞ…………ライガ」


「この場面はしょうがないだろ」


 その名を呼ぶのもグレオにとっては懐かしかった。

炎と毒が踊り狂う地面に向かって落下する人影を交錯する瞬間にガッチリと空中でキャッチすると、グレオは闇夜に飛んだ。

 一飛びで民家の屋上まで達すると、自分によく似た人影から手を離す。



「助けにきたぜ、親父」



「まさか、落ちこぼれのお前に助けられる日が来るとはな……」


 間近でその顔を見て、グレオの心には久しく感じていなかった『親』としての暖かさが確かに存在していた。見間違うはずがない。生まれてから今日に至るまで、父親らしいことはしてこなかったが、最も近い場所でその姿を見守っていたのだから。


「航大たちは無事なのか?」


「あぁ、今は少し離れたところで身体を休めている」


「それが分かればいいや。何か、あいつはそう簡単に死ぬようには見えないしな」


 ハイラント王国騎士、ライガ・ガーランドはそう言ってニカッと満面の笑みを浮かべた。

 戦場でも笑みを漏らす我が息子を見て、ハイラント王国騎士隊長グレオ・ガーランドは肝が据わっていると喜ぶべきなのか、気を引き締めろと怒るべきなのかを迷う。


「じゃあ、こっから反撃といきますか」


「足を引っ張るんじゃないぞ、ライガ」


「それはこっちの台詞。年取って動けなくなっても知らねぇからな」


 ――ライガには自由に生きて欲しかった。


 自分みたいに国に命を捧げ、いつ死ぬかも分からない騎士の道にだけは来てほしくなった。しかし血は争えない。ライガは迷うことなく父親と同じ道を選択し、非凡な才能を持て余して騎士隊でも階級は下だった。


 英雄を父に持つライガはそのことで周りから好奇の視線に晒され、しかしそれをグレオは黙って見ていることしかできなかった。

 まだまだひよっこであると思っていた我が子に命を救われ、グレオは決して表に出すことはないが、これ以上ない喜びを確かに感じていたのだ。


 北方の氷都市・ミノルアで繰り広げられる決死の防衛戦。


 新たな戦力が加わりつつ、戦いは終盤戦へと静かに突入していくのであった。


桜葉です。

ミノルアの決戦も終盤に突入しようとしています。


今後とも、終末世界のディストラクションをよろしくお願いします。


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