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Noise  作者: 神宮寺飛鳥
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Side:A Day3 -困惑-


少しだけ状況を整理して見る。

まず兄貴は間違いなく一年前、この小瀬に居た。

カガリたちと共に例年通りの休日を過ごしていた。

そしてカガリと共に行動していた所、突然居なくなってしまった。

失踪。当然それをほうって置くわけも無く、カガリたちも町の人々も兄貴を探した。

しかし兄貴は見つからなかった。その報告が来てようやく俺は兄貴が失踪した事実を知る。

その後一年が経過しても兄貴は戻ってくるどころか手がかり一つ痕跡一つ存在せず、ただ時間だけが流れた。

ホムラもカガリも知らないという兄貴の身に一体何が起きたのか俺が知る由もない。

今もしも手元に手がかりが一つでもあるとすれば、あの黒い男の事だろう。

あの男の台詞一つ一つが兄貴との関係性を匂わせている。

いや、あちらもそのつもりで口を利いていたのだろう。だとしたら一体何が目的なのか。何を知っているのか・・・。


話を変えよう。


八神一族はこの小瀬では名家であり、権力も当然持ち合わせている。

その当主である男、八神カゲロウ・・・つまり俺の叔父さんに該当する人物はおおよそこの町で起こるほとんどの事件を耳にしているはずだ。

極端な話彼が知らないことはほぼ誰も知らないと言っても過言ではないほどに。

だからこそ彼に尋ねるのが最も手っ取り早い方法であり、最終手段でもある。

カゲロウはこの小瀬には似使わないほど巨大な病院の院長でもある。

所謂サナトリウムであるそこは、都会などから送られてくる末期の患者を預かる場所だ。

カゲロウ自身優秀な医師であり、兄貴も尊敬していた人物。だからこそ信頼は置ける。

なんにせよ一年前の事件を調べると決めた以上、後戻りはできないし躊躇する必要もない。

元々の旅の目的にも合致するカゲロウ叔父さんとの接触。三日目はそこから始まった。




Side:A Day 3 -困惑-





屋敷を出て山道を登ること一時間。ようやく叔父さんが勤める病院へ到着した。

久々に見る白亜の建造物に懐かしさと同時に苦い思い出がよみがえる。


「昔は注射が嫌でここに来るのを嫌がったっけ・・・・」


何年も前、随分ともう昔の話だが、その時は兄貴に説得されてつれてこられた気がする。

お目当ての人物はあっさりと見つかった。庭先にある花壇に水を上げている着物姿の男性。彼こそが八神カゲロウ、俺の叔父さんである。


「叔父さん、お久しぶりです」


「おぉ、マサキ君じゃないか・・・いやあ、久しいね・・・・元気にしていたかい」


白髪交じりの髪をオールバックで固め、いついかなる時も着物を着用する変わり者。腕を組んで笑うその姿は威圧感は存在せず、親しみやすさがあふれている。

昔から懇意にしてもらっているだけあり、彼との関係は良好だ。昔と変わらない豪快な笑顔で俺を迎えてくれた。


「見ての通り健康ですが、一年サボっていたので健康診断を受けに来ました」


「ホムラから聞いているよ。まあさっさと済ませてしまおうか」


よほど丁寧に世話しているのだろう。華麗に咲き誇った花たちが雫を煌かせている。

如雨露を片手に歩く姿はどうにも病院の院長というイメージから掛離れているが、彼らしいといえば彼らしい。

玄関でスリッパに履き変えると全く人とすれ違わない廊下を歩き、病院内の一室に入る。

そこは所謂診察室のようだったが、机の上に設置された魔法瓶を使い急須にお湯を入れると湯のみを持ち出してくる。


「まあ掛けてくれ。お茶でも飲もうじゃないか」


「ありがとうございます・・・でも検査はいいんですか?」


「いいもなにも、君はいたって健康だろう・・・それとも何か具合の悪いところでもあるのかね?」


「あ、いや、それは大丈夫です。また注射を打たれるかと思っていたので少し安心しました」


「はっはっはっは!相変わらずだな君は・・・・そら、私のお気に入りの一杯だ、試してみてくれたまえ」


「頂きます」


差し出された湯のみを口につける。爽やかな苦味と緑茶の香りが口いっぱいに広がった。


「茶道でも嗜んでいるんですか?」


「はっはっは、お世辞がうまいね。なあに、葉がいいだけさ」


二人して湯のみを傾ける時間が続いた。お茶が半分ほど減る頃を見計らって俺は口を開く。


「今日は叔父さんに聞きたいことがあって来たんです」


「ふむ・・・・・・コウヤ君の事かね」


ホムラ同様全てお見通しだったのか、叔父さんはまじめな顔でそう言った。

頷き、湯のみを置いて言葉を続ける。


「一年前に兄貴を探してくれたのも叔父さんなんですよね?」


「そうだな。一年前彼が失踪した時、確かに私は指揮を執ったよ。だが、だからといって収穫は無かったが」


「何でもいいんです、何かこう、手がかりになるようなこと・・・ありませんか?」


困ったように眉を潜め、腕を組んで渋い表情を浮かべる叔父さん。

確かに叔父さんにしてみればもう一年も前の事、しかも当時出来ることはやりつくしているはずの出来事だ。

今更一年経ってやってきた俺がああだこうだ聞いてもそれは迷惑でしかないのかもしれない。

それでも律儀に考えてくれているところを見ると、おじさんもやはり色々と引っかかっているのかもしれない。

しばらくすると叔父さんは渋々話してくれた。


「実は一年前にあった事件は一つではないんだよ」


「一つではない・・・・・というと?」


「いや、一つかもしれない・・・だからこそあまり君には教えたくなかったんだがな・・・・」


さらに口ごもる叔父さんの姿に俺までなんだか息苦しくなってくる。


「一年前の事だ。荒川ではある事件が起きていた・・・・まあ、住民なら誰でも知っていることだがな」


「ある事件・・・・・?」


「ああ・・・・連続殺人事件だ」


今から一年前の夏。

小瀬を含む荒川一帯で連続殺人事件が発生した。

死者は三名。いずれも荒川本町付近の川原で発見されたと言う。

被害者に共通点が無い事、そして死体の状態から通り魔的犯行と推測され、一時期騒然となった。


「無論、今となっては誰も話題にしたがらないがね。子供たちの間では噂になったりしているかもしれんが」


死体の状態・・・それがこの事件の特徴だと言える。

死体はどれもバラバラに解体されていた。切断面は強引に引きちぎられたように不揃いで、刃物で切断したとは考えにくい。何か鈍器のようなもので叩き斬ったか、強烈な力のある工具で引きちぎったとされている。

そして何より、死体のパーツが全て発見されていない、ということがこの事件をただの殺人事件ではなく猟奇殺人事件という異常な名前に引き上げていた。


「この事件が発覚したのは、殺人が行われたと思われる日時から随分と時間が経過してからのことだった。その殺人が起きたとされる期間、コウヤ君は屋敷に遊びに来ていたからね・・・」


「そんな・・・・・・・・まさか兄貴も・・・・?」


「あまり、その可能性は考えたくはないがね。だからこそ君にそれを伝えるべきかどうか悩むところだった」


それをカガリやホムラも知らないはずがないだろう。だからこそ、俺に伝える事を渋っていたのか。

ホムラの暗い表情の訳も、カガリの後悔も、それで納得が行った。

兄貴はそんなわけのわからない事件に巻き込まれて殺されてしまったとでも言うのだろうか。

強く拳を握り締めた。その最悪の可能性を想像するだけで胸が詰まりそうだ。

しかも通り魔的犯行なのだとしたら、兄貴は何の前触れも無く・・・・・。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・ありがとうございました・・・・わざわざ、そんなことを話してくれて」


「いや・・・・・・・構わないよ。むしろ君に黙っていた事を謝らねばならないくらいだ」


「いえ、そんなことは・・・・・・・・」


兄貴が死んだ?

