第四章5 【帝国脱出編】深淵なる闇との邂逅
「――ようこそ、帝国ガリアへ。私は君と会える日を心待ちにしていたよ」
アステナ王国での戦いに破れ、航大がやってきたのは負の感情が満ちる工業国家である帝国ガリア。国中を鉱山から立ち込める白煙と黒煙が包み込んでおり、圧政と格差差別が横行するガリアへと足を踏み入れた航大は、その凄惨たる現実を前に絶句する。
そんな航大が連れてこられた場所。それは帝国騎士たちが一堂に会する玉座の間だった。
――金髪に真紅の瞳が印象的な『怠惰のグリモワール』を所有する青年、アワリティア・ネッツ。
――薄紫の髪に無気力な態度が印象的である『憤怒のグリモワール』を所有する青年、ルクスリア・ランズ。
――薄青の髪をツインテールにし、気怠げな態度を隠そうともしない『憂鬱のグリモワール』を所有する少女、シャスナ・ルイラ。
――情熱的な赤髪を腰まで伸ばし、漆黒の瞳に異形の力を宿す『強欲のグリモワール』を所有する女、ユーレシア・アリア。
そこそこに広い帝国ガリア王城の玉座の間には、航大たちを様々な絶望に叩き落とした帝国騎士が四人も同じ場所に存在しており、それぞれがこの国の支配者の到着を待っていた。
「――――」
――四人の帝国騎士。
これだけでも航大にとってはかなりの脅威ではあるのだが、帝国騎士を名乗る人物はこれで全てではない。
帝国ガリアを守護する騎士は全員で六人存在するのだ。
それは帝国ガリアが誇る最大戦力の全てが集まっている訳ではなく、まだ航大が知らない異形の力を持つ者がこの国には存在する。気が遠くなるような絶望感が全身を包み込もうとする中――その男は圧倒的な存在感と威圧感を伴って航大の前に姿を現したのであった。
「……何を恐れることがある?」
「――――」
その男は一目見ただけで、異様な存在であると航大でも瞬時に理解することができた。
短く切り揃えられた金髪を剣山のように立たせ、皺が目立つ精悍な顔立ちと、頬に大きく刻まれた一筋の切り傷が印象的な男だった。男は特別なことは何もしておらず、しかし航大の身体は蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れないでいた。
少しでも気を抜けば、航大は呼吸すら忘れて帝国ガリアの総統を名乗る男に取り込まれてしまいそうだった。
「さぁ、私に選ばれし者の証を見せよ」
「え、選ばれし者の証……?」
「持っているのだろう? 漆黒の装丁をしたグリモワールを――」
ガリアの言葉に呼応するかのように、航大の懐に存在するグリモワールが淡い光を灯し始める。それは航大だけではなく、玉座の間に存在している帝国騎士たちが持つ大罪のグリモワールも同様だった。
「…………」
全く同じ形をしたグリモワールが四つ。
帝国騎士たちはガリアの言葉に従う形で、異形の力を宿したグリモワールを手に持つよ胸の前に掲げる。その様子を見て満足げな笑みを浮かべるガリアは、その瞳を爛々と輝かせて最後に航大を見る。
――逆らってはいけない。
そう本能で理解した航大は、手の震えを何とか押さえながら懐で光を灯すグリモワールを取り出していく。
「――それが七つ目のグリモワールッ。世界を我が手に収める最後のピースッ!」
航大が持つグリモワールを見るなり、ガリアの表情はこれ以上ないほどの満面の笑みへと変わった。玉座から身を乗り出すようにして立ち上がると、ゆっくりとした動きで航大に近づいてくる。
「最後のグリモワールッ。私はそれを永い間、ずっと待ち侘びていたッ」
「――ッ!?」
見上げるほどの巨体を揺らす男が近づいてきて、彼が放つ威圧感も相まって航大の身体は今までにないくらいの緊張感に包まれていた。
