第三章43 終幕ノ痕
「……んッ」
ハイラント王国・騎士隊所属。
過去、この異世界において大陸同士の激しい戦いがあった。
『大陸間戦争』
異世界史において、一度だけ勃発した大規模戦争にて『英雄』と称される男には一人息子が存在していた。短く乱雑に伸ばされた栗色の髪と、父親譲りの大剣を手に戦う青年であるライガ・ガーランドは全身を襲う痛みに苦悶の表情を浮かべながら意識を覚醒させる。
「ここは……?」
意識が混濁とする中でライガは呆然と空を見上げていた。
もやもやと濃霧が支配する脳裏とは違い、眼前に広がる空はどこまでも青く澄み切っていた。意識を失う前、ライガは激しい戦闘に身を投じていた。絶え間ない轟音が響き渡る中、ライガは異形の力を行使する少年の笑みを見つめていた。
「――ッ!?」
一秒。また一秒と時間が経つごとに脳裏を包み込んでいた濃霧が晴れて、それと同時にライガは気を失う前に自分が置かれていた状況を思い出していく。
「戦いはッ!? 戦いはどうなったんだッ!?」
痛む身体を物ともせず、ライガは弾かれたように身体を起こすと瞬時に周囲の状況を確認しようとする。ライガは見慣れない景色の中に存在していることを理解すると、その目を見開き呆然とする。
「え、なんだここ……どうして俺は……?」
「……起きましたか、ライガさん?」
「あッ、えーと……あんたは……航大たちと一緒に行った……プリシラさん?」
「はい。意識はしっかりとしているようですね……安心しました……」
呆然とするライガに話しかけてくる声があった。
声がした方向に目を向けてみると、陰りの見える表情を浮かべるアステナ王国の筆頭治癒術史であるプリシラが存在していて、意識を取り戻したライガを見るなり僅かながらその表情に安堵の色を浮かべる。
ライガは自分の身体を確認してみる。激しい戦闘で傷ついた身体の至る所に包帯が巻かれていて、自分でも重傷だと判断できる程の傷が今では少し痛むくらいにまでは回復を果たしていた。
「プリシラが治癒してくれたんだな……ありがとう……」
「…………いえ、私は私に出来ることをしたまでです」
ライガの言葉にどこか辛そうな笑みを浮かべると、プリシラはライガに背を向けて再び歩き出す。彼女が向かう先には、ライガよりも先に目を覚ましていたリエルとシルヴィアが座り込んでいて、二人は沈痛な表情を浮かべた状態でプリシラの治療を受けている。
「そうか……俺たちは生きてるんだな……」
傷ついてはいるが、リエルとシルヴィア、そして少し離れた場所にレイナとエレスの姿を確認して、ライガはあれだけの戦闘が起こったにも関わらず、仲間たちが生存していることに安堵を感じていた。
「…………」
ライガたちが対峙したのは帝国ガリアの騎士だった。
明らかに幼い容姿をした帝国騎士の少年は、異世界に住まうライガたちにとっては異形の物である『現実世界の重火器』を使役することで、ライガとシルヴィアを窮地に追いやっていた。
――異世界と現実世界を繋ぐ大罪のグリモワール。
それは異世界の人間にはあまりにも強い脅威となって牙を向き、ライガとシルヴィアはそんな異形の力を前に為す術なく敗北を喫することになるのであった。
「……あれ、航大たちが見えないな」
氷都市・ミノルアに続き、アステナ王国でも帝国騎士に敗北を喫し、取り逃がしたことを悔やむライガは、ここに来てようやく見慣れない姿があることに気付く。
航大たちもまた、王城で魔竜・ギヌスと壮絶な戦いを繰り広げたはずだ。
さすがに伝説の魔竜・ギヌスを前にして無傷で済むはずがないことは重々承知である。だからこそ、今この場所に航大とユイの姿が一向に見えないことがおかしいのだ。
「おい、みんな……航大と嬢ちゃんはどうしたんだよ……」
「…………」
ライガの問いかけに全員が沈黙する。
異様な静寂が包む場を前にして、ライガは自分の心臓が早鐘を打ち始めていることに気付く。焦燥感が襲ってきて、最悪の事態が脳裏に浮かんでは消えていく。
「……嘘だろ? 航大は……嬢ちゃんは……プ、プシリラ……お前、航大たちと一緒だったよな……?」
「……はい」
ライガたちはアステナ王国での戦いにおいて二手に分かれていた。
城下町を鎮圧するチームがライガとシルヴィア。