しかし今になってもまだそれを実感できない自分がいた。

まだ・・・・まだ何か、何かあるのではないかと願ってしまう。


「その、犯人は・・・・・・・・・捕まったんですか?」


「いや・・・・」


今までで最も渋い表情を浮かべ、彼は呟いた。


「捕まえるどころか、検討もついていない」




意気消沈しての帰り道は何ともいえない空しさがあった。

兄貴がもう戻らないかもしれないという思いは強くなり、同時に何故?という思いも強くなっていた。

知りたい。兄貴の身に何が起きたのか。しかし、それを確かめた時・・・・俺はどうなってしまうのだろう。


「お兄ちゃんどうだった?大丈夫?」


玄関で俺を出迎えてくれたカガリは心配そうに上目遣いにそう言った。

その小さな頭に手を乗せ軽く撫でるとため息をついて首を横に振った。


「手がかりはつかめなかったよ・・・・」


「そっか・・・・そうなんだ・・・・・」


玄関先に座り、その先に浮かぶ景色を見つめる。

沈みきった気分が心を染めていく中、カガリは意を決したように何度も頷き、


「お兄ちゃん・・・これから一緒にお出かけしない?」


「また川か?」


「違うよ。あの日、コウヤお兄ちゃんと一緒に見て回った場所を一緒に歩いてみるの。そしたら何かわかるんじゃないかな?」


それはある意味名案であり、今の俺に出来る目前の手段でもあった。

あの日何が起きたのか。それを知るには実際に兄貴の視点に立ってそれを確認するしかない。

勿論それが意味を成すのかどうかはわからない。ただ今の俺にとってそれは僅かな希望のように思えた。

早速俺たちは屋敷を出ることにした。まず最初に向かったのは昨日も訪れた例の川原だ。

小瀬から下流に向かい続いているそれは殺人の発覚した場所でもある。つまりこの下流で死体が見つかったのだ。

そう考えると急にその場所そのものが不気味に思えてくる。そしてそこへ兄貴も訪れていた。


「コウヤお兄ちゃんがってうよりは、カガリが誘ったんだけどね・・・・昨日みたいに」


「それで、兄貴はどうだった?」


「普通だったよ?一緒に水遊びして、屋敷に一度戻ったの」


忠実に行動を再現するため俺たちは一度屋敷に戻った。そこで兄貴たちは食事を取り、午後は荒川の方に出かけたのだという。

徒歩で畑道を歩き、小瀬と荒川を繋ぐトンネルを通過する。

やがて一日ぶりに荒川に出ると、兄貴はここでカガリにデザートをご馳走すると言って喫茶店に向かった。

そこでカガリにパフェをご馳走して、その後町を無意味に歩き回った。


「パフェを食べて〜、コウヤお兄ちゃんはコーヒー飲んでたよ。それでお店を出てしばらくおしゃべりしながらうろうろして・・・あっ」


「どうした?」


「その後コウヤお兄ちゃんが『図書館はないか?』っていうから、役場の隣にある図書館に案内したんだけど」


「図書館・・・?」


本好きな兄貴らしいといえば兄貴らしいのだが。

町役場そのものが小さいだけあり、図書館も大きいとはお世辞にもいえないものだった。

しかしこの田舎にしてはなかなかの蔵書量であり、中に入るときちんとエアコンが効いていた。


「・・・・・・・・・・・・・・?」


何か、先ほどから違和感を覚える。

しかしその正体がさっぱりわからず、思い過ごしだと考え本棚を眺めた。


「それで兄貴はどうしてたんだ?」


「う〜ん・・・・・・・ごめんね、流石にそこまでは・・・・カガリ暇だったから漫画読んでたし・・・」


そりゃそうだ。あの兄貴の読む本だ、余程子供には退屈な類だろう。

ここまできて医学書をあさっていたのだとしたら既に本人が病的だと思うが・・・・。


「わかった、少し調べてみるからカガリはここで漫画でも読んでいてくれないか?」


「え・・・・・?あ、うん・・・・わかった」


「ん?嫌か?」


「嫌じゃないよっ!?でも・・・その・・・あの・・・・」


妙に歯切れが悪いカガリの様子に首を傾げていると、

丁度図書館に入ってきた見覚えのある少女とばったり目が合った。


「あれ?マサキさんにりっちゃん・・・・何してるの?」


「みっちゃん!?」


昨日と同じような男っぽい服装、今日は長い髪を左右で結んでいる。

慌てるカガリの元に早足で近づくと何故かため息を付いた。


「・・・・りっちゃん?」


「はう!ご、ごめんね・・・?」


二人の会話の要領が全くつかめない俺はただ首を傾げる。

そんな俺の様子にみっちゃんは笑顔でカガリの手を取り、


「私たちはそこでお話しているので、マサキさんはどうぞお構いなく」


「あ・・・・ああ?」


