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5.初めてのノルマ


「――というわけで、取り敢えずコレ」


一条課長はそう言って、デスクの端に積み上げられていたファイルの山をポン、と叩いた。


「……これは?」


がっくりと項垂れていた私は、その言葉に顔を上げた。

不敵に口端を吊り上げた一条課長と目が合う。


「今日のお前のノルマ」

「は?」


ノルマ?


(ノルマって……、え、これ?)


視線の先には、積み上げられたファイルの山。

高さはだいたい三十センチ近くはあるんじゃないだろうか。


「ファイルの中身は過去のプレゼンの資料だ。これを読んで、それぞれの商品を自分が売り込むとしたらどう売り込んでいくか考えて、その考えを打ち出しとけ。――取り敢えず、今日中に終わらすこと」

「今日中!?」


――この量を!?

反射的に声が出た。

とても上司に対する言葉として誉められたものじゃないけど、それを気にする余裕もなかった。

というか、さっきから敬語はボロボロだし。

それに課長は気にしていないようなので、とにかく今は私も気にしない。

それどころじゃなくて。


「明日、俺が出社したら提出しに来てくれ。――下がっていい」


驚く私に構わず一条課長は言うだけ言うと、持ってた書類に視線を落とした。


(え、「下がっていい」って言われても……)


今はお昼が終わったあとなわけで。

実質、“今日”は後半日もなくて。

それなのに、今からこの量を?

目の前のファイルを呆然と見る。

今日中に?


「……っ」


(無理!ちょ、今からこれを全部なんて……、ムリムリムリ!!)


そう思いつつも、今日初めて会話した相手――しかも上司――に「無理です、出来ません」とは言えない。

というか、ついさっき「精一杯頑張る」というような言葉に頷いておいて、言えるわけない。


「いいのか?」


デスクの前に突っ立たまま思考が空回りしてる私を訝しんだんだろう。

ふいに、一条課長が書類から顔を上げた。


「いいって何が……」


ですか、と続くはずの言葉はチラリと壁にかかった時計を見やる課長の視線に遮られる。


「早く取り掛からないと、どんどん時間がなくなるぞ?」

「っ、い、今すぐ取り掛かります……っ」


慌ててデスクの上のファイルを受け取って、自分のデスクに駆け戻った。




◇◇◇◇◇




カタカタカタッ。

静かなフロアの中で、キーボードを叩く音だけが響く。

渡されたファイルを読んで考えを纏めて一気に打ち込んでいく。

一応、言われた通りやってるけど、心の中は荒れていた。


(そもそも何だって今売り出ししてるわけでもない過去の商品のプレゼン資料見て、その商品の売り込み方なんて考えなくちゃいけないの!?)


今更考えたって何にもならないでしょ!?

嫌がらせ?

嫌がらせなの?

てか、嫌がらせでしょ、これ!


(しかも今日中にとか……、あの人絶対鬼だーっ!)


内心で思いの(たけ)を絶叫して、指をキーボードに叩きつける。

区切りのいいところまで打ち切って、指を離した。

一旦データを保存して軽く首を回し、壁に掛かっている時計を見れば――もう夜の九時。

人気のなくなった夜のフロアで、溜め息を吐く。

そんなに大きく吐いたつもりもないのに、シンと静まり帰ったフロアの中ではよく響いた。

就業時間を大幅に過ぎた夜のフロアには、私以外誰もいない。

北村さんたちは、とっくの昔に帰ってしまった。

と言うか、手伝おうか?と言われた言葉を断って、あともう少しなんで大丈夫です、と私が帰したんだけど。

せっかく業務時間内に仕事を終わらせて帰れる状態なのに、手伝わせるのは気が引けた。

というか、終わらなかったら他の人にまで影響が出てしまうような物ならともかく、こんなのただの嫌がらせでしょ!?とでも言うような物の手伝いの為に残業とか、させられないし。

はぁ、と溜め息を吐く。

一条課長には、“今日中に”とは言われたけど。

チラと、視線を横に移して目に入る残りの書類の量に、「やっぱり、無理でしょ」とめげそうになる。

でも。

明日出社して来た一条課長に、「出来ませんでした」と言わなくちゃいけないのは、悔しすぎる。

きっとそんなことを言おうものなら、「こんなことすら時間内に終わらせられないのか?」って鼻で笑われるに決まってる。

そんな姿がありありと想像出来る。

――ムカつく。

想像の中の課長にムッとして、気力が浮上する。


(逆にこっちが「全部できました」って言って、笑って渡してやるんだから……!)


