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20.熱と告白①


『――はい』


豪華なマンションに気後れしつつ恐る恐る入口のインターフォンで教えられていた部屋番号を押すと、機械越しに一条課長の声が聞こえてきた。

久しぶりに聞く、課長の声。


「あ、里中です。あの……っ」

『聞いてる。入って』


言い切る前に、シュンとドアが開いた。

コンシェルジュ、と言うんだっただろうか。

マンションの受付にいる人に会釈をして、ロビーを通り過ぎ、エレベーターに乗り込んだ。



マンションに着くまでの間、ずっと頭の中でシミュレーションしていた。

会って、書類を受け取って、それで――。

少しくらい、会話する時間はあるだろうか。

会ったら、言いたいこと、聞きたいことがあった。

手を振り払ってしまったことを謝りたかった。

避けようとしてたことも謝って。

あの時のキスの理由も、聞きたかった。

でも、そんな思いは――、ドアを開けた先の、壁にもたれ掛かって苦しそうに立っている一条課長の姿を見た瞬間に吹き飛んだ。


「……これ、」

「ちょ、一条課長……!?寝て!寝てください……!」


肩で息をしながら、書類を差し出してくる一条課長。

思わずここが人の家だということも忘れ、駆け寄っていた。


「寝室どこですか……!?」


一条課長の持っている書類をひったくるように奪って床に置き、課長の腕を持ち上げて、無理やり私の肩に回す。

かなり体が熱い。


「いい……、大丈夫だ……」


そう言って私の腕を力なく振り払おうとする一条課長を、キッと睨みつけた。


「全然大丈夫じゃないですって!いいから早く答えてください!」



◇◇◇◇◇



トン、と背中を押すと、ドサッという音と共に体が倒れ込んだ。


「まったく……」


ふぅ、と溜め息を吐いて、ベッドの上で目を閉じる一条課長を見下ろした。

あの後。

カッとなって怒鳴てしまった私に目を見開いた一条課長は、目を瞬いた後、ふ、と笑った。

そして寝室の場所を言うと、力尽きたように意識を失った。

それに慌てて倒れそうになる一条課長の身体を支えて、抱きかかえ――は流石に出来ないから引きずるようにして寝室まで運んだ。

どうにかこうにか、ベッドの上に倒すことは出来たけど、うつ伏せに倒れるように横になってる一条課長は何だか苦しそうだ。


「……ぃしょっと」


ベッドの上の身体を転がすようにして、仰向けにしてあげる。

コロンと体が回った拍子に、一条課長の顔が目の前に来て――、


「――っ」


バッと体を離した。


(近……!?ちょ、今、顔が……っ、息が……っ!?)


心臓が激しく脈打ってる。

ドッドッドッ、と脈打つ胸に片手を当てて、深呼吸。

少し、鼓動が落ち着いたところで――、チラッとベッドの上の一条課長をもう一度見やった。

寄せられた眉。

わずかに赤い蒸気した顔。

汗の浮くこめかみ。

首筋に張り付く漆黒の髪。

苦しそうに空気を求めて、少し開いた唇から漏れる、乱れた呼吸音。

そんな状況じゃないと分かってるのに、彼の顔から視線を外せない。


「……んっ」


一条課長の眉がギュッと寄り、深い皺が刻まれる。

それに私がハッと我に返るのと、ゆっくりと課長の瞼が持ち上がっていくのは殆ど同時だった。


「っ、気がつかれたんですね。……お水は飲めますか?今、持ってきま――」


ぼぅっとした表情で天井を見上げる一条課長に声をかけ、水を取りに離れようとした時。


「っ!」


手首が、弱々しい力に捕まった。

息を詰めて固まる私に、一条課長は握る手の力を強くした。

振り返ると、一条課長は肩で息をして目を閉じていて。


「……っ、は、行くな……っ」


苦しそうな吐息と共に(ささや)かれた言葉に、


「っ」


胸がギュウっと締め付けられた。

掴まれた腕が――熱い。


「行かないで、くれ……。好き……なんだ……」

「――っ」


苦しそうに目を閉じたまま、それだけ言い残して。

パタリと、力尽きたように私の腕を掴んでいた手が落ちた。



◇◇◇◇◇



寝息を立て始めた一条課長を残して、部屋を出た。


――「行かないで、くれ……。好き……なんだ……」


さっきからずっと、頭の中で数分前に言われたばかりの言葉が何度も繰り返されてる。


(“好き”って、本当に……?)


フラフラとキッチンに向かいながら、そんな思いが浮かぶ。

だけど、すぐに首を振って、浮かんだ期待を否定する。

あれは、熱に浮かされた病人の戯言(たわごと)だ。

本気にする方がどうかしてる。


(そうよ、それに一条課長は熱で朦朧(もうろう)としてて、私だって認識してたどうかすら怪しい、し……)


ズキン、と胸に痛みが走るけど、気付かなかった振りをした。

そして意識を切り替えて、一条課長が起きた時のために何か食べ物でも……と辿りついたキッチンの冷蔵庫を開けて――愕然(がくぜん)とした。


「な、何もない……」


冷蔵庫の中には何も――お酒やミネラルウォーターはあるけど、それ以外は――入ってなかった。

じっと中を見続けても、中身が変わるわけはなくて。

そっと、冷蔵庫の扉を閉めた。


(どうしよう、こんなことなら来る時に何か買ってくればよかった)


初っ端の初っ端でやろうと思ったことが頓挫(とんざ)して、ガクリと項垂れる。

さっきまで一条課長の様子を思い出すに、薬を飲んでる感じじゃなかった。

それに冷蔵庫とキッチンの綺麗さから、食事もまともに食べてなさそうだ。

熱がある時は、寝てるだけでもかなり体力を使う。

だから、多少無理にでも何か胃の中に入れた方がいいと思うんだけど――。


(買い物に行くにしても、この近くのスーパーなんてどこに……)


そこまで思ったところで、ハタと思い出した。

確か、マンションの前にコンビニがあった。


(コンビニでも軽食と風邪薬くらいなら売ってたはず……)


――「行くな……っ」


ふいに、先ほどの声が蘇る。

一条課長には、そう言われたけど。

チラ、と課長がいる寝室のドアを眺める。

一条課長は今、眠ってる。

すぐ戻ってくれば、大丈夫かな。


(ちょっと行って戻ってくるだけだから……)


心の中で言い訳して、鞄を手に玄関へ向かった。




エレベーターで下に下りて、ロビーで事情を説明すると、入口のインターフォンからロビーへ繋がる番号を教えて貰えた。

それにお礼を言って、外へ出る。

記憶の通り、道路を挟んだ目の前にコンビニがあった。


(そうだ、書類……)


道路を渡ろうとして、ふと玄関を出る時、床に置かれた書類が目に入ったことを思い出して。

コンビニに向かいながら、鞄から取り出したケータイで電話をかけた。



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