17.相談
「――…ん、……ちゃん、さっちゃんてば!」
「っ、ははははい!」
耳元で大きく呼ばれて、我に返った。
反射的に返事をして声のした方を見れば、呆れた顔をした井上さんがいた。
一条課長と夜のフロアで話をしてから、約一週間。
私は、井上さんの下につくことになった。
今は、井上さんについて外回り中。
話し合いを終えて車に戻るところ、だったんだけど。
どうやら、ぼーっとし過ぎていたみたい。
(やっちゃった……)
「まったく。人の話聞いてた?」
「すみません……」
答えて、肩を落とす。
「まぁ、大した内容でもないから、別にいいんだけどさ」
「えっと、何だったんでしょうか?」
大した内容じゃないとしても、何か話があったことには違いないだろう。
そう思って聞けば、井上さんは苦笑しつつ答えてくれた。
「あー、今ので今日の外回りの予定は終わりだからさ、このまま本社に戻ろうかと思ってるんだけどそれでいいかって。それ聞いただけ」
「あ、はい。それでいいです」
特に寄りたい場所があるわけじゃない。
「分かった。んじゃ、早く戻るよー」
そう言って、歩くスピードを少し速める井上さんを追って、私も足を動かした。
「――ね、何かあった?」
車のエンジンをかけて駐車場を出てすぐ、唐突に井上さんが言った。
「え?」
「ここのところ、ずーっとそんな顔してる」
「そんな、顔……ですか?」
井上さんの方を向いて、首を傾げる。
そんな顔って言われても、よく分からなかった。
「そ。何つーか、悩んでます!って感じの顔」
「……」
言われた言葉に、心臓が跳ねた。
何も言えないでいる私に、井上さんは前を向いたまま言葉を続けた。
「何か悩みあるんなら、言うだけでも言ってみない?俺じゃ頼りないかもしれないけどさー、言うだけでも少しはスッキリするんじゃねーかな?」
井上さんは、一言で言うならチャラ男だと思う。
いや、ピアス着けてたりアクセサリーをジャラジャラさせてたりする訳じゃないけど。
緩そうな雰囲気がすると言うか。
服装はネクタイはしてなくて、シャツのボタンも上二つ外して適度に着崩してるし。
ワックスで髪を遊ばせて、今風のカッコいい人なんだけど。
何ていうか――軽い。
口調もそうだけど、もう雰囲気全体で、軽い。
悪い人じゃないんだろうけど、合いそうにないなー、というのが遠目で見た時の第一印象だった。
でも、一課に配属になって、井上さんと接する機会が増えてまた違った印象になった。
まぁ、言動が軽いのは第一印象通りだったけど、それだけじゃなくて、実は一課の中では彼が一番の気配り屋だ。
だから――かどうかは知らないけど、他の四人に比べると、あんまり壁を感じずにすむ。
今もこうして、沈んでる私を心配して話を振ってくれてる。
その気遣いに、思わず口元が綻ぶ。
実を言えば、井上さんの言うように悩んでいる――というか行き詰っている。
理由は勿論、一条課長に関することで。
多分、井上さんは私が一条課長と何かあったことを気付いてると思う。
というか、いきなり教育係を変えるとか、かなりあからさまだし。
心配、してくれてるんだと思う。
井上さんの下につくことになってからのこの一週間弱、一条課長とは殆ど会っていない。
一条課長自身が忙しくてフロアに殆どいないからってのも勿論あるけど、それ以上に私が避けてるから。
一条課長と会っても、何を話せばいいのか分からなくて。
何か言われるかもしれないこと自体も、怖くて。
事務的な最低限のやり取りだけで、それ以外はずっと逃げてる。
一条課長もそんな私の気持ちを分かってるのか、何か話しかけてくることもなくて。
結果、話すことも、会うことすらも、殆どしていない。
自分でやってることなのに、話すことがなくて、会うことすら殆ど出来なくなると、そのことが辛くなった。
この一週間弱、気付けばいつも一条課長のことばかり考えてしまう。
でも、そんなことを井上さんに相談出来るわけがない。
「心配してくれてありがとうございます。でも、自業自得なことですから……」
苦笑しながらそう言って、私は窓の方に顔を向けた。
その返答に何かを感じ取ってくれたのか、井上さんは「そっか」とだけ言って、それからは口を閉ざした。
私も、何も言えず。
車の中に、沈黙が落ちる。
シン、と静まりかえった車の中、チラリと運転席に座る井上さんを見た。
本当に、これでいいんだろうか?
黙ったまま前を向いて運転している井上さんを見て、ふと、そんな思いが浮上した。
井上さんは心配して私に話をふってくれたのに、深く聞こうとしないでくれる優しさに甘えて話さないままで。
――それでいいの?
いいわけない。
ホントは、分かってる。
一条課長への想いを抑えるために彼から離れたのに、想いは強くなる一方で。
気付けば一条課長のことばかり考えていて。
仕事にも支障をきたしそうになってしまってて。
課長のことを考えないようにしようって思っても、出来なくて。
自分ではもう、どうすることも出来なくなってる。
――「言うだけでも少しはスッキリするんじゃねーかな?」
言われた言葉が、脳裏を過ぎる。
話したら、胸の中のもどかしい気持ちも少しは楽になるのかな。
誰にも言えないのは、それだけでストレスだった。
だけど。
自分の気持ちも含めて井上さんに言うには、私の勇気が足りなくて。
結局、私たちはお互いが無言のまま、会社に着いた。
会社の地下駐車場に車を停めて、エンジンが切り井上さんが降りる。
でも私は座ったまま、じっと俯いてた。
まだ、迷っていた。
ガチャと助手席のドアが開いて、顔を上げると井上さんが立っていた。
「どーした?早く戻らないと、まーた係長にどこで道草食ってたんですか。って言われちまうぜ?」
なんて、メガネを押し上げるモノマネをする井上さん。
井上さんは、とっても気配り屋だ。
今もそう。
私が困ってるのを知って、それ以上聞かないでいてくれてる。
優しい人。
こんな優しい人を、これ以上困らせちゃ駄目だ。
(この人になら……)
ぐっと両手を握り、彼を見上げる。
「井上さん、私……っ」
「ん?」
優しい目で、私を見下ろす井上さん。
――井上さんに、全てを話した。