二人が奥のベンチに向かっていくのを見送り、ぽりぽりと頭を掻く。

何がどうなっているのかはさっぱりだが、まあみっちゃんが居ればカガリも退屈しないで済むだろう。

さて、この場所に仮に手がかりがあるとして・・・一体それは何なのか?どこにあるのか?それが問題だ。

顎に手を当て目を細める。それにしてもこんな本の海のような場所から手がかりを漁れというのも随分と無茶な話だが。

ふとカガリたちの方に視線を向けると二人はなにやら内緒話をしているようだった。見ているとまずいかと思い視線を戻す。


「さてと・・・・まあざっと見て回ってみるか」


幸いこの図書館そのものはそんなに広くはないのでそれ自体に苦労は無かった。

しかしただ歩き回ったとしても手がかりの方から出てきてくれるはずもなく、当然収穫はなかった。

仕方がないので司書の女性に声をかけることにするが、どうにも司書の反応は鈍い。


「一年も前の事ですと、ちょっと・・・・」


「そうですか・・・本当に些細な事でも構わないんですが」


「申し訳ございません」


いかにも迷惑そうな対応が少し頭に来たが、まあ確かに迷惑だろうと引き下がった。

さてこうなってくるとこの図書館に手がかりはないような気がしてくる。実際ないのかもしれない。

兄貴もただ単に本が好きだからここに来たという可能性もある。だとすれば俺のやっていることは大分的外れということになる。

兄貴自身から行きたいと言った場所だからこそ何か手がかりがあるかとも考えたのだが・・・。


「ふー・・・・ここは涼しくていいな・・・・」


と、呟きながら入ってきた人物とすれ違い、同時に振り返った。

コートを肩から下げ、胸元を大きく開いたワイシャツをつまんで仰いでいる長身の男。

確か二日前、電車の中で見かけた。向こうもそれに気づいたのか振り返り、爽やかな笑顔を浮かべた。


「奇遇だな・・・・まさかこんなところで遭遇するとは」


「驚きました。世の中案外狭いものですね」


「かもな・・・・しかしこの町は本当に田舎だな・・・正直喫茶店とココ以外出入りしたくない気分だぜ」


苦笑しながら窓の向こうの強い日差しを恨めしげに眺めている。確かにそれは同感だ。

朝と夜はとてもすごしやすいのが・・・昼の暑さはたまらない。とは言え都会よりはましなのだが。

その黒い衣装がどこか昨日遭遇した男と似ている気がしたが、彼自身から薄気味悪い雰囲気は感じられずそれどころかはきはきとした気力すら伝わってくるのだから随分とまあ違うものである。


「図書館に来るような方には見えませんが、どうかしたんですか?」


「何気に言うねえ・・・・ま、確かに活字は苦手だ。見ていると眠くなるからな。用ってわけでもないが、まあ待ち合わせ序に涼んでいこうと思ってな。これぞ冷やかし」


どこから突っ込めばいいのかわからなかったので黙っていることにした。

本人は何が面白かったのかわからないが軽快に笑い飛ばしているので俺もとりあえず付き合いで笑っておいた。


「そういうそっちはどうなんだ?何か探し物か?」


「まあ、本は嫌いではありませんからね」


「そうか・・・まあそんな顔してるな。読書の邪魔して悪かったな」


「いや、今日は読書目当てではないので・・・あ、そうだ」


何故そんなことを口走ったのかはわからない。ただ何となく聞いてみたいと思ってしまったのだ。


「一年前の殺人事件について、何かご存知ありませんか?」


ほぼ初対面の人間、しかも明らかにこの町の外から来た男に対してそんな質問をした意味はわからない。

しかし男にとってその言葉は意味を持つものだったのか、腕を組んで首を横に振った。


「全く知らないわけじゃないが、悪い事は言わねえからその事はあんまり調べるな」


「調べるなって・・・・どういう事ですか?」


「そのままの意味さ。素人が調べたところで判ることでもないし、判ったところでどうなることでもないだろう」


それは確かに彼の言うとおりだった。だからこそ俺はいまその手段につまりこんなわけのわからないところにいる。

一年前の事件について何かしっているという彼。そして彼はそれを調べるなと言う。

その言葉の意図は想像するに、まだつかまっていない犯人とやらが関係しているのだろう。

そうだ。殺人事件を調べてはいけない理由なんて決まっている。危険があるか、知ってはいけない何かがあるか。

犯人が捕まっていない以上、確かにまだ脅威は拭い去れてはいないのだろう。だとすればその忠告はあながち的外れでもないが、町の外の人間であるはずの彼がなぜそんな事を知っているのか・・・疑問は尽きない。