「どれ、もっとよく見せてみるがいい――ッ!?」
「うわぁッ!?」
航大が持つグリモワールにガリアが手を伸ばした瞬間だった。
突如として、グリモワールが眩い光を放ったかと思えば、次の瞬間には鈍い音を立ててガリアの右腕が虚空を静かに舞っていた。右肩から先を見えない力によって吹き飛ばされたガリアの右腕は、切断面から鮮血を零しながら玉座の間を転がっていく。
「…………」
息が詰まるような緊張感が包む中、航大は目を見開いたままでガリアの腕が吹き飛んでいく様子を呆然と見つめることしかできない。
「……やはり、私はその本に触れることすら叶わぬのだな」
「…………」
あまりにも呆気なく右腕を消失したガリアは、そんなことすら気にならないといった様子で航大を見下ろすと、その顔から表情を消して凍てつく声音が漏らして玉座へと戻っていく。
ガリアが歩を進める度に、右肩からは夥しい量の鮮血が溢れ出し、玉座の間の床を汚していく。
異様な光景を前にして、周囲を取り囲む帝国騎士たちも真剣な表情を浮かべたままで微動だにせず至って冷静な様子を見せていた。
「さて……話しをしようじゃないか、異国の少年よ」
「は、話し……?」
「――我々と共に世界を支配したいとは思わぬか?」
「せ、世界を……支配……?」
「そうだ。貴様が手に持つグリモワール。それは想像を絶する力を秘めた物だ。望むのならばこんなちっぽけ世界など、一瞬にして無に帰すことができる代物だ」
「…………」
「その力を我々、帝国ガリアの同士たちと共に使わぬか?」
「――――」
ガリアの野太い声が鼓膜を震わせる。
あまりの驚きに思考が停止していた航大だが、少しずつ冷静さを取り戻していくと、眼前の男が言い放った言葉の意味をゆっくりと噛み砕いていく。一瞬の静寂の後に、再びその瞳に強い意志を灯すと、航大は玉座に座るガリアを睨みつけていく。
「……世界を支配?」
「あぁ、そうだ。我々が作る新世界。グリモワールを持つ貴様たちには厚い待遇を約束しよう」
「――ふざけんなよッ」
「…………ほう?」
「自分の国の人間すら幸せに出来ないような奴が作る世界だと……そんなのクソ食らえだッ!」
ガリアが放つ言葉を、航大は唾を吐き捨てながら一蹴する。
異世界にやってきて、数々の絶望を振りまいてきた帝国ガリア。
どれだけ異形の力を持っていようとも、悪の権化たる存在に手を貸すほど航大は落ちぶれてはいなかった。
「…………」
航大が吐き捨てた言葉に、一部の帝国騎士は笑みを浮かべた。残りの帝国騎士たちはやれやれ……といった様子で首を左右に振っている。
「……それでいい。それでこそ、異形の力を持つに相応しいと言えよう」
「…………」
航大の罵倒にも笑みを浮かべるガリアは、どこか嗜虐性を孕んだ瞳で航大を見ると言葉を続ける。
「貴様のその意志がどれだけ強固なものであるのか――私に見せてみるがいい」
そう言葉を放つと、ガリアは傍に立っていた帝国騎士であるシャスナ・ルイラに声をかける。
「――この者を監獄へと連行しろ」
「……はい」
ガリアの言葉に気怠げな様子を見せつつも、命令を受けたルイラは素直に一言返事をすると深いお辞儀を見せる。
そして航大を睨みつけながら歩いてくるルイラは、航大の首根っこを掴むと玉座の間を後にしようとする。
「おいッ、離せッ……何する気だッ……!?」
「また会おう。異形の力を持ちえし少年よ。次は良い答えを待っているぞ?」
帝国騎士と共に玉座の間を後にしようとする航大。
その視界には高笑いを浮かべるガリアの姿が映っており、どんなに声を発しようとも大柄な男には一切届かないのであった。
桜葉です。
次回もよろしくお願いします。




