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 二人で黙って歩いて蓬莱軒に行き、翔子も優斗も大盛りを頼んだ。


 ここのらーめんは翔子の好きなこってりとした味で、今のところ翔子の中で、キングオブらーめんに輝いている。二人で無言のままぺろりと食べ切ると、すっかり匂いのついてしまった制服で帰路についた。


「あー、うまかった。やっぱり蓬莱軒はいい味だしてるよね」


 優斗がそう翔子に声をかけると、「ホント、おいしい。もうちょっと安ければいいんだけどさ」と答えた。


「一杯八百円だもんね。ちょっと高いか」


「うん、高いよー。らーめんは六百円くらいがいいなー」


「そうだね」


 そんなことを言い合う。

 翔子はすっかり機嫌をよくしていた。


(別にらーめんおごってくれたらじゃないけどさ。

 ちょっと大人気ないかなって思ったから、機嫌なおしてもいいかなって思ったわけよ)


 なんて自分に言い訳をしてみる。


 そうでもしないと、なんだか立場かないような気がしたのだ。あんなに「嫌」って強く言った自分が、本当にらーめんにつられて機嫌をなおしたようにみえたらたまらない。

 翔子は、そんな安直な自分に優斗が気づいて面白がっているのではないかと、優斗の顔を見ることができなかった。


 同じ歩幅で歩きながら、最近のらーめん事情などを語り合う。翔子はつけ麺をらーめんとは認めてなかったが、優斗は「中々おいしいよ」などと言うのだ。


 もちろん翔子はひとしきり抗議をしてみたが、優斗は「まあ、そういう意見もあるよね」などとにこにこしている。


 らーめんの話題が尽きた時、優斗がぽつりと言った。


「俺さ、政治家になろうと思ってたんだ」


「え?政治家?」


 突然の発言に、翔子は思わず優斗の顔を見た。優斗は少し照れているような、面映ゆい表情をしている。


「そう。T大出て、政治家になるつもりだったんだ」


「え?なんでまた」


「俺、けっこういろんなことがもどかしかったんだ。


 無医村の村とか、老老介護とか、孤独死とか、不況とか、生活苦とか、テレビや新聞で日本の現状を 見るたび、人ごとじゃないなって思ってたんだ。


 同じ国なのに、田舎と都会では便利さが違う。

 若くて元気なうちはいいけど、年をとって体も言うこときかなくなってから感じる不便は山ほどあっ ても、お金がなかったらがまんするしかない。


 そういう現状が今はあふれてる。


 大学出て会社に勤めて家庭を持って、自分の手に届く範囲の幸せを確保するのもいいけれど、きっと 俺はそれじゃあ満足できなって思ってたんだ。


 きっと、ただテレビのニュース見て憤るだけじゃ、結局なにもしていないってことだ。


 そんな十年後の自分になりたくないって思ったんだ」


 急にそんなことを語り始めた優斗に、圧倒された翔子は「はあ」と曖昧な返事をした。

 優斗は自分のことをあまり多く語るタイプではない。いつも翔子の話を聞いていることのほうが多い。というか、ほとんど翔子がしゃべっている。 


 だから、自分のことをこんなに話す優斗は珍しい。


「無医村で医者をするのもいいかなって思ってたんだけど、でもそれじゃあやっぱり、自分の手の届く 範囲でしか活動できないんだよね。


 根本から大きく変えるためには、政治家になろうって決めたんだ。


 俺が死んでも、この国がすみずみまで豊かだったらいいなって。

 それはすごく難しいことだけど、やるだけやってみようと思ったんだ」


「だからT大?」


「うん。官僚になるには大学の名前って大切らしいから」


「めちゃめちゃ真面目に考えてるんだね、優斗は。頭いいだけじゃないんだ」


「頭いいだけだと思ってんだ?」


「優しいのが取り柄っていうか、ね。いい人で終わっちゃうかなーって」


「低い評価だなぁ」


 はははと乾いた笑いが優斗から出た。翔子も一緒に、ははははと笑った。

 でも翔子は本当はもっと優斗の評価は高かった。


(優斗は絶対にモテるようになると思う。

 たぶん、大学行ったり、社会人になったら、穏やかで寛容で磊落な優斗の性格はきっとモテる。


 優斗と付き合う子は幸せだと思うなー。いわゆる包容力のある人なんだよね。


 悔しいから言わないけど)


 そっと胸の中だけでつぶやいた。


「でさ、」


 と、優斗があらたまった。


「王様も悪くないかなって思うんだ」


 翔子は、逡巡し、「はぁ!?」と不服の声をもらした。


「今の良い話、そこにつながるの?」


「うん」


「日本どこいったんだよ、日本」


「うーん、俺こっちの世界の人じゃないみたいだからさー」


「なにそれ。急にファンタジー要素が加わったら、今まで居た国なんてどうでもよくなったんだ?