「ま、お遊びは程ほどにしておけよ少年。じゃあな」


俺の肩を叩き、男は奥へ去っていった。もしかしたら何か手がかりがあるかもしれないとも思ったのだが、その背中に声をかけることは何故か出来なかった。

危険があるからこそ、まだそれが拭い去れないからこそ、叔父さんもホムラもいい顔をしなかったのかもしれない。

何はともあれ彼のことは置いておくとして、これで振り出しに戻ってしまった・・・そう考えた直後だった。

彼が去っていった方の床に何かが落ちていた。それは明らかに先ほど彼が落としたもの・・・恐らくは上着のポケットにでも入っていたのだろう・・・だった。

拾い上げてみると、それは随分と古い写真だった。しかし俺はその写真に驚きを隠せない。


「これは・・・・カガリ?」


写真は八神の屋敷をバックに取られていた。屋敷の前には四人の人間が立っており、それぞれが笑顔でファインダーに向かい合っていた。

その左側には美しい女性が、右端には・・・恐らくカゲロウ叔父さんが。そして二人の間に二人の女の子が。

カゲロウ叔父さんの若さにも驚いたが、子供二人が余りに幼いところを見ると既に十年以上前の写真であることが伺える。

左端に立つ女性は今のホムラに似ており、彼女が恐らくカゲロウ叔父さんの妻であり、カガリとホムラの母親なのだろう。

八神家の母親は随分と前に家を出て行方不明になったと聞いている。行方不明。行方不明・・・・?

これは何かの偶然なのだろうか?行方不明・・・つまり失踪。その言葉に思わず背筋がぞっとする。

何だ?何が起きている?何故こんなにも・・・こんなにも悪寒がするのか。

息を呑む。何度も何度も画面を凝視する。八神家の母。妻。失踪した。行方不明になった。今はもう居ない。

失踪?何故失踪したのだろう?その理由を俺は知らない。カガリたちは知っているのだろうか?

いや、待て。なんだこの違和感は。何か大事な事を見落としている・・・俺はこの写真をおかしいと感じている。

しかしその違和感の正体がつかめない。なんだかもやもやする感覚。何かを見落としている、そんな焦燥感。

写真の裏を見る。そこには『家族全員で』と綺麗なボールペンの字が書かれていた。

日付はない。だからこれがいつのものかはわからない。しかし写真に写っている人物の年齢で大体の予想は・・・年齢?


「え・・・・・・?」


違和感の正体が判明した時、我が目を疑った。

ホムラは外見からしてまだ10歳に満たない子供だろう。今のカガリよりも一回り小さい。

そして・・・問題はそのカガリだ。その外見は10歳ちょっと・・・つまり今のそれと大差がないのである。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」


混乱する。頭の中がぐるぐる回っている。

大差がないとはどういうことだ?カガリは確かに昔は小さかったし今は大きくなった。

昔に比べ背丈も伸びたし、きちんと小学校の学年も上がっているはずだ?

小学校の学年?そんなの確かめた事はない。しかし確かめるまでもないはずだ。なぜなら学校に通っているのだから。

通っている?夏休みにしか来ていない俺が何を根拠に言えるのか?それより何故ホムラよりカガリのほうが大きい?

全くの別人なのか?いやそんなことはない、似すぎている。しかしこれは・・・若返ったとでもいうのか?

自分の中にある一年後とのカガリの成長の記憶と写真に写った停止しているカガリの姿とが頭の中でかみ合わず猛烈な違和感を醸し出している。

冷や汗を拭い、慌ててその写真をポケットに突っ込んだ。先ほどの男はのんきにあくびをしながら本棚を眺めている。

何故あの男がこんなものを持っているのか?そしてこれは何なのか?問い詰めなければならないのに何故か足がすくんで動かない。

何故なんだ?八神の母親の失踪。一年前の殺人事件。写真の中のカガリ。兄貴の失踪。

全てが無関係とは思えない。何故なんだ?俺は一体何を疑っているのか?疑っている?

そうだ、何かおかしい。何か大事な事を見落としている気がする。それが判らず更に困惑が広がっていく。

何だ?何がおかしい?何を見落としている?冷静にならない頭が恨めしい。落ち着け。


「くそっ・・・・・兄貴・・・・どういうことなんだ・・・・?」


瞳を閉じる。俺は違和感の正体がわからないほど馬鹿なのか?