王城へ急ぎ、魔竜・ギヌスの討伐へ向かったのが航大、ユイ、リエル、プリシラの三人だったはずだった。
しかし、この場には航大とユイの二人が存在しない。他の人間は揃っているのに、航大とユイの姿だけが忽然と消えているのだ。
「……すみません。私が敵の術中に惑わされている間に、二人は帝国騎士に連れ去られたようです」
「つ、連れ去られた……?」
「……奴らの目的は最初からアステナ王国ではなかった。理由は分からないが、真の狙いは航大とユイの二人だったのだろう」
プリシラとレイナの言葉にライガは再び呆然と目を見開く。
帝国騎士たちの目的はアステナ王国の崩壊だと踏んでいた。王城に封印されていた魔竜・ギヌスを復活させ、その力を使うことでアステナ王国という存在を抹消するつもりなのだとライガは理解していた。
しかしそれは間違っていて、帝国騎士たちの目的は最初から航大とユイの二人だったのである。そんなこととは露ほども知らず、ライガたちは戦力を分散させた結果、王国を守ることは出来ても航大とユイという大切な人間を失ったのである。
「……儂が付いていながら、不覚だった」
取り返しのつかない事態にリエルが唇を噛みしめる。
彼女は航大を守ると豪語していた。だからこそ自分の力が及ばず戦線離脱している際に、主である少年を失ったことについて強い失望の念に駆られているのだ。
最初はリエルにとっての姉であり、世界を守護する女神・シュナの存在があるから行動を共にしていたに過ぎなかった。しかしそれも、時間が経つごとに変わりつつあって、自分が知らない世界をたくさん見せてくれる航大に対して、いつしかリエルは命を賭けて『少年を守りたい』と感じるようになっていたのだ。
「…………」
リエルの表情にはこれ以上ない沈痛な色が現れていた。
拳を強く握りしめ、白い肌には鮮血すら滲んでいる。
――王国を襲った脅威は消え失せた。
しかし、その代償にライガたちはかけがえのない大切なものを失ったのである。
「……儂は帝国へ向かう」
「――えッ?」
全員が沈黙を維持する中、その言葉を漏らしたのは北方の賢者であり、神谷航大の守護者であるリエルだった。彼女は瞳に強い意志を宿すと、傷だらけの身体にも関わらず、敵の本丸へと侵入し、主を救い出そうとしていた。
しかしそれが、あまりにも無謀な試みであることは言うまでもなく。
彼女の言葉にライガたち全員は唖然とした表情を浮かべるだけ。
「何百年も守護してきた場所を失い、守るべき者も失った。この世に存在する意味を喪失する中で、主様は儂に生きる意味を与えてくれたのじゃ」
「…………」
リエルの声が周囲に存在する人間の鼓膜を震わせ、強い想いが込められた言葉が心を震わせる。
「例えこの命が潰えようとも、主様を失ったままで生きていくことなど……儂には到底出来ぬのじゃ。所詮、一度は意味を見失った命。捨てるのは惜しくない」
それはどこまでも強い想いだった。
アステナ王国での戦いで負った傷すらも癒えぬ中で、リエルは航大を救い出すためにすぐさま行動を起こそうとしていた。しかし、帝国ガリアには異形の力を行使する帝国騎士たちが存在している。
その力を知らないリエルではない。
彼女が単身で乗り込むことになれば、それは確実な死を意味しているのだ。
「……一人で行く気なのか?」
リエルの言葉に口を開くのはアステナ王国の王女であるレイナだった。
レイナは険しい表情を浮かべて、リエルを見る。
「正気の沙汰ではない、と言わざるを得ないな。帝国ガリアがどういう場所か、そしてその帝国を守護する騎士たちの力……それはよく分かっているはずだ」
「……それでも、じっと待ってはいられない。今、この瞬間にも主様が危険な目に遭っているのだとしたら、一刻も早く助け出さなくてはならぬッ!」
「それは分かっているッ! それでもッ……なんの準備もせずに乗り込んで生きて帰ってこられるような場所ではないんだッ!」
言葉を交わせば交わすほどに溢れ出る感情がある。
――大切な人を助けに行きたいリエルの強い気持ち。
――彼女の痛いほど強い気持ちを理解しながらも、無謀な試みを王女としての冷酷な判断を下すレイナの気持ち。
二つの感情が激しくぶつかり合う中、ゆっくりと立ち上がる姿があった。
「――俺も行くぜ」
「……なッ!?」
