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第四章9 【帝国脱出編】脱獄

「…………」


 航大が帝国ガリアの地下に存在する牢獄へ投獄されてからしばらくの時間が経過していた。


 毎日のように繰り返される拷問の日々に、航大の精神は確実に消耗しており、目隠しされていることから自分が起きているのか、それとも寝ているのか……それすらも判別しない闇の中に捕らわれている。


「ういーっす、起きてるかー?」


「…………」


 そんな朧気な意識を覚醒させてくれるのは、定期的にやってくる拷問の時間なのであった。


 牢獄の扉が開かれる鈍い音が響き鼓膜を震わせると、いつもの気怠げな男の声が木霊する。その手に持つ鞭を撓らせながら近づいてくる男は、いつものように自由を奪われている航大に問いかけを投げかけてくる。


「で、気は変わったかよ? そろそろいい加減に帝国への忠誠を誓ったらどうだ?」


「…………」


「さすがにしんどくなってきただろ? たった一言、帝国へ忠誠を誓えばこんな地獄からもおさらばできるんだぜ?」


「…………」


「こんなしみったれた場所で監禁もされねーしよ、もっと暖かい場所で美味い飯が食えるんだぜ? しかも、お前の場合はすぐにでも帝国騎士になれる。そうすれば、この国では総統に継ぐ権力を持つことが出来る。帝国騎士になれば、この国では自由だ、何でもできる」


 最初は何とも思わなかった男の言葉。


 しかしそれも、これだけの拷問を受けた後ならばとても魅力的なものとして映ってしまう。航大は自分が無意識の内に生唾を飲み込んでいたことに気付く。


 ――この地獄から解放される。


 それもたった一言、言葉を発するだけでいい。

 誰でも出来る、そんな簡単なことで終わりの見えない地獄から解放されるのだ。


「…………」


「はぁ……今日も良い答えはもらえない……ということでいいんだな?」


「…………」


 重い溜息を漏らす男の問いかけに、航大は無言を貫く。無言を肯定と受け取った男はその手に持った鞭を激しく撓らせると、今日の拷問がまた始まるのであった。


◆◆◆◆◆


 静寂が包む帝国ガリアの地下に、幾度となく皮の鞭が肌を叩く乾いた音が響き渡る。

 鞭の音に少し遅れて、少年の苦悶に満ちた声が響いてくる。


「ふぅ、今日はこんなとこだな。次こそはいい返事を期待してるぜ」


「はぁ、はあぁ……くッ……」


 永遠にも似た拷問の時間が終わりを告げると、再び地下牢には静寂が訪れる。

 憔悴した様子の航大は、何も出来ない自分への苛立たしさに唇を噛みしめる。


「…………ユイ」


 暗闇に包まれる視界の中で、浮かび上がってくるのは異世界にやってきてから共に行動を続ける白髪の少女だった。


 彼女は今どうしているだろうか?

 無事で居てくれているだろうか?

 自分を助けるといって無茶していないだろうか?


 そんなことを考えていると、静寂が包んでいた地下牢に誰かの足音が響いたことに気付く。ここ最近のパターンから、航大はこの足音の持ち主のことをよく知っていた。

 彼女は決まって拷問が終わったタイミングを見計らってやってくる。


「……大丈夫?」


「あぁ、なんとかな……」


 何度か言葉を交わしている内に、航大もいつしか警戒心を抱くことなく、会話に応じるようになっていた。


「……今日も酷い怪我」


「まぁ、しょうがないさ……」


「……帝国の騎士にはなりたくないの?」


「…………」


 少女は航大が何故、このような場所で拷問を受けているのかを知っている。

 そして少女にはどうして航大がここまで抵抗するのか、それが全く理解できていないのだ。


「……俺には帰らなくちゃいけない場所があるんだ」


「……帰る場所?」


「そうだ。俺の居場所は帝国にはない。ユイたちが待つ場所があるんだ……」


「……ユイ。それがお兄さんにとっての大切な人?」


「あぁ……」


 航大にとって、ユイはこの異世界で最も大切な人間であると自信を持って言うことが出来た。だからこそ、こんな場所で長時間捕まっている訳にはいかないのだ。



「……それじゃ、外に出る?」



「………………はっ?」


 なんてことはないと言わんばかりに漏らされた少女の言葉に、航大は思わず間の抜けた声を漏らしてしまう。少女の言葉がすぐには理解できず、航大は動揺を隠すことができない。


「外に出るって、ここから出ることが出来るのか……?」


「……うん。私にはそれが出来る」


「マジかよ……」


 突如として差した希望の光に、航大の頭は混乱を禁じ得ない。


 助け出すことが出来るのなら、どうして今までそうしなかったのか。少女の目的は一体何なのか。航大の脳内には様々な考えが湧いては消えていく。


「……お兄さんを助けたいって言ってるお姉さんが居る。その人と私は約束したの」


「お姉さん……?」


「……うん。白い髪のお姉さん」


「白い髪って……まさか……ユイが帝国にッ!?」


 それは航大にとって、とてつもない驚愕の事実だった。

 この異世界において白髪で航大を助けたいなどと願う少女の存在を、航大は一人しか知らない。


 ――それは最悪のパターンだった。


 敗北を喫したアステナ王国での戦い。あの場において帝国へと連行されたのは航大だけではなかったのだ。ユイもまた、帝国騎士の手によって帝国へと連れ去られており、航大はそれを今の今まで知る由もなかったのである。