 サイテーじゃん」


 翔子は思わず立ち止り、優斗に食ってかかった。


「どうでもよくはないよ」


「でも、捨てるんじゃん、こっちの世界。政治家になって、国を変えるって言ったばっかりなのに!」


「政治家には、俺じゃなくてもなれる人はいる。でも、あっちの世界の王は俺しかいないんだ」


「まだそんな夢見がちなこと言ってるの?」


「翔子こそ、まだ認めないの?見ただろう、トビラ。それから俺の体が変化しかけるところ」


 優斗の言葉に大きく息をのんだが、言い返す言葉が見つからず、黙った。確かに、翔子は異世界はあるのだと心のどこかで認めてしまう自分がいることを否定できなかったのだ。


 認めるのはすごく悔しいから、信じたくない気持と相まって、翔子の中には葛藤がうずまいている。


「あのさ、翔子に説明しても伝わらないと思ったから言わなかったけど、俺だってなんの根拠もなしに あの人の話を信じたわけじゃないんだよ」


 疎外感のある物言いにムッとした。


「あたしには伝わらないってなによ?」


「俺さ、小さい頃からすごく違和感があって、生きてることに。

 みんなが笑うこととか、怒ることとか、恋愛とか、まあ、最近ではエロい話しとか、共感できないこ とがたくさんあった。


 なんでそんなことで一喜一憂するんだろうって疑問ばっかりだった、ずっと。

 高校生になった今でも。


 だからここは本当の世界じゃないって感じてた。


 ここは俺の居る場所じゃないような気がしてたんだ。それで、あの人が来て、異世界の話をされた  時、ああだからかって素直に思えたんだ。


 郷愁ってこういうものなんだった思えるくらいに、懐かしい感じがしたんだ。

 俺のいる世界は本当はこっちじゃないっていう確信みたいなものがあったんだよ」


 優斗が珍しく一生懸命説明をしている。翔子はじっと聞いている。


 が、案の定、表情はどんどん険しくなっていき、「あのさ、」と口を開いた。


「そんなのさ、誰でも思ってることだよ。


 あたしだって、男の人とすぐ付き合って、すぐ別れちゃう自分なんて、本当の自分じゃないって思っ ちゃうし、てか、思いたいし、ここじゃないどこかにあたしが生きる本当の世界があるんじゃないか って妄想するよ。


 本当のあたしはみんなに優しくて頭もよくて、友だちもすごく大事にする。

 みんなが憧れるようなカッコいい男の子と、胸が苦しくてたまらない恋愛をするの。


 そんなあたしがどっかには居るの。


 理想の自分になれなくて、そういうこと思っている人はいっぱい居るんだよ?


 でも、ホントはそんな世界ないこと知ってるの。

 あたしにはあたししかいないって。

 葛藤とかコンプレックスとか抱えながら生きてくしかないの。そんなの、わかってることなんだよ?


 だから、優斗みたいにすぐに怪しい人の話信じたりしないの!」


 最後のほうはもう怒鳴っていた。


(優斗がこんなバカだなんて知らなかった)


 と思う一方で、穏やかな優斗がそんな風に悩んでいたことに、少なからずショックを受けた。優斗が翔子になにも言わないのは、現状に取り立てて不満がないからだと思っていたのだ。


(本当に、あたしばっかりしゃべってたんだ、今まで)


 そんな現実に愕然とした。


「そういうのとは違うんだ。うまく説明できないけど。

 俺の母さんと父さんだって、思うところがあって、異世界ってあるんだって認めたんだよ。


 それはもう直感に近いものだから、こちらの世界の翔子にわかるように説明するのはすごく難しいん だけれど」


「自分の語彙のなさを、世界のせいだなんて言わないでよ!」


 翔子は大きく肩で息をした。

 道を行く人が、言い争う二人を、何事かとちらちらと見る。翔子もその視線には気がついていたが、憤りは収まらない。


「優斗、本当にバカになっちゃったんじゃない?