額を押さえながらどれだけ混乱していたのだろう。しばらくすると体が揺さぶられていることに気づいた。

ゆっくりを目を開けるとそこにはカガリとみっちゃんが不安そうに俺を見上げていた。


「大丈夫お兄ちゃん・・・?具合悪いの?」


「あ・・・・・・・・」


思わず言葉が出なくなる。しかし気を取り直し、出来る限り冷静を装う。


「大丈夫だ。何でもない・・・・」


視線だけで男の姿を探したが、待ち人が来る時間になったのか、男の姿はいつの間にか消えていた。

言及できなかったという残念な思いとわけのわからない真実を知らなくて済んだという安堵が同時に胸に広がっていく。


「マサキさん、具合が悪いのなら早く帰って休んだ方がいいのでは?」


「心配は要らない。それよりここはもういい・・・次へ行こう」


「だったら私も一緒に行っていいでしょうか?昨日の約束もありますし」


遊びというわけではないのだが・・・まあ特に構わないだろう。傍から見れば散歩のようなものなのだろうし。

こうしてみっちゃんを加え探索は続いた。兄貴の行動はその後脈絡もなく、手がかりになりそうなものもなかった。

みっちゃんは自転車で来たらしく、わざわざ自転車を押しながら俺たちの隣を歩いている。

みっちゃんと話している間のカガリは俺と居る時ともまた違い、心を開いているのか屈託のない笑顔を浮かべている。

考えられない。このカガリと写真のカガリにどんな関係があるのか。何か、関係しているのか。

しかしいつまでもそんな気分で居るわけにもいかない。幸いみっちゃんとカガリの明るい会話は鬱屈とした気分を吹き飛ばすには丁度いいBGMだった。


「マサキさんの事は嫌ってくらいりっちゃんに聞かされていましたけど、想像以上に大きいですね」


「そうか?まあ平均よりは高いが」


「それにちょっと・・・いえ、かなりカッコイイです。これはりっちゃんが好きになっちゃう気持ちもわかるなあ」


「ちょーーーーっ!!!みっちゃん何いってんの!!意味わかんないからっ!!!」


「そんなに恥ずかしがることでもないんじゃない?勿論、お兄ちゃんとして、だよね?」


「え?あ、あ〜・・・うんうん、そうだね、うん、そうだよ」


コロコロ表情を変えるカガリを眺めながら微笑むみっちゃんはどう見てもカガリで遊んでいるようにしか見えない。


「みっちゃんはカガリと同い年なのか?」


「はい、十二歳です。でも誕生日は私の方が早いので、多少はお姉さんですが」


そんな些細な差を名言されなくてもどちらにせよ君のほうが年上に見えるが。

しかしいつまでもみっちゃんと一緒に居ていいものだろうか?カガリが退屈しないで済むのはありがたいが、今やっているのは曲りなりにも殺人事件の調査だ。小学生二人を連れてやる作業ではない気がする。

悩みながら歩いているとついには荒川を一周してしまった。トンネルの前で立ち尽くし、次の行動を考える。


「これで全部か?」


「え?あ、うん・・・全部全部」


判りやすい嘘だった。カガリは余りに正直すぎる。少しカンが鋭い人間ならば直ぐにでも気づくだろう。

だから俺は何も言わずただカガリを見つめ続ける。じっと。無言で凝視。ただひたすらに。

両手を振ってNOの姿勢を示すカガリだったが、俺から目を逸らせずついには奇妙なにらめっこが始まった。

しばらくそうしてカガリと俺のにらみ合いは続き、勝負はあっさりと決着した。


「う〜・・・・・あと一箇所あるよ・・・」


「どうしてわざわざ嘘ついたんだ?」


「だって・・・・・」


カガリなりに理由があったようだが、黙っていられては俺もわからない。

腕を組んで再びカガリを見つめているとみっちゃんが俺たちの間に割り込んできた。


「いいじゃないですか。マサキさんたちが何をしているのかはわからないけど、りっちゃんは無意味に嘘をつくような子じゃありませんから」


それは俺もわかっている。だからこそその理由というやつが知りたいわけだが。

しかし本人が言いたがらない以上それを言及したところで無意味だろう。カガリはこれでかなり頑固だ。

ため息を付いて頷くとカガリは申し訳なさそうに「ごめんね?」と呟いた。


カガリが言う最後の一箇所は屋敷の裏、病院へと続く道を更に真っ直ぐ進んだ場所にあった。

そこは山の頂上付近でもあり、徒歩で行くにはあまりに過酷だったが、カガリは平然と進んでいく。

兄貴もこうして今の俺のようにバテたことだろう。そして以外なのはみっちゃんは予想外に体力がないことだった。


「というよりは、りっちゃんが元気すぎるだけです」


と、拗ねながら少女は言った。

何はともあれ俺たちがたどり着いたのは一面に広がる草原、そして湖だった。

その景色はちょっとした現実離れの錯覚を起こすほど美しく、この今までの人生で一度も拝んだ事のない小瀬の姿でもあった。

湖の畔まで駆けていくカガリを追い、みっちゃんと肩を並べて歩く。


「マサキさんはここのことご存知でしたか?」


「いや・・・・・毎年来ていたはずだけど知らなかったな」


「当然ですね。ここはこんな山奥ですし、所謂穴場ですから。地元民でも滅多に近づきませんしね」


水遊びがしたいのなら川のほうが気軽ということだろうか。

それにしてもほとんど人の手が加わっていないらしいその湖の透明度は高く、底の様子すら明瞭に認識する事が出来る。

吹き抜ける涼しい夏の風が汗ばんだ肌に心地よく、思わず日差しに目を細める。


「でも不思議だな・・・・どうして誰も居ないんだ?ちょっとした観光名所になっていてもおかしく無いと思うが」


「さあ、どうしてでしょうね」


俺の質問をはぐらかしたみっちゃんはカガリのところまで駆けていく。

二人が湖畔で駆ける様子を眺めながら、一年前兄貴が見たという景色に感慨深くなる。

兄貴はここを最後に消息を絶った。つまりいわば兄貴が存在したと確実に言える最後の場所だ。

続いているとしたらこの先・・・・ここで兄貴は何を見て何を考え何に巻き込まれたのだろう。


「それでカガリ・・・この後どうなったんだ?」


「え?あ、うん・・・・あとは普通に屋敷に戻ったよ」


「・・・・・・・ここにはどうして来ることになったんだ?」


「それは・・・・コウヤお兄ちゃんが最後に見ておきたいからって」


最後に見ておきたいから?

