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14.動揺と立ち聞き

「では、これで宜しいんですね?」

「ああ、これはこのまま進めてくれ」


若月係長の確認の言葉に、一条課長は頷いた。


「分かりました。それでは――」


今日はやらないといけない書類が溜まっているらしく、外回りはなし。

珍しく朝からフロアにいる一条課長はどこかに電話して仕事の指示をしたり、足りないデータやら資料やらを自分で補強したり、他のメンバーが作った見積書の最終確認をしたり、とにかく忙しそう。

私はと言えば、そんな一条課長の指示で簡単なお手伝いをさせて貰ってる。

一条課長が書類を見る前に、計算間違いや文書に矛盾がないかを確認するだけだけど。

次から次に書類が積みあがっていくから、やってもやっても終わらない。

確認し終わった書類を一条課長のディスクまで持って行って、チラ、と課長を見る。

一条課長は、難しい顔をしてデスクの上の書類を読んでる。


「――…い、おい、里中?」


眉が寄っていて、何だかいつも以上に大人の色気が増大してる気が――。


「……お前、シカトか。――いい度胸だな?」

「へ?っ、ちちち違……、っ!?」


言われた言葉に驚いて慌てて顔を上げると、すぐ近くに課長の顔があって。

思いっきり、動揺する。

パッと目を下にそらすと、自然と課長の唇に目が行ってしまった。


(この、整った唇に、私、昨日……)


「~~っっ」


そう思ったら、顔が急に熱くなって。

恥ずかしすぎて、顔が上げられない……っ。


「……お前、何か変じゃないか?」


下を向いたまま黙り込む私を、一条課長が怪訝そうに見てる。


「……別に何も」


それに耐えられなくて、視線を横にずらした。


「ならなんで顔を背ける?」

「………」

「里中?」


どうしよう、どうしよう、どうしよう……!

ホント、顔あげられない。

あり得ないくらい、恥ずかしい。

一条課長が不審がっているのは分かってるんだけど、どうすることも出来なくて。

結局は確認した書類をデスクに置き捨てて、逃げるように自分の席に戻るしかなかった。







ピッ。

ボタンを押し、ガコンと自販機から缶が落ちた。


「はぁああああ……っ」


(何やってんだろ、私……)


休憩スペースに設置された自販機からたった今買った缶ジュースを取り出して、私はがっくりと項垂れた。

あの後も、一条課長と話すたび昨日のことが思い出されて。

今日一日、ホント散々だった。


(一条課長、怪訝そうな顔してた……)


訝しげに私を見る一条課長の顔を思い出して、さらに気分が沈む。


「はぁ……」


頭がパンクしそうだ。

昨日だけで、いろんなことがあった。

仕事終わりに二つの課合同で、歓送迎会を開いてくれて。

企画三課の人たちと久しぶりに話せて。

黒川課長から、今回の異動が一条課長から言い出した話だってことを教えられて。

三課のおばさま方からは、一条課長と北村さんの噂を聞いて。

お酒を飲んで、何でか一条課長に送ってもらうことになって。

そして――…。


「……」


そっと自分の指で唇に触れる。

昨日の夜の感触が、蘇って――、


「――っ」


ハッと我に返って、頭を振って記憶を散らす。

でも、そうした先から思考はまた同じ所に戻って。


(どうして、一条課長はあんなことをしたんだろう……?)


最終的には、そんな疑問が頭を占める。

一条課長は北村さんと付き合ってるかもしれなくて。

お似合いで。

でも、課長は私にキスして……。


(あーもーっ、分っかんない!)


なんて、混乱のピークに達しそうになっていた時。


「――だから、……だ」


廊下の向こうから一条課長の声が聞こえ、反射的に自販機の影に身を隠していた。


(ちょ、何やってるの私!?)


隠れて、すぐに隠れる必要なんてないことに気付いたけど。

さっきまでのこともあって、どんな顔して一条課長に会えばいいかも分からなくて。

結局、動くに動けなくなった。


「……っと、言葉で言ったら?」


一条課長は誰かと話しながら歩いてるみたいで、課長の声と一緒に女の人の声が途切れ途切れに聞こえてくる。

誰だろう、と不思議に思う前に、近づいてきたことで鮮明に聞こえた声で相手が分かった。


「まったく。昔っから素直じゃないんだから」


――北村さん。

一条課長と北村さんが一緒に話してる。

たった今、考えていたばかりの二人の登場に体が強張(こわば)る。

だんだん近づいてくる二人の足音。


「うっせぇよ。てか、お前に言われたくねぇ」

「ちょ、止めてよ――、和希ッ」


ドクッ。

心臓が嫌な音を立てた。


「はっ、一言余計なんだよ。……でも、ありがとな、涼香」


いつもと違う、少し乱暴な一条課長の声。

でもその声には、どこか柔らかな響きがある。


「どういたしまして?」

「何で疑問形なんだよ」


だんだんと近づいてきた二人の声が、休憩室の前を通り過ぎる。


「――っ」


自販機の影から見えた二人は――、楽しそうに笑い合っていた。



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