はじまりの日
人の体の中に
魂と言う物が存在し、
その魂の役割は
ただの肉の塊に
存在感と
活力を与えるとしたならば、
今の瞳子は、
魂を、何処かに置いてきてしまったかのように
腑抜けになってしまっている。
そう、
保険外交員が、
合わない事を
自分自身で認めたあの時から、
「今晩は」
拓海が息を切らしながら、
やってきた。
「お疲れ様です。
大丈夫ですか?
走ってきたの?」
瞳子は、拓海の体を気づかった。
「大丈夫です。
早く、来たかったから」
瞳子は、拓海の言った意味が
イマイチ分からなかった。
早く、来たかったから?
この後、デートでもあるのかしら?
そうよね。
こんなカッコ良いんだから、
彼女くらいいたって、
不思議じゃないわ。
気持ちが萎えたが、
左手に持っている
申込書をテーブルの上に置いた。
「ごめんなさいね。
急いでらっしゃるのね。
彼女とデートかしら、
早く、おわらせますからね。」
と満面の作り笑顔をした。
女優さんは、
きっと
泣くシーンよりも
笑うシーンの方が大変だと、
引きつった、顔が答えを出してくれているようだ。
「僕には彼女など、いません!
それにこの後、予定など入れてませんから」
拓海は、本当に
訳の分からない事を言う青年だと
瞳子は首をかしげた。
「何処にサインをすれば良いですか?」
拓海が突然言った。
瞳子は慌てて、
申込書をさしだしたが
「清水さん、その前に
保険の内容を聞いて下さい」
と困ったような表情をすると、
「いえ、保険は全面的に
山本さんに任せますから。」
と言って、
自分のボールペンで
申込書にサインをし始めた。
「あの、ちょ、ちょっと待って下さい。」
瞳子は慌てた。
すると、ペンを止めて
瞳子をジッと見つめながら、
「僕は、始めてあなたに
お会いした時、
時間が止まりました。
全ての物が僕の周りから、
なくなり、ただ、一つだけ
そう、貴方だけが
存在していたのです。
貴方だけが、僕の目の前にいた。
山本さんはご家族をお持ちと聞いています。
決して、山本さんにはご迷惑をかません。
ただ、たまに食事に付き合って下さい。
ダメですか?」
本当に訳の分からない事を言う青年だ!
何故、保険外交員のおばちゃんと
食事がしたいのか?
それに、
何で時間が止まったんだ。
う?
拓海のお母さんにでも似ているのか?
あっ!
そうか、お母さんだと思っているのか?
困惑した瞳子の気持ちを
見抜いたのであろう
拓海は瞳子を
自分の瞳に
何度も何度も
重ね合わせ
海の底よりも深く
永遠に続く宇宙よりも深く
瞳子を見た
「僕は貴方に、一目惚れをしました。
愛しています。」
瞳子の鼓動は
ドォクン、ドォクンと
波を打ち
大きな波に変わった。
瞳子の鼓動は
拓海まで、
聞こえているかのようだ。
そして、瞳子は
時間が止まった。
瞳には
拓海だけが
深く深く
写っていた。