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最終回です。

 梅雨が明けるのと同時に、期末テストが始まった。


 翔子の頭の中は、正直まだそれどころではなかったが、第一志望の大学がB判定なので、今成績を落とすと非常にまずいことになる。


 塾に行ったり、図書館で優斗に勉強を見てもらったりしながら―優斗はこんな時でものんきに図書委員をやっていた―、期末テストに備えた。


 優斗とは、もうあちらの世界の話しはしなかった。


 優斗はテスト期間に入ると全てのテストを欠席し、家族と長期の旅行に行った。ヨーロッパに行くと言っていた。


「夏休みは旅費が高くなるからねー」


 とのんきに言っていたが、翔子は嫌な予感がしていた。


(思い出つくりってことはないよね)


 ドキドキしながらも、期末テストを受けた。翔子にはやらなくてはいけないことが、たくさんあるのだ。友だちの心配だけしていればいいほど、暇ではない。


 優斗は期末テストが終わると同時に帰国し、妙に甘いチョコをお土産にくれた。T大を狙っている優斗が、この時期に長期欠席をしたことは話題になっており、真相を聞こうと生徒たちが優斗に群がったが、旅の思い出しか語ってくれなかったという。


 翔子の不安は、また少し大きくなった。


 そして、終業式を迎えた。

 校長先生の中身のない長い話しを聞きながら(今日は優斗に蓬莱軒のらーめんおごってあげよう)なんて思っていた。


 優斗は期末テストを丸投げするつもりがあったからか、翔子のテスト勉強に随分と付き合ってくれた。そのお礼と、気になっている出発の日について、話す口実にしたかったのだ。


(きっと、そう遠くない)


 翔子には、そんな嫌な確信があった。

 優斗の顔つきがどんどん凛々しくなっていくのに気づいていた。


 少し前までは優しい面立ちだった。


 でも、今は少し違う、ように翔子には感じられる。

 どこが、どうとは言えない。

 ただ、ふとした時に、男の顔をする優斗に気付く。ドキンとするのは、ときめくからなのか、淋しいからなのか、判然としない。恐らくはその両方だ。


(ああいうのを、王の顔というの……)


 それなら、そんなの見たくない、と思う翔子もいる。


「木島くん、今日もいなくない?」


「家庭の事情らしいよ」


「えー、なんか最近変だね……」


「転校するって噂聞いたけど」


「マジで?」


 ひそひそと隣のクラスの女の子が話している声が聞こえた。


 翔子は、優斗のクラスの列を見た。 

 確かに、優斗の姿がない。


 ドクン。


 心臓が強くなり、背中を嫌な汗が流れた。翔子はそっと列を抜けた。体育館を出て、携帯電話を取り出し、優斗にコールする。


―おかけになった電話番語は、現在使われておりません……


 そうアナウンスが流れたと同時に、翔子は駆けだしていた。






「本当に翔子さんに挨拶しなくてもいいのですか?」


「うん、いいんだ」


「翔子さん、きっと哀しみますよ」


「……恨んで欲しいから」


 真夏の日差しの中、優斗と使者は歩きながら駅へ向かっていた。


「俺、ずっと翔子のことが好きだった」


 優斗の突然の告白に、使者は驚きを隠せなかった。


「気付きませんでした」


「ああ、俺そういうの隠すの得意だから」


 優斗はなんてことないかのように言って、続ける。


「翔子が、すぐくっついて、すぐに別れるのをドキドキしながら見てたんだ。

 今度こそ本当に好きになったらどうしようって。


 でも、翔子いっつも長続きしなくてさ、それが救いだったんだよ。


 翔子は絶対俺の気持ちなんて気付いてないし、それでいいんだ」


 語る優斗を、使者は黙って聞いている。


「翔子は、好きだと言われることに慣れてる。俺が好きだと言ったら、多少は驚くだろう。

 でも、結局は他の奴と同じことなんだ。翔子が俺のことを好きになるよりも、気持ちが離れていくほ うが先だと思う。


 だから、俺は告白はしない」


「それなら、尚のこと……」


「翔子の心に残るなら、好きだと言うよりも、黙ってあっちに行って、恨まれたほうがずっと効果があ ると思う。絶対に許さないからって、きっと翔子は思う。


 恨む気持ちでいいから、翔子の心の中で俺を忘れないで欲しいんだ」


「とても複雑なんですね」


「違うよ、とても簡単なんだ」


 わからないだろうけどな、と言って優斗は悠然と笑った。その表情は、もう、優しく寛容なだけの優斗ではなかった。


「声出してしゃべるのが最後だと思うと、なんか、もっといっぱいしゃべりたいような気がするな」


「お相手致しますよ」


「ありがとう」


 駅が見えた。


 優斗は清々しい気持ちで歩いている。

 全てが終わるのではなく、これから始まるのだという高揚感。

 微かに残る、胸の痛みと喪失感。

 王だと言われ、なるほどと思ってからの慌ただしい一カ月が懐かしいような気がした。


(俺を恨めよ、翔子)