それじゃあここが最初から一番の手がかりじゃないか。何故今まで黙っていたんだ。

じっとカガリを見つめると視線から逃げるように後ずさりする。


「・・・・・・・・・・ふう・・・・まあいい、半日無駄に使ったが・・・・ここが最終地点か」


周囲を見渡す。改めてこの場所を考察することにした。

湖はそれほど大きくはない。直径は最大部分で2Km程。円形に近いがそれは当然均一ではない。

中央部分には陸地があり、木々が生い茂っている。

カルデラ湖、というものなのだろう。陥没した火山のくぼみに溜まった雨水などで形成された湖。

つまるところ淡水。外部と繋がっている様子はないので魚の姿も見当たらない。

特に特別と言える部分もない、ただの湖だ。兄貴が来たいといったのはただ景色が綺麗だからという理由かもしれない。

いや、しかしやはりここには何かあるのだろう。兄貴は俺と毎年行動を共にしていたはずだし、ここの存在だって兄貴が知っているはずがないのだ。

だとしたら兄貴がわざわざここを知り、そして最後にここを訪れた理由が何かあるはずだ。

腕を組んでしばらく湖を眺めていると二人が戻ってきた。


「マサキさん、湖に来たかったんですか?」


「まあそんなところだ・・・・だが、意味は無かったようだな」


深くため息を付くと同時、背後に何者かの気配を感じて振り返る。


「・・・・・・・・まさかとは思ったが・・・またあんたか」


そこには昨日も遭遇した影のような男が立っていた。あまりに予想通りすぎて追加でため息が漏れる。

いかにも楽しそうに低く笑い声を上げ、目を細める男。俺はその距離を崩さないままカガリとみっちゃんに告げる。


「俺はここまででいい。先に戻っていてくれ」


「え・・・・・・・」


律儀にも男は俺たちの会話が終わるのを待っていてくれた。ポケットに手を突っ込んだまま長い前髪の間から光るぎらぎらとした瞳で俺を見つめている。

あくまで標的は俺、ということらしい。それにどうせまたずっとつけていたのだろう、もしかしたら今までの違和感の正体もこいつなのかもしれない。

何はともあれカガリたちに危害を加える、ということはなさそうだ。そんな確信を踏まえ、俺はカガリの肩を叩く。


「直ぐに戻る」


「・・・・・・・・・・・・・やだ。カガリも一緒にいる」


「いいから戻っていてくれ」


「やだあっ!!!」


突然叫び声を上げてしがみ付いて来たカガリに姿勢を崩し、慌ててそれを抱きとめる。

ぎゅっときつく掴んだシャツがシワを作り、大きな瞳が涙で潤んでいた。


「だから嫌だったのに・・・・マサキお兄ちゃんも、コウヤお兄ちゃんみたいになっちゃうよ!!!」


「・・・・・・・・・・・」


そこで俺はようやく気づく。

カガリにしてみれば、一年前と同じことを繰り返すのは恐怖の再来でしかなかった。

だから、この場所に俺を連れてきたくなかったのだ。しかしそれを勇気を出して俺を導いてくれた。

だというのに俺は、全く一年前の兄貴と同じ事をカガリに言ってしまったのだ。

小さな肩が必死に俺を心配してくれていた事実に胸を打たれる。

少女が嘘をついてまで守りたかったのは他でもない・・・・この俺だった。


「・・・・・・・・すまない。みっちゃん、こいつを頼む」


「おにいちゃんっ!」


「大丈夫だ。それに、元々こいつとは一度じっくり話し合う必要がある」


「ふふっ、大丈夫ですよお嬢さん・・・・私は彼に何もしませんよ。安心してください」


初めて口を開いた男をカガリは鋭い目つきでにらみつけていた。

その瞳も、カガリという少女の敵意も、俺にとっては始めてみるものであり・・・驚きを隠せない。


「おまえ・・・何かしてみろ・・・・・・絶対に殺してやるからな」


物騒な言葉を呟いたカガリ。肩を竦める男の仕草は了解というサインだった。

カガリの手を取るとみっちゃんは困ったような表情で俺を見上げる。


「すまない、巻き込んでしまって」


「構いません。けれどマサキさんもきちんと戻ってきてください・・・りっちゃんが悲しみますから」


「わかっている」


俺は兄貴の二の舞にはならない。

こいつが何であれ、俺は絶対に戻って見せる。

カガリの手を引いてみっちゃんが走っていく。

名残惜しそうに俺を見ているカガリの視線を振り切り、俺は一歩前に歩み出た。


「ククッ・・・・宜しいのですか?私なんかと二人きりになってしまって」


「子供をまき沿いにするよりはマシだ・・・・それに、あんたは俺の『味方』なんだろう?」


「ええ、そうですとも。ふふ、人間ならば自分の言葉には責任を持たなくてはなりませんね。特に初対面の人間が信頼を勝ち取るには大事なプロセスです・・・・さて、何から済ませましょうか?私の用件からか、それとも貴方からか」


男は相変わらず顔面にへばりついているかのごとく笑顔を維持している。俺は目を細め、男を観察する。

やはりどうしてもこいつは相容れない存在だとわかる。生理的に受け付けないのだ。だからといってこいつが俺に対して友好的ではないかと言えばその限りではない。とは言え俺は俺なりにこいつを試す必要がある。


