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16.甘すぎた決意の結果

一条課長は私の上司で、私は課長の部下。

それだけでいい。

そう、決めた。

だけど。

ただ、そうは思っていても、一条課長を好きなことには変わりはないから、二人が一緒にいる所を見れば胸が痛んだ。

一条課長にとって、私はただの部下。

そう分かっていても、心は思うようにいかなくて。


「北村、こないだの話、進捗状況はどうなってる?他の仕事を頼みたいんだが」

「はい、大丈夫です」

「なら、このファイルに入ってる――」


二人一緒の所を見ては、気分が沈み。


「里中、来い!今日はこないだ行った会社と――」


一条課長に声をかけられては、気分が上がる。

毎日、そんなことの繰り返しで。

こんなことを繰り返していればどうなるかなんて、ちょっと考えれば分かることなのに。

その時の私は自覚したばかりの自分の気持ちで一杯いっぱいだった。



◇◇◇◇◇



カタカタカタ……ッ。

静かな部屋に、パソコンのキーボードを打つ音だけが響く。

切りのいいところまで文字を打ち込んで一旦データを保存してから、デスクの上に置いておいたカップに手を伸ばす。

中に入ったコーヒーに口をつけながら窓の外を見れば、すっかり暗くなっていた。

壁に掛かっている時計を見れば、もう夜の八時を過ぎていて。


(確か、ここに来た初日もこうして一人で残業してたなー)


ふと、一か月ちょっと前のことを思い出して、口元が綻んだ。




「最近、ミスが多いようですね」


数日前の休憩中、食堂でポツリと若月係長から言われた。

ハッと我に返った時には、遅かった。

一条課長が好き。

そのことに気付いたからというもの、私の心はふわふわしてた。

そしてそのせいで、仕事中にミスをする回数が増えてしまっていた。


――「同じフロアの中にいる僕らに周りが浮足立っちゃって、仕事中にミスをする奴が続出したんだ」


少し前に上田さんから聞いた言葉が蘇った。

二課の人たちの二の舞には、なりたくない。

課長に――、


(見限られたく、ない……)


そう思うのに。


「里中?この前頼んでたヤツ、どうなった?」

「え?……、あ!?すみません……っ」


ミスしないように。

そう思えば思うほど。

私のミスは増えるばかりだった。



◇◇◇◇◇



「――何だ、まだ残ってたのか」


物思いにふけっていると、声がした。

その声に後ろを振り返ると、フロアの入り口に一条課長が立っていた。


「一条課長こそ。こんな時間までお疲れ様です」


強張った体に気付かれないようにデスクの下の手をぎゅっと握って、一条課長に言葉を返した。


「俺は打ち合わせが長引いてな。里中は?残業するような仕事は、今日はなかったと思っていたんだが」


私の方に歩いて来る一条課長は、不思議そうな顔をしてる。


「ちょっとキリのいい所まで終わらせたい仕事があったので……」


本当は、一条課長の言うように残業してまでやらないといけない仕事はなかった。

ただ私が、一条課長を待つために残っていただけだ。

一条課長に――、言わなくちゃいけない事があるから。


「そうか。でも外も暗い。そろそろ帰った方がいい」

「もう帰りますよ」


私の返答に「ならいい」と頷いた一条課長が自分のデスクに着いて、鞄を出して荷物を纏めだした。


(今、言わなくちゃ……)


「あ……あの、一条課長……っ」

「ん?どうした?」


私の声に反応して顔を上げた一条課長と目が合う。


「っ、あの……、」


その目が、力強く、綺麗で。

言わなくちゃ、と思うのに、言葉が続かない。


「里中?」


そんな私に、一条課長が怪訝そうな顔になる。

だけど、言うはずだった言葉が喉に貼り付いたように声が出ない。


このままじゃいけない。

ミスをするたび、私の中の焦りは大きくなった。

このままじゃダメだ。

このままじゃ、上司と部下という関係でさえもいられなくなってしまう。


――「公私混同とか、会社は遊び場じゃないっつーの。そういう奴に限って仕事出来なくてさ。ホント迷惑」


前に、上田さんが言っていた言葉が耳に蘇る。


(迷惑……だなんて思われたくない)


「……最近どうしたんだ?ミスも多いし。少し可笑しいぞ?」


黙り込んでしまった私に、一条課長が言う。

その言葉に、コクンと口の中の唾を飲み込んだ。

握った手の力をさらに強くして、一条課長をしっかりと見つめ返す。

失望されたくない、から。

だから――。


「……一条課長、お願いがあるんです」

「何だ?」


私の頭を冷やせるように。

ちゃんと上司と部下の関係を維持出来るように。


「あの、私の教育担当を別の方に変わっていただくことは出来ないでしょうか?」


少しだけ、距離を置かせてください。


「は?……何だ、俺の教育方針に不満でも?」


真っ直ぐに一条課長の目を見て言った私の言葉に、一条課長は眉間に皺を寄せた。

それに慌てて、首を振る。


「っいえ!そういうことじゃなくて……っ、課長、ただでさえお忙しいのに、私の教育までやって貰ってて……、さすがにこれ以上は……」

「そういうことか。なら問題ない。前も言っただろう?新人の教育くらいで仕事量はそれほど違いはない、と」

「でも――っ、私ももうだいぶ慣れてきましたし、課長に直々に指導いただかなくても……っ」


一条課長の言葉を遮って、必死に言葉を紡ぐけど。

自分でも分かるくらい、苦しい言い訳だ。

というか一条課長本人がいいと言っているのだから、私の言い訳では通りそうもない。

だけど、それ以外理由を思いつけもしなくて。

結局は説き伏せることも出来そうにない自分に、もどかしさが募る。

本当は離れたくない。

このまま、一条課長の下で仕事を学びたい。

だけど、それではいけないから。

離れないといけなくて。

そう自分の中で答えは出てるのに、それを上手く伝えられなくて。

真っ直ぐに私の内面を見透かすように見つめてくる一条課長の目を見れなくなって、下を向く。

上手く言えない悔しさに、唇を噛んだ。

そんな私に何を思ったのか、一条課長がゆっくりと歩いて近付いてくる気配がした。

静かな足音が響いて、課長の履いてる革靴が(うつむ)いた私の視界に入る。

顔をのろのろと上げると、一条課長が黙って私を見下ろしていた。

その課長の顔は無表情で、何を思っているのか分からない。


「……っ」


もしかしたら、面倒なヤツだって思われたのかもしれない。

そう思ったら怖くて、


「おい――、」

「っ、いや……っ」


パシッ。

こっちに伸ばしてきた一条課長の手を、思わず振り払っていた。


「あ……、」


気付いた時には、もう遅くて。

一条課長は驚いた顔をして、振り払われた自分の手を見ていた。

何か言わなくちゃ、と口を開きかけて、溜め息を吐いた一条課長に遮られる。


「――…分かった。これからお前の教育担当は別の奴にやってもらうことにする。明日のところは周りの手伝いをしておけ。誰に付くかはまた後で連絡する」

「はい……」


疲れたように淡々と語る一条課長の言葉に、私は小さく頷くことしか出来なかった。



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