 そう、心の中でつぶやいた時だった。


 ドン!っと勢いよくなにがか、背中にぶつかっってきた。

 思わずよろめき、何事かと振り返ると、そこには翔子が居た。

 肩で大きく息をしながらも、憤怒の表情が、優斗にはとても美しく見えた。

 使者のことを、にらんでいた。


「言ってって……言った、じゃ、ない」


 今日は終業式だった。学校から駆けてきたのだろう、息がとても荒い。顔を流れる汗が、とても長い距離を走ってきたことを証明していた。


「考えておきます、とお答えしたはずです」


「またねって……言ったら……またって、言った」


「またお会いする機会がないとも限りませんでしたので」


「なに、それっ!」


 はあはあと、荒い息と、ぎりと睨む強い瞳。


(キレイだ)


 惚れ惚れと優斗が翔子を眺めた。


「もう、息、うっとおしいっ!」


 息があがってうまくしゃべることができず、気持ちを思う通りに伝えられないことがもどかしいようだ。


「翔子さん、お待ちしますので、少し休まれてはいかがですか」


「待てる、なら、なんで、黙って……」


 行くの、と最後は声にならなかった。


(あ、泣く)


 優斗はそう思ったが、翔子はきっと口を結び、涙を見せなかった。

 優斗は自動販売機で水を買って手渡した。

 使者と優斗は、翔子の息が整うのを待った。


「あっつ……」


 翔子は、優斗の手渡してくれた水をゴクゴクと飲んだ。

 アスファルトは容赦なく、真夏の日差しを照り返した。


「あのさ、」


 しばらく三人で真夏の日差しの元、佇んでいたが、翔子がおもむろに切り出した。


「もうあたしだって行くなとは言わないよ。それなりに覚悟してたもん。


 だからせめて最後くらい、バイバイって言いたいじゃない。変な風に別れて、後悔したくない」


 翔子が使者に向かって言った。使者はじっと黙って聞いている。


「最後くらい、さぁ……」


 はあ、とため息をついた。


「翔子、ごめん。俺が言わずに行こうって言ったんだ。使者は挨拶して言ったほうがいいと言った」


「そう。……あなたやっぱりいい人だよね。早く戻ったほうがいいよ、元いた世界。

 きっとこの世界は似合わない。優しい人は傷つくことが多いから」


 翔子がそう言うと、使者は柔和な表情で翔子を見つめた。


「優斗、あたし、やっぱり違う世界があるなんて認めきれないし、わかんないよ。

 優斗が王になるっていうのだって全然ピンとこない。


 だからさ、待ってる。


 優斗がいつか帰ってくるの、待ってる」


 翔子はすっきりとした顔で、優斗を見て言った。


「優斗が帰ってくるころには、あたし、お母さんになってたり、おばあちゃんになってしまっているの かもしれないけど、優斗に恥ずかしくないような生き方をするから。


 そしてまた、側に住んで、あたしの話しを聞いて」


 ね、と翔子は優斗に言った。


 優斗は、そんな翔子をじっと見つめた。


「うん」


 優斗の言葉は、肯定とも否定ともとれなかった。

 二人の間に、沈黙が落ちる。


 言いたいこと、聞きたいことがたくさんあるような気がした。けれどもう、どんな言葉よりも、お互いの表情が一番雄弁だった。きっとこれは言葉では埋まらないものなのだ。


 優斗が翔子を抱きしめた。


 ぎゅっと強く強く抱きしめた。


 翔子も優斗の背中に手をまわした。


「汗臭くてごめん」


 翔子が言うと、優斗が笑った。


「いっつも一生懸命な翔子が大好きだ」


「失敗も多いけどね」


 抱き合いながら、お互いの胸が笑って震えるのを感じた。

 どちらともなく離れる。


「あなたも、元気で。きっとどうせこの辺うろうろしてるんでしょ?

 お茶くらい出すから、うちにも遊びにおいでよ」


 翔子が使者に向かって言う。


「考えておきます」


 使者の返答に、翔子が笑った。


「あてになんない返事ばっかりして」


 くすくすと笑う。


「またね」


 翔子が言った。

 優斗がうなずいた。


「あたし、見送れないから。学校抜けてきちゃったし。鞄も置いてきちゃったし」


「そうだね、怒られるよ、また」


「明日から休みだから、今日くらい怒られたっていいもん」


「そっか」


「うん……」


 また沈黙が落ちる。


「じゃね!」


 翔子は元気よく言って、笑顔で片手を上げた。優斗も笑顔で手をふりかえす。使者もそっと手をあげた。


 翔子は踵を返すと、勢いよく走り出した。


 今、翔子は泣いているのか、笑っているのか優斗にはわからなかった。

 笑っていて欲しかったが、ひどく泣いているような気がした。こんな風にものわかりのいい別れ方をできるような子ではなかったはずだから。


 力強く地を蹴り、走り去る翔子の姿を、優斗は見えなくなるまで見つめていた。

 しゃくりあげるように泣いているなら、あんなに早く走れないだろうと思う。それならば、翔子は泣いていないのかもしれない。


 そう思いたいだけなのかもしれない。

 どちらにしろ翔子の後ろ姿は惚れ惚れするほど格好よかった。


「行こうか」


「はい」


 翔子が走り去った道とは反対の方向に、二人は歩き始めた。

 

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