「ユイはッ……ユイは無事なのかッ!? まさか、俺みたいに拷問されたりなんてことは……」


「……それは大丈夫。白い髪のお姉さんはお兄さんとは違って、帝国騎士の部屋で厳重に保護されてるから」


「帝国騎士の部屋ッ!?」


「……うん。帝国騎士の部屋といっても、今のところは何もされてない……と思う」


「くそッ……ユイまで帝国に捕らわれてるなんてッ……」


「……私はお姉さんと、お兄さんを助けるって約束したの。だから、ここから出してあげる」


「…………」


 信じられない部分も多いが、少女が帝国を自由に歩き回れることは確かであり、彼女の言葉を疑うのは簡単ではあるがそれでは何も進展しない。


 自分がここから脱出することが出来る可能性と、同じように捕らわれているユイを助け出すことができる可能性があるというのなら、それに賭ける以外の選択肢が航大には存在しないのだ。


「……俺をここから出してくれ」


「……出たらどうするの?」


「……ユイを助けに行く。そして、この帝国から脱出する」


「…………分かった。出来る限り、私もそれを手助けする」


 航大の強い意志を聞き、少女はそれに応える。


 両手、両足の自由を拘束していた枷が一瞬で粉砕するのが分かり、航大の身体は突如として自由を得る。


「……最後はその目隠し」


「うッ……」


 少女の冷たく、細い指が後頭部に回される。

 航大の視界を奪っていた目隠しがゆっくりと外され、航大は久方ぶりに己の視界を取り戻すことができた。


「…………」


「……こういう場合は、初めまして?」


 視界を取り戻した航大は、自分が捕らわれていた牢獄の姿に驚く訳でもなく、上半身に刻まれた無数の鞭痕に驚く訳でもなかった。航大が目を見開いて驚く訳、それは眼前に立つ少女の容姿を見たからだった。


「…………私の顔に何か付いてる?」


「いやッ、そういう訳では……」


 これまで声だけしか聞いたことのなかった謎の少女。


 視界を取り戻した航大はこの瞬間に初めて少女の姿を見ることが出来たのだが、驚くのはその外見が白髪の少女・ユイにそっくりだったからだ。


 髪の色は黒。肌は褐色。


 ユイよりも小柄な身体で外見的には異なる部分があるのだが、それでも航大には直感的に少女がユイと近い存在であることを感じずにはいられなかった。


「……それじゃ、早速行こう」


「あ、あぁ……」


「……お姉さんのことも心配だけど、そろそろお兄さんのお仲間も到着する頃……全員を助けたいのならあまりのんびりは出来ない」


「……仲間?」


「…………話はあとで。急ごうお兄さん。帝国の者が来る」


 褐色の少女は険しい表情を浮かべると、全身をすっぽりと覆うローブマントに身を包み牢獄を出ていこうとする。


 まだまだ少女には聞きたいことがある航大だが、今は彼女の言葉に従うのが良いと判断して足を踏み出す。


 すると、静寂が支配していた地下に複数の足音が聞こえてくる。少女の言葉通り、帝国の兵士が地下に降りてきており、その足は航大が捕らわれていた牢獄へと向かっている。


「おい、バレたらやばいんじゃ……」


「……大丈夫。意識が追いつく前に倒せば――問題ないッ」


「……はっ?」


 少女の言葉が持つ意味を理解できず、航大が間の抜けた声を発した瞬間だった。


 ローブマントに身を纏った少女の身体が消えたかと思えば、次の瞬間には油断して歩いている帝国騎士の兵士たちの眼前へと移動していた。


「……あっ?」

「誰だお前――ッ!?」


「……少し、眠っててくれる?」


 感情の篭もらない少女の声が響いた瞬間だった。


 帝国ガリアの兵士たちは身体をくの字に曲げると、言葉を発する余裕すら与えられず冷たい床に倒れ伏してしまった。


「……お兄さん、もう来ても大丈夫」


「あぁ……てか、何だったんだ……今の……?」


「……ちょっとだけ、眠っててもらってる」


「いや、そうなんだろうけどさ……」


 白目を剥いて倒れ伏す帝国の兵士たちを見下ろしながら、航大は少女がもつ戦闘能力の高さに恐れ慄く。


「それよりも、さっきの……仲間が到着するって……」


「……あの人たちもお兄さんの話をしてたから、仲間かと思ってた」


「まさか……」


 少女の言葉に目を見開いて驚きを隠せないでいると、突如として激しい爆発音が轟き、帝国王城が激しく揺れる。


 それは絶望を振りまく帝国への反撃の狼煙。

 物語は新たな局面へと突入していくのであった。

桜葉です。

次回もよろしくお願いします。

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