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15.自覚、そして

気がつけば、二人の声は聞こえなくなっていた。

周りは静まり返って、自販機のヴーンという音だけが響いてる。


(どれだけボーっとしてたんだろ、私)


まだどこか回転の鈍い頭で、辺りを見回す。

窓の外は、すっかり暗くなっている。


(帰らないと……)


重い足を動かして、外に出た。


――「でも、あんなにイイ男がずっと一緒にいてさ、好きになったりしないの?」

――「ないない。ないですよ!」


マンションに向かって歩きながら、ふと、昨日の飲み会でのやり取りが蘇る。

あの時、私は笑って否定したけど。

本当にそうなのかな?

心の中で、そんな疑問が湧く。

なら、どうしてこんなにショックなのか。

どうして、さっきの二人のやり取りを思い出すとこんなに胸が痛いのか。

考えれば考えるほど、


(そっか、私――…)


答えは一つしかなくて。


(課長のことが、好きなんだ……)


たった今、気付いた思いは、不思議なくらいストンと、胸の中におさまった。




(自覚したと同時に失恋かぁ……)


脳裏に、さっき見たばかりの二人が浮かぶ。

昨日、一条課長と北村さんの噂を聞いた時には動揺はしたけど、それが本当かどうかは分からないって思ってた。

実際、いつも職場で見る二人は完全に上司と部下って感じだったから。

あくまでも、“かもしれない”っていう、可能性の話だと思ってた。

だけどさっきの二人は――、そんな普段の感じとは違っていて。

お互いに下の名前で呼び合ってたし、それに――。


(あんなに柔らかく笑う課長、初めて見た)


思い出して、自覚したばかりの恋心が切なくなる。

二人が付き合ってるかどうかまでは分からないけど、きっと両想いなのは確実だろう。

そう感じるくらいには、二人の空気は親密だった。


「はぁ……」


今日、何度目とも知れない溜め息を吐く。

北村さんは美人で仕事も出来て、女の私から見ても憧れちゃうくらい素敵な人で。

一条課長からの信頼も、厚くて。


――私なんかとは、大違い。


あのキスだって、きっと何かの間違いなんだろう。

そもそもあの時は目を瞑ってて、実際に見たわけじゃないし。

酔っぱらってて、願望を夢で見てただけなのかも。

それを現実と勘違いした、とか。

こう考えると、何かそれが正解なような気がしてくる。


(うわぁ、夢と現実をごっちゃにするとか、私どんだけイタイ女なんだろ……)


「はは……っ」


痛すぎる現実との格差に、思わず乾いた笑いが漏れた。



◇◇◇◇◇



「――北村、この間頼んだ報告書の件だが……」

「出来てます。今、持っていきます。それと、この前言ってた契約なんですが――」


パソコンに向けていた目をそっと離し、フロアの中で話す二人の姿を見る。

書類片手に真面目な顔で会話する二人の間に、この間見たような親密な雰囲気はない。

だけど。

一度、そう思って見てしまうと、何だかその距離感がもどかしく感じてくる。

仕事とプライベートをきっちり使い分けてるっていうか。

使い分けすぎてるっていうか。

信頼の現れ――なのかもしれないけど。

思って、少し気分が沈む。


「はぁ……」


不毛な思考に陥りそうになったのを溜め息一つで打ち切って、二人から視線を外す。

ちょっと無理やり二人から意識を切り離して、パソコンに顔を向けなおす。

そこにあるのは、打ち込み途中の資料の画面。


(よし!頑張ろう!)


心の中で鼓舞して、仕事を再開した。




次の日が休日だったのは、幸いだった。

土日の間で、ゆっくりと考えられた。

自分の気持ちに気付いた今、私はどうしたいのか。

そうして考えた結果、私は“とくに何もしない”という結論を出した。

北村さんから奪おう、なんてことは思わなかったし、そもそも奪えるとも思えなかった。

告白する気にもなれなかった。

告白しても付き合えるわけじゃないし、今の関係が壊れる事が嫌だと思った。

それよりも、今の上司と部下としての関係が大切だった。

だから。

一条課長は私の上司で、私は課長の部下。

それだけで――いい。

今はまだ、決意したばっかりで二人の姿に落ち込んでしまいそうになるけど。

幸い、一条課長が好きだと気付いたって言っても、まだ好きになりかけ、くらいだと思うし。

きっとすぐに二人のことを心から祝福できるようになれるだろう。

だから、そう思えるようになるまでの間だけ、一条課長のことを好きだという気持ちを隠して今まで通りに生活する。

してみせるんだ、と。

そう決意した。



そんな私の決意は、結局のところ子供染みた甘い考えでしかなかったのだと、すぐに突き付けられることとなる。


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