リエルの言葉に賛同する形でライガが覚悟を決める。
ライガの行動に驚きを隠せないレイナは目を見開くと、唖然とした様子でライガを見つめる。
「まぁ、だよね。良かった、みんなが私と同じ気持ちでッ!」
次に声を漏らしたのはシルヴィアだった。
彼女はその顔に笑みを浮かべると、ライガとリエルを見て自分も同じ気持ちであると声を漏らす。
「はぁ……お前たちは無謀すぎる……」
「まぁ、無謀なのは承知してるけどさ……俺だって大切な仲間を攫われてはいそうですか……って、訳にはいかないんだよ」
溜息を漏らすレイナに、ライガは自身が抱く想いと考えを伝える。
リエル、ライガ、シルヴィアの三人が同じ気持ちであり、それを肌で感じたからこそレイナはこれ以上、三人の気持ちに水を指すようなことは言わなかった。
「……お前たちの気持ちは分かった。航大とユイは我がアステナ王国を救ってくれた英雄だ」
三人の言葉を聞き、レイナは目を閉じると静かに自分の想いを語りだす。
「目の前で英雄たちを攫われ、私たちもただ見過ごすことはできない。しかし、お前たちが相手にしようとしているのは帝国ガリアだ。もちろん今、国がこんな状況になっている中で騎士隊を派遣することなどは到底できない」
「…………」
「それにアステナ王国の騎士隊を派遣なんてすれば、それだけで帝国ガリアと戦争になる可能性だってある。だから、私たちアステナ王国は公にお前たちを援護することは出来ない」
「あぁ、それはしょうがない。騎士隊は王国の復権に力を使うべきだしな」
「でも、三人だけじゃ心細いのも事実だ。だから、そこにいる私の近衛騎士を一人貸し出そう」
「……えっ?」
突如として自信満々な様子で言い放ったレイナの言葉に、ライガたちは唖然とした表情を浮かべる。
「……王女のご命令とあらば」
ライガたちが行おうとしていること。
それはとても危険なものであることに間違いはなく、それに突如として参加することになったエレスだが、レイナに絶対の忠誠を誓っている中性的な外見をした青年は、嫌な言葉ひとつ漏らすことなく与えられた命令に頭を下げる。
「い、いいのかよ……」
「あぁ。プリシラには国民の治癒などで頑張ってもらわないといけないので、貸し出すことは出来ないが、エレスならお前たちの力になってくれるだろう」
「いや、めちゃくちゃ助かるぜッ!」
「……うむ。しつこいようだが……お前たちが向かおうとしているのは、死の国とも呼ばれる帝国ガリアだ。人間が持つ負の感情が満ちた悪の国。必ず戦いにはなるぞ」
「…………」
レイナは真剣な表情を浮かべ、ライガたち全員の顔を見ながら慎重に言葉を選ぶ。
「行くと決めたお前たちを止めることは出来ない。帝国ガリアまで向かう船の手配はこちらで行おう」
「マジかよ、船の手配までしてくれるのか……」
「でも、私が出来るのはそこまでだ。帝国ガリアがあるマガン大陸に乗り込んでからは、お前たちが道を切り開いていくしかない」
「……あぁ」
「分かってるってッ!」
「ふん、必ず目的を果たす」
レイナの言葉にライガ、シルヴィア、リエルの三人が笑みを浮かべて一つ大きく頷く。
「……大丈夫そうだな」
そんなライガたちの様子を目の当たりにして、レイナはやれやれ……といった様子を見せつつも最後には笑みを浮かべると、
「――必ず、全員生きて帰ってくるんだぞ」
これから過酷な運命に身を投じることになるであろう、ライガたちへ激励の言葉を投げかける。
その言葉を合図に、ライガたちはすぐさま出発の準備を整えていくのであった。
◆◆◆◆◆
こうして、コハナ大陸を舞台にした壮絶なる戦いは幕を閉じる。
しかし、新たな戦いは既に始まっており、ライガ、リエル、シルヴィア、エレスの四人はいよいよ帝国ガリアへと乗り込むことを決意する。
――帝国ガリアを舞台にする新たな物語。
異なる二つの視点で語られる物語は、どのような結末を孕んでいるのか。
終末へと向かう少年と少女と異世界の物語は、少しずつその瞬間へと加速していく。
桜葉です。
いよいよ、本日の更新で第三章が終了となりました。
第二章と同様の長さとなりましたが、何とか完結できました……。
次回からは『第四章・災禍の帝国』となります。
これからも何卒、よろしくお願いいたします!!