「俺からだ。まず第一に、お前は殺人鬼か?」


俺の質問に目を丸くした男はぷるぷると肩を震わせながら手を振った。


「まさか!何故私が人殺しなんてしなくてはならないんですか?むしろ逆です」


やはり。この男はなんであれ俺に危害を加えるつもりはない。

そもそも一日中付回していたのならば俺がそれに気づかない時点でいくらでも俺に何かするチャンスはあった。

それでも何もしない時点で俺を無条件にどうこうするということはありえないだろう。


「第二、お前は俺に協力する気があるか?」


「それは答えに詰まりますね。協力するという言葉がギブアンドテイクという関係を指すのであればYESでしょう」


「やっぱりか・・・・で、俺に何をさせたい」


俺を付回し、何もしない以上その目的は俺自身に何かをさせることに他ならない。

全身を駆け巡っていた警戒心を少しだけ緩める。その目的が達成すれば俺に牙をむく可能性はあるが、逆に言えばそれまでは安全だと考えられる。

ポケットに手を入れため息を付く。そんな俺の動作に男は腕を組み、細いシルエットをさらに細めていく。

長い手足で自らの体を抱く様に立つと今まで以上の薄気味悪い笑顔を浮かべた・・・が、まあこれは慣れだろう。


「話が早くて助かります。貴方が居なくては私の計画は即座に頓挫してしまいますからねぇ・・・」


「だったら少しはご機嫌を取ることだな。そんな態度で毎度現れたら俺も考えを変えるかもしれない」


「それは失敬・・・次からは正面からお訪ねしますよ・・・フフッ」


男の名は高山。簡易な自己紹介だったのでそれしか分からなかった。

向こうは完全に俺のことを熟知しているのに俺はこいつのことを知らないのだから随分とアドバンテージがあると考えたほうがいいだろう。

彼は一年前の殺人事件の真相を追っているという。それがどこまで信用できるかはともかく、一応の目的は俺と合致していた。

男二人、湖畔に腰掛ける。その図はあまり客観的には認識したくないが、まあ仕方がない。


「さて、もう少し貴方の考えが聞きたいところですね。私の目的にも伴う事ですから、包み隠さず話してくださいね」


「俺だけが喋るのはフェアじゃないだろ。どちらが先に話すか・・・それだけで優位は変わる」


俺が自分の意見や今後の行動を話すことはこいつにその状況を教えることに他ならない。

そうしたうかつな行動により奴の中の目的が達成された時、俺の安全性は消滅する。

つまりここは究極なまでに身長に、この正体不明の男から情報を収集しつつ、うまくやり過ごす必要があるのだ。


「確かにそれはアンフェアですね。尤も、私は貴方に何かするつもりはありませんから無関係ですが」


「信用できるかどうかとも無関係だ。まずお前は何者か・・・そこから話してもらおう」


「私は刑事です」


「嘘つけ・・・・そんな怪しい刑事がいてたまるか」


「本当です・・・・ほら」


それが本物かどうかは俺には判断出来ないが、高山が手にしていたのは警察手帳だった。

もしそれが本当ならばこの男は警察で、本当に殺人事件を追っているのかもしれない。

だとしたらこの怪しさはなんとかしたほうがいい。刑事が捕まっていたらシャレにならない。


「安心してください、本物ですよ・・・疑り深い人間は嫌いではありませんが、行き過ぎると疲れるだけですよ」


「わかった・・・あんたが刑事なのはいいとして、一年前の事件を追っているっているのは?」


「勿論貴方もご存知の通り、一年前の連続猟奇殺人事件についてです」


話の大筋はこうだ。

一年前、連続猟奇殺人事件が起こった当初から高山は事件を捜査していた。

しかし犯人が見つからないどころか検討もつかないまま捜査は中断。現在も全く行われていないわけではないが、ぱったりと事件が止まってしまった事、手がかりが一切存在しないことからほぼ打ち切り状態なのだという。

そんな中高山は一人でこの一年、事件を調べてきた。そこで丁度彼の目的に沿う人物として都合よく俺が現れた。


「つまりは捜査に協力していただきたいと、ただそれだけのことですよ」


「・・・・・・・・・・それで、兄貴のことは?知ってるんだろ?」


「勿論。一年前に失踪したとなれば事件を無関係とは思えませんしね・・・・直前までの彼の行動まで頭に叩き込んであります。勿論貴方との関係性も聞き込みであっさり判明しましたよ・・・貴方わりと有名人なんですよ、ウフフフフ」


確かに滅多に都会から人が来る事のない町だ、それはそうだろう。しかも地主の屋敷に毎年遊びに来ているとなればなおさらだ。

とりあえずそこまでは納得できた。しかし肝心な部分が抜け落ちている。


「余所者の俺に何が出来るのか・・・だ。聞けばあんたに出来ないことが俺に出来るとは思えないが」


「いいえぇ、それが出来ちゃうんですよ・・・・ふふ、まあ、色々とね」


「勿体ぶらずにさっさと言え。俺は何をすればいい」


「では遠慮なく。単刀直入に言うとですね・・・・・・・・八神カゲロウの部屋を調べてもらいたいのです」


「叔父さんの・・・・?」


八神カゲロウ。この町の影の権力者であり古くから町を管理してきた男。

病院の院長であり、一年前の時も彼が率先して兄貴を探してくれた。


「しかし本当にそうでしょうか?もしかしたら八神カゲロウが情報を隠匿しているとしたら?」


「叔父さんが・・・?ありえないな・・・・そんな事をする必要がない」


「いいですか、これは推測ですよ?私の個人的な、主観的な推測ですよ?しかし、仮にこうだとしたらどうでしょう・・・・八神カゲロウは遠山コウヤが失踪してしまった理由に何らかの形で関与しているとしたら」