 いい?優斗は王様になんかなれないし、ならないの。

 

 どこにも行かないの。


 ここに居て、毎日高校に行って、つまらない授業受けて、図書館委員の仕事しながら、あたしのくだ らない恋愛の話を聞くの。

 それで、春になったらT大に通って、四年経ったら国家公務員の試験を受けるの。


 そんで日本のために清く正しい政治家になるの。そういう日が待ってるだよ。



 お願いだから、もう変なこと言わないでよ……」


 翔子は必死だった。優斗の心が傾いているのがわかるから、余計に。

 翔子自身の揺れる心を、自分の強い意見でねじ伏せるかのように、一生懸命優斗を説得しようとした。


 今、翔子が異世界の存在を認めたら、優斗が遠くに行ってしまう。それがどういうことなのかわからなかったけれど、優斗を失うのが怖かった。


 楽しいことばかりじゃないし、煩雑なことも多い毎日だけれど、それなりに平穏な毎日が崩れようとしているのが怖かった。


 翔子は自分の強い言葉で、今立っている場所を守ろうと戦っているのだ。

 優斗は黙って翔子の話しを聞いていたけれど、もう言い返そうとはせずに、哀しそうな顔をした。

 その顔を見て、伝染したかのように翔子も哀しくなった。こんなに必死に伝えようとしているのに、優斗には少しも伝わらない。


 同じ国の言葉で話しているのに、伝わっていない。


(胸が痛い、とても)


 翔子と優斗は打ちひしがれた表情をして、どちらともなく歩き始めた。随分と重い足取りだった。のろのろと二人並んで無言で歩く。


 ぽたり。


 冷たい雨粒が頬に当たった。雨が降り出したようだった。


(泣きたいのはこっちだよ)


 翔子は空にまで八つ当たりをして、折りたたみ傘を開く。優斗にも無言で差しかけ、二人でひとつの傘に入った。傘の柄を優斗が何も言わず持ってくれた。


 ぽつぽつぽつ、と雨脚は強くなる。アスファルトに黒い水玉模様が増えていく。空気がむわっと蒸し始めた。


「翔子はさ、建築家になりたいんだよね?」


 ぽつりと優斗が言った。

 翔子は答えなかった。


「地震で倒れない家を建てたいんだよね?だから工学部に進むんだろう?」


「……なんで知ってるの?あたし誰にも言ってないだけど」


「翔子のおばちゃんが言ってた。神戸のおばあちゃんちが半壊した時に、あたし家を建てる人になるっ て言ったって。


 誰も悪くないのに、こんな風に突然家が壊れるなんて嫌だって」


 確かにそう言ったことがある。

 テレビで被災地の映像見た。家やビルや道路がなぎ倒されていた。


 家やビルがこんなにもぺしゃんこになることがあるなんて、それまでの翔子は考えたことがなかった。ましてやあんなに硬い道路がめくれ上がることなんて、あるわけないと思っていた。 


 あの時、小さな翔子の世界観が変わった。


 自分の信じていた世界が、壊れるのを見たから。なによりもショックだったのは、あの被災地は祖母の住む地方だったことだ。

 母親が、食い入るようにテレビのニュースを見続けていた、あの怖いくらいの横顔を覚えてる。


―良かった、ちょっと離れてる。


 次々と明らかになる被災地の情報を見て、母はそう言った。


―でも、ここに住んでる人もいるのよね……。


 じっとニュースを見ながら、ほとんど一人ごとのように言った言葉は忘れられない。

 祖母には幸い怪我はなかったようだったが、家が半壊した。落ち着いてから母が様子を見に行った。 母が帰ってきてから、祖母が撮ったという地震が起こった直後の、家の中の写真を見せてもらった。


 翔子の世界はまた少し壊れた。


 家の中でどんなに暴れてもこうまでなるまい、という状態だった。タンスから抽斗が飛び出して服が散乱しているのに、タンスが歪んでしまって抽斗をしまうことができないことや、ヒビの入った窓ガラス、その破片が散らばった廊下。


 理不尽だ、と強く強く感じた。


 あの時に気持ちが、翔子の進路を漠然と決めた。本当に建築家になるのかはわからないが、工学部建築課に進もうと思っている。 


「日本は地震とは付き合っていかなきゃならないんだから、地震に強い家を建てられる人になったら儲 かるじゃない」


 翔子はそんな風に強がって言ってみせた。優斗は翔子の優しさを思って、ひっそりと笑った。


 雨脚が強くなり、傘からはみ出た二人の肩を濡らした。二人の足元はすっかり濡れて、靴の中はびしょ濡れだった。


 けれど、二人はそんなこと気にならなかった。

 二人の心はそんなことが気にならないほど、違うことでいっぱいだったから。



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