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6.外回り

「今日は取り引き先との商談だ。一緒に来い」


異動二日目。

出社した時、フロアに一条課長の姿はなく。

特にやることを言われてるわけでもなかったから、と昨日の続きをやっていた私は少し遅めに出社してきた一条課長に連れられて外へ出た。




「――どこへ向かわれてるんですか?」


車の中、隣で運転する一条課長に問いかける。

ちなみに、上司に運転させるのはどうかとは思ったんだけど、私自身の運転がかなり不安なため言い出すことは出来なかった。

一応、免許は持ってるんだけど免許を教習所で取った後は会社への通勤も電車で行ける範囲だから乗る機会もなく、完全なペーパーなわけで。

それを知ってるわけはないだろうけど、課長は私に何を聞くでもなく運転席に乗り込んだ。


「福富商事」


私の質問に、一条課長は簡潔に答えた。

言われて、記憶の中から福富商事の情報を掘り起こす。

福富商事は、営業と関わりの薄かった私でも知ってる会社だ。

わりと規模の大きい服飾系の会社で、昔からの取引先の一つ。

たしか本社は、私の働いている会社とそれほど離れていなかったはず。

その記憶は間違ってはいなかったみたいで、福富商事にはそれからニ十分もかからずに着いた。


「十時から約束をしていた――」


会社に着いて受付で名前を言うと、上の階の部屋に通される。

通されたのは、普段は会議室として使っているような感じの部屋。

机が細長い漢字の口の字のように繋がってる。

案内してくれた人は、「少々お待ちください」と言い残して、どこかへ行ってしまった。

入ってすぐ、一条課長は入り口対面の席に着くと、鞄の中から書類を取り出して読み始めた。

私は、そんな課長を見つつもどうすればいいのか分からなくて。

これって、座って待ってればいいのかな?

課長は座ったんだし、いいんだよね?

と、隣に座れば、いいのかな……?

なんて、グルグルしてしまう。


「何してる?さっさと座れ」


そんな私に気付いたんだろう。

一条課長が怪訝(けげん)そうな顔で言った。


「っ、はい!」


その言葉に慌てて、一条課長の隣に腰を下ろす。

座った私を見て、一条課長は書類に目を戻した。


「……」


(い……勢いで隣に座っちゃったけど、良かったのかな?)


チラリ、と隣に座る一条課長を見る。

課長は、黙ったまま書類に目を通してた。


(何も言わないんだし、いいのかな?)


うん、そう思っておこう。

一人、心の中で頷いて、膝に乗せた手を握り締めた。






「……」


広い部屋に二人きり。

時折、書類を捲る音が響くくらいで、部屋の中はシンと静まり返ってる。


(き、気まずい……っ)


書類を持ってきていた一条課長と違い、私は何も持って来ていなくて。

することがない。

どうしたらいいか分からなくて視線を不自然に思われない程度に彷徨わせる。


(ど……どうしよう……!?)


どうしようってか、どうすることも出来ないんだけど……っ。

でも、どうしよう……!

何もすることがないのが、こんなにそわそわするモノだとは思わなかった。

というか、一緒にいる相手が一条課長でしかも課長だけ仕事している――書類を黙々と読んでる――からそう思うんだろうけど。

書類を読んでる一条課長の隣で、何もせずにただ座ってるだけ。

居たたまれなさ過ぎて、目線がキョロキョロと室内をさ迷い続けてる。


(早く誰か来てくれないかな?)


さっき私たちをこの部屋に案内してくれた人は、「少々お待ちください」って言ってたけど。

“少々”って時間は、もう過ぎたと思うんだ。

そろそろ来たって可笑しくない。

そう思えば、さらに緊張してきた。

誰か来て、この状況をどうにかしてほしいけど。

取引き先の人と直接会うのも怖い。

そんな矛盾した気持ちでグルグルする。


(な……何か別のことを考えよう……!)


その緊張をどうにかしたくて、必死で他のことを考えようとして。

ついさっきの、車を降りてからこの部屋に通されるまでのことを思い出した。

何ていうか、自分の働いている会社じゃないからか、空気からして違う気がして妙に緊張するし、この部屋に来るまでの間、とにかくここの社員さんたちからの視線が居たたまれなかった。


(やっぱり自分の会社が一番だ……)