パンッと両頬を叩いて(かつ)を入れ、キーボードの上に再び手を乗せようとした時、


「里中?」


声がかかった。


「っ!?」


ふいにかけられた声にビクッとして、恐る恐る後ろを振り返る。

と、そこにはフロアの入り口に立っている一条課長の姿。


「――…まだ残ってたのか」


驚いたように切れ長の瞳を大きくして呟く課長に、こっちが困惑してしまう。


(何で驚いてるの、この人……?)


てか、まだ残ってたのかって、貴方が今日中にやれって言ったんでしょうが!

それとも何?

もしかして、残業するなんて思ってなかった、とか?

これくらい、業務時間内に終わらせて当然だとでも?

悪かったですね、終わらせられなくて。


「すいません、まだ終わってないんです……」


卑屈な思考に陥りつつも小さく話しかけると、一条課長はさらにその顔に驚愕の色を滲ませた。


(え、何、その反応……)


てっきり鼻で笑われる物だと思っていたのに。

予想外の反応にこっちが驚く。

というか、この反応からして一条課長には、私がまだ終わらせられていない事を純粋に驚かれてる感じがする。


(……内容はともかく、量については他意はなかった?)


驚いてる一条課長の様子からそのことに思い至って、愕然(がくぜん)とする。

じゃあ何?

私が今残業する羽目になってるのは――完全な自身の能力不足!?


「――っ」


私は凡人なんだって!

ハイスペックな貴方様には出来ることかもしれないけど、私には無理だから!

てか徹夜しても終わる予感しないから!

心の中、必死で自分を擁護(ようご)する言葉を並べる。

一条課長がそこまで鬼じゃなかったのは、良かったけど。

でも、そのせいで、逆に自分の仕事の遅さというか、いかに凡人かということを突き付けられて、地味に凹む。

このくらいの量、半日で仕上げるのは一課のメンバーにとっては標準なんですか。


「っ」


(何なの、そのエリート集団!?)


そんなエリートたちの中でやってける気がしない……と、思わず遠い目になってしまう。

と、声がかけられた。


「里中。今日はその辺にして、もう帰れ」


その言葉に一条課長の方に視線を戻すと、入口から私の方に――というかその後方にある課長のデスクに――向かって歩いてくる課長と目が合った。


「え、でもまだ――、」


ノルマが終わってないんですが。

そう言いよどむ私に、一条課長は軽く溜め息を吐いた。


「何も本気で今日だけで終わらせられると思ってたわけじゃない。そういう意気込みでやれってだけだ」


……なら最初からそう言ってください。

本当に今日中にやらないといけないと思って、無駄な残業しちゃったじゃないですか。

その言葉に思わず内心で突っ込んだ。

私の能力が低すぎるってわけじゃなかったのは、これから一課でやってく私としては安心材料だけれども。

残業してまでノルマを終わらせようと意気込んでただけに、なんだか釈然(しゃくぜん)としない。


(てか、私の持ってた敵対心っていったい……)


完全に一人相撲だった事実に、どっと疲れが押し寄せて――ガクっと項垂れる。


「ああ、そうだ。里中、手出せ」


自分のデスクに向かっていた一条課長が、私の席の近くでふいに立ち止った。


「へ?」

「手だよ、手」

「え……、これでいいですか?」


いきなり何なんだろう?

不思議に思いつつも、椅子に座ったまま言われた通り手を甲を上にして一条課長の前に出す。

課長は前に出した私の手首をおもむろに掴んで、そのまま手のひらが上になるように反転させる。

そして。

――ポン。


「――ほら、異動初日おつかれさま。――頑張ったな」


上に向けられた手のひらの上に、缶コーヒーが乗せられた。


「……っ」


一条課長は言うだけ言って、自分のデスクに歩いていった。

帰る用意をするんだろう。


(……こんなんでほだされたりしない、んだから)


たかが缶コーヒー一つで、今日の無駄な残業がチャラになるわけじゃない。

一条課長の後ろ姿を見ながら、そう思う。

でも。

そう思いつつも、渡された缶コーヒーに胸が暖かくなった。



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