つまり、叔父さんが何らかの形であの殺人事件に関与していたとする。

そしてそれに何らかの形で巻き込まれた兄貴が、何らかの形で殺されてしまったと・・・そういうことだろう。

だからこそそれを公表せず、隠匿した。兄貴は失踪したことになり、その後はぱったりと途切れる・・・。


「地元警察も八神家には近づけないようでしてね・・・正直調べようがなかったのですが」


「そこに俺が現れた・・・・そしてあんたは地元の警察ではないと」


笑顔を浮かべる。それが男の答えだった。


「なるほど、それは確かに俺が適任だ・・・・だが俺は叔父さんが犯人じゃないと信じている」


あの叔父さんが猟奇殺人なんて考えられない。それに兄貴と叔父さんは非常に近しい関係だったはずだ。二人ともちょっとしたことで関係がもつれるほど子供ではない。

それにそもそもあのインドアな二人には、強引に機器を使って死体を引きちぎる、何て真似が出来るとは思えない。


「では、何故カゲロウの妻は失踪したのでしょうか?」


「・・・・・・・・・・・」


こいつ、そんなことまで調べたのか。


「かつての『彼女』の失踪、そして一年前のお兄さんの失踪、無関係とは思えないではありませんか」


それは確かにその通りだった。その理由も、その結果も、俺は知らない。

両者の事件に共通しているのは八神家、そしてこの小瀬という場所だ。それ以上の共通点は存在しないし、するはずもない。だというのにこの二つが無関係だとは思えなくなっている自分がいた。

それは図書館で見た写真のせいなのだろうか。ポケットの中、突っ込んだ手でそれを強く握り締める。

まさか、とは思いながらもその可能性に胸が動かされつつある。確かに疑問は沢山、沢山あった。

どうして彼らは人が一人居なくなったというのにああも平然としていられたのだろう。それは俺を傷つけないため?本当に俺のためなのか?

話題を避けることも、俺に事件のことを教えなかったのも、本当は自分たちが関わっているからではないか。

最悪な想像に思わず息が詰まる。夕暮れ時、涼しくなってきたというのに汗が止まらなかった。

仮に、仮にだ。そうだとしたら、俺は一番真実の近くに居たのに、それに気づいていなかったのか。

まさに灯台下暗し。俺は常に見張られていたのかもしれない。


「まあ、いいではありませんか。違ったなら違ったで、信用になるでしょう」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


全くの正論すぎて反撃する隙がない。

そうだ。違ったら違ったで彼らの潔白が証明されるだけではないか。一体何を恐れるというのか。

むしろ彼らを信じるというのであれば、このわけのわからない男の疑いを晴らすべきではないか。

そうすれば少なくとも、明日から後ろに誰か立っているんじゃないかなどと言う心配はしなくて済む。


「・・・・・・・・・・・・・・・・どうすればいい?」


俺の前向きな返答に男は嬉しそうに笑う。


「彼の手記かなにかがあれば最高なのですが、わざわざ殺人の記録を残している人間なんていないでしょうねえ・・・・まあ手がかりになるものならなんでもいいですから。これ、私の電話番号です」


辛うじて携帯電話が通じるのは荒川までだが、一応連絡は取れるだろう。俺はメモの切れ端を受け取りポケットに突っ込んだ。


「では協力関係成立ですね。そのお祝いというわけではありませんが、これを差し上げましょう」


高山が差し出したのは一枚の写真だった。場所は恐らく荒川の駅前だろう。写真の隅、長く髪を伸ばした女性が映っている。

カメラを肩から下げたその女性は写真の画面の外にある何かを見つめているようだ。

横顔、しかも不明瞭なアングル・・・これはどこからどう見ても盗撮のそれだった。


「なんだこれは・・・確かに美人だが、俺には関係ないだろう」


「いいえ、それがあるんですよ」


男は今までで最高の笑顔を浮かべて言う。


「彼女は一年前、あなたのお兄さんと行動を共にしていた女性ですから」


最高に、嫌気が差す笑顔を。





屋敷に戻ると玄関先でカガリとみっちゃんが待っていてくれた。

戻るなり嬉しそうに飛びついてくるカガリの頭を撫でながら、俺は全くその話を聞いていなかった。

みっちゃんがカガリに手を振り、何か言って帰っていくのを見送る。

その間俺は俺ではない誰かになってしまったかのように、ただ反射的に話をあわせていた。

昔からそうだった。俺はいつも自分を客観的に捕らえてきた。だから人に合わせられる。本音を出さなくとも。

ここではそんなこと必要ないと思っていた。けれどあのカガリにすら警戒心を抱き始めている自分がいる。


「お兄ちゃん、明日も頑張ろうね」


「・・・・・・・・・ああ」


屋敷に戻り、玄関を越え、客間に戻る。

畳に座り落ち着いて思考をめぐらす。

その頭の中を巡っているのは、自分でも恐ろしいほど冷静な『この屋敷』の調べ方だった。

明日はやることが沢山ある。今日中に計画を練り、明日に備える必要があるだろう。

高山は確かに物騒で胡散臭いが、少なくとも頼りにはなる。そうだ、元々余所者である俺に頼れる人間なんていなかった。

だとすれば多少胡散臭かろうが関係ない。利用できるのならばその手に乗るまでだ。

それに重要な手がかりを手に入れた今、多少の出来事は俺にとってどうでもよくなっていた。


「・・・・・・・・・水城アズサ、か」


写真の中に居る女に対して敵意を抱いている自分が居る。



カガリたちを疑いたくないから、こいつが殺したんだと思いたがっている自分がいる。







兄貴は死んだと、決め付けてしまっている、自分が居た。



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