なんて、現実逃避気味に思考を飛ばしていても、結局はどうにも落ち着かなくて。

キョロキョロと視線をさ迷わせてしまう。

と。


「――落ち着け」


そんな私が見苦しかったのか、視線を書類に落としたまま、一条課長が言った。


「っはい!」


その言葉に慌てて、姿勢を正して目線を前の壁に固定する。

ピシッと背筋を伸ばして固まった。

その直後。


「っ、くく……っ」


隣から、小さく笑い声が聞こえた。


「へ?」


その声にびっくりして声のした方に向くと、


「固まり過ぎだろ、それ」


くく、と喉をならして一条課長が笑っていた。


「何もそこまで固くならなくていい。自然にしてろ」


目元を和らげて、課長が言う。

でも私は、驚きで返事が返せなかった。


(一条課長が、笑った……)


何ていうか、思わず漏れたって感じの子供っぽい笑み。

昨日見た不敵な笑みとはまた違う――、


(こんな笑い方もするんだ……)


一条課長は何となく、大人で隙のないイメージだったから、ちょっと意外だ。

そう思ってたのが、顔に出てたのかもしれない。

一条課長は眉を寄せて顔を顰めると、


「あまり見るな」


サッと顔をそむけてしまった。

その反応が照れてる子供そのもので。

思わず口元が緩む。

少し前までの緊張なんて――、気付けば跡形もなく吹き飛んでた。




◇◇◇◇◇




「――おや、今日は一条くんだけじゃないんだね」


しばらくして部屋に入って来たのは二人の男性だった。

ひょろっとした三十代前半くらいの男性と、恰幅のいい中年の男性。


「今月から、うちの課に入った里中です。仕事を覚えるまでの間、俺の下につかせてるんです」

「里中ですっ、宜しくお願いします!」


一条課長と共に席を立って、挨拶をする。

それを受けて、目の前の二人もそれぞれ名前を教えてくれた。

中年の男性が土井(どい)さん、ひょろっとしてる男性が(みなもと)さんと言うらしい。

そして再び席についてさっそく仕事の話を――と思っていたら。


「それにしても君が教育係とはね」

「彼女、年はおいくつ何ですか?」


運ばれてきたお茶を片手に、何やら雑談が始まりました。


「たしか、24だったかと」


しかも話題は私。


(え、ちょ、私のことより仕事の話をしましょうよ!?)


というか、何だって私の年を課長が答えてるんですか!?

プライバシーの侵害ぃいい!


「いやー、女の子がいると場が華やぐね」

「やはり男だけだとむさ苦しいですからね」


そんな私の思いなど(つゆ)知らず、和やかに雑談は進んでいく。

そして。


「ところで、里中さん?」

「っ、は、はい……っ」


当然のように、当事者の一人である私にも矛先は向いて。


「一条くんの教育はどう?」


いつの間にか、彼らの話し相手は私に変わり。


「え、あの……っ」


さっきまで相手をしていたはずの一条課長は、一人素知らぬ顔で会話の輪から抜けていた。


(ちょ、一条課長……!?)


こういうときはどうすれば……!?

私、取り引き相手との会話って、初めてなんですけど……っ。

視線で助けを求めるけど、一条課長が気付く様子はない。

てか、気付いてて無視されてる気がする。

どう対応していいのか分からずに曖昧な言葉しか返せない私に、


「一条くんみたいな人が上司なら、仕事が楽しくて仕方ないだろうね」

「やっぱり手取り足取り?」


土井さんと源さんは、さらにいろいろと話を振ってくる。


「でも、こんな色男を仕事中だけとは言え独り占めとなると――周りの反応も凄いことだろうね」


ふと、土井さんが言った。

その言葉に、思わず心の中で深く頷いてしまう。

ええ、凄いですとも。

まだ教育係としてついてもらってから一日も経ってませんが、もうすでにその凄さの片鱗(へんりん)は味わいましたよ。

一課のフロアから社用の駐車場まで歩く間や、この部屋に案内されるまでの間。

周りからの「何、この女?」って視線が突き刺さる、突き刺さる。

さらには、ついさっきお茶出しに来た女性社員の人にまで、しっかり睨まれましたとも……!

私は仕事を学ぶためについてきてるだけなのに、何て理不尽……っ。

これから毎日こんなのが続くのかと思うと真面目に気が重いです……。


「それだけ羨ましい立場ということですよ、ははははは……」


現実逃避気味に遠い目になっていると、源さんがそう締めくくった。

私そっちのけで笑い合う目の前のお二方(ふたかた)

何が面白いんですか!?

なんて思いつつも、取引き先の方たちに――いや、そうじゃなかったとしても――言えるはずもなく。

引きつる口元を必死で抑えることしか出来ない。

笑うとこ?

ここ、笑うとこなの?

てか、これは私も笑った方がいいの?


「は、はは……っ」


よく分からないまま、つられるように笑ってみる。

出た声は、完全に引きつっていた。

引きつり笑いを返しつつ、チラと隣に座る一条課長を見る。

課長は1人知らぬ顔で湯飲みに口をつけている。


(ちょ、ホントにそろそろどうにかしてください……!)


