4.営業一課課長
食堂から戻ると、フロアの中に人がいた。
「あれ?課長、お疲れ様です」
「もう会議終わったんですかー?」
一番奥のデスクに座って書類を読んでいたその人は、上田さんと井上さんがかけた声に顔を上げた。
「ああ、お疲れ。――ついさっき終わったんだ」
営業一課最後の一人にしてこの課のトップ、一条 和希課長。
(この人が、今日から私の上司になる人……)
「惜しかったですねー、もう俺らお昼終わっちゃいましたよー」
切れ長の瞳に、きっちりとセットされた漆黒の髪、そして整頓されつくした顔の造り。
「会議中に軽食も出たからな、別に腹は空いてない」
すらりとした長身に、そつなく着こなした細身のスーツが似合ってる。
「いや、そーゆーことじゃ」
容姿が整ってるのは、一課の人全員に言えることだけど、それだけじゃない、上に立つ者としての何かが――風格みたいな物が――ある気がする。
「そんなことより、課長、これ昨日頼まれていた報告書なんですが――」
「ああ、どうなった?」
井上さんの言葉を遮るように言葉を被せた若月係長が、そのまま一条課長と仕事の話をし始めた。
その様子を井上さんの数歩後ろに立って眺める。
本当なら、ここで一条課長に挨拶をしないといけないんだろうけど。
流れるように若月係長と仕事の話を始めちゃったから、しばらくは無理そうだ。
上田さんと北村さんは、若月係長が課長と話始めた辺りでそれぞれ自分のデスクに戻っていった。
井上さんは、しばらく割り込んできた若月係長を恨めしげに見てから、諦めたように口を尖らせてしぶしぶデスクに戻った。
そして私も、三人につられるようにデスクに戻って――でも、彼らと違ってやることがない。
午前中に仕事内容以外の大まかなところは上田さんから聞いてしまっているし、持って来た荷物の整理も終わってる。
特にやることもなくて、手持無沙汰に若月係長と話し込む一条課長を眺めた。
デスクを挟んで若月係長と話をしてる一条課長。
彼はエリート集団であるこの営業一課の中でも、さらに飛びぬけている。
見た目、実力はもちろんのこと、一条課長の場合はバックグラウンドも凄い。
一条課長は、この会社も含め、他にも数多くの会社を傘下に収める一条グループ現会長の直系の孫だったりする。
ご両親もお父様が社長で、お母様が社長秘書という正に絵に描いたようなご家族だ。
27歳という異例の若さで彼が課長に就いているのには、そういう背景も加味されているんだろう。
勿論、一条課長自身の実力あってこそ、だとは思うけど。
年功序列がまだまだ色濃く残る日本において、一条課長の昇進スピードは、実力だけとは思えないのも事実だから。
なんて考えていたら、ふいに井上さんが自分のデスクから課長に向かって声をかけた。
「ねー、課長は自己紹介しないんですかー?」
「ああ、悪い。まだ、挨拶もしてなかったな」
いつの間にか話し合いは終わったらしい。
若月係長が書類を手に、課長のデスクから離れていく。
その様子を何とはなしに眺めていると。
「里中」
「は、はい……っ」
名前を呼ばれ、慌てて席を立って課長のデスクに行く。
それに合わせて、一条課長が椅子から立ち上がる。
そして。
一条課長の目が、私を捉える。
「……っ」
力強い、自信に満ち溢れる目をしてた。
凄く綺麗な、漆黒の目。
目の前に立つ一条課長は、息を詰まらせた私に対し、口角を吊り上げて。
「知っているとは思うが、課長の一条和希だ。これから宜しく頼む」
手を差し出した。
◇◇◇◇◇
「朝はいなくてすまなかった。――何か困ったことはなかったか?」
再び椅子に座り直した一条課長が、問いかけてくる。
「はいっ、上田さんたちが親切に教えてくれましたから……っ」
「そうか」
私の答えに一つ頷いた一条課長は、じっと私を見た。
その真面目な表情に、背筋が伸びる。
「今日から営業部へ異動とはいえ、今までのところとは勝手の違う部署への配属で戸惑うことも多いと思う。だが、来たからには精一杯やってほしい」
「はい」
今回の異動は突然のことすぎて、正直戸惑っているけど、辞令を受けたからには全力で頑張るつもりだ。
頷く私に、一条課長の口角が持ち上がる。
ピン、と張りつめてた空気が緩む。
そして。
「ということで、慣れるまでの間は、俺の下に付いて営業の仕事を学んで貰うから」
「――…え?」
何でもないことのようにサラリと付け足された言葉に固まった。
「まぁ、俺も会議とかがあっていつも付いてるわけにはいかないから、四六時中ってのは無理だが、そういう時は他の奴らに頼んで」
「ちょ、ちょちょちょちょちょっと!ちょっと待ってください!」
慌てて一条課長の言葉を遮る。
遮られた課長は、少し眉を寄せて怪訝な表情を浮かべた。
「……何だ?」
「っ、お、俺の下に付いてって何ですか!?」
訝しげに見つめてくる一条課長の目に怯みそうになるけど、こればかりは黙ってられない。
「何って、お前の教育の話だが?」
「そ、そそれは分かります!けど……っ、何で課長なんですか!?」
課長が一社員の教育係なんて、そんなの聞いたことない!
もしかしたら、私が聞いたことないだけで探せばあることなのかもしれないけど、まず普通はしないだろう。
他の平社員の先輩に任せるのが普通だ。
私の場合なら、上田さんとか井上さんとか北村さんとかのはず……っ。
そんな当然のはずの私の訴えを聞いて、一条課長は「なんだ、そんなことか」とでも言いたそうな表情になった。
「一課は人数が少ないからな、教育に割ける人員がいないんだ。とは言え、そのまま放置も出来ないしな。俺が連れて回ることにした」
だから何でそこで一条課長が出てくるんですか!?
可笑しい、可笑しいでしょ!?
人数が少なくて、教育係を作れないのは仕方ないのかもしれない。
営業一課は五人しかいないしね……!
必然的に一人一人の業務の量が多くなってるんだろう。
でも……っ、それならそのトップである一条課長はもっと忙しいんじゃないの!?
「不満か?」
「いえっ、そういうわけでは……っ、でも、その……」
慌てて否定するけど、言葉が続かない。
別に一条課長が私の教育係となることに不満があるわけじゃない。
課長の実力は話でしか聞いたことないけど、凄いのは知ってるし。
そんな人の下で勉強出来ることなんて、とても幸運なことだろう。
でも。
一条課長は一課のトップなだけあって、その人気も同様に高い。
そんな一条課長に、直接仕事を教えてもらう。
(じょ、女性社員からの反感が……っ)
彼の凄まじいまでの人気を考えるだに、私がそんな夢のような立ち位置になることが知られたら……。
――反応を見るのが怖すぎる。
だから、どうにかそれは止めて欲しいと必死な私を、
「――言っておくがこれはすでに決定している。不満があるなら、少しでも早く仕事を覚えて教育期間を短くすることだな」
一条課長は無慈悲なまでの言葉で切り捨てた。