そんな切実な訴えが伝わったのか、一条課長が前にいる二人を見た。


「それくらいにしておいてやって下さい。からかわれるのに慣れてないんですよ」


コト、と湯飲みを置く。


「さて――、仕事の話を始めましょうか」


その言葉と共に、場の空気が切り替わった。




◇◇◇◇◇




「どうだった?初めての外回りは」


予定していた会社を回り終えた後、「少し遅いが、このまま昼食いに行くぞ」と連れてこられた定食屋。

運ばれてきた焼き魚定食の魚の身をほぐしていると、ふいに課長が言った。


「――とにかく圧倒されました」


箸で骨を取るのが、難しい。

そう思いつつ、思ったままに感想を言う。

福富商事とのやり取りの後、他にも数件、違う会社でそれぞれと契約の話を詰めた。

そのどれも、課長の話術は凄まじく。

会話の主導権を握り、相手の意見を取り入れつつ、こちらの望む形で契約を結ぶ。

一連の流れが実に鮮やかで、見事と言うしか言葉がなかった。

とにかく圧倒された。


「圧倒って、お前なぁ」

「いや、でもホントに……っ」


呆れる口調の課長に、分かって貰おうと言葉を重ねる。

必死で言葉を紡ぐ傍ら、ちゃんと会話が出来てる自分に少し驚く。

というか、昨日までだったら、まず課長と二人きりでお昼という段階で恐れ多すぎて仕方なかったと思う。

でも今日の午前中、ずっと外回りでついていたせいか、それほど緊張することもなく食事が出来ている。

いや、綺麗に食べないと……って意味では緊張するけど、食べ物が喉を通らないってほどではない。

流石に、課長の顔を直視してまともな会話が出来る自信はないけど、こうして会話出来てるんだから、だいぶ慣れたんだろう。

ちなみに、実を言うと、昨日のこともあって今日はお弁当を作ってきてたんだけど。

「このまま昼食いに行くぞ」と車で定食屋に連れて行かれたため、「お弁当があるんです」とは言い出せなかった。

ていうか、言い出せようが言い出せまいが同じ車に乗ってる以上、どうしようもなくて。

結局は定食を食べることになったと思う。

ここで昼休憩の時間は使い切っちゃうだろうから、会社に戻ったあとにお弁当を食べてる時間なんてないだろうし。

救いと言えば、お昼を過ぎてたおかげか、店内に若い女性がいなかったことかな。

まぁ、上司――それも一条課長――と二人きりで食事したってことがバレたら、そんな救い、すぐに消えてなくなっちゃうと思うけど。

気休めでも、あるだけマシ。

これからも一条課長について営業の勉強をしていれば、今日のように外回りに連れて行かれることも多いだろう。

一日中、会社の中にいるわけじゃない。

それを考慮に入れておくべきだった。


(お弁当作ってくるのは、止めよう……)


なんて。

定食が運ばれてくるまでの時間、今日の夕飯になるんだろうお弁当を思い浮かべながら、そっと決意した。

閑話休題。


「まぁ、それはいい。で、話の内容は?ちゃんと分かったか?」


そんなことをつらつら考えていたら、一条課長から再び質問が飛んできた。


「あっ、はい!」


それに慌てて返事をする。


「ならいい。それが分からないようじゃ、連れてった意味がないからな」

「え?意味がないって、」


どうして――…。

不思議に思って首を傾げる。


(取り引き先の相手と顔合わせするだけでも、十分に意味はあると思うんだけど?)


他に何かあったんだろうか?

そう疑問に思う私に、一条課長は動かしていた箸を止めてゆっくりと答えてくれた。


「俺らの仕事は開発部が作った新商品の売り込みがメインだ。だが、売り込み先の奴らはそれだけで見てくれるわけじゃない。というか、相手は同じ会社の製品なら、社員は全部知ってると思った上で話してくるからな。売ろうとしてる商品だけじゃなく、過去に売った製品の特長くらいは知ってないと会話にならない」


昨日のノルマがなかったら、今日はただ一条課長の横にいるだけで何も理解出来なかったかもしれない。

でも、付け焼刃でも過去の商品の資料は読んだから、何とか話の内容についていくことが出来た。

そのことに、一条課長の言葉でようやく気付いて。


(嫌がらせ、じゃなかったんだ……)


昨日のノルマは私を思っての物だったんだと。

本気で、営業一課の一員として鍛えようと思ってくれてるんだと。

そう分かって。


(――もっと、頑張ろう)


食事を再開させた一条課長を見ながら、彼の期待に応えたいと、そう思った。



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